<「六郷東根」を歩いた足跡>
●歩いた日:2019年11月13日(水)
●歩いた所
・六郷東根:東紀の国、南紀の国、下中村、上中村、鎧ケ崎、上田の尻、下田の尻、一ツ屋、蛇沢
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり7.6km)
(以上の地図:国土地理院)
「旧六郷町」(現「美郷町」)の街の東、「東山」の麓に位置する「六郷東根」については、この(2019年)9月から掲載した「野中・六郷東根を往く」で初めて足を踏み入れましたが、その時は、「県道12号(花巻-大曲線)」と「田沢疎水」の幹線用水路が交わる「東紀の国」で引き返しました。今回はさらにその東側を歩いてきました。
ログ地図に「下中村」の地名が見えます。さらにその東側、山の麓は「上中村」になります。NHKの「日本人のお名前」でも取り上げていたように、「中村」は文字通り中心的な村の意で、この辺りが「六郷東根」の中心集落に当たるようです。
この日は足の調子がいつになく良かった(日々の体操が効いてきたかな・・)ので、「中村」からさらに南に足を延ばして7.6km(最近は5~6kmにとどまっていた)を歩きました。この9月に「真昼岳」に登って、頂上から「六郷東根」を含めた「仙北平野」の様子を眺めましたが、今度はすぐ麓から「真昼岳」を見上げました。絶好の天気恵まれたこともあり、頂上の、神社が鎮座する山小屋がはっきりと見え、うれしくなりました。
それでは本文に入ります。
「六郷」の街から「県道12号」を東に進み、「田沢疎水」の大きな水路を越えたすぐ右手の、大きな木立の下に小さな社が建つ。背を向けて建つ社の裏手、木立の根元にわずかばかりの空地がある。そこに車を止めてスタート。車のところから「田沢疎水」にかかる橋の方に少し引き返して、東にカメラを向ける。
(「東紀の国」付近の「県道12号」)
絶好の秋晴れである。右端の軽が私の愛車。社脇にある「ケヤキ(欅)」の大木の下に止めたが、帰ってみると車にちょっとした悲劇が・・・。それは最後に書く。
道の右側に社境内の木立が立ち並ぶが、道の左手にも点々と切り株が残る一画がある。ここも社の境内だろうか。だとすれば、境内を割って県道が通されたことになる。
県道左手奥の「東山」に二つのピークが見える。左側は「女神山」、右側は「秋田女神」のようだ。
県道を東に進んで、写真に写る緑の看板を過ぎると小さな十字路がある。そこから右手(南)の方を望むと大きな木立が立ち並ぶ。ログ地図にある神社の辺りと思い、そちらに向かうため、県道を右に折れる。少し進むと、田んぼの上に「鳥海山」が浮かんで見える。
📷001:「東紀の国」から「鳥海山」を望む
写真では空の色に溶け込んでうっすらとしているが、肉眼ではかなりくっきりと見えた。頂上付近はすでに白くなっている。
「鳥海山」の右下に写る、大きなサイロのような建物は、「国道13号線」の近くに建つ「旧仙南村」のカントリーエレベーター(籾の乾燥・貯蔵施設)。
ところで、道端に門のような大きな石柱が二本立つ。何か文字が刻まれているのかと探してみたが、そのような形跡はない。奥を通る道に接して、石柱の間にも細い道筋がある。この奥にある家の門柱だろうか。
また南に進む。道が左にカーブするところの木立の中に、地図にある古い社がひっそりたたずむ。神社のある辺りは「南紀の国」である。さらに南に進むとY字路がある。今回は「六郷東根」の中心地を歩きたいと思って来たので、そのY字路の左手の道に進み、東に向かう。少し行くとまたY字路がある。
📷002:「下中村」の道
右手の道は奥に家が無く、田んぼの区画整理に時に造られた道のようだ。左手の道は道端に木立があって、古くからの道のように見えるのでこちらの道を行くことにする。
(その2に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます