内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

日-EU経済連携協定の署名を歓迎!

2018-10-12 | Weblog
日-EU経済連携協定の署名を歓迎!
 日本と欧州連合(EU)は、2018年7月17日、日-EU経済連携協定に署名した。2019年に発効となる。
 2017年7月6日、日本はEU(欧州連合)と経済連携協定(EPA)に大枠で合意したもの。
 日-EU経済連携協定は、物品の輸出入だけではなく、サービスや人的交流、政府調達、及ぶ投資分野に亘り活動をより自由にし、相互の市場の連携をより緊密にすることを目的とする。
EUは、東欧を含む28か国で構成され、英国は脱退予定だが、人口約5億人、経済総生産(GDP)は現世界の約22%で、この連携協定により日本とEUは、総人口6億3千万人、GDP約28%を超える豊かな市場を構成することになる。日本との貿易総額は約11%程度しかないが、封建制度を経験した長い歴史と伝統を重んじ、街角に商店街が存在するなど、文化形態は異なるが、古い伝統に裏打ちされた文化や技術を尊重する意識において共通点は多いので、広い分野での経済交流が進展すれば、市場間の距離は縮まるものと期待される。
 農業・酪農や自動車など一部工業製品で競合する分野があるので、今後調整をようするが、生産者の立場から若干の調整を要するものの、双方の消費者にとっては質や価格の面で選択の幅が広がることになるので、速やかな協定の合意、締結が望まれる。(2018.7.18.更新)
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朝鮮半島の核なき平和と繁栄へ、踏み出された歴史的な第一歩!! (その2)-米・朝首脳会談の成果―

2018-10-12 | Weblog
朝鮮半島の核なき平和と繁栄へ、踏み出された歴史的な第一歩!! (その2)
      -米・朝首脳会談の成果―
 6月12日、シンガポールにおいてトランプ米国大統領と金正恩北朝鮮国務委員長が1953年6月の朝鮮戦争停戦後首脳同士で初めて握手し、会談した。そして同日午前9時過ぎから冒頭の写真撮影を含めて50分ほどの首脳だけの会談に次いで、両国の外相など関係要人を含めた拡大会議とワーキング・ランチの後、両国首脳により‘包括的な’共同声明に署名された。
 1、両国首脳の強い決意を包括的に示した共同声明       (その1で掲載)
 2、具体性を欠く‘決意’は決意で終わるのか          (その1で掲載)
 3、米国、北朝鮮両国は相互に事実上の国家承認していた
 トラン統領と金国務委員長との今回の初めての会合は、シンガポールでの会場となったホテルでの握手から始まった。敵対関係にあり、国家承認を行っていない首脳同士の初めての出会いとは思えない光景だった。
