<「払田早坂」から「真山」を望む>
●歩いた日:2019年7月9日(火)
●歩いた所
・払 田:鳥ノ木、館前、森崎、早坂、下払田、下川原、宝龍
・板見内:一ツ森
・高 梨:穂田原、於園、上り場
●歩いたログ(足跡)(道のり6.1km)
(以上の地図:国土地理院)
「池田家払田分家」の正門跡(📷001の位置)から中に入っていくと、右手が広い空地で、左手からその奥には木立が立ち並ぶ。空地と木立が茂る敷地の境にまた案内板がある。それには「払田分家」はM41年に「池田本家」から分家して、すぐ邸宅と庭づくりに着手し、明治末に完成した、とある。また、広大な主屋は老朽化したためS50年代に解体されたともある。
木立の中を進んでいくと、主屋の大広間があった場所に建つという四阿(アズマヤ)がある。その脇を通り過ぎると正門が移されたという西門のすぐ手前に至る。右手に目を向けると中庭の池がのぞかれる。
(「池田家払田分家」の中庭)
手前の松の幹の後ろに池がのぞいている。散策路が右手から水路の石橋を渡って左奥に延びている。もう少し散策したいと思ったが、時間がないのでそのうち再訪することとし、西門から庭園を出る。
ところで、「池田家本家」の庭園は、H16年に「池田氏庭園」として国の名勝に指定されたが、「払田分家」の庭園もH20年に追加指定されている。
西門前は広い駐車場になっている。
📷002:「払田分家」の西門
正門を移設した西門である。正門跡にあった古い写真と同じ形(当たり前か)をしていることが確認できる。奥の庭園の木々が見事である。私は正門跡から中に入ったが、庭園を見学する場合はこの西門から入るのが順路である。写真のように門は解放されていて入場料は無料である。
駐車場の脇は「高梨神社」の参道に通じる道だが、そこを横断して西に進む。道の右手、「真山」の麓には家が建ち並ぶ。この辺りの字地名は「森崎」である。森=「真山」のサキ=突端の意である。
県道から延びる道に突き当たったところで右に折れ、北に進む。少し行くと左手に何本かの石柱が立つ。道端の一番大きい石柱に「西門阯」と刻まれている。「払田の柵」の外柵の門で、外柵は「長森」と「真山」を囲んでいたようだ。
また突き当たって左折し、少し進んだところで「真山」を望む。
📷003:「早坂」から「真山」を望む
右手から進んで手前に来たところ。左側の森の頂上に「高梨神社」がある。「長森」は緩やかな丘であるが、「真山」は傾斜がきつい小山である。この辺りは「早坂」であるが、「ハヤ」は「急」の意なので、「真山」の急坂に由来する地名なのであろう。
道の行く手、右前方に小さな墓地がありその脇を細い道が通っている。昔の道のように思われるのでその道を進んで広い道に出る。歩いて来た細い道はその先にも続いているが、右折して広い道を北に進む。すぐ「矢島川」に架かる橋に至る。
📷004:「早坂橋」から東を望む
中央の小山は「真山」で、その左奥に「長森」がわずかにのぞいている。「矢島川」はこの時期、かなりの水量である。
川下を向くと目の前に古い橋が架かる。昔の道に架かる橋だろう。
「早坂橋」を渡る。渡って道の右側は「荒関(払田)」、左側は「一ツ森(板見内)」のようだ。
(その3に続く)
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