<「六郷一里塚」のケヤキ>
●歩いた日:2020年1月26日(日)
●歩いた所
・南町(飯詰): 石名館、鼠田、大橋、千刈田、番匠免、上島田
・六郷(六郷): 小安門、古館南、石名館、道尻、島田
※ 「石名館」は、「南町石名館」と「六郷石名館」がある。
●歩いたログ(足跡)(道のり5.5km)
(以上の地図:国土地理院)
国道を「六郷」の街方面に向かって進む。
📷015:「島田」から「六郷」の街方向を望む2
道奥に小さく見える、青い道案内標識のところがスタート地点。道の左側に大きな木が聳える場所は「六郷一里塚」である。
左手前の茶色の建物に「ちょっと」の看板が立つ。ホテルの看板も見える。ここを車で通る時いつも思うが、入口に巨大な布袋さんの像が置かれているのは、どんな意味があるのだろう。
さらに東に進む。この辺り、国道の左(北)側は「道尻」である。スタートした十字路の手前で一里塚の木をカメラに収める。
📷016:旧「羽州街道」の「六郷一里塚」
巨樹と言うにふさわしい「ケヤキ(欅)の木である。右下に赤い屋根の、傾いた説明板がある。それによると、「佐竹藩」が「慶長八年(1608年)」より着手した「羽州街道」整備の際に設けられた一里塚で、道をはさんで南側には「サイカチ」を植えて一対となっていたが、今は失われている、とある。樹齢は400年位ということになる。葉を落とした姿を見ると、見事な枝ぶりが一目瞭然で、説明板には、県内で残っている一里塚で最も美しい、ともある。
「県道116号」との十字路の左手前に建つ「サテライト六郷」(競輪場外車券売場)の脇を通り、車に戻る。「側清水地蔵尊」にはいつもたくさんのローソクが灯されている。イボとり地蔵として信仰され、また、受験生に人気があるという。参拝者が次々と訪れる。
最後にいつものように航空写真(国土地理院)をご覧いただく。
(H28年)
右上隅が「六郷」の街並。歩いた道を黄色線でたどってみた。
写真上の方を「国道13号」が東西に走る。左上隅、西にまっすぐ延びる道が「大曲バイパス」が整備される前の国道の道筋。国道と「県道116号」の交差点のすぐ北に、車を止めた「側清水」がある。「側清水」が面している道はかつての国道で、それも今はすぐ西側に付け替えられたので「国道13号」からは侵入できない。
「側清水」のすぐ西側の白い屋根と広い駐車場は「サテライト六郷」。さらにそのすぐ西の国道沿いに一里塚の大きなケヤキが見える。
「石名館」には木立が茂る広い屋敷の家が見え、「番匠免」にはこの辺りでは珍しく家が集まっている。
(S51年)
「国道13号」は、「側清水」交差点の東側はすで開通しているが、西側は「大曲バイパス」が通る前なので一直線に延びている。
「石名館」、「番匠免」辺りの道は現在とほとんど同じであるが、よく見ると、今回歩いた「石名館」の南側の道が通っていない(どうでもよいことであるが)。
ところで、「番匠免」辺りの道はだいぶ入り組んでいるので、昔の道筋が残されているためであろうと考え、S23年の写真と見比べて見た。ピンク色でたどった線が昔の道筋である。県道沿いところ家と家の間を通っており、「番匠免」では現在も残る道と重なり、さらに田んぼ中を西に延びて📷010に写る一軒家に通じていたことがわかる。
(S23年)
この写真で一番目に付くことは、左上隅のところを除いてすべての田んぼが未整備なことである。田んぼが未整備なので、集落や家々をつなぐ生活道路や小河川は曲がりくねっている。そんな中で、現在の「県道116号」が一直線に通っており、「六郷」と「角間川」をつなぐ重要な道路として早くに整備されたことが伺える。
上辺を走る「国道13号」は「県道116号」と合流するところで、北、そして東へと折れて「六郷」の街中へ向かっている。「旧羽州街道」の道筋でもあり、その面影を残しているのであろうか、道沿いの一部に並木のような木が見えるのが面白い。
左下隅にのぞく木々の連なりは「上総川」の流路のようだ。
「県道116号」から「番匠免」に向かう細い道に注目いただきたい。S51年の写真に書き入れたピンク色の線はこの道をなぞったもの。田んぼがすっかり整備されて様変わりしているが、集落の中には昔の姿が色濃く残っていることがわかる。古い航空写真を眺めるのは実に楽しい。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:450.8km)
「六郷」から「飯詰駅」まで赤い線がつながりました。次回からは、山の記事をはさんで「旧中仙町豊岡」を歩いた記事を掲載する予定です。
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