 その通りなのだ。トランプ米国大統領は、5月24日付にて金正恩北朝鮮国務委員長宛に予定されている首脳会談を中止する旨の書簡を発出したのに対し、6月1日、ポンペオ米国務長官との協議のため訪米した金英哲(キム・ヨンチョル)北朝鮮労働党副委員長より、ホワイトハウスにおいて金正恩委員長の返書をトランプ大統領に手渡し、トランプ大統領はこれを受けとった。これは米国と北朝鮮の首脳(国家元首)が書簡を交換したということであり、事実上の国家承認の行為となる。相互に国家として承認するとは明示はしていないが、国家元首同士の書簡の交換で、相互に米国合衆国、朝鮮民主人民共和国の国家元首として認め合うということであり、外交上、国家としての‘黙示の承認’とされるものである。事実5月24日付のトランプ大統領書簡の宛先は、‘朝鮮民主人民共和国国務委員会金正恩委員長閣下’となっており、米国合衆国大統領ドナルド・J・トランプよりと正式名称で署名、発出している。金正恩国務委員長よりの返書も同様の正式名称で発出されていたと見られる。トランプ大統領は、記者団の前で書簡が入った大きな封筒を手にしていたが、それはメデイアを通じ金正恩委員長に受け取ったことを見せるためのものだったのであろう。
 今回合意された共同声明も、同様の正式名称、タイトルで行われており、事実上国家承認されていることを物語っている。従って今後の米朝間協議、交渉は、従来のように敵対国間の交渉ではなく、相互に承認した国家間の交渉となるので従来よりも円滑で迅速なものになろう。恐らく水面下では、相互に事務所開設の準備交渉が行われていると思われる。核廃棄のプロセス一つをとっても、詳細な調査、交渉、実施、検証など複雑で長期を要するので相互に活動拠点を置くことが不可欠であろう。
 4、北朝鮮にとっては今回が外交的、平和的解決の最後の機会か
 北朝鮮が、米国のみならず、韓国との非核化、戦勝終結努力などの合意を誠実に実施せず、米・韓両国や国際世論を欺けば、米国は軍事的な措置を含む強硬措置に出ざるを得なくなるであろう。
 金正恩委員長もそのことは十分承知であろう。金委員長は、米国との首脳会談に踏み切るに際し、中国の習近平主席と2度に亘り会談している。恐らく非核化に踏み切った場合の安全の保障と北朝鮮国内での金正恩体制支援と経済制裁の緩和、解除などについて協議したのであろう。中国にとっては、北朝鮮の核保有は朝鮮半島の緊張を高め、米国の迎撃ミサイル(THAAD)の配備を含む軍事力増強となり、朝鮮半島の非核化を希望しているので、北朝鮮が今回の米朝合意を実行しなければ中国の期待にも背く結果となる。そうなれば金正恩体制への支持も得られなくなることは承知しているであろう。
 金正恩委員長は、今回軍部の造反、クーデターの危険を冒しても非核化の道を選択したものと見られる。同委員長としても今後国内の守旧派を抑えつつ事を進めなくてはならないので、紆余曲折はあろうし、時間は掛かると予想されるが、基本的には米国、韓国との合意に沿ってその実施を図るものと期待される。(2018.6.14.)(All Rights Reserved.)
2018年6月14日
                   グローバル・ポリシー・グル-プ
                   元駐ルクセンブルク大使
                   小嶋 光昭
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朝鮮半島の核なき平和と繁栄へ、踏み出された歴史的な第一歩!! (その1)-米・朝首脳会談の成果―

