内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

首都東京、生かされていない東日本大震災の教訓! (再掲)

2023-07-10 | Weblog

首都東京、生かされていない東日本大震災の教訓! (再掲)

 2021年3月11日、東日本大地震・津波災害から10年を迎えた。東京電力福島原発事故への対応を含め、政府関連予算は2020年度までの10年間で約38兆円にのぼり、また日本各地からの応援や寄付等を受け、地元の人々により懸命に復興活動がなされた結果、地区差があるものの、復興はかなりの進展を見せている。地元の方々や支援活動をされた各方面の方々のご苦労に心から感謝し、称えたい。またこの災害により、命を失った方15,899人、行方不明者2,528人となっており、心からのご冥福と行方不明者が1日も早く家族の元に返ることをお祈りしたい。

 復興は進んでいるものの、10年経っても42,685人が避難者にのぼり、当時の巨大地震と津波、そして福島原発の炉心メルトダウンなどの状況を振り返ると、改めてその被害の甚大さを痛感する。

 政府の関連行事やメデイアの報道は、どうしても追悼と被災地の復興活動の継続に焦点が当てられる。しかし大震災は、東日本だけでなく、関東でも首都直下地震や東海、近畿、四国地方では南海トラフ地震による被害が今後30年前後に発生する可能性が高いと伝えられている。日本列島を巻き込む大災害は、その他火山の噴火や異常気象による大洪水などの恐れがあるので、東日本の復興継続と共に、その他の地域、特に諸機能が集中し、人口密度の高い首都東京の震災への備えがこれで良いのかに注目しなくてはならない。

 1、教訓が未だ活かされていない首都東京

 東京を中心とする首都圏については、東日本大地震の教訓を受けて、道路・歩道の渋滞、帰宅難民などへの対策として、一時避難所や備蓄、耐震補強のほか、緊急対応のための道路規制、ハザード・マップの作成など、一定の対応が行われている。しかしこれらの措置は、多くの努力を要しているものの、東日本大地震規模の巨大災害にはほとんど無力とも予想される。

 東京には、1,300万の人々が生活し、近隣から数百万の人々が東京に往来している。また日本経済の中枢部門をはじめ、学校、文化・スポーツなど多くの民間機能が集中している。更に、国会、裁判所の中枢機能に加え、緊急時には東京都などと共にその対応に当たるべき全ての中央官庁が集中している。また国民統合の象徴として皇居があり、その安全を確保しなくてはならない。

 大災害が発生した際には、行政はこれら全ての安全を確保するために膨大な救援、救出活動を集中的、同時並行的にしなくてはならない。シュミレーションなどするまでもなく、とても手が回らないと予想される。何かを守り、何かを座視するしかない。相手は、「経験したことがない大災害」であるので、旧来の常識や既成概念では対応し切れないことを、福島原発事故を含む東日本大災害から学ぶべきであろう。

 政府による『東京一極集中解消』2020年目標は断念された。ある意味で東日本大地震の教訓の風化の象徴とも言えないだろうか。

 2、政府委員会が大規模災害に警鐘

 2014年、政府の地震調査委員会は首都直下地震が「今後30年で70%」との予測を公表している。その後この予測は繰り返し述べられる毎に発生確率は高くなっており、首都直下地震はもはや過去のものや遠い将来のものではなく、今生活している国民の生涯において起こりうる現実となっていることを示している。

 首都圏を中心としたマグニチュード7相当以上の過去の地震は、1703年の「元禄関東地震」(M8.28)と1923年の「関東大震災(大正関東地震)」(M7.9)を挟んで次のように発生している。

1703年12月   「元禄関東地震」(M8.28)

1855年11月 安政江戸地震         (M6.9)

1894年 6月 明治東京地震         (M7.0)

同年10月   東京湾付近の地震   (M6.7)

1895年 1 月茨城県南部の地震  (M7.2)

1921年12月茨城県南部の地震  (M7.0)

1922年4月浦賀水道付近の地震(M6.8)

1923年9月  「関東大震災」   (M7.9)

  関東地方は、東西に太平洋プレートとユーラシア・プレート、これを挟んで南北に北米大陸プレートとフィリピン海プレートがあり、元禄関東地震と関東大震災はフィリピン海プレートの境目の相模トラフで発生した大地震とされている。首都圏に関係する地震、津波の誘因としては、この他に東日本大震災に関係する日本海溝や東海地方から四国沖に伸びる南海トラフなどがある。

 関東、東海地方については火山爆発も注意を要する。

 3、政府組織・制度においてシンボリックな抜本的措置が必要

 民間組織・団体や東京都及び市区町村において、それぞれ対策を検討し備えることは不可欠であろう。それは誰のためでも無い、自分達や家族、関係者の安全、安寧のためだ。

 しかし東日本大震災レベルの直下地震等が首都圏で発生し、大型津波が発生すると、1995年1月の阪神・淡路地震を上回る被害、混乱が起こるものと予想されている。2011年3月の東日本大地震の際にも首都圏で震度6を超える揺れを経験したが、道路は車道、歩道共に渋滞し、公共交通は止まり、電話・携帯による通信は繋がらず、多数の帰宅難民が発生し、その状況は翌朝まで続いた。電気、ガス、水道などのライフラインが被害を受けていれば被害は更に拡大し、回復には更に時間を要することになる。

 最大の問題はライフラインの確保であるが、大災害に対応し、司令塔となるべき中央官庁の機能をどの程度確保出来るかである。物理的被害は予想もつかないが、災害が深夜や早朝、祝祭日に発生した場合、必要な人的資源の確保は困難で時間を要することになっても仕方が無いであろう。‘経験したことがない大災害’に遭遇し、‘経験したことがない混乱等’が起こったとしても、自然のなせること、誰も責めることは出来ない。それぞれの立場で被害に備え、耐え、命を守る努力が求められるであろう。それも相当期間に及ぶ可能性がある。

 (1)そうなると危険の分散を図ることが最も効果的となる。政府はこれまで幾度となく、東京一極集中を避けるため、中央省庁や大学の地方移転を試みてきたが、部分的な専門部局の分散に留まり、一極集中解消にはほど遠い。

 米国の他、ブラジルや豪州などのように、政治・行政機能を密集地域から切り離し、新たに政治・行政都市を造ることも考えられるが、日本にはそれにふさわしい安全な地域を確保することは難しそうだ。しかし1つの有効な選択肢ではある。

