内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

首都東京、生かされていない東日本大震災の教訓! (再掲)

2023-10-02 | Weblog

首都東京、生かされていない東日本大震災の教訓! (再掲)

 2021年3月11日、東日本大地震・津波災害から10年を迎えた。東京電力福島原発事故への対応を含め、政府関連予算は2020年度までの10年間で約38兆円にのぼり、また日本各地からの応援や寄付等を受け、地元の人々により懸命に復興活動がなされた結果、地区差があるものの、復興はかなりの進展を見せている。地元の方々や支援活動をされた各方面の方々のご苦労に心から感謝し、称えたい。またこの災害により、命を失った方15,899人、行方不明者2,528人となっており、心からのご冥福と行方不明者が1日も早く家族の元に返ることをお祈りしたい。

 復興は進んでいるものの、10年経っても42,685人が避難者にのぼり、当時の巨大地震と津波、そして福島原発の炉心メルトダウンなどの状況を振り返ると、改めてその被害の甚大さを痛感する。

 政府の関連行事やメデイアの報道は、どうしても追悼と被災地の復興活動の継続に焦点が当てられる。しかし大震災は、東日本だけでなく、関東でも首都直下地震や東海、近畿、四国地方では南海トラフ地震による被害が今後30年前後に発生する可能性が高いと伝えられている。日本列島を巻き込む大災害は、その他火山の噴火や異常気象による大洪水などの恐れがあるので、東日本の復興継続と共に、その他の地域、特に諸機能が集中し、人口密度の高い首都東京の震災への備えがこれで良いのかに注目しなくてはならない。

 1、教訓が未だ活かされていない首都東京

 東京を中心とする首都圏については、東日本大地震の教訓を受けて、道路・歩道の渋滞、帰宅難民などへの対策として、一時避難所や備蓄、耐震補強のほか、緊急対応のための道路規制、ハザード・マップの作成など、一定の対応が行われている。しかしこれらの措置は、多くの努力を要しているものの、東日本大地震規模の巨大災害にはほとんど無力とも予想される。

 東京には、1,300万の人々が生活し、近隣から数百万の人々が東京に往来している。また日本経済の中枢部門をはじめ、学校、文化・スポーツなど多くの民間機能が集中している。更に、国会、裁判所の中枢機能に加え、緊急時には東京都などと共にその対応に当たるべき全ての中央官庁が集中している。また国民統合の象徴として皇居があり、その安全を確保しなくてはならない。

 大災害が発生した際には、行政はこれら全ての安全を確保するために膨大な救援、救出活動を集中的、同時並行的にしなくてはならない。シュミレーションなどするまでもなく、とても手が回らないと予想される。何かを守り、何かを座視するしかない。相手は、「経験したことがない大災害」であるので、旧来の常識や既成概念では対応し切れないことを、福島原発事故を含む東日本大災害から学ぶべきであろう。

 政府による『東京一極集中解消』2020年目標は断念された。ある意味で東日本大地震の教訓の風化の象徴とも言えないだろうか。

 2、政府委員会が大規模災害に警鐘

 2014年、政府の地震調査委員会は首都直下地震が「今後30年で70%」との予測を公表している。その後この予測は繰り返し述べられる毎に発生確率は高くなっており、首都直下地震はもはや過去のものや遠い将来のものではなく、今生活している国民の生涯において起こりうる現実となっていることを示している。

 首都圏を中心としたマグニチュード7相当以上の過去の地震は、1703年の「元禄関東地震」(M8.28)と1923年の「関東大震災(大正関東地震)」(M7.9)を挟んで次のように発生している。

1703年12月   「元禄関東地震」(M8.28)

1855年11月 安政江戸地震         (M6.9)

1894年 6月 明治東京地震         (M7.0)

同年10月   東京湾付近の地震   (M6.7)

1895年 1 月茨城県南部の地震  (M7.2)

1921年12月茨城県南部の地震  (M7.0)

1922年4月浦賀水道付近の地震(M6.8)

1923年9月  「関東大震災」   (M7.9)

