●歩いた日:2017年8月11日(金)
●歩いた所:鎗田(大字)、二ツ石、屋敷田、庚塚(カノエヅカ)、稲荷、琴平西、宝門清水、鶴巻(以上「六郷」)、羽貫谷地(大字)、築立、出川添(以上「旧千畑町畑屋」
●歩いたログ(足跡)(道のり:8.1km)
(以上の地図:国土地理院)
「二ツ石」の家々が立ち並ぶ中の道を一周し、「八坂神社」の前から元の道に戻る。ここまできたら「角六線(角館―六郷線)」まで出てみたいと思いさらに東に進む。途中、道の左手奥の離れたところに神社がある。
📷006:「稲荷」の「稲荷神社」
参道は草刈りされているが、鳥居はかなり古くなっており、社名も消えて見えない。神社の前まで行って名前を確認すると、「正一位稲荷神社」とある。同名の神社にはほかの地域でもよく出会う。「地名への・・・」によると、「稲荷」は豊作を願う民俗信仰で、小さな祠まで入れると全国で百万社もあるという。
ところで、ログ地図には記されていないが、この辺りの字名も「稲荷」で、この神社に由来するものであろう。
さらに進んで「角六線」に出たところでカメラを取り出す。
📷007:「角六線」の交差点
交差点に立つ大きな白い看板の矢印が示しているように、右奥の道が「六郷」の街中に至る道である。かつてはこの道が「角六線」であったが、現在は、左奥に延びバイバスができて「角六線」となっており、街中の狭い道を通ることなく国道13号線に出ることができる。
この後、右手の古い方の道を少し進んで右に曲って裏道のような小路を行く。この辺りは「鎗田」の「庚塚」である。ここは「六郷」の街に接していて古くから強いつながりがあったと思われ、「六郷町」に属することを望んだ住民の気持ちは、とりわけ歩いてみると十分察することができる。
また、先ほど歩いた道に戻って引返し、「畑屋」へ通じる道との十字路に至る。北に延びる「畑屋」方面への道は、ゆったりとカーブした古い道の風情を残しており、近いうちに歩いてみたいと思いながら、反対の南に折れる。両側に家並が続く道を少し進んだ十字路でさらに西へ曲がる。いったん家並が途切れて視界が広がる。
📷008:「二ツ石」方面を望む
道の向こうの家々は先ほど歩いた「二ツ石」。中央の木立の右奥辺りが「神清水」と思われる。
左手前の家の向こうがまた十字路になっており、そこをいったん真っすぐに進むが、思い直して引返し左(南)に折れる。地図が手元にないので、うろうろ歩いている感じである。
ここで補足的に書き足したいことがある。
前述した📷002の「八坂神社」のところで「板碑」のことを書いた。ところが、実にタイミングよくと言おうか、今日8月27日の「秋田魁新報」に「ふるさと小紀行」として「八郎潟町」の「小池板碑群」という記事が載っており、「板碑」に「イタビ」の振り仮名がふってある。
そこで広辞苑を開いてみると、「板碑」は「石造りの卒塔婆。平板石を用い・・」とある。先に書いた「板状の石碑のことであろうか」の推測が当たったことになるが、調べるのを怠ったに過ぎない。
新聞には、「小池板碑群」は14世紀前半(南北朝時代)に作られたとみられる、とあり、「八坂神社」の板碑は「永和4年(1378年)に造立」とあるので、作られた時期はこちらが少しだけおそいことになる。それにしても「二ツ石」は古い歴史をもつ集落である。
(その4に続く)
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