いわゆるストレスというものにも自分を圧縮させるものと原動力になるものがあって
それは捉え方次第でポジティブにもネガティブにもなる
ノートに描いているとそのような自分にも気づきますが固まっていたそれらのエネルギーが溶けて流れ出す感じです
書いていると選択肢が見えて自分が被害者でないと実感できる
ただネガティブなことばかり書いてると引き寄せの法則でそれらに焦点が合わさってしまうので基本的に前向きな物事に転換して書くのがポイントみたいです
そういうことを考えると今メディアの表現媒体でも作家や作者のネガティブなストレスから吐き出した作品というのがわかってきて
それらの刺激の強い否定的なものに何故か人間は反応してしまうところがあって、それを評論家や受け手が新しい表現だといって評価してしまうところがあるみたいです
そういったネガティブなものが読者アンケートで支持を得られ、否定的な側面が送り手も受け手も強化されていくとやがては社会そのものにも及んでしまうので、作家の人生にも読み手の人生の今後にも否定的な影響を及ぼすと思うと考えようによっては人気投票も怖いところがある
(刺激の強い暴力的なものが一定の支持を得られてしまうのも人間種のマゾヒズムに由来している)
それは体に悪いジャンクフードの店舗が世界全土に進出しているのに似ていて、それらに限って中毒的なところがあり注意深くありたい
そういったものを見分ける基準としてそれらと相対したときに自分がどう感じるか、安心するか、に注目すればいいのだけれど自分の中に完璧な平和という基準を養えているかどうか、ですよね
――緩慢な死の原因の大半は、楽しいことか、楽しいことの結果だ。そして楽しいことの大半は、身体を満足させることだ。それはあなたがたの社会が原始的だというしるしだよ。「あなたがたの生命は、だいたい身体的な楽しみを求め、経験することを中心に成り立っている。」
「神との対話③」
それは捉え方次第でポジティブにもネガティブにもなる
ノートに描いているとそのような自分にも気づきますが固まっていたそれらのエネルギーが溶けて流れ出す感じです
書いていると選択肢が見えて自分が被害者でないと実感できる
ただネガティブなことばかり書いてると引き寄せの法則でそれらに焦点が合わさってしまうので基本的に前向きな物事に転換して書くのがポイントみたいです
そういうことを考えると今メディアの表現媒体でも作家や作者のネガティブなストレスから吐き出した作品というのがわかってきて
それらの刺激の強い否定的なものに何故か人間は反応してしまうところがあって、それを評論家や受け手が新しい表現だといって評価してしまうところがあるみたいです
そういったネガティブなものが読者アンケートで支持を得られ、否定的な側面が送り手も受け手も強化されていくとやがては社会そのものにも及んでしまうので、作家の人生にも読み手の人生の今後にも否定的な影響を及ぼすと思うと考えようによっては人気投票も怖いところがある
(刺激の強い暴力的なものが一定の支持を得られてしまうのも人間種のマゾヒズムに由来している)
それは体に悪いジャンクフードの店舗が世界全土に進出しているのに似ていて、それらに限って中毒的なところがあり注意深くありたい
そういったものを見分ける基準としてそれらと相対したときに自分がどう感じるか、安心するか、に注目すればいいのだけれど自分の中に完璧な平和という基準を養えているかどうか、ですよね
――緩慢な死の原因の大半は、楽しいことか、楽しいことの結果だ。そして楽しいことの大半は、身体を満足させることだ。それはあなたがたの社会が原始的だというしるしだよ。「あなたがたの生命は、だいたい身体的な楽しみを求め、経験することを中心に成り立っている。」
「神との対話③」