  関東地方は、東西に太平洋プレートとユーラシア・プレート、これを挟んで南北に北米大陸プレートとフィリピン海プレートがあり、元禄関東地震と関東大震災はフィリピン海プレートの境目の相模トラフで発生した大地震とされている。首都圏に関係する地震、津波の誘因としては、この他に東日本大震災に関係する日本海溝や東海地方から四国沖に伸びる南海トラフなどがある。

 関東、東海地方については火山爆発も注意を要する。

 3、政府組織・制度においてシンボリックな抜本的措置が必要

 民間組織・団体や東京都及び市区町村において、それぞれ対策を検討し備えることは不可欠であろう。それは誰のためでも無い、自分達や家族、関係者の安全、安寧のためだ。

 しかし東日本大震災レベルの直下地震等が首都圏で発生し、大型津波が発生すると、1995年1月の阪神・淡路地震を上回る被害、混乱が起こるものと予想されている。2011年3月の東日本大地震の際にも首都圏で震度6を超える揺れを経験したが、道路は車道、歩道共に渋滞し、公共交通は止まり、電話・携帯による通信は繋がらず、多数の帰宅難民が発生し、その状況は翌朝まで続いた。電気、ガス、水道などのライフラインが被害を受けていれば被害は更に拡大し、回復には更に時間を要することになる。

 最大の問題はライフラインの確保であるが、大災害に対応し、司令塔となるべき中央官庁の機能をどの程度確保出来るかである。物理的被害は予想もつかないが、災害が深夜や早朝、祝祭日に発生した場合、必要な人的資源の確保は困難で時間を要することになっても仕方が無いであろう。‘経験したことがない大災害’に遭遇し、‘経験したことがない混乱等’が起こったとしても、自然のなせること、誰も責めることは出来ない。それぞれの立場で被害に備え、耐え、命を守る努力が求められるであろう。それも相当期間に及ぶ可能性がある。

 (1)そうなると危険の分散を図ることが最も効果的となる。政府はこれまで幾度となく、東京一極集中を避けるため、中央省庁や大学の地方移転を試みてきたが、部分的な専門部局の分散に留まり、一極集中解消にはほど遠い。

 米国の他、ブラジルや豪州などのように、政治・行政機能を密集地域から切り離し、新たに政治・行政都市を造ることも考えられるが、日本にはそれにふさわしい安全な地域を確保することは難しそうだ。しかし1つの有効な選択肢ではある。

 それは、日本独特の国民統合の象徴機能である皇居を宮内庁と共に京都など近畿地方に戻すことであろうか。天皇の象徴機能については憲法に明記され定着しており、皇居を移転しても機能自体に何ら影響しない一方、ご公務については憲法上国会の召集など10項目に限定されているので、移転は相対的に容易と見られる。更に、京都等に戻ることは歴史的に理解されやすく、また地方に新たな息吹をもたらし、地方活性化にも繋がる可能性がある。

 憲法上公務とされる10の業務については、現在では交通・運輸、通信が飛躍的に便利になっており、国会召集時など限られた折りに東京に行幸されることは可能であろう。宿泊が必要な場合には、年数回しか使用されていない迎賓館(赤坂離宮)に所要の宿泊施設をご用意するなど、対応は可能のようだ。また外国使節(各国大使等)の接受等については、京都の御所にて行うこととすれば、京都や近畿地方の歴史や文化等を外国使節に紹介する機会ともなろう。

 また考えたくはないが、もし将来首都圏がミサイル等で攻撃されると、政治・行政機能と象徴機能が同時に被害を受ける恐れがあるので、これを分離しておくことが安全保障上も意味があろう。

 無論どの選択肢にしても、現状を変更することには困難があろう。しかし、政府地震調査委員会が東京直下地震など経験したことがない大災害が現実に起こりうると考えているのであれば、これまでのような対応では不十分と見られるので、これまで実施されたこともないような措置を本気で検討、実施する必要があるのではないだろうか。

 (2)江戸城趾の活用方法については、城趾内の「江戸の自然」の保護を図りつつ、可能な範囲で復元を行い、歴史観光施設として整備し、また一部を国民の憩いの場として開放すると共に、大災害時や緊急時の避難場所となるよう整備するなどが考えられよう。特に江戸城趾には四方に門があるので、災害時、緊急時には門を開放し、四方から城趾内に避難が出来る。また緊急車両が災害時、緊急時に通行できるよう、城趾内の通路等を整備しておけば、渋滞が予想される一般道を通らずに迅速に移動できるなど、災害時、緊急時への活用も期待できる。(2021.3.31. All Rights Reserved.)

