内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―

2008-06-28 | Weblog
ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―
 6月16日、秋葉原電気・電子機器街における残虐な殺傷事件から1週間、35年間続いた日・祭日の「ほこ天」も当分実施されないことになった。情報機器マニアや「おたく族」、アニメ・マニアのメッカが消えないにしても、事件の影響の大きさを物語っている。
 犯人の加藤容疑者(20代半ば)は、学生・受験期から社会人生活における挫折から孤独に傾斜し、心の叫びを綴れる“ネット・ワールド”にすがり、そしてそのネット・ワールドもそれに応えてくれず、最後にすがった“電子の世界”にも絶望し、自暴自棄になり、“実像の世界”秋葉原で凶行に及んだ“心の軌跡”明るみに出て来ている。
 このような事件を防ぐために、「ダガー・ナイフ」などの刃物の携行を規制したり、ネットへの「危険な書き込み」を監視するなどの対策が検討されており、これらも一定の効果があるであろう。
 しかし3月に発生した茨城での連続殺傷事件においては、同世代の金川容疑者(無職)が「包丁」で凶行に及んでおり、日常使用しているものも凶器になり得るし、「書き込み」などが監視されることになれば、闇サイトに流れ、“非合法ネット社会”を拡大したり、事件の間際に書き込まれるなどにより、これらの規制は必ずしも決め手にはならなそうだ。
 いずれのケースも、挫折、孤独、絶望・自暴自棄という“心の軌跡”は類似しており、遠回りのようではあるが「心の再生」に取り組まなければ類似のケースが繰り返される可能性が強い。これらの者や行為は防止すべきであるが、ただ悪いとし、否定し規制しても、予備軍は多く潜在しているので、それらの人たちの心の叫びを聞き、絶望的なエネルギーを建設的な生きるエネルギーに導く努力も不可欠なのではないか。
各人の「心」は、生まれた時から育ち始め、幼児期、小・中学校、高校、専門学校、大学、そして社会人と成長、変化して行く。その過程では、家庭が常に基礎となり、大きな影響力を持つと共に、保育・幼稚園、各レベルの学校や地域コミュニテイが基本的な成長の場となり、社会に出る準備をする。従って、それぞれの局面で、挫折、孤独、絶望・自暴自棄の心の連鎖とならないようにケアーし、「心の再生」に取り組む必要があると思われます。
 このような観点から、家庭、保育・幼稚園、各レベルの学校や職場、そして国、地方の行政、コミュニテイなど、それぞれの段階で健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。書店でご注文頂き、是非それぞれの場やグループでの参考にして頂ければ幸いです。(08.06) 
     「日本の倫理融解(メルトダウン)
       ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
               提言編」
     “Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
(Copy Right Reserved.)
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ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―

2008-06-28 | Weblog
ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―
 6月16日、秋葉原電気・電子機器街における残虐な殺傷事件から1週間、35年間続いた日・祭日の「ほこ天」も当分実施されないことになった。情報機器マニアや「おたく族」、アニメ・マニアのメッカが消えないにしても、事件の影響の大きさを物語っている。
 犯人の加藤容疑者(20代半ば)は、学生・受験期から社会人生活における挫折から孤独に傾斜し、心の叫びを綴れる“ネット・ワールド”にすがり、そしてそのネット・ワールドもそれに応えてくれず、最後にすがった“電子の世界”にも絶望し、自暴自棄になり、“実像の世界”秋葉原で凶行に及んだ“心の軌跡”明るみに出て来ている。
 このような事件を防ぐために、「ダガー・ナイフ」などの刃物の携行を規制したり、ネットへの「危険な書き込み」を監視するなどの対策が検討されており、これらも一定の効果があるであろう。
 しかし3月に発生した茨城での連続殺傷事件においては、同世代の金川容疑者(無職)が「包丁」で凶行に及んでおり、日常使用しているものも凶器になり得るし、「書き込み」などが監視されることになれば、闇サイトに流れ、“非合法ネット社会”を拡大したり、事件の間際に書き込まれるなどにより、これらの規制は必ずしも決め手にはならなそうだ。
 いずれのケースも、挫折、孤独、絶望・自暴自棄という“心の軌跡”は類似しており、遠回りのようではあるが「心の再生」に取り組まなければ類似のケースが繰り返される可能性が強い。これらの者や行為は防止すべきであるが、ただ悪いとし、否定し規制しても、予備軍は多く潜在しているので、それらの人たちの心の叫びを聞き、絶望的なエネルギーを建設的な生きるエネルギーに導く努力も不可欠なのではないか。
各人の「心」は、生まれた時から育ち始め、幼児期、小・中学校、高校、専門学校、大学、そして社会人と成長、変化して行く。その過程では、家庭が常に基礎となり、大きな影響力を持つと共に、保育・幼稚園、各レベルの学校や地域コミュニテイが基本的な成長の場となり、社会に出る準備をする。従って、それぞれの局面で、挫折、孤独、絶望・自暴自棄の心の連鎖とならないようにケアーし、「心の再生」に取り組む必要があると思われます。
 このような観点から、家庭、保育・幼稚園、各レベルの学校や職場、そして国、地方の行政、コミュニテイなど、それぞれの段階で健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。書店でご注文頂き、是非それぞれの場やグループでの参考にして頂ければ幸いです。(08.06) 
     「日本の倫理融解(メルトダウン)
       ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
               提言編」
     “Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論
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 6月16日、秋葉原電気・電子機器街における残虐な殺傷事件から1週間、35年間続いた日・祭日の「ほこ天」も当分実施されないことになった。情報機器マニアや「おたく族」、アニメ・マニアのメッカが消えないにしても、事件の影響の大きさを物語っている。
 犯人の加藤容疑者(20代半ば)は、学生・受験期から社会人生活における挫折から孤独に傾斜し、心の叫びを綴れる“ネット・ワールド”にすがり、そしてそのネット・ワールドもそれに応えてくれず、最後にすがった“電子の世界”にも絶望し、自暴自棄になり、“実像の世界”秋葉原で凶行に及んだ“心の軌跡”明るみに出て来ている。
 このような事件を防ぐために、「ダガー・ナイフ」などの刃物の携行を規制したり、ネットへの「危険な書き込み」を監視するなどの対策が検討されており、これらも一定の効果があるであろう。