 もう1つの選択肢としては、日本独特の国民統合の象徴機能である皇居を宮内庁と共に京都など近畿地方に戻すことであろうか。天皇の象徴機能については憲法に明記され定着しており、皇居を移転しても機能自体に何ら影響しない一方、ご公務については憲法上国会の召集など10項目に限定されているので、移転は相対的に容易と見られる。更に、京都等に戻ることは歴史的に理解されやすく、また地方に新たな息吹をもたらし、地方活性化にも繋がる可能性がある。

 憲法上公務とされる10の業務については、現在では交通・運輸、通信が飛躍的に便利になっており、国会召集時など限られた折りに東京に行幸されることは可能であろう。宿泊が必要な場合には、年数回しか使用されていない迎賓館(赤坂離宮)に所要の宿泊施設をご用意するなど、対応は可能のようだ。また外国使節(各国大使等)の接受等については、京都の御所にて行うこととすれば、京都や近畿地方の歴史や文化等を外国使節に紹介する機会ともなろう。

 また考えたくはないが、もし将来首都圏がミサイル等で攻撃されると、政治・行政機能と象徴機能が同時に被害を受ける恐れがあるので、これを分離しておくことが安全保障上も意味があろう。

 無論どの選択肢にしても、現状を変更することには困難があろう。しかし、政府地震調査委員会が東京直下地震など経験したことがない大災害が現実に起こりうると考えているのであれば、これまでのような対応では不十分と見られるので、これまで実施されたこともないような措置を本気で検討、実施する必要があるのではないだろうか。

 (2)江戸城趾の活用方法については、城趾内の「江戸の自然」の保護を図りつつ、可能な範囲で復元を行い、歴史観光施設として整備し、また一部を国民の憩いの場として開放すると共に、大災害時や緊急時の避難場所となるよう整備するなどが考えられよう。特に江戸城趾には四方に門があるので、災害時、緊急時には門を開放し、四方から城趾内に避難が出来る。また緊急車両が災害時、緊急時に通行できるよう、城趾内の通路等を整備しておけば、渋滞が予想される一般道を通らずに迅速に移動できるなど、災害時、緊急時への活用も期待できる。(2021.3.31. All Rights Reserved.)

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地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか <その2 再掲 >

2023-07-10 | Weblog

地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか <その2 再掲 >
 2015年3月14日から18日まで、第3回国連防災世界会議が仙台で開催された。東北大地震・大津波から5年目を迎えるこの時期に、大震災の経験と教訓をこの地から世界へ伝え、対応を考えることは大変意義があったと言えよう。他方、折しも南太平洋のバヌアツを大型サイクロン「パム」が襲い大きな被害を出していたが、根本的な原因の一つである荒れる気候変動、温暖化への対応については、途上国側は先進工業国の責任を強調し、国際的な対応を主張する先進工業国と対立し、抜本的な対応については平行線のままで終わった。しかしその間にも海水温は上がり、海流は変化し、地球の気候は悪化している。地殻変動は止められず、被害を防ぐしかないが、気候の劣化については世界が協力すれば止められる。気候の劣化に大きく影響する海や海流の温度や流れは、温度差に敏感な漁業資源にも影響する。何時までも平行線の議論をしている時ではなく、世界が具体的に行動する時期ではないのだろうか。世界のリーダーがこの問題に真剣に向き合うべき時のようだ。
 国連の「気象変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第2作業部会は、横浜で地球温暖化の影響を検討し、2014年3月31日、報告書を取りまとめた。その中で「全ての大陸と海洋で、温暖化の重要な影響が観測されている」との認識の下で、“北極海の海氷や世界各地域における珊瑚礁は後戻り困難な影響を既に受けている”などとして生態系や人間社会への影響を指摘している。そして温暖化が進むリスクとして、世界的な気温の上昇、干ばつなどによる食糧生産の減少、大都市部での洪水、異常気象によるインフラ機能の停止などを盛り込んでいる。当コラムも、北極海の海氷の融解と縮小ブログでもこのような状況を2008年頃から指摘して来ているが、それが国際的に理解され始めたと言えよう。
日本の地球温暖化への取り組みについては、環境省は、日本の温室効果ガスの削減目標を2020年度までに2005年度比で3.8%減とする方針である。温室効果ガスの削減目標については、民主党政権が2020年度までに“1990年度比で25%削減”との目標を提示し、国連総会でも表明している。環境省の上記の目標は、基準年を2005年としているが、1990年度比で換算すると逆に約3%増となるとされており、後退感が否めない。政府当局は、‘原子力発電が再稼働されれば高い目標に修正する’としている趣であるが、果たして原子力発電頼みで良いのであろうか。
1、意見が分かれる地球温暖化の原因       <その1で掲載>
2、荒れる世界の気候 <その1で掲載>
3、国際的な保護を必要とする北極圏と南極大陸 <その1で掲載>
4、必要とされる政府レベルの対応と生活スタイルの転換
それ以上に、地球温暖化の進行や気候変動の激化を食い止め、地球環境を保護、改善する必要性に今一度目を向けることが緊要ではないだろうか。それはこの地球自体を人類共通の遺産として保全することを意味する。
地球環境は、政府に委ねておけば良いというものではなく、家庭や産業自体が工夫、努力しなくては改善できない。比喩的に言うと、家庭で使用する電球を10個から7個にすれば日常生活にそれほど不自由することなく節電できる。企業やオフィスビルなどについても同様で、節電を図ればコスト削減にもなり、企業利益にもプラスとなる。レジ袋や必要以上の過剰な食物などを少なくして行けば生産に要するエネルギーの節約となる。また日本が環境技術先進国と言うのであれば、自然エネルギーの組織的な開発、活用や節エネ技術の更なる開発などで温室効果ガスの削減にそれぞれの立場から努力、貢献することが出来るのではないだろうか。またそのような努力から、地球環境にもプラスとなる生活スタイルやビジネスチャンスが生まれることが期待される。
しかし、政府や産業レベルでの対応は不可欠であろう。経済成長についても、温室効果ガスの減少を目標とし、再生可能エネルギーに重点を当てた成長モデルを構築する事が望まれる。原子力発電については、段階的に廃止することを明確にすると共に、再稼働に関しては、施設の安全性を確保する一方、各種の膨大な原子力廃棄物の最終的な処理方法を確立することがまず必要であろう。
 その上でリーダーシップが期待されるのは、環境問題に関心が強い欧州諸国であるが、温暖化ガス排出量が世界の1位、2位を占める中国と米国の積極的な姿勢と取り組みが不可欠である。特に2期目を目指すトランプ米大統領が、地球環境問題について具体的な取り組み姿勢を示すべきと言えよう。


5、途上国開発援助の在り方の抜本的見直しの必要性
また途上国援助においても、従来型の重厚長大なインフラ開発・整備ではなく、再生可能エネルギーを使用するなど、温室効果ガスの排出が少ない経済社会の構築を目標とする開発モデルや政府開発援助(ODA)モデルとして行くことが望まれる。
国連自体も、経済社会理事会を中心として、アフリカ諸国の安定を含め必ずしも成功とは言えない「開発の10年」の見直しなど、途上国援助の在り方を抜本的に見直すと共の、世界食糧計画や難民高等弁務官など各種の専門機関を通じて相対的に潤沢に行われて来た人道援助や食糧援助についても、人口抑制の側面を含め抜本的、総合的に再検討する必要がありそうだ。そもそも援助する側もこれまでの高成長の維持は困難であり、経済的体力が低下しているので、これまでのような援助を継続して行くことは困難であろう。それに加え、温暖化問題への対応が必要となるので、国際的な調整が必要になっている。
各国ごとの援助姿勢についても、現在中国が、アジアインフラ投資銀行(AIIB)が設立され、中国主導の「一帯一路」政策が推進される体制が整った。それが途上国における従来型の長大重工型、大量のエネルギー消費型のインフラ建設に投資されていくとすると地球環境の悪化に繋がることになるので、温室効果ガスの減少につながる環境改善インフラへの投資促進となることが望ましい。「一帯一路」政策もその在り方が再検討される必要があろう。中国自体も、これまでのような高成長、高エネルギー消費の経済成長を継続すれば、いずれ住めない大陸となる恐れもある。(2014.3.31./15.4.3.改定/19. 6.12.再改定)(All Rights Reserved.)

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地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか <その1 再掲>

2023-07-10 | Weblog

地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか <その1 再掲>
 2015年3月14日から18日まで、第3回国連防災世界会議が仙台で開催された。東北大地震・大津波から5年目を迎えるこの時期に、大震災の経験と教訓をこの地から世界へ伝え、対応を考えることは大変意義があったと言えよう。他方、折しも南太平洋のバヌアツを大型サイクロン「パム」が襲い大きな被害を出していたが、根本的な原因の一つである荒れる気候変動、温暖化への対応については、途上国側は先進工業国の責任を強調し、国際的な対応を主張する先進工業国と対立し、抜本的な対応については平行線のままで終わった。しかしその間にも海水温は上がり、海流は変化し、地球の気候は悪化している。地殻変動は止められず、被害を防ぐしかないが、気候の劣化については世界が協力すれば止められる。気候の劣化に大きく影響する海や海流の温度や流れは、温度差に敏感な漁業資源にも影響する。何時までも平行線の議論をしている時ではなく、世界が具体的に行動する時期ではないのだろうか。世界のリーダーがこの問題に真剣に向き合うべき時のようだ。
 国連の「気象変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第2作業部会は、横浜で地球温暖化の影響を検討し、2014年3月31日、報告書を取りまとめた。その中で「全ての大陸と海洋で、温暖化の重要な影響が観測されている」との認識の下で、“北極海の海氷や世界各地域における珊瑚礁は後戻り困難な影響を既に受けている”などとして生態系や人間社会への影響を指摘している。そして温暖化が進むリスクとして、世界的な気温の上昇、干ばつなどによる食糧生産の減少、大都市部での洪水、異常気象によるインフラ機能の停止などを盛り込んでいる。当コラムも、北極海の海氷の融解と縮小ブログでもこのような状況を2008年頃から指摘して来ているが、それが国際的に理解され始めたと言えよう。
日本の地球温暖化への取り組みについては、環境省は、日本の温室効果ガスの削減目標を2020年度までに2005年度比で3.8%減とする方針である。温室効果ガスの削減目標については、民主党政権が2020年度までに“1990年度比で25%削減”との目標を提示し、国連総会でも表明している。環境省の上記の目標は、基準年を2005年としているが、1990年度比で換算すると逆に約3%増となるとされており、後退感が否めない。政府当局は、‘原子力発電が再稼働されれば高い目標に修正する’としている趣であるが、果たして原子力発電頼みで良いのであろうか。
1、意見が分かれる地球温暖化の原因
温暖化の速度、原因などについては議論が分かれている。スイスを本拠とする民間団体「世界自然保護基金」(WWF)は、2013年から40年までに、北極圏の氷は夏期には全て消えるとの報告を出している。国連の「気候変動に関する政府間パネル」が出した07年の第4次評価報告書でも、“ヒマラヤの氷河は2035年までに解けてなくなる可能性が強い”と指摘している。同グループはゴア米元副大統領と共にノーベル賞を受賞したが、氷河学者からは300mもの厚さの氷河がそんなに早くは融けないとの疑問が呈され、同グループがそれを認めるなど、信憑性が疑われている。地球がミニ氷河期に入っているとの説もある。
 
 2、荒れる世界の気候
どの説を取るかは別として、着実に進んでいる事実がある。北極海の氷原が夏期に融けて縮小していることだ。衛星写真でも、08年においては6月末頃までは陸地まで氷海で覆われていたが、8月20日頃前後から氷海は陸地を離れ、海路が開け、砕氷船を使用すれば年間5ヶ月内外は航行可能となる。その期間は毎年伸びている。8月中旬には2-3週間程度砕氷船無しでも航行可能のようだ。6、7年前には、氷海が最も小さくなる8月下旬でも氷海は陸まで張り出ていた。また南極大陸などでは氷原がとけ、南極海に流れ出し海洋の水位を上げている。
これは今起きている現実である。短期的には夏の一定期間航行が可能になり、商業航路や観光、北極圏開発のビジネスチャンスが広がる。
 他方それは温暖化への警告でもある。北極の氷海縮小は、気流や海流による冷却効果を失わせ、地球温暖化を早め、海流や気流が激変し気候変動を激化させる恐れがある。氷海が融ければ白熊や微生物などの希少生物も死滅して行く。取り戻すことは出来ない。北極圏の環境悪化は、米、露など沿岸5か国のみの問題では無く、この地球の運命にも影響を与えている。
 現在、日本はもとより世界各地で気流や海流の動きや温度がこれまでのパターンでは予測できない荒々しい動きを示しており、局地的な豪雨や突風・竜巻、日照りや干ばつ、豪雪や吹雪などにより従来の想定を越えた被害を出している。それが世界各地で今起こっている。地球環境は、近年経験したことがない局面に入っていると言えよう。
 
3、国際的な保護を必要とする北極圏と南極大陸
同時に忘れてはならないのは、反対側の南極大陸でも氷河、氷原が急速に融けているという事実だ。またヒマラヤやアルプス、キリマンジェロ等の氷河も融け、後退しているので、これらの相乗効果を考慮しなくてはならない。
 北極圏も南極同様、人類の共通の資産と位置付け、大陸棚の領有権や「線引き」の凍結や北極圏の一定の範囲を世界遺産に指定するなど、国際的な保護が必要だ。
 
4、必要とされる政府レベルの対応と生活スタイルの転換  <その2 に掲載>
 
5、途上国開発援助の在り方の抜本的見直しの必要性    <その2 に掲載>

(2014.3.31./15.4.3.改定/19. 6.12.再改定)(All Rights Reserved.)

