滝尻王子社から、いよいよ熊野三山の聖域に入る。急な石の登り道が迎えてくれた。
石の登り道をあえぎながら登ると、胎内くぐりの岩、さらに乳岩が現われる。
胎内くぐりの岩(右上)
この岩穴をくぐる事を、胎内くぐりと呼ばれ、女性が胎内くぐりをすれば安産になると信じられているそうだ。
乳岩(右下)
藤原秀衡が妻と熊野詣でに訪れた際、妻が産気つき、乳岩で男児を出産した。秀衡は夢枕に現れた熊野権現のお告げにより赤子をこの岩に置き去りにして出発、無事熊野詣でを終えて戻ってくると、赤子は岩肌を流れる白い乳を飲み、狼に守られて無事であったと云われている。
不寝王子跡
乳岩を過ぎ、坂を登れば間もなく不寝王子跡。
不寝王子の名称は中世の記録には登場せず、江戸時代の元禄年間頃に著された紀南郷導記に、ネジあるいはネズ王子と呼ばれる小さい祠の跡があると記され、不寝の字が当てられているそうだ。
山賊の見張りを寝ずにしたということから名前が付いたという説もあり、江戸時代には既に跡地となって、ネズの語源は明らかではないらしい。
高原熊野神社
平安時代の熊野九十九王子社には数えられていないが、建仁元年(1201)の熊野御幸記には地名が記され、藤原定家が立ち寄った事がわかる。楠の大木を背後に控えた優雅な朱塗り檜皮葺、春日造の社殿は応永10年(1403)のもので、熊野古道沿いの神社では現存最古のものだそうだ。
高原霧の里休憩所から旧旅籠通りへ
旧旅籠通りから8番道標までは滑りやすい石畳の登坂が続く。
注.滝尻王子からは、番号道標が500m毎に有り、目印にして歩ける。
庚申さん(左上)
庚申様と大日様。その後ろに、なんか書いている。よくよく見ると、ご詠歌と真言・・・?
この辺から山道に変わる。
急な坂には石畳による古道が残る。
一里塚跡(左上)と高原池(左下)
一里塚跡では紅葉が綺麗だった。
大門王子跡
ここは山中の要地、大門の名は熊野本宮大社の大きな鳥居があったことによったと云われている。江戸中期にはすでに社が無くなり、緑泥片岩の碑が建てられていた。
今も新社殿の奥に、大門王子の碑と並んで、鎌倉時代のものとされる石造の笠塔婆がある。
道中での見晴らしポイント(左上)とミヤマシキミ(右上・左下)
ミヤマシキミ(深山樒)は常緑低木。赤い実は有毒で、この為か「悪しき実」の意味の「ア」が取れて「シキミ」と呼ばれているそうだ。
道中で熊野古道参詣ツアーとすれ違う。(右下)
十丈王子跡
十丈峠の杉林のなかに王子跡がある。
江戸時代には付近に数戸の家があり、氏神として祀られていたが、明治末期の神社合祀で廃社になったそうで今は十丈は無人の山中になっている。
ここの地名は中右記には重點とあり、後鳥羽院御幸記など中世の参詣記でも、王子名がやはり重點となっている。これが近世以降は十丈と変わるが、そのいきさつは分からないそうだ。
次回は大坂本王子から
(来春、桜の咲く頃から再開予定。)