内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 5月26日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されたが、会合後の5月27日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する。オバマ大統領の広島市での具体的日程については、原爆死没者慰霊碑での献花の他、原爆資料館訪問などが行われるが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、2010年8月6日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が2015年8月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、2016年4月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。これは、オバマ大統領(民主党)が大統領就任直後の2009年4月に、プラハで米国の核兵器国としての責任を認めつつ、‘核兵器のない世界、安全保障’の実現を訴えたが、オバマ政権となり米国政府の姿勢が変化したことによる。

この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、1945年8月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年8月15日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

米国の従来の姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

このように米国内の世論の根強い原爆投下肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃し、太平洋戦争を開始したことを謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは1951年9月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における一般市民、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。だからこそ、被害が一般市民等に広範に及ぶ化学兵器については、1925年のジュネーブ議定書で「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」が禁止され、1993年1月13日にはパリで署名式が開催された。発効は1997年4月29日。化学兵器禁止条約が1993年1月に署名(1997年4月発行)されたのである。

広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む一般市民など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

これは客観的に見て、一般市民(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。確かに戦争であるから仕方がない。しかし、戦争だから何をしても良いということでもない。‘大統領としてすべての選択肢を持っているべきである’との米国の姿勢は理解できるが、一般市民を含む大量殺傷などの非人道的な行為は今日の世界では容認されてはいない。

今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や化学兵器の他、核兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止や大量破壊兵器自体の禁止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

今回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

(2016.5.26.)(All Rights Reserved.)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 5月26日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されたが、会合後の5月27日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する。オバマ大統領の広島市での具体的日程については、原爆死没者慰霊碑での献花の他、原爆資料館訪問などが行われるが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、2010年8月6日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が2015年8月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、2016年4月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。これは、オバマ大統領(民主党)が大統領就任直後の2009年4月に、プラハで米国の核兵器国としての責任を認めつつ、‘核兵器のない世界、安全保障’の実現を訴えたが、オバマ政権となり米国政府の姿勢が変化したことによる。

この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、1945年8月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年8月15日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

米国の従来の姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

このように米国内の世論の根強い原爆投下肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃し、太平洋戦争を開始したことを謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは1951年9月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における一般市民、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。だからこそ、被害が一般市民等に広範に及ぶ化学兵器については、1925年のジュネーブ議定書で「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」が禁止され、1993年1月13日にはパリで署名式が開催された。発効は1997年4月29日。化学兵器禁止条約が1993年1月に署名(1997年4月発行)されたのである。

広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む一般市民など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

これは客観的に見て、一般市民(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。確かに戦争であるから仕方がない。しかし、戦争だから何をしても良いということでもない。‘大統領としてすべての選択肢を持っているべきである’との米国の姿勢は理解できるが、一般市民を含む大量殺傷などの非人道的な行為は今日の世界では容認されてはいない。

今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や化学兵器の他、核兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止や大量破壊兵器自体の禁止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

今回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

(2016.5.26.)(All Rights Reserved.)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 5月26日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されたが、会合後の5月27日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する。オバマ大統領の広島市での具体的日程については、原爆死没者慰霊碑での献花の他、原爆資料館訪問などが行われるが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、2010年8月6日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が2015年8月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、2016年4月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。これは、オバマ大統領(民主党)が大統領就任直後の2009年4月に、プラハで米国の核兵器国としての責任を認めつつ、‘核兵器のない世界、安全保障’の実現を訴えたが、オバマ政権となり米国政府の姿勢が変化したことによる。

この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、1945年8月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年8月15日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

米国の従来の姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

このように米国内の世論の根強い原爆投下肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃し、太平洋戦争を開始したことを謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは1951年9月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における一般市民、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。だからこそ、被害が一般市民等に広範に及ぶ化学兵器については、1925年のジュネーブ議定書で「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」が禁止され、1993年1月13日にはパリで署名式が開催された。発効は1997年4月29日。化学兵器禁止条約が1993年1月に署名(1997年4月発行)されたのである。

広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む一般市民など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

これは客観的に見て、一般市民(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。確かに戦争であるから仕方がない。しかし、戦争だから何をしても良いということでもない。‘大統領としてすべての選択肢を持っているべきである’との米国の姿勢は理解できるが、一般市民を含む大量殺傷などの非人道的な行為は今日の世界では容認されてはいない。

