今日、仕事関係で初々しい青年と知り合った。
少年の様な可愛さが残る男の子である。
年齢を聞くと二十歳。しかし、父親なんだって。
10代で「できちゃった婚」なんだって。
もし私に子供がいたら、27歳くらいかな?
子供がいない故、自分には結婚した27歳のままで止まっている。
同じ歳の友はすでに「お爺ちゃん・お婆ちゃん」になっている人もいるだろう。
人の年輪は節目と子供の成長だと思います。
結婚や親の死などもそれである。
私の人生も終盤に掛かり始めている。
それとも知らず、資格試験を受けている私がいる。
私には「年輪」がない。
強いて言えば開業し16年で廃業して店が子供の様な者で決して成長は無い。
自分の知識だけが成長し色々な挑戦をしてきた。
つまり「店」に支えられて生きてきたのだろう。
夫婦(元)で勉強と称し色んな所に食事に行ったり、高温泉旅館の宿泊、高級車に乗ったりしました。
何時までも続くと思っていた。
年輪の無い私はそんな気でいました。
今思ってみれば、離婚のときに気付くべきだった。
しかし、その当時は自分の子供より親を選んだと思っていた。
あの時、父子家庭として生きて行けば良かった事である。
どの道、離婚はしていたろう。
新しい女将を待つつもりで親子二人で生きていけば良かったのである。
親という冷静さに欠けていたのである。
今も子供の感覚が理解出来ないし、私自身がまだ子供なんでしょう。
おそらく一生?死を迎えるまで変わらないだろう。
大人らしく生きていけないのであろう。