2018-10-12 | Weblog
朝鮮半島の核なき平和と繁栄へ、踏み出された歴史的な第一歩!! (その1)
      -米・朝首脳会談の成果―
 6月12日、シンガポールにおいてトランプ米国大統領と金正恩北朝鮮国務委員長が1953年6月の朝鮮戦争停戦後首脳同士で初めて握手し、会談した。そして同日午前9時過ぎから冒頭の写真撮影を含めて50分ほどの首脳だけの会談に次いで、両国の外相など関係要人を含めた拡大会議とワーキング・ランチの後、両国首脳により‘包括的な’共同声明に署名された。
 1、両国首脳の強い決意を包括的に示した共同声明
 共同声明において、トランプ大統領と金正恩国務委員長は、新たな米朝関係の確立と朝鮮半島における恒久的な平和体制の構築問題について、包括的かつ真摯な意見交換を行い、‘トランプ大統領は北朝鮮に安全保障を約束し、金委員長は朝鮮半島の完全な非核化への確固とした揺らぎのない決意(firm and unwavering commitment)を再確認し’、次の点を宣言した。
 1)米朝両国は、平和と繁栄の願いに従って、新たな米朝関係の確立を決意。
 2)両国は、朝鮮半島の持続的で安定した平和体制(peace regime)の構築に共に努力。
3)2018年4月27日の(南北首脳の)板門店宣言を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化(complete denuclearization)に取り組むことを決意。
 4)両国は、戦争捕虜/行方不明兵士の遺体回収を決意。既に特定された遺体の即時帰還を含む。
トランプ大統領と金委員長は、史上初の米朝首脳会談が新たな未来に道を開いた画期的な出来事だと認識し、この共同声明の条項を完全かつ迅速に履行することを決意した。首脳会談の結果を実行に移すべく、今後はできるだけ早期に、ポンペオ米国務長官と同レベルの北朝鮮当局者が協議を行うことを決意した。
両首脳は、新たな米朝関係の発展、そして朝鮮半島と世界の平和と繁栄、安全保障の促進に向け協力する決意である。
 2、具体性を欠く‘決意’は決意で終わるのか
 トランプ大統領と金委員長は、‘新たな米朝関係の確立’、‘朝鮮半島の持続的で安定した平和体制(peace regime)の構築’、及び今回最も注目された‘朝鮮半島の完全な非核化(complete denuclearization)への取り組み’に決意を表明した。これに対し一部メデイア等には、‘具体性に欠ける’、‘また騙されるのではないか’など懐疑的なコメントが見られる。
 しかしこれらの批評は、1994年以来の北朝鮮との核問題での数次の実務レベルでの交渉、積み上げが何故裏切られて来たのか、失敗の原因は何かを十分理解していないようだ。
 交渉の相手である北朝鮮は、朝鮮戦争が‘停戦’になったものの、米・韓両国との敵対関係は継続しており、それを梃子として軍事優先、先軍主義の独裁体制を維持しており、金日成国家主席、金正日北朝鮮労働党総書記(国防委員長)、この後を受けた金正恩国務委員長も絶対的な権能、発言力を持つ最高指導者である。重要決定は、ほとんどトップ・ダウンの形をとる。独裁国家を相手にする場合、最高指導者と基本合意して置くことが最も早道であり、確実である。
 1990年代のクリントン政権以降、米国等と北朝鮮との核問題での協議、交渉は、国務次官補など実務レベルでの交渉であり、合意であったが、ことごとく覆され、核兵器とミサイル開発のための時間と資金を与える結果となった。
 しかし米国が、北朝鮮と首脳レベルで会談、交渉したことは今までなかったことだ。北朝鮮の絶大な権力を握る首脳の意志や決意を直接確認したのは今回が初めてであり、その意義は従来の‘積み上げ方式(ボトム・アップ)’とは比べ物にならない程大きい。
 批判の一つとして、‘非核化’について‘完全、検証可能で不可逆的な非核化’通称‘CVID’に言及されていないことが指摘されているが、‘CVID’を含めるよう実務レベルで詰めていたら何年掛かっても合意に至っていない可能性がある。今回の共同宣言には、‛金委員長は朝鮮半島の完全な非核化への確固とした揺らぎのない決意’を再確認したとされており、その上で、‛この共同声明の条項を完全かつ迅速に履行することを決意し、首脳会談結果を実行に移すべく、できるだけ早期に、ポンペオ米国務長官と同レベルの北朝鮮当局者が協議を行うことを決意する‘とされている。北朝鮮において金正恩委員長より下部に指示が出され、それに基づいて詳細な協議、交渉が行われることが期待される。今後の米朝交渉においては、両国首脳の今回の合意が出発点であり、最終目標となる。そのプロセスが首脳レベルの決意に沿って開始される意義は大きい。北朝鮮との首脳レベルでの会談、決意の表明は歴史上初めてのことであり、この機会を逃すべきではなかろう。
 北朝鮮の金国務委員長は、トランプ大統領との1対1の会談の冒頭、‘今回、足を引っ張って来た過去と偏見を乗り越えてここに来た’と述べ、また最終段階での共同声明に署名した後、‘ここまで準備してくれたトランプ大統領に感謝する’、‘世界は大きな変化を見ることになるだろう’と述べている。
 
