三栖王子社跡
報恩寺左側の峰伝い、左会津川を見下ろす田園地帯の見晴らしが良い高台に三栖王子跡の碑が設けられていた。
江戸時代には側を流れる左会津川に王子社が映って見えたことから影見王子とも呼ばれていたそうで、当時の社殿は水害で崩壊し、現在は潮見峠へ向かう途中にある珠簾神社に合祀されているそうだ。
三栖王子跡標の隣に額田王の万葉歌の碑がある。
三栖山の檀弦はけ わが夫子が射部立たすもな 吾が偲ぶばむ
八上王子跡
建任元年(1201)の「熊野御幸記」に名を残す由緒ある王子で、西行法師もこの地を訪れ、山家集に歌に詠んでいる。
西行の歌碑
待ちつきる 八上の桜さきにけり 荒くおろすな 三栖の山風
田中神社の森と大賀ハスの栽培地
熊野参詣道中辺路の八上王子と稲葉根王子の中程辺りに、田中神社はある。その名の通り、水田の少ない熊野では珍しい、田の中にある神社。
この神社は昔、田中神社から6kmほど上流にある岡川八幡神社の上手の倉山という山から大水のときに森全体が流れ着いたのだと伝えられているそうだ。
初夏~夏頃なら、神社の森の裏手にあるハス田で、大賀ハスの花を見ることができる。大賀ハスは、昭和26年に千葉市検見川の地下6mにあった2000年前の縄文遺跡から、東京大学農学部教授であった大賀一郎博士がハスの種を発見し、発芽生育開花に成功させたものだそうだ。
稲葉根王子跡
熊野古道中辺路の入り口であり、稲葉根王子は社格の高い五体王子のひとつでした。「御幸記」では「この王子、五体の王子に準ず。御幸の儀、五体の王子と同じ」と記されているそうだ。
近くには石田御所があり、上皇や女院方の宿泊や昼養の所であった。また、稲葉根王子の鎮座するこの土地は、稲荷神が鎮座していたと伝わり、稲持王子の別名を持つ。また、江戸時代には、稲葉根王子は「岩田王子」とも呼ばれ、岩田村の産土神とされたそうだ。
滝尻王子からは熊野三山の神域に入るため、稲葉根王子の前を流れる富田川(岩田川)で水垢離を行い、体を清めて詣を続けた。稲葉根王子の建つ富田川流域は熊野詣での水垢離場として平家物語などにも記述されているそうだ。
水垢離場と西行歌碑・坂本冬美記念植樹・和歌山県朝日夕陽百選碑
中世の熊野詣は、極楽往生を遂げるその為の予行演習。儀礼的な意味で何処かでいったん死ななければなりませんでした。その場所が稲葉根王子の近くを流れる岩田川でした。
岩田川は、中辺路を歩く参詣者が初めて出会う熊野の霊域から流れる清らかな川は死の舞台にふさわしく、熊野詣の道中で最も神聖視されたこの川は三途の川に見立てられました。
参詣者は岩田川を渡ることで儀礼的に死ぬことになる。初めて岩田川に出会う稲葉根王子から熊野の霊域の入り口である滝尻王子まで、何度も何度も岩田川を渡り、その死と浄化の体験をを深めていったそうです。
次回は一瀬王子から
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます