内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

国民1人1人の命を大切にし、安全な国造りを目指そう (再掲)

2025-03-12 | Weblog

国民1人1人の命を大切にし、安全な国造りを目指そう (再掲)

  2022年7月8日の安倍晋三議員(元首相)への銃撃事件は、日本だけでなく国外にも銃規制が厳格で安全と見られていた日本で起こった惨事として大きな衝撃を与えた。

  人の尊厳を傷つけ、命を奪うような行為は決して許されない。

  1、警備強化、規制・制限強化で終わらせてはならない

このような暴力行為は決して許されるべきではない。 現在要人警護の強化の強化が検討されているが、党派を超えて公正、安全な活動の確保を念願する。 他方、昨今身勝手な理由で生徒や幼児を含む一般国民が殺傷事件に巻き込まれ、多くの尊い命が失われているのも事実である。 人を殺める行為はそれが誰であれ許されるものでなく、国民1人1人の安全への取り組みが不可欠である。

  その対応として規制・罰則の強化や警備の強化などで終わらせることなく、時間は掛るが、家庭、義務教育課程、専門学校・大学、各組織・団体レベルにおいて、心の問題として人の尊厳を傷つけ、ましてや命を奪うような行為は決して許されないとの意識の向上を図ることが必要と見られる。

今回のような事件が起こると、ともすると警備の強化の他、街頭演説の規制や道路規制などで終わってしまう可能性がある。 例えば駐停車禁止や駐輪禁止についても、駐停車禁止等の区域が急速に拡大することに加え、規制対象に「放置」という新たな概念を加わり、数分でも車や自転車を離れると「放置違反」となる。 車にしても自転車にしても、目的地で止めておかなければ用をたすことが出来ず、駐停車や短時間車や自転車を離れなければならない需要があるにも拘わらず、至便で料金の安い駐車場や駐輪場、例えば短時間であれば無料で置ける場所は提供されておらず、規制・規制が増え続け、自由な生活空間が年々狭められ、市民生活はどんどん窮屈で閉塞感を増し、 行政になっているように見える。 以前公衆トイレや町中の公園等に多数の禁止事項が貼り出されていたが、最近は少し改善したものの、未だに10項目以上の禁止事項を貼り出している施設、公園なども少なくない。 都内の幹線道路等には禁止事項をはじめとする看板、パネルが増え続けている。 一向に減る様子もなく、「事件発生=規制強化」という行政姿勢が定着しているように映る。 学校も同様で、校則が40、50にも及ぶのは普通になっているようだ。 覚えようもなく、自主性も削がれる。

多分今回も選挙活動中の街頭利用に規制・制限が加えられ窮屈で閉塞感を増すのではないかと危惧される。 規制・制限により一定の目的は達成できるものの、必要な活動が自由に出来なくなり、至便性や自由な行動を犠牲にすることになる。 それで終わるのではなく、必要とされる目的、活動が達成できる代替の場所や施設を提供しなくては適正な行政を行っていることにはならない。 規制・禁止等を行う場合、同時に必要な救済、対応策を提供するという意識が警察を含む行政に不可欠になっているようだ。 「事件発生=規制強化+代替措置の提供」という新しい社会方程式にして行くことが不可欠だ。 それにより社会経済的効率は改善し、市民の閉塞感やストレスが癒えることが期待される。 それが出来ないと、規制が増えれば増えるだけ、違反者も増え続けるけることになる。

歩道を含む道路の管理については、県道、国道などにより所管する官庁(警察、国土交通省)や自治体(都道府県、市町村区等)が異なり煩雑のようだ。 しかし高速道路等を除き、自治体に出来るだけ多くの管理、改善の役割を持たせることが望ましい。 都市を走る幹線道路沿いは、至便性から住宅やコンビニ、スーパー、病院等の施設、商店が増え、「通過のための道路」が「生活道路」に性格を変えているところが多い。 警察行政がその変化に気付いておらず、従来通りの対応に終始しているように映る。 今回のコロナウイルス対策では、地方自治体が大活躍し、市民に近い行政活動として評価される。 都市の市街を走る道路はもはや「通過のための道路」ではないので、信号の敷設を含め、市民生活に近い地方自治体に業務、管理を移管することが望ましい。

規制・禁止等の強化は一定期間必要とすることはあろう。 他方、そのような規則、法律が増えれば増えるほど、違反者も増え、取り締まり強化がされる一方、そのような規制・制限等は何時か破られ事件となり、更なる規則強化という悪循環が繰り返されるので、規制を強化をすれば良いということでもない。 国民のニーズに応える措置も不可欠のようだ。 「事件発生=規制強化+代替措置の提供」という新たな社会経済方程式の実践が望まれる。

 


  2、教育課程を通じたマナーや倫理教育、人間関係と社会教育の充実が必要

  (1)ブッダの不殺生・非暴力の教えは今や刑法となっている

紀元前5世紀頃、ヒマラヤ南麓(現在のネパール ルンビニ郡)で生まれたブッダ(漢字の仏陀は、サンスクリット語を音写したもの)はシャキア部族王国のシッダールタ王子としてカピラ城で育ったが、病・老・死で苦しむ城外の人々を目の前にして、悟りを求めて29才で城を出て、南方のブッダガヤ(現在のインド ビハール州)で悟りを開いた。 シッダールタ王子は悟りを開いてブッダ(サンスクリット語の悟りを開いた者・賢者の意)となり、人類平等の思想に立脚し、生きていなければ悟もないことをまず悟り、生きることを前提として人類共通の課題である病・老・死への向き合い方を説き、不殺生・非暴力等を唱えた。

ブッダは、自らそれを実践した。 ブッダは、コーサラ国のヴイルダカ王が王子の頃シャキアの村人に侮辱されたことを恨み、シャキア王国を攻撃するとの知らせを受け、進軍する路沿いに座り、ヴイルダカ王の進軍を何度も止めようとした。 王は一旦引き返すが、再三に亘り進軍を繰り返し、遂にシャキア部族王国を殲滅した。 ブッダは一人身を挺して進軍を阻み、その間多くの人々に避難する時間を与えと見られる。 他方ヴイルダカ王は凱旋後、火災に巻き込まれ苦痛の中で命を失い、地獄に落ち、そこであらゆる形の苦痛を受け続けているとされている。 その200年以上後に、アショカ王はインド地域の統一を果たしたが、その過程で隣国との「カリンガの戦い」で大量殺戮したことから、ビルダカ王のような末路、殺戮の報いを恐れ、平和と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依すると共に、ブッダの教えの普及に努めた。 東の中国方面だけでなく、西はギリシャ、エジプト等まで伝わっている。

紀元前10世紀頃よりイラン高原周辺からインド亜大陸へアーリアンの諸部族が長期にわたり大量 に流入し、土着のドラビダ族等との支配を巡る激しい抗争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生した。 しかし16大国が割拠しており、支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族の域内では人口融合が進展したと見られる。

そのような激動の時代を経て16大国が割拠する時代に不殺生・非暴力を唱えたことは、先駆的ではあるが非現実的と捉えられても仕方ないが、不殺生、非暴力の教えは、弟子が受け継ぎ、その後部族の掟となり、人類の基本的な倫理規範となり、また国家組織が発展するにつれ、秩序維持のための刑法等へと制度化して来た。 しかしこれがひとたび法制化すると、法律、制度で禁じられ刑罰を受けるから人は殺めてはならないとの他律的、受け身的な姿勢となり勝ちで、自らの心の問題、倫理観は薄れる。 そうなると刑罰を受けても良いと考える人や刑務所に入りたいと望む者には、自らの心や倫理観による抑止が薄れ、犯罪に走り易くなるのではないだろうか。

時間が掛るが今行うべきことは、上記でも触れた通り、子供の頃から大学等までの教育課程において、それぞれの年代に応じて基本的な倫理・思想、人間関係や社会性の開発、マナー教育を充実させることではなかろうか。 大学等への進学制度の一環として大学入学共通テスト制度が導入されたことは、機会の公平を確保する上で効果がある一方、義務教育課程や高等学校がいわば共通テストで良い成績を取るために予備校化し、人間として、社会人として必要な基本的なマナーや相互の尊重と心の豊かさ、そして他人の尊厳を傷つけ、 命を奪うような行為は決して許されないというような精神面や基本的倫理の学習の余裕を失わせているのではないだろうか。

この点は、家庭が核家族化し、或いは共働き等で親などとの接触が少なくなって来ているので、これを教育の場や課外活動等で補う必要がより強くなっているようにも思われる。 もう一つの問題は、長期の経済停滞、コロナ禍の下で、成人の仕事の機会、活動の場所が狭まっており、その確保の必要性である。 好ましい仕事も活動の場もなく、長期に実家や一人暮らしで社会から引きこもっている層が多くなっているように見える。 最近、登校拒否生へのきめ細かい対応が出来てきたが、それらの学生に円滑な進学や就職が出来るようにすると共に、成人の引きこもり者への就職、活動の場の照会、斡旋・提供に加え、何でも相談できるソシアル・サービスの充実も必要であろう。 それぞれ個人の問題と言えばそうなのであるが、社会が多様で豊かになる一方、生きがいを見つけられず悩んでいる人たちが何でも躊躇無く相談できる場がもっと身近にあって良いのではないか。 その場で答えを出せなくても良い。 市民生活に近い区や市町村レベルで、本庁だけでなく支所や関係施設にも窓口を設け、夜間もメール等でアクセス出来るシステムが望ましい。

  事件が起きれば取り締まりを強化することになるが、社会から様々な理由で引きこもっている人々を社会に復帰させることによる犯罪の防止と家族・社会に与えている社会的コスト削減となるなど、効果は遙かに大きいので、そのようなソシアル・サービスを拡大することを優先すべきであろう。

 


 3、戦後の新興宗教団体の監査と誰でも何処でも相談できる場が必要

また今回の事件の背景にあった新興宗教団体による問題については、信条、信仰の自由に立脚しつつ、信者への寄付金要請や帰宅・外出などの事実上の拘束などについては、少なくても一定の基準や報告義務を設ける必要がありそうだ。 また「合同結婚式」については、当日まで相手知らない場合も多々あり、韓国人に日本国籍を取得するだめの事実上の偽装結婚や暗示、群集心理を利用した半強制的な結婚など、いわば「心の拉致」、「精神的拉致」とも言えるケースが多数存在し、人権侵害と見られる場合もあるので、これを防ぐための措置を検討する必要がありそうだ。 また第2世代以降への対応については、表面上は家庭内の問題となるので難しい側面があるが、何らかの救済措置が必要と思われる。

特に宗教は、人々の心の安らぎや拠り所等を与えるものであるので、その目的に反し、信仰の力を装って、個人に経済的その他の過度の負担を課し、或いは人権を侵害するような非社会的活動をすることは、決して許されてはならない。 このような行為や活動を霊感商法の禁止に加え、精神的強要罪或いは宗教詐欺罪などの罪として刑法に規定することが望ましい。

また統一家庭連合(旧統一教会)と政治家との関係については、特定議員による関連団体票の割り当てや、同団体票を得て今回当選した参議院議員との関係などが指摘されている。 宗教団体を支持母体とする政党には公明党があり、それが与党の一角を形成しているので、他の宗教団体も政党との関係を強めたい、基盤を拡大する傾向にある一方、旧オウム真理教のように殺傷事件を起こす場合には取り締まれるが、そうでもないと規制することはなかなか難しいところがある。 しかし宗教団体やその関連団体の票を特定候補に割り当てるなどの行為は、個人の自由な選択を阻害するものであるので、公職選挙法などで禁止が検討されても良いのではなかろうか。

 宗教法人は認可を受け、税金優遇措置などを受けているので、戦後、現行憲法の下で認可、承認を受けた一定規模以上の宗教団体については、その活動が届けられている目的や活動に適合しているかなど、信者からの聞き取りを含めて、定期的に監査することが必要のように思える。

 

更に、旧統一教会が戦後日本で行ってきた日本国民の精神的支配と政界との関係拡大の構図は、日本国民の安寧な生活を精神的、経済的に破壊し国家安全保障を損なうものであることが明らかになって来たので、外国の宗教団体及びその関連団体の日本支部組織については、認可、承認において厳格に審査すると共に、 政治活動を禁止する方向で検討する必要がありそうだ。

(2022.7.25. 同7.29.一部補足)

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国内需要消費を中核に据えた経済経営モデルへの転換

2025-03-12 | Weblog

国内需要消費を中核に据えた経済経営モデルへの転換

 内閣府(経済社会総合研究所)は、8月15日、経済統計の速報値として2024年 4ー6月期の実質GDP(国内総生産)の成長率が0.8%、年率で3.1%となったと公表した。同期の名目成長率は1.8%で、年率7.4%と好成長率を示した。行き過ぎた円安を反映し消費者物価が平均2.8%以上と高騰を続けていた中で、2024年の大手企業の賃上げが平均5.58%増、中小企業平均賃上げ率は4.6%前後に引き上げられ、全体平均では5.17%増となった。異次元の金融緩和を長期に継続したアベニミクスを実態上12年以上の長期に亘り継続しても実質所得減少していたが、金融政策の転換が検討される中で近年にはない所得増となった。

 GDP(国内総生産)の60%前後を占める個人消費の寄与度は、実質では国内需要が0.9%、純輸出(輸出-輸入)がマイナス0.1%、名目では国内需要が1.9%、純輸出が0%で、円安、物価高の中で個人消費・内需が成長を牽引した図式となった。年率4-5%以上の所得増があれば物価高騰時でも個人消費は増加することが証明された形だ。

 7月以降の更なる円安・物価高や同月末の日銀の金利引き上げを含む金融引き締め、インフレ抑制への金融政策の転換、米国経済・金融の動向などから、国内消費が引き続き景気を牽引出来るか未知数のところはあるが、高度成長期以来続けられていた円安・賃金抑制・輸出依存の経済経営モデルから、円の適正水準維持・安定的賃金所得増・国内消費促進という経済経営モデルに転換が図れるかが課題となる。

 1、安定的賃金所得増・国内消費促進という経済経営モデルへの転換の必要性

 (1)戦後を支配した円安・低所得・輸出促進の経済経営モデル

戦後日本の高度成長を牽引したのは輸出で、輸出促進のため円安・低賃金が神話のように経済経営モデルとして定着した。米国のニクソン政権時代に繊維製品、鉄鋼、自動車に輸出制限が要求され、日本はそれを米国の輸入枠として受け入れ、ベースアップは行われたものの、円安・低賃金の経済経営モデルはいわば国是となった。レーガン大統領時代になると各種の輸入規制撤廃が要求され、経済構造改革なども検討されたが、見るべき成果はなく、1985年9月のプラザ合意により円高が容認され、一時1ドル70円台の円高となった。ここで産業界は輸出を維持するため徹底的なコスト削減を行い、賃金も抑制された。

その後円高バブル経済に転じた。多くの企業は海外投資、贅を尽くした企業施設、社宅の建設、接待等、何でもあれの経営スタイルをとったが、賃金水準はそれほど上がらなかった。そして1997年11月に山一証券等が破綻しバブル経済は崩壊した。次いで1998年7月のタイ金融危機を経て経済立て直しが思うように進まぬまま、2008年9月の米国の証券会社リーマンブラザースの破綻により世界的な金融危機に見舞われ、日本経済を直撃した。ここで戦後日本企業としては初めて大量の解雇が行われ、これを救済するために「派遣会社制度」や契約社員制度が導入され失業者を救済した。しかしこの雇用制度には、解雇を回避するために雇用期間が設定されてあり、また職場から直接給与受けるわけではないので職種が同じでも給与条件に格差が生じる。また正規社員は新卒が原則であるため、一度派遣・契約制度の枠組みに入ると一生非正規雇用となる可能性が高いので、退職金や年金にまで格差が生じる。この制度は失業者にとって一時的に福音ではあったが、長期化、固定化したために職種が同じでも所得格差が生じ易い就業制度となっている。

 日本の伝統的な雇用・経営形態は、新卒採用・終身(定年)雇用であり、これが正社員を構成するため、一旦派遣・契約雇用サイクルに入るとほぼ一生正社員とはなれないのが現実だ。無論これを好む就業者もいるが、雇用の2極化、格差の固定化につながり、全体として平均所得を引き下げる要因となっている。副次的に、このような日本の雇用慣習が大卒以上への進学・研究への誘因を減じている。日本の大学院進学率が11%前後で、米国の1/2、英国の1/4程度である上、専門性の高い医学や理工系は別として就職には有利とはならない場合が多く、高度の研究、技術習得等が進みにくい教育社会構造になっている。ITや医療、宇宙開発等を中心とする今後の高度な社会経済発展を考慮すると、一段高い大学院教育の普及を図る高度教育制度の確立が必要のようだ。日本の場合、企業内教育が一般的になっているが、教職員を含め一旦就職後、管理職や高等学校の校長等へのステップアップの条件として、大学院で幅広い知識・技術の習得を行わせることを検討する時期にあるのではないだろうか。

 いずれにせよ、これまでの伝統的な就労経営形態により今日の日本が築かれて来たことは率直に評価すべきである一方、円安・賃金抑制・輸出促進の経済経営モデルが賃金所得の抑制を恒常化して来たところであるので、アベノミクスの終焉をもって、経済経営モデルを転換することが望まれる。

 

 2、消費を阻んだ将来不安―年金不信

 (1)消費を躊躇させた大きな要因が年金不安であった。1990年代のバブル経済崩壊と並行して、1998年から2007年にかけて社会保険庁によって年金手帳の基礎年金番号への統合が行われたが、その課程で年金記録約5,000万件(厚生年金番号4,000万件、国民年金番号1,000万件ほど)で該当者が特定されず、消えた年金として表面化した。一定の救済策は採られたものの未だに2,000万件余りの年金が宙に浮いた状況であり、実質所得低迷と相まって年金不信が将来不安に繋がっており、消費抑制の大きな要因となっている。

 このような中で社会保障経費が予算を圧迫していることから、2012年8月、民主党政権(野田首相)の下で税と社会保障一体改革を目的として消費税増税法(2014年4月に8%、15年10月10%実施)が成立した。国民は年金を中心として社会保障の信頼性の改善を期待した。しかし増税への国民の抵抗感から、2012年12月の総選挙で民主党政権は敗北し、自民・公明の連立政権(安倍首相)に交代し、インフレ率2%を目標とする異次元の金融緩和が行われ、消費増税は暫時実施された。自・公両党は政権と共に長年先送りして来た消費増税の果実を労せずして享受した形だ。

 社会保険制度改革については、負担者であり受益者である国民は、消費増税の上での改革であるので、負担軽減、サービス・給付の向上を期待していたが、ほとんどが保険料率・窓口負担の引き上げ、給付年齢の引き上げ、給付額引下げとなり、国民の期待からほど遠いものとなった。改革の方向が政府・行政側の立場からのものが多く、国民・受益者側に向いていなかったからであろう。従って、年金不信、将来不安は解消せず、消費増には繋がらなかった。政府組織が肥大化、巨大化し政権が長期化することにより、行政のあり方が、ともすると行政側の都合に左右され勝ちとなるのは自然の流れであるので、4、5年毎に行政の管理・事務コストを一律15~20%前後削減し、国民の新たなニーズや期待に応えて行くような行政手法の確立が必要になっている。この点は産業側にも言えることで、企業が肥大化、寡占化しているため、企業側の論理が優先され勝ちで、消費者のニーズが重視されなくなる傾向がある。もしそうであれば、民主主義の原点に立ち返り、また市場経済の原点に立ち返り、国民のニーズに沿う行政、消費者のニーズに沿う財・サービスの提供が重視される体制に改善して行くことが望ましい。嘗て、経営学の基礎で“消費者は王様だ”と言われたことがある。しかし大手企業が巨大化、寡占化した現在、消費者は顧客でしかなく、製品が物を言う時代になっているようだ。

 (2)社会保険制度改革については、事業内容自体を再検討し制度への信頼を取り戻すことが緊要であるが、予算を圧迫しているのは事業制度だけではない。制度を運用実施する事務体制の肥大化の問題があるが、2012年以降、意味のある事務体制や管理事務経費の改革が行われたことは一度もない。民主党政権時代に「事業仕分け」が行われたが、個別に一件一件政権政治家が主導して行い、その議論を公開したことにより、既得権益グループの反対論が大きく報道され、政権政治家が矢面に立たされ失敗した。しかしこの作業は常に行われなくてはならない。全ての施策は、一度認められるとそこから関係団体や利益グループが生まれ、予算は恒常的に増加することが知られている。予算査定を迅速にするために設けられた「標準予算」も予算の恒常化に繋がっている。各事業は一度認められるとその後は「標準予算」となり、利益グループが生まれ、継続される。しかし時代のニーズや優先度は変化するので、上述の如く、4-5年毎の精査と10年毎の制度評価や存廃(必要な事業は民営とする)を含む定期的な精査が必要である。しかし、省庁の巨大省庁への統合化と内閣府機能の強化に伴い、これらの機能が内閣府に集中し過ぎているため機能していないようだ。また現実論からすると、事業毎に検討すれば賛否両論が出され、既得権益グループは抵抗し結論を出すことは困難なことから、例えば4-5年毎に全ての省庁に対し事務経費(人件費を含む)実質的な一律カットを課し、優先度や削減内容などを各省庁に委ねるなどの手法も検討すべきであろう。

 今後少子化人口減が予想されているので、人件費を含む行政経費も削減して行くことを真剣に検討すべき時期である。同時に国、地方双方での議員数も削減して行く必要がある。

 

 3、国内消費、内需促進を見据えた経済経営モデルの構築

 国内消費、内需の増加は、総国民所得を押し上げ、消費税増収によりで歳入は増加する。戦後、金融投資資金が十分でなかった時代には貯蓄は美徳とされたが、過剰な貯蓄は消費を必要以上に抑制する上、貯蓄された資金は保蔵され投資にも経済成長にも結びつかない。適度な消費が経済を活性化させるとの意識が必要になっている。いずれにしても過度な貯蓄はもはや美徳ではない。

 今後賃金所得が4~5%前後増加していけば、消費は増加するものと期待される。しかし産業企業の魅力ある新規製品・サービスの開発・提供が不可欠であると共に、外国為替が円高になる場合は輸入関連製品の価格引き下げや増量など、きめの細かい対応により消費を引きつける努力が望まれる。

また政府は、国民、消費者の将来不安を解消するため年金を含む社会保障制度への信頼性を回復し、また正規、不正規雇用形態の是正や同一職種同一賃金の普及などを行うことにより労働市場を活性化して行くことが必要であろう。 (2024.9.1.All Rights Reserves.)

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トランプ大統領の野望―米国経済世界一の地位

2025-03-12 | Weblog

トランプ大統領の野望―米国経済世界一の地位

 トランプ米大統領は、1期目の2018年3月、‘中国が米国の知的財産権を侵害している’として、最大で600億ドル(約6.3兆円)規模の中国製品に対し関税を課す大統領覚書に署名し、その後米中両国間交渉において、中国の国営企業の中央管理や実質的補助、中国への企業進出に際する中国企業への技術ライセンス供与などについては中国側が原則の問題として譲らず膠着状態となったことから、米国は協議の進展を促すため25%の関税引き上げの対象をすべての中国製品にすることを表明し、漸次実施された。バイデン政権もこれを引き継いだ形となった。

 1、2回目のトランプ政権による製品別、国別関税戦略

 トランプ大統領は2025年2回目の就任後、多くの大統領令に署名したが、関税引上げは直ちには発動せず、外国歳入庁を設立し、2月4日から不法薬物の輸出や2国間の貿易赤字等を理由としてメキシコ、カナダに25%の関税を(実施は1ヶ月延期)、また中国に対し10%の追加関税を課した。また2月12日より、原則全ての国を対象に鉄鋼・アルミ製品に対し25%の関税を掛け(対米赤字の豪州は除外か)、米国の製造業の育成を図るとしている。今後、これら諸国からの輸入状況等を確認しつつ、自動車、半導体などへの関税を検討するとしており、これら各国ともいろいろな形で接触しながら判断するものと見られる。

 主な目的は、米国の製造業の再興、促進と経済安全保障とされる。しかし製造業については、1990年代後半より中国の改革開放政策に乗って急速に中国に製造拠点を移したのは米国企業自体である。しかも米国企業は、製造の本社機能も中国に移したことにより、多くの場合、米国には資本・投資管理と輸入販売を中心とした部門しか残らなかった。それでも米国経済は潤い、消費者は低廉な製品が購入出来るようになった。しかし中国企業の成長に伴い、技術ライセンスも中国に移転する一方、米国の製造産業は空洞化し、米国の対中国貿易赤字が拡大したのである。従って、米国の製造産業の再興・促進は米国自体の産業界の理解と協力がなければ実現できない。その間の限定的な関税と言えようが、関税を速やかに引き下げ・撤廃できるよう米国自体の努力が望まれる。

 2,早過ぎた中国の世界貿易機関(WTO)への加盟

 2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟した。当時、中国からの輸出は外資系企業の製品が中心であったため、WTO加盟への抵抗が少なかったと見られるが、それを契機に世界レベルの自由化、多国間主義が進み、中国が世界の自由市場のメリットを享受し飛躍的な経済成長を遂げ、またその他途上諸国が経済発展を遂げた。その中で米国は世界最大の経済国の地位を維持しているが、中国が世界2位の地位を占め、またBRICSやグローバル・サウスと呼ばれる諸国が顕著な発展を遂げた。それ自体は歓迎すべきことであるものの、2000年代初期に比し世界経済構造が変化し、米国の地位が相対的に低下し、加えて米国の製造部門が衰退し米国内の雇用機会が奪われていることへの懸念があるとしても不思議はない。

 中国については、‘社会主義市場経済’の下で、国内では国営企業など基幹産業に補助金を出し、経済活動のみならず人の移動等をも厳しく制限し中央統制する一方、国外に向かっては多国間主義を主張し世界の隅々まで自由市場の恩恵を享受している状態はフェアーでも衡平でもない。2001年の中国のWTO加盟に際し、経済・金融改革・是正につき10年程度の期限を付すべきであった。国際社会の期待は裏切られた今日、加盟時に求められた是正・改革、諸条件につき、早急に厳密な審査を行うべきであろう。その上で、市場の内外格差が是正されない場合は、速やかな是正を求めると共に、それまでの間限定的に関税を課すことはやむを得ないであろう。

 3、米国は関税政策によって米国経済世界一の地位を守り切れるか

 2023年の米国の国内総生産(GDP)は27.3兆米ドルで世界1位であるが、中国のGDPはその約70%の17.8兆ドルと迫っている上、3位のドイツ4.4兆ドル、4位の日本 4.2兆ドルと中国に大幅に水をあけられており、この流れを放置しておけば世界の経済構造は激変し、世界経済秩序も不安定化する恐れがある。

 世界経済は岐路にあり、米国だけの問題ではない。このような世界経済の構造変化に対し経済主要国が早急に対応を検討しなくてはならない時期にあるのではなかろうか。

 今後トランプ政権の2国間の限定的・局部的関税の動向を注視しつつ、相互主義に基づく多国間主義へ転換を図るべく、貿易収支のみに限定せず、資本収支、貿易外収支を含めた総合収支に基づく経済秩序を検討すべき時期ではなかろうか。(M.K.)

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