<「大曲大町」の十字路>
●歩いた日:2019年12月9日(月)
●歩いた所
・大曲:通町、中通町、黒瀬町、大町、上大町、栄町、上栄町、日の出町、金谷町
※ いずれも新町名である。正式には町名の前に「大曲」が付く。
●歩いたログ(足跡)(道のり5.8km)
(以上の地図:国土地理院)
※ 市街地で見づらいですが、ご容赦願います。
「川を渡る梵天」の記事で中断しましたが、「大曲」の街中歩きを再開します。
「丸子橋」から少し南に進むと左手に入る細い道がある。その先が「佐竹公」の本陣があった場所である。
さらに進むと十字路がある。
📷006:「大町」の十字路
左手奥から十字路に来たところ。この十字路は、私が子供の頃は「寺町角」と言った記憶がある。今も写真の左右に延びる道は「寺町線」(寺はこの通りから少し離れたところにある)というようだ。
また、この場所は、右手奥に少し行ったところにある「諏訪神社」の小正月行事、「大曲の綱引き」が行われる場所である。前述した「ブルーノ・タウト」は紀行文によるとこの綱引きを見るために「大曲」を訪れたとある。
ところで、この原稿を書き綴っている最中の2月16日に、歩いた街中のメイン通りを「通町」から「上栄町」まで車で通ったが、通りに藁くずがいっぱい落ちており、おじいさん?達が箒を持って掃除をしていた。前日の15日(土)に行われた綱引きでは、「通町」から「上栄町」まで綱が練り歩いたようだ。
正面に「食堂 天狗屋」の文字が見える大きな建物が建つが、昔、その右手辺りに通りに面して小さな店が並んでいた。子供向けの玩具などを売る店もあって、ここまで線香花火などを買いに来た記憶がある。
左端に「福田せともの店」の看板があり、その奥に建物の一部がのぞいている。「美音社」である。街の電器屋さんという性格もあるが、名前が示すように本職はオーディオ機器である。私が退職後に古い機器に代えてCDプレーヤー、レコードプレーヤー、アンプなどを購入したのはこの店である。FMのアンテナも設置してもらった。元気な社長さんが頑張っている。
十字路の手前の角(立っている位置の背後)に信用金庫が建ち、その玄関脇に「大曲駅場跡」の説明板が立つ。それによると、藩政時代の「大曲駅場」はこの辺りの広い場所にあり、商取引の中心地が駅場役所前の「旧寺町十文字」であった、とある。これで、ここが「寺町十文字」と呼ばれていたことがわかる。それが「寺町角」に転じたようだ。
以前のブログ、「花館を往く」で書いたが、「花館の歴史」によると次のようにある。
江戸時代の初期、参勤交代制の実施(1635年)に伴って「大曲」、「花館」を通る新しい「羽州街道」が開通した当初、「大曲村」が駅場の継ぎ立て行っていた。しかし、当時、一農村の過ぎなかった「大曲村」(後には川港の商業の地として栄えるが)が大きな経費を要する継ぎ立てで窮乏したため、「大曲」の加駅として「高関村」の「花立」の地(現在の「花館」の中心部)に、周辺に点在する家を引き移らせて140軒余りの伝馬屋敷を造り上げて「花館駅場」とした(1664年)。これにより、月30日のうち上15日は「大曲駅場」で、下15日は「花館駅場」で継ぎ立てを行うことになった。
十字路から「上大町」の通りを南にしばらく進んだところで振り返る。
📷007:「上大町」の一角
通り沿いは古い店屋風の建物が並んでいるが、シャッターを下ろした建物も多く、やや寂しい感じである。
左手前の二階建ての長い建物は、つい2~3年前まではアウトドア用品を扱うスポーツ店を営んでいた。ずっと以前のブログに登場した歩くスキー、かんじきなどはここで購入した。
店に行くとかなり高齢の夫婦が店に座っていて迎えてくれた。店を切り盛りしていたのは息子さんと思われる人だった。何度も行ったわけでもないのに、店を閉じる時には挨拶状を送ってくれた。
さらに南に進むと「栄町」で、道端に「栄町商店街」の看板が立つ。そこから少し行ったところでまた振り返る。
(「栄町」の一角)
商店街の看板はあっても空地や閉めた店も目立ち、なかなか厳しい状況のようだ。三角屋根の古いたたずまいの店は米屋さん、その奥のピンク色の看板はペットショップのようだ。
引き続き南に進む。
📷008:「栄町」の一角2
橙色の目立つ店舗は「タミヤスポーツ」、奥にのぞくピンク色の建物にも黄色の看板に「タミヤ」の文字が見える。扱うスポーツ用品がことなるようだ。
手前のトラックの脇の建物には履物店の文字があるがシャッターが下ろされている。
(その6に続く)
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