母子の亡きがらに供えられた人形。その姿を目にしたとき、ようやく人間の心を取り戻すことができたといいます。あまりの惨状に失っていた、悲しみや人を思いやる気持ちが湧いてきたと。
80年前、上野の帝国図書館に勤務し、東京大空襲の民間被害を目の当たりにした山崎元さんです。上野公園に次つぎと運ばれてくるおびただしい遺体を、当時15歳だった山崎さんはぼうぜんと見つめていました。
その後、自身も山の手空襲で被災。家族で逃げ惑い、雨露もしのげない生活のなかで祖母と父親を続けて亡くしました。「あの戦争で空襲被害に遭った人は各地にたくさんいる。それをきちんと調べ上げ、償うことが国の責任ではないか」。
今国会で救済法を成立させよう―。全国空襲被害者連絡協議会は集会で、戦後80年の節目となる今年こそと呼びかけました。国民は等しく戦争被害を受忍しなければならないという理屈にしがみつき、いまだ民間人の空襲被害者への補償を拒んでいる日本政府に対して。
国会開会の日にあわせた空襲連の街頭宣伝では高齢の被災者らが訴えていました。「私たちは80年間も見捨てられてきた。民間人がいくら殺され傷つこうとも、国には責任がないという態度を取り続けてきた。それはみなさんの将来にもかかわる問題」だと。
95歳になる山崎さんは平和を求める原点となったあの日の光景を忘れず、今も戦争につながる動きに警鐘を鳴らしています。命尽きるまで人間への希望を持ち続けていられるように。
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