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長寿化を前提とした就業モデルへの転換が必要 ー再掲

2023-10-02 | Weblog

 長寿化を前提とした就業モデルへの転換が必要 ー再掲
 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。
また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。
長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。
 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる
 欧米等では、年金対象年令近くになると退職し、トレーラーハウスで気楽に各地を旅して回りたいという人もいる。だが日本では65歳で定年退職、生産活動からの卒業となると、一つは所得が無くなることへの不安や不自由さを感じさせる一方、生きがいを求める人が多いようだ。平均寿命は上記の通りであるので、平均的に男性では定年退職後約15年間以上、女性では22年程の期間があり、その間「高齢者」として生産活動から卒業させられ、その多くが事実上就職の道を絶たれることになるので、社会との関係が疎遠になってしまうのが現実のようだ。1、2年程度は良いが、15年から22年間生産活動から遠ざけられ、所得の道を絶たれるのは長過ぎる。その上、70から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とされる。しかし65才、或いは70才になったからといって人生これで終わりだと思っている人は少なく、多くの人は社会との関わり合いを望んでいるようだ。65才になると‘たそがれ人生’になり、‘終活’に明け暮れるのでは折角の経験が活かされない。意識の面だけではなく、寿命が延びている分肉体的にもエネルギーは残っているのだろう。
 1990年代以降の日本の着実な長寿化により男女平均の寿命が現在84才以上であることを考慮すると、外見上、或いは本人の意識の上で「高齢者」或いは老齢者と言って差し支えないのは、75才以上、将来的に長寿化が更に進む場合は80才としても良いのではないだろうか。75才以上の人口に占める比率は現在11%強、就労人口の約22%に当たるので、国民が支えなくてはならない「高齢者」の比率としてはまだ高いが、容認出来る数値と言えよう。長寿化に伴って年令区分や社会認識が追い付いていないと言えそうだ。基本的には、日本社会が年令意識、年長者尊重意識(シニオリテイ・コンプレックス)が強いこともあって、年令により国民を区分し、行政上も区分化、制度化する傾向が強過ぎ傾向にあるようだが、寿命自体が延びているので、それに伴い社会、行政意識が変化して良いのではなかろうか。
 このような観点から、年齢による呼称、総称を極力少なくし、当面70才以上を統計上“年長者”と総称し、前期・後期高齢者という年齢差別的な区分を廃止することが今日の長寿化社会に適しているように見える。強いて言うならば、所得の上でも体力や意識の上でも社会保障上の配慮が必要となる75才から80才以上前後を「高齢者」、「お年寄り」と呼称することは止むを得ないのかもしれない。社会のためにそれぞれの立場で貢献されてきた年長者に敬意を払うことは美徳であろうが、年齢だけで人を区分し、老齢者、老人、お年寄りと総称して労働市場や社会から遠ざけるのは老齢別視となる。
 また報道等においても、容疑者や犯罪者等の年令を表記するのは良いが、その家族や友人、関係者の年令まで表記し、また女優タレント等の年令をその都度表記するのは、日本特有のことであり、年齢差別、年齢別視とも見られる。多くの場合視聴者の関心でもないし、映像で伝える場合は、視聴者が判断出来ることが多いので、個人情報やプライバシーの観点からも行き過ぎとも見える。
 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築
 日本は、国家公務員を含め終身雇用制を採っているので、学卒後多くの人が定年になるまで同じ会社、組織に属し、人生で最も長く会社、組織の同僚や上司や部下と接して来ているので、定年退職するとその接点が無くなるばかりか、65才定年制により、65才以上になると再就職なども事実上阻まれる結果となる。日本は、多くの場合学卒優先であり、公務員でも27才前後を新規採用の年齢制限とし、65才を定年とし、そして65から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とするなど、年齢により国民を細分化、規定化し過ぎているように見える。それによるメリットもあろうが、年令により国民を一律に細分化し、年令グループにより就職や社会保障等において制度的な差別化を図り、自由を奪っている形となっている。
 特に国民に開かれていることが望ましい国家公務員や地方公務員について、新規採用年令を27才前後とする一方、独立行政法人など政府関係機関の役員への応募を原則65才以下とすることなどを閣議で決めていることは、国民の行政への参加の機会を年齢で阻むものであり、望ましくない。国家的なエージハラッスメントとは言わないまでも、年齢差別と言える。
人の年令には身体能力や意識の面で個人差があり、65才以上を一律に「高齢者」として仕分けし、生産活動や就業から外すことは、多くの場合個々人の希望に沿わない。多くの人は“体が動く間、働ける間は働きたい”という気持ちではないだろうか。
 就労者2人、或いは将来は2人以下で「高齢者」1人を支えるような結果となる社会モデルは、就労者、特に若い世代に過大な負担を負わせる結果となり、社会的活力を失わせる。
更に70才から74才までを「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」と区分し、行政上医療費の自己負担比率を変えたり、自動車運転免許の取得、更新条件を変えたりしているが、能力、意識の上で個人差があるので余りにも一律で不必要な年齢規制と見られている。
現在‘定年年齢’を65歳、或いは68歳とする企業、団体が多くなってきているが、‘定年年齢’自体を撤廃する一方、基本給(役職手当を除く)について、60歳以上の伸び率を抑え、65歳については段階的に3割~4割するなどにより、65歳以上になっても“働ける間は働ける社会”を構築して行くことが望ましい。

