調べものをしたい本があったので図書館へ行っていたのですが、やはり最後は児童文学に教えられました。いきなりオチがつきます
最近は趣味が変わってきたのか都会的な装飾過多よりも、文体でも絵体でも自然ありのままの造形が美しいのだなと思うようになりました
ペルソナを創りあげたり飾りたてようとすると必ずどこかで無理が生じてしまう
詩体でもなにもかもが手の行き届いた説明過多の文体よりも童謡風のような単語と単語の間を楽しむようなシンプルな文体の方がひとに安らぎと安心感を与えるような気がします
それは絵にも共通している面があって、輪郭線がはっきりしない素朴な童画は物質性の呪縛に縛られない一面があるので見ている人に警戒心を与えないような気がする
装飾の過剰性というのも競争心、エゴからくるものなのかもしれない
警戒することなくその世界に入ってゆける。その本質を楽しめる。高尚な権威なんてなく無益でもその存在自体に価値がある。そして子どもでも楽しめる
それがひょっとしたら本当の芸術なのかもしれません
何にせよ創り手が失われるとその創り手の紡ぎ出す世界が失われてしまう
それは世界にとって多大な損失で、ミヒャエル・エンデの本にありましたが、創り手は人生に悲観的にならず肯定的で人生を楽しめばいい
物語を批評家の手に委ねず読者と子どもたちへと返したから彼の作品はあれほどまでに世界で支持されるようになったのかもしれません
大人達の複雑な世界に生きながら子供達の目線からも世界を伺いそして両者のために物語を紡いだ
彼の思想もユニークで様々な本に発言が書かれてるので見てみるのもいいかもしれません
最近は趣味が変わってきたのか都会的な装飾過多よりも、文体でも絵体でも自然ありのままの造形が美しいのだなと思うようになりました
ペルソナを創りあげたり飾りたてようとすると必ずどこかで無理が生じてしまう
詩体でもなにもかもが手の行き届いた説明過多の文体よりも童謡風のような単語と単語の間を楽しむようなシンプルな文体の方がひとに安らぎと安心感を与えるような気がします
それは絵にも共通している面があって、輪郭線がはっきりしない素朴な童画は物質性の呪縛に縛られない一面があるので見ている人に警戒心を与えないような気がする
装飾の過剰性というのも競争心、エゴからくるものなのかもしれない
警戒することなくその世界に入ってゆける。その本質を楽しめる。高尚な権威なんてなく無益でもその存在自体に価値がある。そして子どもでも楽しめる
それがひょっとしたら本当の芸術なのかもしれません
何にせよ創り手が失われるとその創り手の紡ぎ出す世界が失われてしまう
それは世界にとって多大な損失で、ミヒャエル・エンデの本にありましたが、創り手は人生に悲観的にならず肯定的で人生を楽しめばいい
物語を批評家の手に委ねず読者と子どもたちへと返したから彼の作品はあれほどまでに世界で支持されるようになったのかもしれません
大人達の複雑な世界に生きながら子供達の目線からも世界を伺いそして両者のために物語を紡いだ
彼の思想もユニークで様々な本に発言が書かれてるので見てみるのもいいかもしれません