今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や化学兵器の他、核兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止や大量破壊兵器自体の禁止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

今回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

(2016.5.26.)(All Rights Reserved.)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 526日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されたが、会合後の527日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する。オバマ大統領の広島市での具体的日程については、原爆死没者慰霊碑での献花の他、原爆資料館訪問などが行われるが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、201086日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が20158月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、20164月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。これは、オバマ大統領(民主党)が大統領就任直後の20094月に、プラハで米国の核兵器国としての責任を認めつつ、‘核兵器のない世界、安全保障’の実現を訴えたが、オバマ政権となり米国政府の姿勢が変化したことによる。

この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、19458月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年815日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

米国の従来の姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

このように米国内の世論の根強い原爆投下肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃し、太平洋戦争を開始したことを謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは19519月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における一般市民、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。だからこそ、被害が一般市民等に広範に及ぶ化学兵器については、1925年のジュネーブ議定書で「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」が禁止され、1993113日にはパリで署名式が開催された。発効は1997429日。化学兵器禁止条約が19931月に署名(19974月発行)されたのである。

広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む一般市民など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

これは客観的に見て、一般市民(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。確かに戦争であるから仕方がない。しかし、戦争だから何をしても良いということでもない。‘大統領としてすべての選択肢を持っているべきである’との米国の姿勢は理解できるが、一般市民を含む大量殺傷などの非人道的な行為は今日の世界では容認されてはいない。

今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や化学兵器の他、核兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止や大量破壊兵器自体の禁止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

今回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

2016.5.26.)(All Rights Reserved.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 5月26日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されたが、会合後の5月27日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する。オバマ大統領の広島市での具体的日程については、原爆死没者慰霊碑での献花の他、原爆資料館訪問などが行われるが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

 米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、2010年8月6日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が2015年8月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、2016年4月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。これは、オバマ大統領(民主党)が大統領就任直後の2009年4月に、プラハで米国の核兵器国としての責任を認めつつ、‘核兵器のない世界、安全保障’の実現を訴えたが、オバマ政権となり米国政府の姿勢が変化したことによる。

 この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、1945年8月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年8月15日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

 米国の従来の姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

 このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

 このように米国内の世論の根強い原爆投下肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

 オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃し、太平洋戦争を開始したことを謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは1951年9月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

 他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における一般市民、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。だからこそ、被害が一般市民等に広範に及ぶ化学兵器については、1925年のジュネーブ議定書で「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」が禁止され、1993年1月13日にはパリで署名式が開催された。発効は1997年4月29日。化学兵器禁止条約が1993年1月に署名(1997年4月発行)されたのである。

 広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む一般市民など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

 これは客観的に見て、一般市民(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。確かに戦争であるから仕方がない。しかし、戦争だから何をしても良いということでもない。‘大統領としてすべての選択肢を持っているべきである’との米国の姿勢は理解できるが、一般市民を含む大量殺傷などの非人道的な行為は今日の世界では容認されてはいない。

 今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や化学兵器の他、核兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止や大量破壊兵器自体の禁止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

 今回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

(2016.5.26.)(All Rights Reserved.)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

 オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 5月26日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されるが、会合後の5月27日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する予定となった。オバマ大統領の広島市での具体的日程については日米当局間で調整されているが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

 米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、2010年8月6日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が2015年8月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、2016年4月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。

 この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、1945年8月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年8月15日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

 米国のこれまでの姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

 このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

 このように米国内の世論の根強い肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

 オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃を謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは1951年9月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

 他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における民間人、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。

 広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む民間人など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

 これは客観的に見て、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

 今回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

(2016.5.18.)(All Rights Reserved.)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 5月26日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されたが、会合後の5月27日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する。オバマ大統領の広島市での具体的日程については、原爆死没者慰霊碑での献花の他、原爆資料館訪問などが行われるが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

 米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、2010年8月6日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が2015年8月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、2016年4月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。これは、オバマ大統領(民主党)が大統領就任直後の2009年4月に、プラハで米国の核兵器国としての責任を認めつつ、‘核兵器のない世界、安全保障’の実現を訴えたが、オバマ政権となり米国政府の姿勢が変化したことによる。

 この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、1945年8月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年8月15日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