 3、米国、北朝鮮両国は相互に事実上の国家承認していた       (その2に掲載)
 4、北朝鮮にとっては今回が外交的、平和的解決の最後の機会か    (その2に掲載)
(2018.6.14.)(All Rights Reserved.)
2018年6月14日
                   グローバル・ポリシー・グル-プ
                   元駐ルクセンブルク大使
                   小嶋 光昭
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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その4)―ブッダのルーツの真実―   

2018-10-12 | Weblog
激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その4)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア     (その2で掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録                (その2で掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
 1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在(その3で掲載)
 2、王子の地を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題  (その3で掲載)
 3、生きることに立脚した悟り                        (その3で掲載)
 4、不殺生、非暴力の思想 (その3で掲載)

 5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ 
アジア、ヨーロッパの思想を大陸横断的に見てみると、ブッダ思想の誕生(紀元前623年頃~紀元前5世紀)からほぼ半世紀後に中国に孔子思想(紀元前551年から紀元前479年)、そして約1世紀後にギリシャにソクラテス、プラトン思想(紀元前469年頃から紀元前399年)が誕生し、それぞれ中国やヨーロッパの思想、哲学の基礎を築いた。
紀元前2000年から紀元前1000年頃のアーリアンの人口移動を見ると、ブッダ思想にもアーリアンの思想、文化の影響。今度はブッダ思想、文化が中国やギリシャなどに運ばれ、相互に影響か。民主主義の原点となる人類平等思想や弱者救済、福祉、そして殺人や暴力への戒めの思想など、ブッダ思想に既にその萌芽。
飛鳥時代に日本に伝来したブッダの思想、文化は、ヨーロッパからアジアへのダイナミックな人口移動の流れと徐々に進展する民族融合の過程で誕生し、そして中国やヨーロッパの思想、文化と相互に影響。日本の思想、文化は、本来極東に限定された局地的なものではなく、ヨーロッパとアジアに広がるダイナミックな思想、文化の流れと繋がっていることを理解することが必要。
(All Rigths Resarved.)
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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その3) ―ブッダのルーツの真実―  

2018-10-12 | Weblog
激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その3)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア     (その2で掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録                (その2で掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
 1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在
 2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題
 ブッダは、シャキア族の王子シッダールタとして支配階級であるクシャトリア。
 城外で「病、老、死」で苦しむ人々を見て、救いの手を求めて悟りの道へ。
 一つは、人類平等の思想に立脚。
 もう一つは、「病、老、死」は現代の課題でも。課題に普遍性。
 3、生きることに立脚した悟り
 極端な抑制と苦行は、欲望自体を消滅させず、「解脱」に導くものでもないことを悟る。そして生命の摂理に従って自然に生きることの中に真理を見出し、生きることに立脚して悟り。「中庸の道」、「中道の法」と言われる教え。80歳に至るまで、生きる教えを説く。
 4、不殺生、非暴力の思想
 ブッダは、コーサラ国のヴイルダカ王がシャキア王国を攻撃するとの知らせを受け、進軍する路上の枯れ木の下に座り、何度もヴイルダカ王に深い憂慮を伝えた。王は兵を引き返すが、再三に亘り進軍を繰り返し、進軍を許す結果に。しかしブッダは一人身を挺して進軍を阻み、その間多くの人々に避難する時間を与えと見られる。(非暴力を自ら実践)
 他方ヴイルダカ王には苦痛に満ちた末路が。(殺生への戒め)
 後世においては、アショカ王(在位紀元前269年より232年頃、ブッダの活動拠点だったマガダ国のマウリア王朝時代)は、「カリンガの闘い」での大量の殺戮。報いを恐れ不戦と不殺生を誓い、ブッダ教を深く崇拝。(ブッダ教の普及)
 また、インドが第一次世界大戦後英国からの独立運動(インド国民会議)を起こした際、マハトマ・ガンジーが非暴力の不服従運動。(不殺生、非暴力の実践)
 翻って見ると、ブッダの時代は、インド亜大陸においてア―リアン・グループの流入と先住グループとの戦いを繰り返しながら16大国が群雄割拠していた時代であり、相対的な安定期にあったと見られるが、未だ部族間の抗争が続いており、殺傷行為はいわば日常的であった時代に、‘不殺生、非暴力の教え’を説いたものであるので、当時としては非常に先駆的な思想であった。しかし、その思想は時を経るに従い、次第に組織化する社会において秩序維持等の観点から、掟や戒めとなり、そして今日の法律、規則に発展し、現在では世界のほとんどの国、地域において適用されている思想となっている。
 国家関係においては、現実論からすると、こうした徹底した非暴力主義は、今日の世界においては疑問が。戦争や武力紛争の無い世界は理想でしかなく、非現実的。
 しかし武力紛争の無い世界が「理想」であれば、理想に向かって努力することが人類の知恵ではないか。もとより、備えは行った上でのこと。
 人類の歴史を作ってきたのも、どの分野でも理想に基づくもの。

5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ (その4に掲載)
(All Rights Reserved.)
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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その2) ―ブッダのルーツの真実―   

2018-10-12 | Weblog
激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その2)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア(その2に掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録 (その2に掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 (その3に掲載)
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在
2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題
3、生きることに立脚した悟り
4、不殺生、非暴力の思想

5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ (その4に掲載)

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トランプ流通商強硬策の真の狙いは何か?!

