映画ノアは、聖書とはだいぶ違うものになってしまっていると聞き、残念ですが、このことも感謝
意味なくこの映画が出てくることはないのだから、このことも感謝して、この背後にある神様の計画に期待します
あまりにも違う描かれ方に奮起した方の中から、いつか本当のノアの姿を神様に聞きつつ聖書的に描くそんな映画監督が出てくるとか…、個人的には期待しています(笑)
ところで、ノアについて最近思うこと。
あの時代たくさんの人々がこの地で暮らしていたはずなのに、なぜノアが唯一全き人として神様の目にとまったのか。
どんな信仰の持ち主で、どんな人柄で、どのような面で違っていたのか。
聖書の創世記6章8.9節にこうあります。
ノアは、主の心にかなっていた。
ノアは正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
想像は膨らみます。
罪がはびこっていくような時代の中にあっても神様と共に歩むことを貫いた人。まっすぐ神様を見上げる人だったのだろうなぁと思います。
ところで、最近、悔い改めって本当に重要だなと思わされます。
神学校のマーリンさんの授業では、敗北した戦いというテーマで、私たちが気付いてもない罪があるってことが語られていました。そして、それは私たちクリスチャンの内側に与えられる聖霊様によってしか気付けないと。
本当にノアのようにまっすぐ生きるためには悔い改めが必要であり、悔い改めるためには罪に気付く必要があり、そのためには私たちが聖霊様に満たされる必要がある。なんだかそう想わされました。