 3、長寿化に伴う社会保障モデルの適応―定年と年金受給年齢との分離
問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収360万円以上(年金は除く)の人達については給付額を90%とし、その以上は年収を例えば100万円刻みで給付額を10%刻みで減額して行く(但し高所得者でも10%は給付)などとするなど、所得に応じた給付を行う年金モデルとして行くことが望ませる。
 また医療費についても、健保料は所得がある者は所得に応じ支払うこととなるが、固定収入がないものについては者について国民保健料を低額に維持する一方、原則として現役世代の60%程度とするが、受診料については、可能であれば所得に応じたものとすることが望ましく、所得が例えば年収760万円以上については現役世代と同額とするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。
 財政が潤沢な時代であれば従来通りで良かろうが、財政、特に社会保障の財源が不足しているので、従来通りに支給等するために就労者、特に若い世代に追加的な負担を強いることは、社会保障のための負担感がより強くなり、活力を失わせかねない。基本的に、今後経済は高成長モデルから低位の安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識や観念が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。
 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を持てるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、‘正規’社員であろうと派遣、アルバイト等の‘不正規’社員であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るような制度としなければ達成困難であろう。
 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。

 3、定年年齢と切り離した年金制度
 問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収850万円以上(年金は除く)の人達については、所得において現役世代と遜色はないので、年金については凍結するか、20%から25%の支給とする。また医療費については現役世代と同様に支払うこととするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。
 他方、年金以外に所得がないものに対しては、可能な限り最低賃金に見合う年金給付が行われることが期待される。現在、介護保険料が年金給付額から天引きされる上、介護保険料が引き上げられ、年金給付額は逆に引き下げられているため、年金生活者の生活を圧迫し、将来への不安やあきらめともなっているようだ。これが若い世代の年金への信頼感を引き下げ、将来不安から消費を節減して貯蓄に回すことに繋がっていると見られる。高成長時代には、貯蓄は新規投資の資金源となるが、低成長時代やデフレ期には消費が減少し、デフレスパイラルが起きるという、悪循環となる。国民の将来不安を無くす上でも、年金の充実と信頼性を回復する必要がある。
 基本的に、今後経済は高度経済成長モデルから低位安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。
 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を得れるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、いわゆる‘正規社員’であろうと派遣、アルバイト等の‘非正規社員’であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るようにしなければ達成困難であろう。
 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会就業モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化
 少子化、人口の減少傾向により、現在の‘定年制’を前提とすると、将来的に労働力人口は減少し、国民の税負担能力は低下する一方、長寿化により年金受給者や受給期間が長期になる等、福祉関連の歳出は増加する。