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台湾の独立実現に転換すべき時   (再掲)

2023-07-07 | Weblog

台湾の独立実現に転換すべき時   (再掲)


 1月末以来、中国武漢から世界に拡大したコロナウイルスは、既に680万人以上の感染者、40万人近くの死者を出し、世界レベルでの感染は未だに収まっていない。
 このような中、5月18日、世界保健機関(WHO)の年次総会を開かれ、焦点に1つであった非加盟の台湾のオブザーバー参加について、中国が「1つに中国」を主張して反対したため、見送りとなり、年内にも開かれる次回総会で協議されることになった。
 米国は、台湾のオブザーバー参加を支持する一方、WHOは中国寄りであり、改革を求めると共に、改革されなければ脱退も辞さないとした。
1、コロナウイルス問題は世界77億人の健康、存続に関する問題
コロナウイルス問題は、単に2,700万人の台湾の人々の健康、安全の問題ではなく、世界の77億人の健康、安全の問題であると共に、世界の健全な経済・社会・文化活動の回復、維持に影響する問題であり、いわば人類全体の健全な存続に関する問題である。
 武漢型コロナウイルスは、その発生源については別として、武漢から世界に拡散し、40万人を超える死者を出す拡散源となったことは確かである。習近平中国主席は、武漢を中心とする中国国内で感染が拡大したことを詫びたが、世界に対してはそのようなお詫びをしていない。確かに中国も新型コロナウイルスの被害者であるが、世界に拡散させた責任の一端はあり、世界に何らかの言葉があっても良いのではなかろうか。それどころか、世界が密接に協力してコロナウイルスを克服していかなくてはならない時期にWHO年次総会への台湾のオブザーバー参加を阻み、コロナウイルス克服へ向けての世界的努力から除外し、空白地帯を造っているに等しい。世界のどこかに空白地帯があれば、この問題の中・長期的な解決は難しい。
 2、台湾の独立を推進する時
 次のWHO総会でも、中国はかたくなに台湾が中国に帰属するとの原則を主張し、台湾の参加に反対するか、厳しい条件を課すであろう。台湾について中国が何かできるわけでもなく、台湾は国際的なコロナウイルス撲滅努力の外に置かれる。
 領土問題については、香港の問題がある。1997年6月に英国の99年間香港租借が終了し、50年間は香港の「高度の自治」が認められる1国2制度に移った。領土としては中国であり、香港での民主化運動の激化に対し、中国は香港に「国家安全法」を適用することを2020年5月の全人代で決めた。
米国等は香港の自由と民主主義を抑圧するものとして強く反発している。しかし中国は、香港は中国の一部であり、内政干渉として取り合う姿勢を示していない。中国は「領土」という原則は曲げないであろう。現在の国境を前提とする国家関係ではやむを得ないことだろう。そのことは香港を去った英国が一番よく知っている。
台湾については、戦後中華民国として中国共産党下の中華人民共和国とそれぞれが中国を代表するものとして対峙していたが、東西冷戦下の1971年に、アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦(当時)をはじめとする東側諸国との間で政治的妥協が計られた結果、国際連合における「中国代表権」が中華人民共和国に移され、中華民国(台湾)は国連とその関連機関から脱退を余儀なくされ、「地域」として扱われてきた。
 台湾と外交関係を有する国も現在中南米、カリブ諸国を中心として15カ国に減少している。日本も外交関係を持っていない。
 台湾が国連を脱退して50年ほどになるが、中国は「1つの中国」を主張し、台湾をその1地域としている。台湾においては、台湾独立派と中国大陸派とが存在するが、自由と民主主義は根付いており、同じ中華系も多いが、高雄系などの台湾独自の人口も多いので、中国共産党とは相容れない社会経済体制となっている。双方とも、それぞれが中心となって中国統一を願っているようであり、それが双方国民の選択であれば良いが、差が縮まるどころか広がっている。
 これ以上待っても物事は動かないし、武漢型コロナウイルス問題など地球規模の問題への対応、健全な人類の存続を考えると、台湾を国連の外に置いておくことは望ましくない。今や東西冷戦はなくなっており、その時の東西両陣営の妥協の産物である中国の代表権問題はその役割を終えたと考えられるので、今や台湾の独立を推進すべき時代になっていると言えよう。台湾独立後、双方の国民が統一中国を希望するのであれば、それは双方の国民の選択に委ねれば良いことであろう。
(2020.6.8.All Rights Reserved.)

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竹島問題を大所高所から解決すべき時 (総合編)(再掲)

2023-07-07 | Weblog

竹島問題を大所高所から解決すべき時 (総合編)(再掲)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって信頼関係を損ねる極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史
 同島は、東西2つの岩礁島からなっており、日比谷公園と同程度の面積しかなく、また定住出来るような環境にはないが、1905年1月28日、日本政府は、閣議で「竹島」と命名し、「島根県隠岐島司」の所管とした。日本が、韓国(大韓帝国)を併合(1910年8月)した5年以上も前のことであり、日本の植民地支配や慰安婦問題などとは関係がない。
 同島を巡る日韓両国の交流は、両国の沿岸漁民を中心として江戸時代初期頃からあり、この頃より周辺海域での接触、紛争が活発になって来たとの記録が残っている。また1849年、フランスの捕鯨船Liancourt号が同島を発見し、リアンクール島と名付け、その後日本では、「りゃんこ島」とか「リアンクール岩」とも呼ばれたことがあるようで、同島(岩礁)を巡る両国の交流の歴史にも混同がありそうだ。因みに、米国国務省がホーム・ページで公表している各国別地図では、日韓双方に、Liancourt Rocks(リアンコート岩礁)の名称で記載している。
同島が両国の古来からの接触の「最外延点」であるという歴史的背景を踏まえ、同島問題の解決を真剣に模索すべき時期に来たと言えよう。
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への付託を拒否する姿勢が伝えられている一方、これを受けて日本政府は、経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしている。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉や標語だけの外交や、問題先送りにより事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を真剣に検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。
 但し2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」は実体が伴わない標語に過ぎない。
 3、模索すべき大所高所からの解決策
 米国国務省公開文書「1964年から68年米国の外交関係29編」に基づけば、同島の「日韓共同所有案」について、1965年5月17日、訪米した朴大統領(当時)に対し、ラスク米国務長官が、解決に向けての方策として提案したが、朴大統領は「あるまじきこと」として固辞した旨伝えられている。またその後、米国は韓国に対し同島問題を議題として韓日外相会談を提案したが、同大統領の受け入れるところにはならなかったとされている。
 共同所有案にしても、共同管理・分割領有にしても、両国国内の世論等もあり困難が伴うと予想されるが、日韓関係は当時とは異なっている。日韓両国は、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、戦後請求権問題も経済協力等の形で処理し、基本的な友好関係の枠組みもそれなりに確立しており、市民レベルの交流も盛り上がりを見せている。今後日韓関係が健全に発展するか、阻害されるかが、竹島問題解決への両国首脳のリーダーシップと大所高所からの英断に掛かっていると言えよう。(2012.08.14.)
(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)