 しかし3月に発生した茨城での連続殺傷事件においては、同世代の金川容疑者(無職)が「包丁」で凶行に及んでおり、日常使用しているものも凶器になり得るし、「書き込み」などが監視されることになれば、闇サイトに流れ、“非合法ネット社会”を拡大したり、事件の間際に書き込まれるなどにより、これらの規制は必ずしも決め手にはならなそうだ。
 いずれのケースも、挫折、孤独、絶望・自暴自棄という“心の軌跡”は類似しており、遠回りのようではあるが「心の再生」に取り組まなければ類似のケースが繰り返される可能性が強い。これらの者や行為は防止すべきであるが、ただ悪いとし、否定し規制しても、予備軍は多く潜在しているので、それらの人たちの心の叫びを聞き、絶望的なエネルギーを建設的な生きるエネルギーに導く努力も不可欠なのではないか。
各人の「心」は、生まれた時から育ち始め、幼児期、小・中学校、高校、専門学校、大学、そして社会人と成長、変化して行く。その過程では、家庭が常に基礎となり、大きな影響力を持つと共に、保育・幼稚園、各レベルの学校や地域コミュニテイが基本的な成長の場となり、社会に出る準備をする。従って、それぞれの局面で、挫折、孤独、絶望・自暴自棄の心の連鎖とならないようにケアーし、「心の再生」に取り組む必要があると思われます。
 このような観点から、家庭、保育・幼稚園、各レベルの学校や職場、そして国、地方の行政、コミュニテイなど、それぞれの段階で健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。書店でご注文頂き、是非それぞれの場やグループでの参考にして頂ければ幸いです。(08.06) 
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 犯人の加藤容疑者(20代半ば)は、学生・受験期から社会人生活における挫折から孤独に傾斜し、心の叫びを綴れる“ネット・ワールド”にすがり、そしてそのネット・ワールドもそれに応えてくれず、最後にすがった“電子の世界”にも絶望し、自暴自棄になり、“実像の世界”秋葉原で凶行に及んだ“心の軌跡”明るみに出て来ている。
 このような事件を防ぐために、「ダガー・ナイフ」などの刃物の携行を規制したり、ネットへの「危険な書き込み」を監視するなどの対策が検討されており、これらも一定の効果があるであろう。
 しかし3月に発生した茨城での連続殺傷事件においては、同世代の金川容疑者(無職)が「包丁」で凶行に及んでおり、日常使用しているものも凶器になり得るし、「書き込み」などが監視されることになれば、闇サイトに流れ、“非合法ネット社会”を拡大したり、事件の間際に書き込まれるなどにより、これらの規制は必ずしも決め手にはならなそうだ。
 いずれのケースも、挫折、孤独、絶望・自暴自棄という“心の軌跡”は類似しており、遠回りのようではあるが「心の再生」に取り組まなければ類似のケースが繰り返される可能性が強い。これらの者や行為は防止すべきであるが、ただ悪いとし、否定し規制しても、予備軍は多く潜在しているので、それらの人たちの心の叫びを聞き、絶望的なエネルギーを建設的な生きるエネルギーに導く努力も不可欠なのではないか。
各人の「心」は、生まれた時から育ち始め、幼児期、小・中学校、高校、専門学校、大学、そして社会人と成長、変化して行く。その過程では、家庭が常に基礎となり、大きな影響力を持つと共に、保育・幼稚園、各レベルの学校や地域コミュニテイが基本的な成長の場となり、社会に出る準備をする。従って、それぞれの局面で、挫折、孤独、絶望・自暴自棄の心の連鎖とならないようにケアーし、「心の再生」に取り組む必要があると思われます。
 このような観点から、家庭、保育・幼稚園、各レベルの学校や職場、そして国、地方の行政、コミュニテイなど、それぞれの段階で健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。書店でご注文頂き、是非それぞれの場やグループでの参考にして頂ければ幸いです。(08.06) 
     「日本の倫理融解(メルトダウン)
       ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
               提言編」
     “Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
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 6月16日、秋葉原電気・電子機器街における残虐な殺傷事件から1週間、35年間続いた日・祭日の「ほこ天」も当分実施されないことになった。情報機器マニアや「おたく族」、アニメ・マニアのメッカが消えないにしても、事件の影響の大きさを物語っている。
 犯人の加藤容疑者(20代半ば)は、学生・受験期から社会人生活における挫折から孤独に傾斜し、心の叫びを綴れる“ネット・ワールド”にすがり、そしてそのネット・ワールドもそれに応えてくれず、最後にすがった“電子の世界”にも絶望し、自暴自棄になり、“実像の世界”秋葉原で凶行に及んだ“心の軌跡”明るみに出て来ている。
 このような事件を防ぐために、「ダガー・ナイフ」などの刃物の携行を規制したり、ネットへの「危険な書き込み」を監視するなどの対策が検討されており、これらも一定の効果があるであろう。
 しかし3月に発生した茨城での連続殺傷事件においては、同世代の金川容疑者(無職)が「包丁」で凶行に及んでおり、日常使用しているものも凶器になり得るし、「書き込み」などが監視されることになれば、闇サイトに流れ、“非合法ネット社会”を拡大したり、事件の間際に書き込まれるなどにより、これらの規制は必ずしも決め手にはならなそうだ。
 いずれのケースも、挫折、孤独、絶望・自暴自棄という“心の軌跡”は類似しており、遠回りのようではあるが「心の再生」に取り組まなければ類似のケースが繰り返される可能性が強い。これらの者や行為は防止すべきであるが、ただ悪いとし、否定し規制しても、予備軍は多く潜在しているので、それらの人たちの心の叫びを聞き、絶望的なエネルギーを建設的な生きるエネルギーに導く努力も不可欠なのではないか。
各人の「心」は、生まれた時から育ち始め、幼児期、小・中学校、高校、専門学校、大学、そして社会人と成長、変化して行く。その過程では、家庭が常に基礎となり、大きな影響力を持つと共に、保育・幼稚園、各レベルの学校や地域コミュニテイが基本的な成長の場となり、社会に出る準備をする。従って、それぞれの局面で、挫折、孤独、絶望・自暴自棄の心の連鎖とならないようにケアーし、「心の再生」に取り組む必要があると思われます。
 このような観点から、家庭、保育・幼稚園、各レベルの学校や職場、そして国、地方の行政、コミュニテイなど、それぞれの段階で健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。書店でご注文頂き、是非それぞれの場やグループでの参考にして頂ければ幸いです。(08.06) 
     「日本の倫理融解(メルトダウン)
       ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
               提言編」
     “Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論
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「国技」大相撲は世界の大相撲になれるか?

2008-06-28 | Weblog
「国技」大相撲は世界の大相撲になれるか?
 6月7、8両日、ロスアンゼルスで大相撲が行われる。27年振りだそうだ。勝ち抜き戦でもあり、朝青龍と白鵬の土俵上での横綱対決はまずないだろう。しかし、場外での両横綱の確執振りが注目されており、過熱報道が油を注いでいる格好だ。
 と言うのは、5月25日の大相撲千秋楽で、優勝した琴欧州関と千代大海戦以上に大いに盛り上がったのが横綱朝青龍と白鵬戦。相撲はあっけなく朝青龍が勝ったが、その後両横綱が土俵上で仁王立ちのにらみ合い。両横綱の気迫と真剣な対抗意識に場内は沸いた。
 確かに白鵬が土俵に手を付いてからの朝青龍の押しは、「だめ押し」だ。しかし、両者とも気迫のぶつかり合いの中でのだめ押しであり、決して突き飛ばすような「ダメ」押しではなかった。稽古中にも良く見られるもので、多くの場合、兄弟子が若手のふがいなさを叱咤激励する動作であり、先輩横綱朝青龍が後輩横綱白鵬に思わず見せた動きであったのであろう。相撲部屋の暴力問題などとは異なる。それに対し白鵬関が立ち上がりざまに肩で押し返し、にらみ合いとなった。場内は大いに沸いた。
 この件は、理事長が両横綱に「厳重注意」し一見落着したように見える。一部の相撲経験者や相撲通等がひたすら「国技」の伝統に反するなどとして批判が昨年夏から続いている。礼節やフェアープレイの精神は大切であり、外国人力士もこの点は十分理解して欲しいものだが、執拗な外国人力士バッシングや横綱や優勝者を出せない相撲部屋間の確執とも映る。その後も両横綱の確執に焦点を当てた報道が目立つ。
 だが、この件よりももっと違和感を持ったのは、優勝者が呼び出された際、琴欧州関のしこ名が「琴欧州 勝紀」と下の名まで日本名となっており、また表彰式の冒頭に日本の「国歌」が斉唱されたが、ブルガリア国歌は一切流れなかったことである。
 戦前、日本が朝鮮を併合(1910年)した後、日本語を普及し、地元住民の名前まで日本語名に変更させ、深い反発を買った。その恨みは戦後も消えなかった。
日本文化や伝統を大切にし、誇りを持つことは自然なことである。しかしそれは、個々人が理解し、評価することであり、外国人にこれを押し付けることは健全なナショナリズムとも思えない。相手を認めればこちらも一層評価される。
 大相撲は「国技」ではあるが、既に多くの外国人力士が活躍し、相撲を活気付けているし、勝ち力士のインタヴューにも、素直に喜びを表し一生懸命答えようとしている姿は好感が持てる。同時に、日本人力士がふがいないとも思う。千秋楽の幕内の取り組みで、上位の取り組みなど一部は別として、踏ん張りの無い取り組みが目立った。だからこそ両横綱の気迫に場内が沸いたのかもしれない。
 大相撲に外国人力士を迎え入れ、国際化を図るのであれば、「琴欧州 カロヤン」として下の名は本人名を名乗らせて良いのではないか。「国技」を守るとしても「名」まで変えさせる必要はなさそうに思える。
 また、日本国歌を冒頭で流すのは自然なことであるが、外国人力士を受け入れている以上、外国人が優勝した際には出身国の国歌を流し、出身国に敬意を払い、祝ってあげて良いのではないか。「国技」や日本の伝統を認めよと言うのであれば、外国や外国人にも相応の敬意を表するのが礼儀ではなかろうか。相手への礼儀や思いやる心を失ってはならない。それが真の日本の伝統でもあり、国際儀礼でもある。
 文化の交流は二方交通でなくてはならない。一方交通の文化の交流は、文化の押し付けであり、いずれ反発を生むことにもなる。(08.05.)   (Copy Right Reserved.)
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「国技」大相撲は世界の大相撲になれるか?