 米国の従来の姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

 このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

こ のように米国内の世論の根強い原爆投下肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

 オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃し、太平洋戦争を開始したことを謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは1951年9月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

 他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における一般市民、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。だからこそ、被害が一般市民等に広範に及ぶ化学兵器については、1925年のジュネーブ議定書で「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」が禁止され、1993年1月13日にはパリで署名式が開催された。発効は1997年4月29日。化学兵器禁止条約が1993年1月に署名(1997年4月発行)されたのである。

 広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む一般市民など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

 これは客観的に見て、一般市民(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。確かに戦争であるから仕方がない。しかし、戦争だから何をしても良いということでもない。‘大統領としてすべての選択肢を持っているべきである’との米国の姿勢は理解できるが、一般市民を含む大量殺傷などの非人道的な行為は今日の世界では容認されてはいない。

 今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や化学兵器の他、核兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止や大量破壊兵器自体の禁止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

 今回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

(2016.5.26.)(All Rights Reserved.)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 526日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されたが、会合後の527日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する。オバマ大統領の広島市での具体的日程については、原爆死没者慰霊碑での献花の他、原爆資料館訪問などが行われるが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

 米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、201086日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が20158月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、20164月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。これは、オバマ大統領(民主党)が大統領就任直後の20094月に、プラハで米国の核兵器国としての責任を認めつつ、‘核兵器のない世界、安全保障’の実現を訴えたが、オバマ政権となり米国政府の姿勢が変化したことによる。

 この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、19458月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年815日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

 米国の従来の姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

 このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

 このように米国内の世論の根強い原爆投下肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

 オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃し、太平洋戦争を開始したことを謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは19519月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

 他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における一般市民、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。だからこそ、被害が一般市民等に広範に及ぶ化学兵器については、1925年のジュネーブ議定書で「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」が禁止され、1993113日にはパリで署名式が開催された。発効は1997429日。化学兵器禁止条約が19931月に署名(19974月発行)されたのである。

 広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む一般市民など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

 これは客観的に見て、一般市民(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。確かに戦争であるから仕方がない。しかし、戦争だから何をしても良いということでもない。‘大統領としてすべての選択肢を持っているべきである’との米国の姿勢は理解できるが、一般市民を含む大量殺傷などの非人道的な行為は今日の世界では容認されてはいない。

 今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や化学兵器の他、核兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止や大量破壊兵器自体の禁止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

今 回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

2016.5.26.)(All Rights Reserved.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

 オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 5月26日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されるが、会合後の5月27日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する予定となった。オバマ大統領の広島市での具体的日程については日米当局間で調整されているが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

 米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、2010年8月6日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が2015年8月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、2016年4月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。

 この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、1945年8月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年8月15日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

 米国のこれまでの姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

 このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

 このように米国内の世論の根強い肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

 オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃を謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは1951年9月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

 他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における民間人、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。

 広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む民間人など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

 これは客観的に見て、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

 今回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

(2016.5.18.)(All Rights Reserved.)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

2016-05-20 | Weblog

オバマ米国大統領の広島訪問を歓迎する

 526日より2日間、主要7か国(G7)首脳による伊勢志摩サミットが開催されたが、会合後の527日、米国のオバマ大統領が広島市を訪問する。オバマ大統領の広島市での具体的日程については、原爆死没者慰霊碑での献花の他、原爆資料館訪問などが行われるが、オバマ大統領の広島市訪問を歓迎する。

 米国要人の広島市、長崎市訪問については近年懸案となっていたが、201086日にルース駐日大使が広島平和記念式典に初めて出席したのを始め、ケネデイ大使が20158月に広島市及び長崎市における平和記念式典に出席すると共に、20164月にはケリー国務長官がG 7外相会議に際し、岸田外相他G 7外相と広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花しており、いわば地ならしがされて来た。これは、オバマ大統領(民主党)が大統領就任直後の20094月に、プラハで米国の核兵器国としての責任を認めつつ、‘核兵器のない世界、安全保障’の実現を訴えたが、オバマ政権となり米国政府の姿勢が変化したことによる。

 この訪問については、米国国内でも大きく報道され反響を呼んでいる。特に、オバマ大統領の広島市訪問に際し、‘謝罪’するのかという点が争点となっている。米国は第2次世界大戦の終結に向け、19458月に広島、長崎に原爆を投下し、行方不明を含め20万人以上の死者を出し、同年815日、日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。