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アジア・大洋州地域包括的経済連携(RCEP)、中国への対応が鍵! (再掲)

2023-07-07 | Weblog

アジア・大洋州地域包括的経済連携(RCEP)、中国への対応が鍵! (再掲)

 <はじめに>アジア・大洋州地域包括的経済連携(RCEP)協定は、2020年11月にインドを除く15か国で署名され、2021年中に豪州、NZ含め10か国の国内(批准)手続きが完了することになったため、2022年1月に発効、日本はじめ中国、韓国を含むアジア・大洋州地域の10か国でRCEPが発足する。

 アジア・大洋州地域の自由な貿易、投資等を促進するものとして歓迎される。しかし、これに中国が入っている。中国が、2001年12月、多国間の貿易自由化を目指す世界貿易機関(WTO)に加盟して以来、中国が飛躍的に成長し、いわば中国の一人勝ちの様相を呈している。中国は、WTOに加盟する世界の全ての国・地域において自由市場や投資活動等の自由の恩恵をほとんど制約無く享受している。しかしWTO加盟諸国は、「社会主義自由市場」の下で中央統制が行われている中国国内においては、経済・社会活動、表現の自由などが厳しく制限されており、自由市場の恩恵は著しく制約され、中国の中と外で経済活動の自由度において不平等が生じている。中国市場の外と中で経済活動の自由度の平準化が求められる一方、中国の国内市場の制約・規制のレベルに応じ、他の加盟国において中国の経済活動への規制や課徴金を課すことを可能にすることが必要となって来ている。

 そのような観点から、本稿を再掲する。

 2011年11月にASEAN諸国の提唱により協議が始まったアジア地域包括的経済連携(RCEP)は、2019年11月4日、バンコクで開催され首脳会議において、インドを除く15カ国が2020年中の協定署名に向けた手続きを進めることで合意し、2020年11月15日、オンライン形式で首脳会合において、インドを除く15か国(ASEAN10カ国、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド)がRCEP協定に署名した。

 アジア地域包括的経済連携(RCEP)は、ASEAN10カ国に加え、日本、韓国中国、インドとオーストラリア、ニュージランドの16カ国を対象として関税の自由化、サービス分野における規制緩和や投資障壁の撤廃を目的として協議が行われて来た。しかしインドは、中国の市場アクセスへの懸念につき対応されておらず、自国の農業・酪農、消費部門が影響を受けるとして参加を見送った。インドのモディ首相は、今回のRCEP合意について、関税の違いや貿易赤字、非関税障壁など、「インド国民の利益に照らし合わせ、肯定的な答えは得られなかった」との考えと伝えられている。

 中国、インドを含むRCEPが実現すれば、世界の人口の約半分に当たる34億人、世界のGDPの約3割の20兆ドル、世界の貿易総額の約3割10兆ドルを占めるメガ地域経済圏となる。

インドを除く15カ国は、インドの参加を期待しつつも、2020年中の15カ国での発足を模索しているが、基本的に次の問題が内在しており、慎重な対応が求められる。

 1、「社会主義市場経済」を標榜する中国との差は埋められるか

 中国は「社会主義市場経済」を標榜しており、自由主義市場経済と異なり、基本的に中央統制経済を維持している。従って石油ガス、銀行その他の戦略性や公共性のある多数の基幹産業が政府(国務院)か共産党管理下の「国有企業」であり、補助金を含め政府や党からの実質的な支援を受けている。政府や党が100%株式を所有する中央企業などのように、その下に中央企業が持ち株会社として管理監督する子会社が多数存在する。従って表面上‘株式会社’となっていても国が保有或いは統制している企業体が存在する。

 このように国家や共産党に補助金や直接管理で保護されている企業や産業が存在し、国内産業は保護、規制しつつ、海外市場や海外投資については自由貿易、多国間主義を求めるのは、衡平を著しく失する。このような企業、産業からの輸出については、輸入国側、投資受け入れ国が、輸出国側の補助金等の保護の度合いにより相応の関税を課す事を含め、一定の防護措置をとることを認めるべきであろう。そうでなければフェアーな競争とは言えない。スポーツに例えれば、筋肉増強剤を使用している選手と競争しているようなものだ。

 この観点からすると、米国による中国に対する関税措置や貿易交渉姿勢は‘保護主義’などではなく、公正な要請と言えよう。

 1990年代に入り急速に経済成長した中国は、2001年12月、世界貿易機関(WTO)に加入した。当時のおおよその見方は、13億人の巨大市場である中国貿易が自由化され、世界市場が拡大する一方、中国経済自体も国際経済秩序に組み込まれ、市場経済化を加速させるものと期待された。

その期待の一部は達成されたが、WTOへの加入により最も利益を得たのが中国であり、いわば独り勝ちの状況となっている。

 中国は、WTO加入に際し金融の自由化、諸法制の整備などの是正が求められ、若干の改善は見られている。しかし中国は、体制上『社会主義市場経済』を標榜しそれを堅持しているので、先進工業諸国が採用している‘自由主義経済’や‘市場経済’とは異なり、上記の通り、国営基幹産業を含め、基本的に国家統制経済であり、国家の統制や国家補助、国家管理が強い。また実体上、元の為替レートや株価への統制や管理も行われ得る体制となっている。中国は、米国の通商交渉姿勢について、国際会議や記者会見等において、‘米国は保護主義的であり、自由貿易を支持する’などとしているが、国内で中央統制経済を維持しつつ、世界では自由貿易とは身勝手と言える。ASEAN諸国も、当面は中国経済の恩恵を受けているが、RCEPが発足すると国内産業が圧迫され、不利益の方が際立つ可能性がある。現在、世界貿易機関(WTO)の改革が検討されているが、国家補助を受けている企業や産業が世界市場に参入する場合の条件、外国為替や株式市場への直接的国家介入の節度、技術や特許など知的財産の国際的保護などが課題と言えよう。