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 6月7、8両日、ロスアンゼルスで大相撲が行われる。27年振りだそうだ。勝ち抜き戦でもあり、朝青龍と白鵬の土俵上での横綱対決はまずないだろう。しかし、場外での両横綱の確執振りが注目されており、過熱報道が油を注いでいる格好だ。
 と言うのは、5月25日の大相撲千秋楽で、優勝した琴欧州関と千代大海戦以上に大いに盛り上がったのが横綱朝青龍と白鵬戦。相撲はあっけなく朝青龍が勝ったが、その後両横綱が土俵上で仁王立ちのにらみ合い。両横綱の気迫と真剣な対抗意識に場内は沸いた。
 確かに白鵬が土俵に手を付いてからの朝青龍の押しは、「だめ押し」だ。しかし、両者とも気迫のぶつかり合いの中でのだめ押しであり、決して突き飛ばすような「ダメ」押しではなかった。稽古中にも良く見られるもので、多くの場合、兄弟子が若手のふがいなさを叱咤激励する動作であり、先輩横綱朝青龍が後輩横綱白鵬に思わず見せた動きであったのであろう。相撲部屋の暴力問題などとは異なる。それに対し白鵬関が立ち上がりざまに肩で押し返し、にらみ合いとなった。場内は大いに沸いた。
 この件は、理事長が両横綱に「厳重注意」し一見落着したように見える。一部の相撲経験者や相撲通等がひたすら「国技」の伝統に反するなどとして批判が昨年夏から続いている。礼節やフェアープレイの精神は大切であり、外国人力士もこの点は十分理解して欲しいものだが、執拗な外国人力士バッシングや横綱や優勝者を出せない相撲部屋間の確執とも映る。その後も両横綱の確執に焦点を当てた報道が目立つ。
 だが、この件よりももっと違和感を持ったのは、優勝者が呼び出された際、琴欧州関のしこ名が「琴欧州 勝紀」と下の名まで日本名となっており、また表彰式の冒頭に日本の「国歌」が斉唱されたが、ブルガリア国歌は一切流れなかったことである。
 戦前、日本が朝鮮を併合(1910年)した後、日本語を普及し、地元住民の名前まで日本語名に変更させ、深い反発を買った。その恨みは戦後も消えなかった。
日本文化や伝統を大切にし、誇りを持つことは自然なことである。しかしそれは、個々人が理解し、評価することであり、外国人にこれを押し付けることは健全なナショナリズムとも思えない。相手を認めればこちらも一層評価される。
 大相撲は「国技」ではあるが、既に多くの外国人力士が活躍し、相撲を活気付けているし、勝ち力士のインタヴューにも、素直に喜びを表し一生懸命答えようとしている姿は好感が持てる。同時に、日本人力士がふがいないとも思う。千秋楽の幕内の取り組みで、上位の取り組みなど一部は別として、踏ん張りの無い取り組みが目立った。だからこそ両横綱の気迫に場内が沸いたのかもしれない。
 大相撲に外国人力士を迎え入れ、国際化を図るのであれば、「琴欧州 カロヤン」として下の名は本人名を名乗らせて良いのではないか。「国技」を守るとしても「名」まで変えさせる必要はなさそうに思える。
 また、日本国歌を冒頭で流すのは自然なことであるが、外国人力士を受け入れている以上、外国人が優勝した際には出身国の国歌を流し、出身国に敬意を払い、祝ってあげて良いのではないか。「国技」や日本の伝統を認めよと言うのであれば、外国や外国人にも相応の敬意を表するのが礼儀ではなかろうか。相手への礼儀や思いやる心を失ってはならない。それが真の日本の伝統でもあり、国際儀礼でもある。
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 6月7、8両日、ロスアンゼルスで大相撲が行われる。27年振りだそうだ。勝ち抜き戦でもあり、朝青龍と白鵬の土俵上での横綱対決はまずないだろう。しかし、場外での両横綱の確執振りが注目されており、過熱報道が油を注いでいる格好だ。
 と言うのは、5月25日の大相撲千秋楽で、優勝した琴欧州関と千代大海戦以上に大いに盛り上がったのが横綱朝青龍と白鵬戦。相撲はあっけなく朝青龍が勝ったが、その後両横綱が土俵上で仁王立ちのにらみ合い。両横綱の気迫と真剣な対抗意識に場内は沸いた。
 確かに白鵬が土俵に手を付いてからの朝青龍の押しは、「だめ押し」だ。しかし、両者とも気迫のぶつかり合いの中でのだめ押しであり、決して突き飛ばすような「ダメ」押しではなかった。稽古中にも良く見られるもので、多くの場合、兄弟子が若手のふがいなさを叱咤激励する動作であり、先輩横綱朝青龍が後輩横綱白鵬に思わず見せた動きであったのであろう。相撲部屋の暴力問題などとは異なる。それに対し白鵬関が立ち上がりざまに肩で押し返し、にらみ合いとなった。場内は大いに沸いた。
 この件は、理事長が両横綱に「厳重注意」し一見落着したように見える。一部の相撲経験者や相撲通等がひたすら「国技」の伝統に反するなどとして批判が昨年夏から続いている。礼節やフェアープレイの精神は大切であり、外国人力士もこの点は十分理解して欲しいものだが、執拗な外国人力士バッシングや横綱や優勝者を出せない相撲部屋間の確執とも映る。その後も両横綱の確執に焦点を当てた報道が目立つ。
 だが、この件よりももっと違和感を持ったのは、優勝者が呼び出された際、琴欧州関のしこ名が「琴欧州 勝紀」と下の名まで日本名となっており、また表彰式の冒頭に日本の「国歌」が斉唱されたが、ブルガリア国歌は一切流れなかったことである。
 戦前、日本が朝鮮を併合(1910年)した後、日本語を普及し、地元住民の名前まで日本語名に変更させ、深い反発を買った。その恨みは戦後も消えなかった。
日本文化や伝統を大切にし、誇りを持つことは自然なことである。しかしそれは、個々人が理解し、評価することであり、外国人にこれを押し付けることは健全なナショナリズムとも思えない。相手を認めればこちらも一層評価される。
 大相撲は「国技」ではあるが、既に多くの外国人力士が活躍し、相撲を活気付けているし、勝ち力士のインタヴューにも、素直に喜びを表し一生懸命答えようとしている姿は好感が持てる。同時に、日本人力士がふがいないとも思う。千秋楽の幕内の取り組みで、上位の取り組みなど一部は別として、踏ん張りの無い取り組みが目立った。だからこそ両横綱の気迫に場内が沸いたのかもしれない。
 大相撲に外国人力士を迎え入れ、国際化を図るのであれば、「琴欧州 カロヤン」として下の名は本人名を名乗らせて良いのではないか。「国技」を守るとしても「名」まで変えさせる必要はなさそうに思える。
 また、日本国歌を冒頭で流すのは自然なことであるが、外国人力士を受け入れている以上、外国人が優勝した際には出身国の国歌を流し、出身国に敬意を払い、祝ってあげて良いのではないか。「国技」や日本の伝統を認めよと言うのであれば、外国や外国人にも相応の敬意を表するのが礼儀ではなかろうか。相手への礼儀や思いやる心を失ってはならない。それが真の日本の伝統でもあり、国際儀礼でもある。
 文化の交流は二方交通でなくてはならない。一方交通の文化の交流は、文化の押し付けであり、いずれ反発を生むことにもなる。(08.05.)   (Copy Right Reserved.)