2018-10-12 | Weblog
トランプ流通商強硬策の真の狙いは何か?!
 トランプ米大統領は、3月22日、‘中国が米国の知的財産権を侵害している’として、最大で600億ドル(約6.3兆円)規模の中国製品に対し関税を課すことを目指す大統領覚書に署名した。またこの覚書中で、中国で米国を含め外国企業が合弁事業を行う際、現地企業への技術ライセンス供与が求められていることについて、世界貿易機関(WTO)に提訴するようUSTRに指示した。
 同大統領は、これに先立つ3月8日、鉄鋼、アルミニウム製品の米国への輸入増加が‘国家安全保障上の脅威になる’として輸入制限措置を決定したが、3月23日から鉄鋼に25%、アルミに10%の関税が課されることになった。この関税引き上げ措置は、北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉中であるカナダとメキシコを除き全ての国・地域には適用される。トランプ大統領はこの措置を発表するに当たって記者団に対し、日本については首相とも仲が良いが、対日貿易赤字は続いておりやむを得ないとの趣旨を述べている。
 1、中国等の報復措置の連鎖により貿易戦争は勃発するか
 米国の知的財産権侵害に対する対中措置は、通商法301条に基づくものであり、米通商代表部(USTR)が関税対象となる中国製品の品目リストを作成することになるが、ハイテク製品を中心に約1,300品目にも及ぶとも見られている。これにより最大で年間600億ドル(約6.3兆円)相当の中国製品に25%の関税が課されることになり、中国への打撃は大きいが、対象リスト作成後30日の審査期間が設けられ、関係業界等から意見を求められるので、最終的な関税措置の実施にはなお一定の期間が必要となる。
 この措置を前にして、3月17日、中国の貿易救済調査担当局長は談話を発表し、‘米国の調査結果に根拠はない’とすると共に、‘米国の最終決定が中国の利益に影響を与える場合、必要な措置を講じる’旨述べ、対抗措置の可能性を示唆した。中国外交部報道官も3月23日の記者会見において、‘中国側の立場はすでにはっきりと示しており、伝えた情報も非常に明確だ。贈り物をもらって返さないのは失礼であり、中国はこれに対応する。米国側が真剣に中国側の立場に向き合い、合理的で慎重な政策決定をすることを希望する’旨表明している。米国の措置を批判する一方、ある種の余裕を示しているように映る。
 そして中国は、4月2日から、豚肉やワインなど米国産品128品目、総額約30億ドル相当の対米輸入品に最大25%の関税上乗せを実施する旨明らかにした。中国政府はこの措置を‘米国が設定した新関税による損失から中国の利益と取引残高を保護する’ためとする一方、‘貿易戦争’を望むものではないとしている。
 これに対しトランプ大統領は、4月5日、対中輸入品に対し更に1,000億ドル(約10.7兆円)規模の追加関税を検討する旨表明した。中国はこれを‘国際貿易ルール違反’などとして米国の対応を批判した。
これを受けトランプ大統領は声明の中で、‘中国は自らの違法行為を正すことなく、米国の農家や製造業に被害を与えることを選んだ’として中国の報復措置を非難する一方、米国は‘貿易戦争はしてない’としてその正当性を表明し、強硬策を貫く姿勢を示した。
 トランプ大統領は、2017年1月に就任後も大統領選挙期間中の‘アメリカ・ファースト、雇用の回復’の主張を繰り返し、中国等との膨大且つ一方的な貿易赤字を解消するため、‘フェアーな貿易、相互の利益’の実現を事ある毎に訴えて来た。同大統領は就任後早々に、北米自由貿易協定(NAFTA)や環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱、2国間自由貿易交渉の優先を鮮明にし、カナダ、メキシコ両国との再交渉を進めるなど、首脳レベルやペンス副大統領レベルを含め様々なレベルで水面下の打診、協議が行われていたと見られる。

