2月13日、滋賀県大津市にある「義仲寺」を訪ねました。
家を出る頃から雪がすこし降ってきました。
大阪駅に着くと雪の影響で列車に遅れが発生していました。
山科あたりから外の景色が変ります。雪が積もっている所が多くあります。
膳所駅に着きました。さすがにこの付近は大阪に比べると寒いです。
雪も降っているし風もすこしあり寒さが身にしみます。
義仲寺には駅から徒歩で6分ほどです。
義仲寺を訪ねるのは、私が歴史上の人物の中で一番好きな「木曾義仲公」が
眠る所であるからです。
義仲寺にはもう一人歴史上有名な人物のお墓があります。
俳聖・松尾芭蕉のお墓です。
現在の義仲寺は小さなお寺です。
境内に、義仲公と芭蕉翁のお墓のほかに義仲公のお墓の傍に巴塚があり、
山門を入った左側に愛妾・山吹の塚が建てられています。
写真は、義仲寺の山門。
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ありがとうございます。
家を出る頃から雪がすこし降ってきました。
大阪駅に着くと雪の影響で列車に遅れが発生していました。
山科あたりから外の景色が変ります。雪が積もっている所が多くあります。
膳所駅に着きました。さすがにこの付近は大阪に比べると寒いです。
雪も降っているし風もすこしあり寒さが身にしみます。
義仲寺には駅から徒歩で6分ほどです。
義仲寺を訪ねるのは、私が歴史上の人物の中で一番好きな「木曾義仲公」が
眠る所であるからです。
義仲寺にはもう一人歴史上有名な人物のお墓があります。
俳聖・松尾芭蕉のお墓です。
現在の義仲寺は小さなお寺です。
境内に、義仲公と芭蕉翁のお墓のほかに義仲公のお墓の傍に巴塚があり、
山門を入った左側に愛妾・山吹の塚が建てられています。
写真は、義仲寺の山門。
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義仲寺は、大津市馬場一丁目にあり、朝日(旭)将軍木曾義仲公の御墓所である。
寺伝によれば、この地(粟津ヶ原)に果てた義仲の小さな塚に愛妾巴御前と思われる
美しい尼が読経に通い、のちに傍らに結んだ庵に始まるとされ、天文22年(1553)
近江の国主佐々木六角氏が寺を建立したといいます。
毎年1月第3日曜日「義仲忌」が義仲寺で行われている。
『平家物語』の白眉の一節「木曾殿最期の事」より
元暦元年(1184)正月二十日、京都河原合戦に敗れた義仲は、幼馴染みの今井兼平を
捜して瀬田へ行き、鎌倉軍の重囲を破って近江の粟津まで落ち延びる。
しかし兵は残り少なくなり、彼は運命がきわまったことを覚悟する。
義仲は同行していた巴に、彼の最期を故郷の人々に伝え、後世をともらうことを託して
戦場を離脱させる。
巴は「さらば最後のいくさをしてお目にかけましょう」と御田八郎師重という坂東武者
を討ち取って、涙を抑えて落ちていった。
そののち義仲と兼平の二騎だけになり、義仲の次の言葉から始まる会話がある。
「日来は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなったるぞや」
兼平は弱気になった義仲をはげまし、自害をすすめる。だが義仲は、兼平とともに戦って
討死にしようとする。兼平はそれを強く諫止し、義仲もそれに従って松林に入ろうとするが、
馬が深田におち入って動けなくなった刹那、奮戦する兼平をふり向いて内甲を射られ、討死にする。
今井兼平はそれを見て、壮絶な自害をとげる。(兼平のお墓はJR石山駅近くにある)
義仲の菩提寺として長野県にある「徳音寺」があります。
徳音寺は義仲が母・小枝御前を弔うため、1168年に建立したお寺で木曽氏の菩提寺。
徳音寺の梵鐘は木曾八景の一つ。
境内には、義仲や小枝御前、愛妾・巴御前、今井兼平、樋口兼光のお墓もあります。
場所は、JR宮ノ越駅から5分ほど、長野県木曽郡木曾町日義124-1。
義仲は多くの人々に愛されています。
松尾芭蕉をはじめ文豪・芥川龍之介もその一人で「木曾義仲論」という文を書いています。
写真は木曾義仲公のお墓
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寺伝によれば、この地(粟津ヶ原)に果てた義仲の小さな塚に愛妾巴御前と思われる
美しい尼が読経に通い、のちに傍らに結んだ庵に始まるとされ、天文22年(1553)
近江の国主佐々木六角氏が寺を建立したといいます。
毎年1月第3日曜日「義仲忌」が義仲寺で行われている。
『平家物語』の白眉の一節「木曾殿最期の事」より
元暦元年(1184)正月二十日、京都河原合戦に敗れた義仲は、幼馴染みの今井兼平を
捜して瀬田へ行き、鎌倉軍の重囲を破って近江の粟津まで落ち延びる。
しかし兵は残り少なくなり、彼は運命がきわまったことを覚悟する。
義仲は同行していた巴に、彼の最期を故郷の人々に伝え、後世をともらうことを託して
戦場を離脱させる。
巴は「さらば最後のいくさをしてお目にかけましょう」と御田八郎師重という坂東武者
を討ち取って、涙を抑えて落ちていった。
そののち義仲と兼平の二騎だけになり、義仲の次の言葉から始まる会話がある。
「日来は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなったるぞや」
兼平は弱気になった義仲をはげまし、自害をすすめる。だが義仲は、兼平とともに戦って
討死にしようとする。兼平はそれを強く諫止し、義仲もそれに従って松林に入ろうとするが、
馬が深田におち入って動けなくなった刹那、奮戦する兼平をふり向いて内甲を射られ、討死にする。
今井兼平はそれを見て、壮絶な自害をとげる。(兼平のお墓はJR石山駅近くにある)
義仲の菩提寺として長野県にある「徳音寺」があります。
徳音寺は義仲が母・小枝御前を弔うため、1168年に建立したお寺で木曽氏の菩提寺。
徳音寺の梵鐘は木曾八景の一つ。
境内には、義仲や小枝御前、愛妾・巴御前、今井兼平、樋口兼光のお墓もあります。
場所は、JR宮ノ越駅から5分ほど、長野県木曽郡木曾町日義124-1。
義仲は多くの人々に愛されています。
松尾芭蕉をはじめ文豪・芥川龍之介もその一人で「木曾義仲論」という文を書いています。
写真は木曾義仲公のお墓
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なぜ? 芭蕉のお墓が義仲寺にあるのでしょうか?