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「国技」大相撲は世界の大相撲になれるか?

2008-06-28 | Weblog
「国技」大相撲は世界の大相撲になれるか?
 6月7、8両日、ロスアンゼルスで大相撲が行われる。27年振りだそうだ。勝ち抜き戦でもあり、朝青龍と白鵬の土俵上での横綱対決はまずないだろう。しかし、場外での両横綱の確執振りが注目されており、過熱報道が油を注いでいる格好だ。
 と言うのは、5月25日の大相撲千秋楽で、優勝した琴欧州関と千代大海戦以上に大いに盛り上がったのが横綱朝青龍と白鵬戦。相撲はあっけなく朝青龍が勝ったが、その後両横綱が土俵上で仁王立ちのにらみ合い。両横綱の気迫と真剣な対抗意識に場内は沸いた。
 確かに白鵬が土俵に手を付いてからの朝青龍の押しは、「だめ押し」だ。しかし、両者とも気迫のぶつかり合いの中でのだめ押しであり、決して突き飛ばすような「ダメ」押しではなかった。稽古中にも良く見られるもので、多くの場合、兄弟子が若手のふがいなさを叱咤激励する動作であり、先輩横綱朝青龍が後輩横綱白鵬に思わず見せた動きであったのであろう。相撲部屋の暴力問題などとは異なる。それに対し白鵬関が立ち上がりざまに肩で押し返し、にらみ合いとなった。場内は大いに沸いた。
 この件は、理事長が両横綱に「厳重注意」し一見落着したように見える。一部の相撲経験者や相撲通等がひたすら「国技」の伝統に反するなどとして批判が昨年夏から続いている。礼節やフェアープレイの精神は大切であり、外国人力士もこの点は十分理解して欲しいものだが、執拗な外国人力士バッシングや横綱や優勝者を出せない相撲部屋間の確執とも映る。その後も両横綱の確執に焦点を当てた報道が目立つ。
 だが、この件よりももっと違和感を持ったのは、優勝者が呼び出された際、琴欧州関のしこ名が「琴欧州 勝紀」と下の名まで日本名となっており、また表彰式の冒頭に日本の「国歌」が斉唱されたが、ブルガリア国歌は一切流れなかったことである。
 戦前、日本が朝鮮を併合(1910年)した後、日本語を普及し、地元住民の名前まで日本語名に変更させ、深い反発を買った。その恨みは戦後も消えなかった。
日本文化や伝統を大切にし、誇りを持つことは自然なことである。しかしそれは、個々人が理解し、評価することであり、外国人にこれを押し付けることは健全なナショナリズムとも思えない。相手を認めればこちらも一層評価される。
 大相撲は「国技」ではあるが、既に多くの外国人力士が活躍し、相撲を活気付けているし、勝ち力士のインタヴューにも、素直に喜びを表し一生懸命答えようとしている姿は好感が持てる。同時に、日本人力士がふがいないとも思う。千秋楽の幕内の取り組みで、上位の取り組みなど一部は別として、踏ん張りの無い取り組みが目立った。だからこそ両横綱の気迫に場内が沸いたのかもしれない。
 大相撲に外国人力士を迎え入れ、国際化を図るのであれば、「琴欧州 カロヤン」として下の名は本人名を名乗らせて良いのではないか。「国技」を守るとしても「名」まで変えさせる必要はなさそうに思える。
 また、日本国歌を冒頭で流すのは自然なことであるが、外国人力士を受け入れている以上、外国人が優勝した際には出身国の国歌を流し、出身国に敬意を払い、祝ってあげて良いのではないか。「国技」や日本の伝統を認めよと言うのであれば、外国や外国人にも相応の敬意を表するのが礼儀ではなかろうか。相手への礼儀や思いやる心を失ってはならない。それが真の日本の伝統でもあり、国際儀礼でもある。
 文化の交流は二方交通でなくてはならない。一方交通の文化の交流は、文化の押し付けであり、いずれ反発を生むことにもなる。(08.05.)   (Copy Right Reserved.)