 2、周到な計算づくのトランプ大統領の対中強硬措置
 今回の通商強硬措置は、大統領就任後1年間で様々なレベルで関係各国と水面下の接触を行うと共に、中国を含め関係各国との首脳レベルでの関係を構築した上で、周到な計算に基づき打ち出された強硬措置と見ることが出来るだろう。
 一部でこれにより関税引き上げ競争による世界経済の縮小や貿易戦争の恐れとの懸念が表明され、このような懸念を背景として米国の株式市場は大幅に下げ、相互に対抗措置が発表されるごとに下落を繰り返している。
 これはこれまでの常識的な反応であり、当面神経質な動きが続くであろう。しかし中国はもとより米国も‘貿易戦争’となることを否定している。トランプ大統領が表明している通り、関税引き上げ競争でより多くの被害を受けるのは中国であろう。中国は13億の国民に十分な食料等を確保しなくてはならないし、それが出来なければ社会的な反発や不安定化を引き起こす可能性がある。またそもそも知的財産については、中国政府の一定の努力にもかかわらず、中国側に多くの問題があることは明らかであり、米国がその改善を求めるのは当然であろうし、日本を含む他の技術先進国にとっても必要なことであろう。
 遅かれ早かれ米・中両国は貿易問題について交渉の席に着くであろう。トランプ大統領は、各国との通商関係において‘フェアーで相互の利益’の確保を主張しているが、これは通商関係だけでなく国家関係一般に通じる原則、基準であり、
 今回の米国の関税措置は2国間の通商交渉を求めるノロシと見るべきであり、相手国を交渉の席につかせる強い意志の表われと見るべきであろう。不動産業で成功したビジネスマン的交渉スタイルと言えようが、安易な妥協を図ることはなく、決裂すれば‘ユーアー ファイアード(お前は首だ)!’とばかりに強硬策をとることを躊躇はしないであろう。
 しかしトランプ大統領も次の諸点は理解すべきであろう。
 1)米国のように成熟した市場経済では、物の貿易に加え、蓄積された膨大な資本を背景としてより多くの利潤が期待出来る海外に投資することが多くなり、貿易収支が赤字でも資本収支が黒字となりこれを補てんするので、貿易収支を切り離して見るのではなく、国際収支全体で考えるべきである。
 2)米国からの海外への資本投資や資本逃避は米国人ビジネスマン自身が行っているので、米国内への再投資を促すことは米国自身の問題である。
 3)米国の中国、アジア等への直接投資は、多くの場合本社機能やハイテク技術を備える生産工程全体で行われる形が多くみられ、いわば根こそぎ投資となり米国内にほとんど何も残らず、米国の企業家自身が雇用機会を奪っていると言える。それらの海外製品が米国にも輸出されると、米国の貿易収支の悪化要因となる一方、米国の投資家に多額の利益がもたらされていることを理解すべきであろう。
トランプ大統領は、米国内での製造活動を増進させたいというのであれば、輸出国を批判するだけではなく、米国自身の問題として企業家の投資態度の改善、転換も図るべきであろう。