 中国は、国民総生産(GDP)において、既に米国に次ぐ世界第2位の経済大国となり、成長率が低下したと言っても年率6~7%の成長を維持し、2019年の世界経済成長率3.2%(OECD予測)の倍以上の成長率が予想されている。しかし中国は、国内で中央統制経済を維持する一方、世界での自由貿易を主張している。第2次世界戦争後の世界経済は、米国の経済力を軸とするものであり、70年代後半以降多極化の動きが見られるものの、基本的には米国経済が牽引力となって来た。しかしこのままでは、『社会主義市場経済』を採用している中国が、相対的に高い成長率を維持し続け、世界第1の経済大国となり、世界経済の中心となる可能性が高い。米国を中心とする国際経済秩序に、異質の経済体制を採る中国が加わり、単純化すれば、中国と米国という2つの経済圏による秩序に変容することになろう。

 トランプ政権はその変化を認識し、経済分野のみならず、‘安全保障と外交政策’上の脅威ともなるとして、目に見える短期的な利益を模索しつつも、中・長期の国際経済秩序を見据えて中国に対応し始めていると言えよう。日本を含め世界は、この流れを見逃してはならない。

 アジア地域の自由貿易地域となろうとしているRCEPを発足させるためには、本来であれば社会主義市場経済という特異な体制をとっている中国に対する参加条件を検討することが不可欠のようだ。中国を国際社会につなぎ止めて置くことは必要だが、WTOの過ちを繰り返してはならない。

 2、インド不参加のRCEPは‘閉ざされた地域グループ’を生む

インドのモディ首相は、RCEP合意について、関税の相違や貿易赤字、非関税障壁などへの対応において「肯定的な答えは得られなかった」とし、合意出来ないとの姿勢である。特に、中国の安価な製品のほか、オーストラリアやニュージランドからの安価な農産品などが国内産業を圧迫することを懸念している。

 中国への懸念は、補助金を含む産業保護という中央統制経済から発生することであるので、体制上の変化が無い限り、インドはRCEPに参加することはないであろう。RCEPがインド抜きで発足すると‘排他的な地域グループ’を生むこととなるので好ましくない。

 他方インドの参加を促すためには、中国の補助金その他の産業保護の状況に応じて関税や投資規制等と設けることを認めることとするか、それとも中国が自由主義市場経済への転換を図るかあろう。それ無くしてRCEPを発足させることは時期尚早と言えよう。(2019/12/23、2021/11/5冒頭補足)

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社会保障と税の一体改革に欠ける視点 (改定版、総合編)<再掲>

2023-07-05 | Weblog

社会保障と税の一体改革に欠ける視点 (改定版、総合編)<再掲>

  <はじめに>

 2013年1月、野田民主党政権が打ち出した社会保障と税の一体改革を政権交代を受けて引き継いだ形の安倍自・公政権は、消費税10%への引き上げを実施したものの、社会保障改革につ社会保障の財源を目的税的に消費税に特化しつつ、その余剰を社会保障以外の歳出財源に振り替える一方、年金の支給年齢の引き上げや介護委保険料の引き上げを図りつつ国民年金から天引きし、また支給基準自体の引き下げを図るなど、社会保障費の圧縮を行う結果となっている。これは、社会保障費の圧縮を図りつつ社会保障以外の歳出財源を捻出するとの観点からは評価されるのであろうが、消費増税は行われても社会保障自体は改善するどころか、国民年金は圧縮され介護保険料など国民の実質負担は高くなるという結果を招いている。消費増税により期待された社会保障を通じる所得の再配分が適正に行われていないことを意味する。

 子育て支援の拡充や出産費の保険適用なども社会保障の対象分野であるが、10%への消費増税により社会保障がどのように改善されたかを点検すると共に、社会保障と税の一体改革においていわば冷や食を食べさせられて来た社会保障の改善を図ることが必要になって来ているようだ。このような観点から本稿を再掲する。(2023/04/26追記)