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ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―

2008-06-28 | Weblog
ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―
 6月16日、秋葉原電気・電子機器街における残虐な殺傷事件から1週間、35年間続いた日・祭日の「ほこ天」も当分実施されないことになった。情報機器マニアや「おたく族」、アニメ・マニアのメッカが消えないにしても、事件の影響の大きさを物語っている。
 犯人の加藤容疑者(20代半ば)は、学生・受験期から社会人生活における挫折から孤独に傾斜し、心の叫びを綴れる“ネット・ワールド”にすがり、そしてそのネット・ワールドもそれに応えてくれず、最後にすがった“電子の世界”にも絶望し、自暴自棄になり、“実像の世界”秋葉原で凶行に及んだ“心の軌跡”明るみに出て来ている。
 このような事件を防ぐために、「ダガー・ナイフ」などの刃物の携行を規制したり、ネットへの「危険な書き込み」を監視するなどの対策が検討されており、これらも一定の効果があるであろう。
 しかし3月に発生した茨城での連続殺傷事件においては、同世代の金川容疑者(無職)が「包丁」で凶行に及んでおり、日常使用しているものも凶器になり得るし、「書き込み」などが監視されることになれば、闇サイトに流れ、“非合法ネット社会”を拡大したり、事件の間際に書き込まれるなどにより、これらの規制は必ずしも決め手にはならなそうだ。
 いずれのケースも、挫折、孤独、絶望・自暴自棄という“心の軌跡”は類似しており、遠回りのようではあるが「心の再生」に取り組まなければ類似のケースが繰り返される可能性が強い。これらの者や行為は防止すべきであるが、ただ悪いとし、否定し規制しても、予備軍は多く潜在しているので、それらの人たちの心の叫びを聞き、絶望的なエネルギーを建設的な生きるエネルギーに導く努力も不可欠なのではないか。
各人の「心」は、生まれた時から育ち始め、幼児期、小・中学校、高校、専門学校、大学、そして社会人と成長、変化して行く。その過程では、家庭が常に基礎となり、大きな影響力を持つと共に、保育・幼稚園、各レベルの学校や地域コミュニテイが基本的な成長の場となり、社会に出る準備をする。従って、それぞれの局面で、挫折、孤独、絶望・自暴自棄の心の連鎖とならないようにケアーし、「心の再生」に取り組む必要があると思われます。
 このような観点から、家庭、保育・幼稚園、各レベルの学校や職場、そして国、地方の行政、コミュニテイなど、それぞれの段階で健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。書店でご注文頂き、是非それぞれの場やグループでの参考にして頂ければ幸いです。(08.06) 
     「日本の倫理融解(メルトダウン)
       ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
               提言編」
     “Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
(Copy Right Reserved.)
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ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―

2008-06-28 | Weblog
ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―
 6月16日、秋葉原電気・電子機器街における残虐な殺傷事件から1週間、35年間続いた日・祭日の「ほこ天」も当分実施されないことになった。情報機器マニアや「おたく族」、アニメ・マニアのメッカが消えないにしても、事件の影響の大きさを物語っている。
 犯人の加藤容疑者(20代半ば)は、学生・受験期から社会人生活における挫折から孤独に傾斜し、心の叫びを綴れる“ネット・ワールド”にすがり、そしてそのネット・ワールドもそれに応えてくれず、最後にすがった“電子の世界”にも絶望し、自暴自棄になり、“実像の世界”秋葉原で凶行に及んだ“心の軌跡”明るみに出て来ている。
 このような事件を防ぐために、「ダガー・ナイフ」などの刃物の携行を規制したり、ネットへの「危険な書き込み」を監視するなどの対策が検討されており、これらも一定の効果があるであろう。
 しかし3月に発生した茨城での連続殺傷事件においては、同世代の金川容疑者(無職)が「包丁」で凶行に及んでおり、日常使用しているものも凶器になり得るし、「書き込み」などが監視されることになれば、闇サイトに流れ、“非合法ネット社会”を拡大したり、事件の間際に書き込まれるなどにより、これらの規制は必ずしも決め手にはならなそうだ。
 いずれのケースも、挫折、孤独、絶望・自暴自棄という“心の軌跡”は類似しており、遠回りのようではあるが「心の再生」に取り組まなければ類似のケースが繰り返される可能性が強い。これらの者や行為は防止すべきであるが、ただ悪いとし、否定し規制しても、予備軍は多く潜在しているので、それらの人たちの心の叫びを聞き、絶望的なエネルギーを建設的な生きるエネルギーに導く努力も不可欠なのではないか。
各人の「心」は、生まれた時から育ち始め、幼児期、小・中学校、高校、専門学校、大学、そして社会人と成長、変化して行く。その過程では、家庭が常に基礎となり、大きな影響力を持つと共に、保育・幼稚園、各レベルの学校や地域コミュニテイが基本的な成長の場となり、社会に出る準備をする。従って、それぞれの局面で、挫折、孤独、絶望・自暴自棄の心の連鎖とならないようにケアーし、「心の再生」に取り組む必要があると思われます。
 このような観点から、家庭、保育・幼稚園、各レベルの学校や職場、そして国、地方の行政、コミュニテイなど、それぞれの段階で健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。書店でご注文頂き、是非それぞれの場やグループでの参考にして頂ければ幸いです。(08.06) 
     「日本の倫理融解(メルトダウン)
       ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
               提言編」
     “Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論
            前駐ルクセンブルク大使
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別途電子書籍(パピレス)あり。
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「国技」大相撲は世界の大相撲になれるか?

2008-06-26 | Weblog
「国技」大相撲は世界の大相撲になれるか?