 またこのような人口減は、全国一律に起こるのではなく、地方から人口が流出し、地方の人口減が起こる一方、首都圏等の大都市に人口が集中する傾向が民間の研究でも指摘されている。
 他方、経済については、グローバル化が進み、国内市場ではなく世界市場を目標として企業の大規模化、多国籍企業化が進む一方、裾野産業がそれを支えると共に、特異な技術や製品が世界市場に向かうなど、中小企業についても国際競争力が問われるものと見られる。
このような変化の中で、2040年を一つの目標年として、中央及び地方の体制を次のように誘導して行くことが望まれる。なお、人口増について、出生率の増加や外国人労働力の受け入れなどが検討されており、それにより若干の効果はあろうが、日本人の人口減と長寿化は趨勢としては継続すると見られるので、それを前提とするべきであろう。
(1)中央、地方行政組織、議会それぞれにおける適正な定員管理
 人口減、労働力人口減が予測されている以上、行政組織を適正規模に調整して行くことが不可欠であろう。それを行っておけば、経済停滞期に行政組織で景気対策としての雇用増を行う余地が出来る。そのためまず新規採用を着実に削減して行くことが望ましい。新卒者も減少していくのでその影響は限定的になると予想される。この場合、特殊法人や独立行政法人などの関連組織を含む。また、規制の原則撤廃や簡素化を進めることが望まれる。
 特に相対的に急速な人口減が予想されている市区町村については、新規採用の削減などの定員管理と共に、市区町村の統廃合を進め、持続可能な自治体規模としていく必要があろう。同様に選挙区についても定期的な整理・統合が必要となる。これを怠ると将来財政破綻となり住民は大きな被害を受けることになろう。
 なお全体の定員管理については、雇用機会の確保(ワークシェアリング)に重点を置き、給与・報酬を抑える方法と、優先分野を明確にし、優先度の低い部局や効率の悪い部局やムダを削減すると共に、規制の撤廃を促進して定員を縮小する一方、給与・報酬など労働環境を改善する方法がある。将来的にはより豊かな家計、生活、即ち高所得、高消費の社会に導くことが望まれるので、後者の方法が望ましいが、その選択については、中央は中央として、またそれぞれの自治体の規模や特性を踏まえ各自治体の選択に委ねられるものであろう。
 また全く発想を転換し、少子化、長寿化を前提とした定員管理、人件費削減に取り組むための公務員定員・給与管理モデルを真剣に検討すべきであろう。中央、地方を問わず公務員のいわゆる定年制を撤廃し、経験も時間もある年長者が社会活動にフルに参加出来るようにする一方、人件費の削減、若手世代の待遇の改善が出来るよう、例えば当面65才以上については給与を当初3割減とし、6割減を下限として毎年漸減する。これにより年長者を社会活動に積極的に活用できると共に、一定所得以上の者については健康保険料や年金保険料を徴収することとし(但し年金は一定額を支払い、各年の所得に加える)、社会福祉コストの縮小を図ることが可能となろう。また少なくても公務員については、採用に際する年齢制限を撤廃し、年齢を問わず国民に公務への門戸を開くことが望まれる。
 その上で、魅力あるコミュニテイ作りを進めることが望まれる。
(2)公共施設、社会インフラの適正な管理と魅力あるコミュニテイ作り
 これまでの経済成長期、人口増を前提とした経済社会インフラ作りのための公共事業モデルは今後困難となるので、低位成長、人口減を前提とし、コミュニテイの生活インフラに重点を置いた公共事業モデルに転換して行く必要があろう。新たな公共施設や道路等は、当面の利便性を高めようが、その維持管理と修復等の後年度負担が掛かるので、人口減となる自治体にとっては将来住民への大きな負担となる可能性がある。従って、人口動態予測や適正な需要予測を実施し検討されなくてはならない。
 他方、自治体生活圏のコンパクト化については、居住の自由との関係や一部地域が原野化する一方、生活圏が縮小する恐れがある上、不動産価格が局部的に高騰し、移転費の問題等が生じるので、新たなコミュニテイ作りについて住民との協議を通じ理解と協力が不可欠であろう。同時に、折角スペースが空くことになるのに、生き苦しい狭隘なコミュニテイ作りは望ましくない。可能な限り道路を拡幅すると共に、駅や公共施設はもとより、道路沿線のビルや商店などには駐車・駐輪場の設置を義務付けることなども検討することが望ましく、また移動ショップの普及なども考えられよう。
 機能的ではあるが、地域の特性を活かし、人を惹きつける魅力が有り、豊かさを感じられる特色あるコミュニテイとなるよう、グランド・デザインを作ることが望まれる。(2015.9.4.)
(All Rights Reserved.)