それは、芭蕉は義仲をこよなく愛惜していたのです。
芭蕉は晩年、義仲終焉の地粟津に近い、義仲の墓・木曾塚のある義仲寺の
無名庵に何度か逗留した事があり、芭蕉の遺言により、そのなきがらは
義仲寺に葬られた。
芭蕉が義仲を詠んだ句
「義仲の寝覚めの山か月悲し」
「木曾の情雪や生ぬく春の草」
芭蕉の友人御子又玄(ゆうげん)の句
「木曾殿と背中合せの寒さかな」
義仲寺では毎年11月第2土曜日に芭蕉翁の忌日「時雨忌」
さらに、翁堂に鎮座する芭蕉翁の像に白扇を奉納する「奉扇会」が
毎年5月第2土曜日に行われている。
写真は、松尾芭蕉のお墓。
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芭蕉は晩年、義仲終焉の地粟津に近い、義仲の墓・木曾塚のある義仲寺の
無名庵に何度か逗留した事があり、芭蕉の遺言により、そのなきがらは
義仲寺に葬られた。
芭蕉が義仲を詠んだ句
「義仲の寝覚めの山か月悲し」
「木曾の情雪や生ぬく春の草」
芭蕉の友人御子又玄(ゆうげん)の句
「木曾殿と背中合せの寒さかな」
義仲寺では毎年11月第2土曜日に芭蕉翁の忌日「時雨忌」
さらに、翁堂に鎮座する芭蕉翁の像に白扇を奉納する「奉扇会」が
毎年5月第2土曜日に行われている。
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義仲寺の参詣を終り、近くにあるもう一つの歴史上有名な女性と関係のあるお寺に
向かいます。
膳所駅の一つ先の石山駅に来ました。
ここから京阪を利用して石山寺に向かいます。駅前からバスも出ています。
電車を利用すると京阪石山寺駅から10分ほど歩かなければなりません。
バスだとお寺の前までいけます。
真言宗石山寺は、山号を石光山、寺号を石山寺という。西国十三番札所でもある。
石山寺は聖武天皇の勅願により、良弁僧正によって開基された。
三万六千坪におよぶ境内には、日本唯一の巨大な天然記念物・世界的にも珍しい
硅灰岩がそびえています(本堂はこの上に建てられている)。
国宝の本堂には、聖徳太子がお伝えになった縁結・安産・福徳の霊験あらたかな
秘仏、勅封の御本尊如意輪観世音菩薩をはじめ、紫式部が世界最初の長編小説
「源氏物語」を執筆した「源氏の間」があります。
その他、蓮如上人の御遺跡である蓮如堂、国宝の多宝塔など、奈良・平安・鎌倉
時代からの文化財が多数伝えられています。
写真は、東大門=建久元年(1190)に源頼朝の寄進により建てられたとされる。
その後、慶長年間に大修理が行われている。
重要文化財に指定されている。
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真言宗石山寺は、山号を石光山、寺号を石山寺という。西国十三番札所でもある。
石山寺は聖武天皇の勅願により、良弁僧正によって開基された。
三万六千坪におよぶ境内には、日本唯一の巨大な天然記念物・世界的にも珍しい
硅灰岩がそびえています(本堂はこの上に建てられている)。
国宝の本堂には、聖徳太子がお伝えになった縁結・安産・福徳の霊験あらたかな
秘仏、勅封の御本尊如意輪観世音菩薩をはじめ、紫式部が世界最初の長編小説
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その他、蓮如上人の御遺跡である蓮如堂、国宝の多宝塔など、奈良・平安・鎌倉
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