 野田政権は、社会保障と税の一体改革大綱の素案を取りまとめるため、2011年12月12日、関係5閣僚会議で社会保障分野の検討を開始した。これに先立ち厚生労働省は社会保障改革案の中間報告を公表した。
  中間報告は、年金、医療・介護、及び子育て分野まで網羅しており、受給資格期限の10年への短縮、低所得層に対し年金加算、国民健康保険料や介護保険料の軽減(給付増要因となる)など、低所得層、パート、主婦などに一定の配慮をしているが、高所得者の年金減額、70-74歳の窓口負担引き上げ、外来患者への1回100円の負担上乗せ(料金収入増要因となる)など、収入を図る一方給付水準を下げ、利用者に負担を掛ける内容となっている。他方、年金支給開始年齢の引き上げ、デフレ下での年金給付額調整(給付水準引き下げ)、厚生年金保険料上限の引き上げなどについては法案提出を先送るとしている。
 一方消費税増税を中心とする税制改革については、年末の12月29日、民主党税調と一体改革調査会の合同会議を野田首相出席の下で開催し、消費税を「2014年4月に8%、15年10月に10%」に引き上げることなどを決定した。
 そしてこれら一連の検討を経て野田内閣は、2月17日、消費税増税を軸とした社会保障と税の一体改革大綱を決定した。
  同一体改革大綱は、1月に政府・与党が決定した素案とほぼ同様の内容で、消費税増税を含むものであり、社会保障制度自体の改革については現行制度を前提とした若干の手直し程度となっている。基本的な制度として、破綻状態の国民年金の改革には一切言及がない。一方厚生年金と共済年金の統合を検討するとしているものの、厚労相はそれは時間の掛かることであり、且つ“消費税増税には関係しない”と説明しており、そうであるなら何故わざわざ異なる給与体系・労働条件の厚生と共済を統合しなくてはならないのか疑問が残る。
 増税方針の決定は一つの政治的リーダーシップの発揮として評価されるところであり、その責任はいずれ国会で審議され、最終的には選挙において問われ、国民の審判に委ねられることになろう。だが増税案が示されても、年金制度などの社会保障制度改革について実質的な方針が示されなければ「一体改革」にはならない。しかしそのベースとなる大綱において低所得層、パート、主婦などに一定の配慮をしており評価されるものの、基本的に次の諸点が欠けている。
 1、欠けるコスト削減の側面
 昨年末の民主党合同会議においての上記の増税方針を決定した際、09年8月の総選挙で約束したマニフェストを重視するグループよりの意見を踏まえて、議員定数の削減と公務員給与の引き下げの実施や景気が好転していない場合の増税凍結などを了承し、公務員給与の引き下げについては4月より平均7.8%の削減(2年間)ているが、年金や医療等の社会保障制度を実施・管理するためのコストなどには触れられていない。今回採択された国家公務員給与の引き下げについても2年間の削減であるので、いわば福島原発事故に伴う賠償や被災地の復旧・復興のための当面の財源を確保するための財源と見られるところであり、年金や医療など、中・長期に必要なコスト削減にはならない。
 拠出を前提とする国民年金、厚生年金、共済年金は、拠出者が6割内外に激減している国民年金を中心として破綻状態にあり、少子(拠出負担者)の漸減と高齢化・長寿化(受給者)の漸増という今後の傾向を考慮すると、現行体制では年金勘定の赤字は更に悪化することが予想される。
 制度が破綻状態にあり赤字がより深刻化すると予想される場合に、まず行われるべきことは抜本的なコスト削減であり、制度のスリム化であろう。企業であれ、どのような組織、制度であれコストの観念が無くては事業は成り立たず、将来は無いと言って良い。
 景気停滞期に雇用を維持するというワーク・シェアリングの観点からすると、年金事務分野等での給与ベース自体を実質的に引き下げ、抑制しつつ、職務に励んでいる職員には気の毒ではあるが、自主的な希望退職を促しつつ可能な範囲で優先度の低い部局等の人員を削減して行くことであろう。それが困難であれば実質的な人員整理を3年程度の期間掛けて実施するのも止むを得ない。東北地方出身の職員については、被災地の行政事務、復興事業支援などを希望する者を募り、人材の活用、斡旋を図ることなども可能であろう。多くの企業は数年前よりワーク・シェアリングを実施している。それも一つの社会貢献であり、社会的な責任を果たしていると言える。 その他一般管理費、事務費、交通・通信費等の諸費用を抜本的に節減するとの姿勢が望まれる。一度に実施困難であれば、3年間程度で段階的、継続的に行えば良い。それは制度を存続させるための組織の長の責任であり、また政権与党及び野党を含む国会の責任であろう。
 また年金事務の制度的な簡素化が不可欠である。年金事務については、日本年金機構を頂点として、全国の都道府県及び市町村に9ブロックの本部と地区毎に年金事務所が多数設置されている。これらの事務所、施設を全て廃止、売却し、都道府県、市町村に事務を集約するなどの改善が望まれる。国民健康保険事務や国民年金、旅券の交付なども地方公共団体に移管されているので可能であろう。年金は健康保険と同様に地域住民に密着した業務であるので、地方公共団体の業務サービスに適している。公的年金の積立金を管理・運用している年金積立金管理運用独立行政法人についても、民間の投資・金融・保険会社にコンソーシアムを形成させるなどして何らかの形で管理運用を民間専門機関に委託できないかなどを検討することが望まれる。
  因みに、中央官庁は設置法があり縦割りとなっていることから、ハローワークや労働基準局の他、財務局や法務局、河川・道路地方整備局事務所など、多くの省庁が全国に独自の事務所、施設を持っているが、公的債務が1,000兆円を超える状況であり、大幅な財政赤字が継続している今日、各省庁が全国に事務所、施設を抱えている余裕はない。地方自治促進の意味からもこれらの業務、事務を原則地方公共団体に移管し、中央官庁は調整業務のみを行うなど制度の抜本的な簡素化、集約を図ることが時の流れと言えよう。国や地方公共団体が数多くの国・公有地や施設を抱えていることは、多額の人件費、管理費が掛かり財政を圧迫している上、民間移管すれば得られる固定資産税等の機会を放棄していることになるので2重にコストを掛けている。国家レベルでの財政赤字である今日、国・公有地や施設を抜本的に廃止・売却し、民間での活用を図ることが望ましい。それにより地方経済も活性化されることが期待される。ほとんどの地方公共団体の公有地や施設についても同じようなことが言える。
 日本の戦後の行・財政モデルは、各種の制度、社会インフラ等が未整備で、地方公共団体も整っていない状況で高成長期に築かれて来たものであるが、今後少子、高齢化・長寿化により、税の負担者が減り、社会保障関係支出が増加することは避けられないので、未来を見据えた簡素で効率的な行・財政モデルを構築して行く必要もあろう。
 事業的には、年金給付額を引下げたり、給付年齢を引き上げることにより支出を減らすことも可能である。しかしそれは年金事業の本来的な目的である年金給付サービスを低下させることになり、年金への信頼性を著しく失わせる結果となるので、行うとしても最後の手段とも言える。最初に抜本的なコスト削減を行うことが不可欠であろう。
 2、最大の欠陥である国民年金など、見えない抜本改革
 国民、厚生、共済各年金とも拠出形であり、厚生、共済両年金の一本化が検討されているが、最大の欠陥は国民年金にある。国民年金にのみ加入している者の2011年4―7月の納付率は55.0%だが、失業等で納付免除者を加えると納付率は更に低くなる。納付していない者が半数近くいるので、受給者層が増加の一途であることを考慮すると、国民年金(基礎年金)制度は持続不可能な状況になっている。他方生活保護者は208万人以上に達しているが、国民年金の給付額は平均5.3万円であるのに対し、東京都の生活保護支給額は30代単身で13万円以上、60代後半単身でも8万円強で、家族構成などで加算されることになっているため、国民年金の方が掛け金を支払っていながら受給額は少ないので、納付意欲を失わせる形となっている。
 現在、厚生年金と共済年金の一本化や国民年金(基礎年金)との統合などが検討されているが、まず最大の欠陥を抱えている国民年金の在り方を検討することが先決であろう。国民年金の納付率を上げると共に、不加入者をどう解消して行くかが検討されなくてはならない。国民年金も拠出制であり、本来的には拠出していない者には給付も無いことになる。基本的には受益者負担と自己責任の原則に則らざるを得ない。また生活保護支給額に対し、国民年金給付額が逆差別されている状況も是正する必要があろう。
 社会保障改革案では、基本的には中間報告に沿って低所得者への加算や高所得者の年金減額など、現行制度に基づいた微調整、手直にしか過ぎず、国民年金の抜本改革には触れていない。拠出型の国民年金は拠出者に対して継続するとしても、いずれの年金にも拠出していない者をどの程度、どのように救済するかについては、納税や拠出努力をしている者との公平性や生活保護との関係を含め、基礎年金をどのように制度設計するかが問われていると言えよう。
 また国民、厚生、共済の3つの年金制度があり、分り難いとの評もあり、その面は否定できないが、3つとも雇用形態や所得水準、賃金体系などが異なるので一本化には複雑な調整が必要になるばかりか、一本化すれば年金問題が解決するというものでもない。統合することによりそれぞれの問題点が見え難くなり、或いは共倒れする恐れがある。国民、厚生、共済の3年金制度とも料率納付を前提としているので、原則として拠出者には入会時の条件になるべく近い水準で給付することが期待される。それなくしては年金の信頼性は維持出来ない。問題は、拠出型3年金の適正な給付を確保すると共に、いずれの年金についても受給資格が無い者をどう救済し、財源をどう確保して行くかである。しかし努力しなくても救済される、努力しても報われないというような意識が生まれ、国民の間にモラルハザードを引き起こすようなことは健全で活力ある社会発展を図る上で避けなくてはならないのであろう。
 3、社会保障に関する新たな制度設計と消費税増税
 上記のような観点からすると、抜本的なコスト削減を行わず、また国民年金を中心とする年金制度の本質的な改革を行わないままで消費税などの増税を実施すれば、制度上の不備、赤字体質を残したままコスト高で非効率な年金制度を引きずることになり、問題を残す可能性が高い。拠出制を残すのであれば、受益者負担と自己責任という基本的な基準に沿って、抜本的なコスト削減を図った後、高額所得者への給付の留保や定年制の引き上げに連動した給付年齢の引き上げなどを実施する方が分り易い。その上で全国民を対象とした税による最低限の基礎年金の導入を検討すべきであろう。その際拠出型の年金については、基礎年金に相当する部分について給付額を削減すると共に、料率も引下げるなどの調整が望ましい。また生活保護制度については、適用を基礎年金受給年齢までとするなどの調整が必要であろう。
 医療費や介護費についても、赤字であり制度存続が困難であれば、受益者負担の原則に沿って窓口料金を引き上げるなど、個人負担を若干引き上げることも止むを得ないのであろう。介護保険については、年金受給者も支払う義務があり年金給付額から差し引かれ、実質的な年金給付額の減額に当たるので、年金以外の他の所得がない者に対しては免除するなどの配慮をすると共に、健康保険料や窓口負担を全体として引き上げることも止むを得ない。しかしその前提は、抜本的なコスト削減の実施であろう。
 福祉は、高所得者が負担し生活困窮者や低所得者などを救済するとの考え方があるが、社会保障は所得に応じてではあるが国民全体として負担し、貧富の差なく適用されるべきものであり、低所得者が一切負担や努力をする義務がないというものでもない。受益者負担と自己責任の基準に沿って低所得者も応分の負担はすべきものであろう。それなくしては負担しなくても救済される、努力する者が損をするというモラルハザードを起す可能性がある。消費増税に際し、逆進性を緩和するため低所得者には税の還付をするとの案があるが、制度が複雑になり事務を肥大化させると共に、低所得者は所得税等も小額か支払ってないかであるので、更に消費税の一部も還付を受けると一市民、一社会人としての租税負担義務を免除されることになり、過剰な保護になる恐れがある。そうであれば低所得層に対し、所得税・住民税の課税所得水準の引き上げや税率の引き下げを行うと共に、最低賃金を引き上げるなど、所得面での救済を行う方が望ましい。
 制度設計の基本的な基準、軸が何であるかも問われている。(2012.3.2.)(All Rights Reserved.)