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給与増で国内消費増を図る経済モデルへの転換が急務

2023-10-02 | Weblog

 給与増で国内消費増を図る経済モデルへの転換が急務

 1、賃金上昇は歓迎も物価高騰で減殺

 2023年7月に時給ベースの最低賃金が41円引き挙げられ、平均1002円となったことを歓迎する。反面、31年振りの4.2%レベルの引上げであり、31年もの長期に亘り最低賃金が抑えられて来たことを意味する。その上消費者物価が2020年比で総合5.2%増の高騰を示し、2013年以来の日銀のインフ目標2%を大きく上回る形となるので、実質賃金はマイナスとなる。

 春闘による正規社員を中心とする賃上げ率も平均3.58%で、30年振りで歓迎されるが、反面賃金は30年以上低迷していたことを示すものである。その上政府・日銀が2013年以来容認して来た物価高騰で帳消しとなり、実質所得は2023年もマイナスとなることが予想される。

 2、給与増で個人消費・需要増を図る経済モデルへの転換が必要

 これは経済界が、高度経済成長期以来一貫して国民総生産(GDP)の6割前後を占める個人消費とそれを裏付ける給与増を二の次とし、外需(輸出)と政府支出の増加を優先して来たためと言えよう。外国為替も円安誘導が基調となって来たが、円安も輸出やインバウンドの海外観光客の増加にはプラスとなる一方、輸入価格の上昇により国内消費を抑制し、またドル・ベースの所得を引き下げ、所得の国際比較において順位を更に引き下げる結果となっている。

 外需(輸出)と政府支出の増加に重点を置いて経済成長を図るという従来型の経済モデルは高度成長期以来経済を牽引して来たが、賃金の抑制と1,220兆円という国内総生産の2倍を上回る公的債務の増加を招き、政府支出も伸びきった状態になっている。

給与増は言うまでも無く企業、特に中小企業の利益を圧迫し経営側にとって悩ましい問題であるが、国内需要を支える給与増は今後の安定的経営に必要であるので、経済界全体として給与増(役員報酬を含む)により個人消費の増加を図ることの重要性を理解し、経済モデルの転換を図って行くことが不可欠となっている。

 中小、零細企業の中には大手企業等の下請けとなっているものも少なくないが、大手企業は国内需要の底上げを図るため、中小、零細企業の賃上げの相当分を価格に反映することを容認することが望まれる。また政府は、中小、零細企業の賃上げを促進するため賃金改善調整金(仮称)を給付するなど、賃金増を促進する予算措置を講じることも不可欠であろう。

 世界経済も不透明性を増すと共に、成長を牽引する国も多くを期待出来ない時期にあるので、給与増により個人消費・需要増を図る経済モデルへの転換が急務である。(2023.8.8.Copy Rights Reserved.)

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