 6月7、8両日、ロスアンゼルスで大相撲が行われる。27年振りだそうだ。勝ち抜き戦でもあり、朝青龍と白鵬の土俵上での横綱対決はまずないだろう。しかし、場外での両横綱の確執振りが注目されており、過熱報道が油を注いでいる格好だ。
 と言うのは、5月25日の大相撲千秋楽で、優勝した琴欧州関と千代大海戦以上に大いに盛り上がったのが横綱朝青龍と白鵬戦。相撲はあっけなく朝青龍が勝ったが、その後両横綱が土俵上で仁王立ちのにらみ合い。両横綱の気迫と真剣な対抗意識に場内は沸いた。
 確かに白鵬が土俵に手を付いてからの朝青龍の押しは、「だめ押し」だ。しかし、両者とも気迫のぶつかり合いの中でのだめ押しであり、決して突き飛ばすような「ダメ」押しではなかった。稽古中にも良く見られるもので、多くの場合、兄弟子が若手のふがいなさを叱咤激励する動作であり、先輩横綱朝青龍が後輩横綱白鵬に思わず見せた動きであったのであろう。相撲部屋の暴力問題などとは異なる。それに対し白鵬関が立ち上がりざまに肩で押し返し、にらみ合いとなった。場内は大いに沸いた。
 この件は、理事長が両横綱に「厳重注意」し一見落着したように見える。一部の相撲経験者や相撲通等がひたすら「国技」の伝統に反するなどとして批判が昨年夏から続いている。礼節やフェアープレイの精神は大切であり、外国人力士もこの点は十分理解して欲しいものだが、執拗な外国人力士バッシングや横綱や優勝者を出せない相撲部屋間の確執とも映る。その後も両横綱の確執に焦点を当てた報道が目立つ。
 だが、この件よりももっと違和感を持ったのは、優勝者が呼び出された際、琴欧州関のしこ名が「琴欧州 勝紀」と下の名まで日本名となっており、また表彰式の冒頭に日本の「国歌」が斉唱されたが、ブルガリア国歌は一切流れなかったことである。
 戦前、日本が朝鮮を併合(1910年)した後、日本語を普及し、地元住民の名前まで日本語名に変更させ、深い反発を買った。その恨みは戦後も消えなかった。
日本文化や伝統を大切にし、誇りを持つことは自然なことである。しかしそれは、個々人が理解し、評価することであり、外国人にこれを押し付けることは健全なナショナリズムとも思えない。相手を認めればこちらも一層評価される。
 大相撲は「国技」ではあるが、既に多くの外国人力士が活躍し、相撲を活気付けているし、勝ち力士のインタヴューにも、素直に喜びを表し一生懸命答えようとしている姿は好感が持てる。同時に、日本人力士がふがいないとも思う。千秋楽の幕内の取り組みで、上位の取り組みなど一部は別として、踏ん張りの無い取り組みが目立った。だからこそ両横綱の気迫に場内が沸いたのかもしれない。
 大相撲に外国人力士を迎え入れ、国際化を図るのであれば、「琴欧州 カロヤン」として下の名は本人名を名乗らせて良いのではないか。「国技」を守るとしても「名」まで変えさせる必要はなさそうに思える。
 また、日本国歌を冒頭で流すのは自然なことであるが、外国人力士を受け入れている以上、外国人が優勝した際には出身国の国歌を流し、出身国に敬意を払い、祝ってあげて良いのではないか。「国技」や日本の伝統を認めよと言うのであれば、外国や外国人にも相応の敬意を表するのが礼儀ではなかろうか。相手への礼儀や思いやる心を失ってはならない。それが真の日本の伝統でもあり、国際儀礼でもある。
 文化の交流は二方交通でなくてはならない。一方交通の文化の交流は、文化の押し付けであり、いずれ反発を生むことにもなる。(08.05.)   (Copy Right Reserved.)
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2008-06-26 | Weblog
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 6月7、8両日、ロスアンゼルスで大相撲が行われる。27年振りだそうだ。勝ち抜き戦でもあり、朝青龍と白鵬の土俵上での横綱対決はまずないだろう。しかし、場外での両横綱の確執振りが注目されており、過熱報道が油を注いでいる格好だ。
 と言うのは、5月25日の大相撲千秋楽で、優勝した琴欧州関と千代大海戦以上に大いに盛り上がったのが横綱朝青龍と白鵬戦。相撲はあっけなく朝青龍が勝ったが、その後両横綱が土俵上で仁王立ちのにらみ合い。両横綱の気迫と真剣な対抗意識に場内は沸いた。
 確かに白鵬が土俵に手を付いてからの朝青龍の押しは、「だめ押し」だ。しかし、両者とも気迫のぶつかり合いの中でのだめ押しであり、決して突き飛ばすような「ダメ」押しではなかった。稽古中にも良く見られるもので、多くの場合、兄弟子が若手のふがいなさを叱咤激励する動作であり、先輩横綱朝青龍が後輩横綱白鵬に思わず見せた動きであったのであろう。相撲部屋の暴力問題などとは異なる。それに対し白鵬関が立ち上がりざまに肩で押し返し、にらみ合いとなった。場内は大いに沸いた。
 この件は、理事長が両横綱に「厳重注意」し一見落着したように見える。一部の相撲経験者や相撲通等がひたすら「国技」の伝統に反するなどとして批判が昨年夏から続いている。礼節やフェアープレイの精神は大切であり、外国人力士もこの点は十分理解して欲しいものだが、執拗な外国人力士バッシングや横綱や優勝者を出せない相撲部屋間の確執とも映る。その後も両横綱の確執に焦点を当てた報道が目立つ。
 だが、この件よりももっと違和感を持ったのは、優勝者が呼び出された際、琴欧州関のしこ名が「琴欧州 勝紀」と下の名まで日本名となっており、また表彰式の冒頭に日本の「国歌」が斉唱されたが、ブルガリア国歌は一切流れなかったことである。
 戦前、日本が朝鮮を併合(1910年)した後、日本語を普及し、地元住民の名前まで日本語名に変更させ、深い反発を買った。その恨みは戦後も消えなかった。
日本文化や伝統を大切にし、誇りを持つことは自然なことである。しかしそれは、個々人が理解し、評価することであり、外国人にこれを押し付けることは健全なナショナリズムとも思えない。相手を認めればこちらも一層評価される。
 大相撲は「国技」ではあるが、既に多くの外国人力士が活躍し、相撲を活気付けているし、勝ち力士のインタヴューにも、素直に喜びを表し一生懸命答えようとしている姿は好感が持てる。同時に、日本人力士がふがいないとも思う。千秋楽の幕内の取り組みで、上位の取り組みなど一部は別として、踏ん張りの無い取り組みが目立った。だからこそ両横綱の気迫に場内が沸いたのかもしれない。
 大相撲に外国人力士を迎え入れ、国際化を図るのであれば、「琴欧州 カロヤン」として下の名は本人名を名乗らせて良いのではないか。「国技」を守るとしても「名」まで変えさせる必要はなさそうに思える。
 また、日本国歌を冒頭で流すのは自然なことであるが、外国人力士を受け入れている以上、外国人が優勝した際には出身国の国歌を流し、出身国に敬意を払い、祝ってあげて良いのではないか。「国技」や日本の伝統を認めよと言うのであれば、外国や外国人にも相応の敬意を表するのが礼儀ではなかろうか。相手への礼儀や思いやる心を失ってはならない。それが真の日本の伝統でもあり、国際儀礼でもある。
 文化の交流は二方交通でなくてはならない。一方交通の文化の交流は、文化の押し付けであり、いずれ反発を生むことにもなる。(08.05.)   (Copy Right Reserved.)
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ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―

2008-06-26 | Weblog
ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―
 6月16日、秋葉原電気・電子機器街における残虐な殺傷事件から1週間、35年間続いた日・祭日の「ほこ天」も当分実施されないことになった。情報機器マニアや「おたく族」、アニメ・マニアのメッカが消えないにしても、事件の影響の大きさを物語っている。
 犯人の加藤容疑者(20代半ば)は、学生・受験期から社会人生活における挫折から孤独に傾斜し、心の叫びを綴れる“ネット・ワールド”にすがり、そしてそのネット・ワールドもそれに応えてくれず、最後にすがった“電子の世界”にも絶望し、自暴自棄になり、“実像の世界”秋葉原で凶行に及んだ“心の軌跡”明るみに出て来ている。
 このような事件を防ぐために、「ダガー・ナイフ」などの刃物の携行を規制したり、ネットへの「危険な書き込み」を監視するなどの対策が検討されており、これらも一定の効果があるであろう。
 しかし3月に発生した茨城での連続殺傷事件においては、同世代の金川容疑者(無職)が「包丁」で凶行に及んでおり、日常使用しているものも凶器になり得るし、「書き込み」などが監視されることになれば、闇サイトに流れ、“非合法ネット社会”を拡大したり、事件の間際に書き込まれるなどにより、これらの規制は必ずしも決め手にはならなそうだ。
 いずれのケースも、挫折、孤独、絶望・自暴自棄という“心の軌跡”は類似しており、遠回りのようではあるが「心の再生」に取り組まなければ類似のケースが繰り返される可能性が強い。これらの者や行為は防止すべきであるが、ただ悪いとし、否定し規制しても、予備軍は多く潜在しているので、それらの人たちの心の叫びを聞き、絶望的なエネルギーを建設的な生きるエネルギーに導く努力も不可欠なのではないか。
各人の「心」は、生まれた時から育ち始め、幼児期、小・中学校、高校、専門学校、大学、そして社会人と成長、変化して行く。その過程では、家庭が常に基礎となり、大きな影響力を持つと共に、保育・幼稚園、各レベルの学校や地域コミュニテイが基本的な成長の場となり、社会に出る準備をする。従って、それぞれの局面で、挫折、孤独、絶望・自暴自棄の心の連鎖とならないようにケアーし、「心の再生」に取り組む必要があると思われます。
 このような観点から、家庭、保育・幼稚園、各レベルの学校や職場、そして国、地方の行政、コミュニテイなど、それぞれの段階で健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。書店でご注文頂き、是非それぞれの場やグループでの参考にして頂ければ幸いです。(08.06) 
     「日本の倫理融解(メルトダウン)
       ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
               提言編」
     “Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論
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ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―

2008-06-26 | Weblog
ストップ・ザ「アキバの惨事」―挫折、孤独、ネット依存と絶望・自暴自棄の連鎖を止める―
 6月16日、秋葉原電気・電子機器街における残虐な殺傷事件から1週間、35年間続いた日・祭日の「ほこ天」も当分実施されないことになった。情報機器マニアや「おたく族」、アニメ・マニアのメッカが消えないにしても、事件の影響の大きさを物語っている。
 犯人の加藤容疑者(20代半ば)は、学生・受験期から社会人生活における挫折から孤独に傾斜し、心の叫びを綴れる“ネット・ワールド”にすがり、そしてそのネット・ワールドもそれに応えてくれず、最後にすがった“電子の世界”にも絶望し、自暴自棄になり、“実像の世界”秋葉原で凶行に及んだ“心の軌跡”明るみに出て来ている。
 このような事件を防ぐために、「ダガー・ナイフ」などの刃物の携行を規制したり、ネットへの「危険な書き込み」を監視するなどの対策が検討されており、これらも一定の効果があるであろう。
 しかし3月に発生した茨城での連続殺傷事件においては、同世代の金川容疑者(無職)が「包丁」で凶行に及んでおり、日常使用しているものも凶器になり得るし、「書き込み」などが監視されることになれば、闇サイトに流れ、“非合法ネット社会”を拡大したり、事件の間際に書き込まれるなどにより、これらの規制は必ずしも決め手にはならなそうだ。
 いずれのケースも、挫折、孤独、絶望・自暴自棄という“心の軌跡”は類似しており、遠回りのようではあるが「心の再生」に取り組まなければ類似のケースが繰り返される可能性が強い。これらの者や行為は防止すべきであるが、ただ悪いとし、否定し規制しても、予備軍は多く潜在しているので、それらの人たちの心の叫びを聞き、絶望的なエネルギーを建設的な生きるエネルギーに導く努力も不可欠なのではないか。
各人の「心」は、生まれた時から育ち始め、幼児期、小・中学校、高校、専門学校、大学、そして社会人と成長、変化して行く。その過程では、家庭が常に基礎となり、大きな影響力を持つと共に、保育・幼稚園、各レベルの学校や地域コミュニテイが基本的な成長の場となり、社会に出る準備をする。従って、それぞれの局面で、挫折、孤独、絶望・自暴自棄の心の連鎖とならないようにケアーし、「心の再生」に取り組む必要があると思われます。
 このような観点から、家庭、保育・幼稚園、各レベルの学校や職場、そして国、地方の行政、コミュニテイなど、それぞれの段階で健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。書店でご注文頂き、是非それぞれの場やグループでの参考にして頂ければ幸いです。(08.06) 
     「日本の倫理融解(メルトダウン)
       ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
               提言編」
     “Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論
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