 3、トランプ大統領の北朝鮮問題をめぐる中国への隠れたメッセージ
 今回の米国の関税引き上げ措置、特に知的財産権侵害に対する対中経済措置は、第一義的には選挙公約である米国への雇用機会回復を狙ったものであるが、制裁措置というよりは‘公正で相互利益性’を基礎とした通商交渉を促すことが目的と見られる。しかし同時に、それは通商措置にとどまらず、トランプ大統領は北朝鮮問題においても中国の動きに満足しておらず、中国が北朝鮮に対し核兵器とミサイルを放棄するよう経済制裁措置を誠実に実施し、更に圧力を掛けるよう促すと共に、もし北朝鮮が核、ミサイルの放棄に応じない場合には強硬手段も辞さないというメッセージが込められていると思われる。
 関税引き上げという強硬措置は、自由貿易の流れに反し、貿易戦争を引き起こし、世界貿易を縮小させる恐れがあり、従来の概念では批判の多い政策であることはトランプ大統領も承知の上で敢えて打ち出したものであろう。それは長期に亘る膨大な貿易不均衡問題、特に対中貿易不均衡問題はこれ以上容認できず、批判があっても敢えてそれを解決するという強い意志を示したものであろう。
 環太平洋経済連携協定(TPP)は、米国抜きの11カ国で発足する運びとなったが(3月8日11カ国署名)、トランプ大統領は、4月12日、通商代表部(USTR)に対し復帰のための条件を検討するよう指示しており、強硬措置一辺倒ではなく、交渉による現実的な解決にも取り組む意向を示している。北米自由貿易協定(NAFTA)については既にカナダ、メキシコと再交渉を開始している。
 同大統領は、4月13日付の自らのツイッターで、“(米国は)オバマ大統領に提示された取引より実質的に良い取引でのみ参加する。米国はTPP加盟の6カ国と既に折衝している。その中で最も大きい日本は、長年にわたり米国をたたいているが、取引をすべく作業している。”と述べている。過去1年間、関係国と水面下で周到な準備、協議を行っていることを物語っている。

4、ホワイトハウス、主要閣僚ポストをトランプ好みに固めた大統領
 トランプ大統領は、2017年1月20日の就任式以来、大統領補佐官を含む主要な補佐官、長官の辞任、解任が頻繁に行っており、2018年に入っても3月にゲーリー・コーン大統領補佐官兼国家経済会議議長(後任は保守派経済評論家ラリー・クドロー氏)、続いてレックス・ティラーソンが国務長官が解任(後任にマイク・ポンペオCIA長官)、4月にマクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)(後任はジョン・ボルトン元国連大使)が交代している。この時期に関税引き上げ措置など貿易強硬策がとられ、また北朝鮮の金正恩書記長との5月までの首脳会談などが打ち出されたことから、これらの対外経済、安全保障・外交問題での意見の対立が原因であったと見られる。
 その他、2017年中に次のように主要な補佐官がホワイト・ハウスを去っており、トランプ政権の不安定性を懸念する向きが多い。
・マイケル・フリン大統領補佐官 辞任(ロシア疑惑で)(2017年2月) 
⇒後任マクマスター元陸軍中将(上記の通り2018年4月に辞任)
=>後任ジョン・ボルトン元国連大使
・スパイサー大統領報道官(兼広報部長代行)辞任(2017年7月)
・プリーバス首席補佐官 辞任(政権の内部情報をリークか)(同月)
⇒後任ケリー国土安全保障長官
・アンソニー・スカラムチ広報部長 辞任 (同月)
⇒後任サラ・ハッカビー・サンダース
・スティーブン・バノン首席戦略官兼上級顧問 辞任 (2017年8月)
(大統領選挙期間中からトランプの有力な側)
 しかしトランプ大統領の政権運営にとっては、そのような一般的な懸念、批判に反し、政権運営の安定性、迅速性が増したとする見方も出来る。確かに政権発足1年強で主要な補佐官、長官等が政権を去ることは好ましいことではないが、トランプ大統領が政治の経験のない財界出身である上、大統領選挙(2016年11月)の3か月前の共和党大会まで共和党候補が決まらず、政権を担う人材を固める時間的余裕がなかったこと、更に同大統領は‘既成の政治’の打破を政治信条に据えていることからも人材確保に従来の政権以上に時間を要することなどを勘案すると、主要ポストを固めるのに1年強を要したことはやむを得なかったとも言える。いずれにしてもトランプ大統領自身の感覚からすると、同大統領と政策を共有し、一緒に仕事が出来る人材を確保するためであるので、不安定性などは感じておらず、安定性は増し、より迅速に決断出来ると認識しているであろう。それは同時に性急な結論を出す可能性を秘めており、同大統領が米国内の異なる意見にも耳を傾ける共に、主要国とも十分協議しつつ事を進めることが望まれる。日本としても、トランプ政権の政策を、自ら情勢分析の上慎重に見極め、判断することが必要なのであろう。(2018.4.16.)(Copy Rights Reserved.)
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