 米国の従来の姿勢は、‘米国の原爆投下により第2次世界大戦の終結を早め、多くの米軍兵士の命を救った’として原爆投下を擁護するものである。今回も、退役軍人や原爆開発に携わった技術者等は、‘多くの米軍兵士の命を救った’のであり、謝罪すべきでないとする声が多い。このような米国内の反響を考慮し、大統領報道官等は、何故謝罪しないのかとの記者の質問に対し、謝罪するものではなく、亡くなられた方々に哀悼の意を表するためと説明している。

 このような米国内での議論は、1995年の第2次世界大戦終結50周年に際しても活発に行われた。当時、首都ワシントンにあるスミソニアン航空博物館に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の展示計画があったが、一方で若手研究者、学者等が、原爆投下により多数の一般人(シビリアン)が殺害され、過剰な攻撃で非人道的であり、戦争終結に原爆投下は必要なかったとの趣旨の論文、書籍が出され、これらの研究者、学者は米国の従来の歴史認識を修正する、‘修正主義(リヴィジョニスト)’と言われた。テレビ、新聞でも頻繁に取り扱われ、賛否両論が紹介されたが、‘戦争終結に有効だった’、‘多くの軍人の命を救った’等の観点から肯定される声が強く、爆撃機エノラ・ゲイの機体は展示されることとなった。

 このように米国内の世論の根強い原爆投下肯定論を背景として、特に11月に大統領選挙を控えていることから、今回のオバマ大統領の広島訪問は、政治的なリスクを承知の上で政治的なリーダーシップを発揮した勇気ある決断であり、これを歓迎したい。

 オバマ大統領が広島市で‘謝罪’するか否かの議論は、米国内で、そうであれば日本側がハワイ島のパールハーバーに先に来て奇襲攻撃し、太平洋戦争を開始したことを謝罪すべしとの意見まで出ており、不毛な感情的対立となろう。不毛である以上に、日本と米国はじめ連合国他とは19519月にサンフランシスコ平和条約を締結しており、いろいろな経緯はあろうが、相互にそのような経緯を理解し和解の上平和を約束している上、日米関係は安全保障面や貿易投資、学術文化交流、スポーツ交流など広範な分野で実態面での緊密な関係を構築しているので、お互いに謝罪云々の議論は不必要であろう。

 他方、‘米国の原爆投下により、多くの米軍兵士の命を救った’との議論については、米国の退役軍人等の心情論としては理解できるが、第1次世界大戦以降、国家間での戦争における一般市民、民間施設への攻撃は人道上避けるべきという国際世論が支配的な潮流となっており、この点についての理解に欠けているように見える。だからこそ、被害が一般市民等に広範に及ぶ化学兵器については、1925年のジュネーブ議定書で「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」が禁止され、1993113日にはパリで署名式が開催された。発効は1997429日。化学兵器禁止条約が19931月に署名(19974月発行)されたのである。

 広島市及び長崎市への原爆投下では、婦女子を含む一般市民など約20万人が死亡し、被爆後5年間では約34万人が死亡している上、その後も多くの被爆者が苦しんでいる。

 これは客観的に見て、一般市民(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、これら戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否が問われても良いのであろう。確かに戦争であるから仕方がない。しかし、戦争だから何をしても良いということでもない。‘大統領としてすべての選択肢を持っているべきである’との米国の姿勢は理解できるが、一般市民を含む大量殺傷などの非人道的な行為は今日の世界では容認されてはいない。

 今後の世界において、国家間の戦争を避ける努力が必要であると共に、武力紛争を抑止するための安全保障措置は必要である。しかし同時に、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点から、今後の戦争法規のあり方や化学兵器の他、核兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止や大量破壊兵器自体の禁止などを考えて行く必要があろう。そのような問題点を指摘する勇気も必要であろう。それは、日本国民の安全保障だけでなく、世界70億人の安全保障環境の向上にも繋がることである。

今 回のオバマ大統領の広島市訪問を、謝罪云々の感情論的な議論ではなく、より安全な世界を構築するための契機とすることが望まれる。

2016.5.26.)(All Rights Reserved.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする