日常生活、色んな闘いがありますね。
何を選び、何を選ばないか。
何を口にし、何を口にしないか。
色んな葛藤があって、そしていつも自分の中にある醜さを知る。こんな私の罪のためにもイエス様は罪を負ってくださり、こんな私のために、神様は大切なひとり子の命を差し出されたと思うと泣ける。
こないだの日曜日、私が救われた時の証を、アメリカから来てくださった女性の宣教師の方に話す機会があって。そうだった、私そうやって救われたんだなと振りかえり、神様が一方的に選んでくださった恵みを思いました。
私は海外からこの日本に、宣教に来てくれる人に会うと、何か本当に感謝の気持ちでいっぱいで泣けてくる。この涙腺はビックリするほど弱くて、また泣いてしもうたです
すごいことです。日本人の救いのために来てくださるその愛と情熱に本当に感謝です。
私も宣教師になりたいなと19歳の時に初めて思ったけど、この国に召されているならそれも大切な働きだと心底思っています。でもやっぱり、外国人と関わる時に特別な喜びを感じるから、色んな国の人々と関わっていけたらなぁと願っています。
海外宣教に行きたいな