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リニアモーターカー(リニア新幹線)、越すに越されぬ大井川! ― 大井川陸上トンネル化を提案する ―(再掲)

2023-07-05 | Weblog

リニアモーターカー(リニア新幹線)、越すに越されぬ大井川!

      ― 大井川陸上トンネル化を提案する ― (再掲)

 超伝導リニアモーターを利用したリニア中央新幹線は当初東京―名古屋間の2027年開業を目指して建設が開始された。東京―名古屋間40分の夢の超特急だ。

 しかし大井川の地下に通すトンネルが水の流れに影響し、静岡県の下流への水資源を枯渇させ、流域の農業や生態系等の環境に大きな影響が出るのではないかと懸念され、同県知事が着工を了承していない。各種の環境影響調査、協議等が行われているものの、大井川トンネルの着工が出来ないままとなっている。2029年以降の開業についても見通せず、総事業費は約10.5兆円に増加するとされている。正に、越すに越されぬ大井川だ。

 大井川の下にトンネルを通すことにより流れ出す大量の水を川に戻すなどの案が検討されている。しかしそれには莫大な費用と時間が掛る上、それにより下流での従来の水量が確保出来るかは明らかでない。更に将来予想出来ない豪雨に見舞われた場合、水還流設備は対応出来るのか、またトンネル自体が絶え得るかが懸念される。悪化する気候変動の中で自然の力を見くびることは出来ない。

 そこで大井川の工区だけ陸上トンネル(大井川空中トンネル仮称)とすることを提案したい。恐らく景観の問題等で反対はあるだろうが、景観になじむデザインにするなどにより解決出来るだろう。例えば、トンネルの一部を硬質ガラスでリニア新幹線の通過を可視化すれば、撮り鉄ファンにとっては格好のスポットとなろう。乗客も一瞬の外の景色にほっとするだろう。トンネルの上部に遊歩道を築いて観光化することも考えられる。本件は経済社会問題として検討されるべきであろう。

 大井川工区の陸上トンネル化を行い、リニア新幹線の早期開業を期待したい。

(2023.1.9.) (Copy Rights Reserved.)

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地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか <その2 再掲 >

2023-07-05 | Weblog

地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか <その2 再掲 >
 2015年3月14日から18日まで、第3回国連防災世界会議が仙台で開催された。東北大地震・大津波から5年目を迎えるこの時期に、大震災の経験と教訓をこの地から世界へ伝え、対応を考えることは大変意義があったと言えよう。他方、折しも南太平洋のバヌアツを大型サイクロン「パム」が襲い大きな被害を出していたが、根本的な原因の一つである荒れる気候変動、温暖化への対応については、途上国側は先進工業国の責任を強調し、国際的な対応を主張する先進工業国と対立し、抜本的な対応については平行線のままで終わった。しかしその間にも海水温は上がり、海流は変化し、地球の気候は悪化している。地殻変動は止められず、被害を防ぐしかないが、気候の劣化については世界が協力すれば止められる。気候の劣化に大きく影響する海や海流の温度や流れは、温度差に敏感な漁業資源にも影響する。何時までも平行線の議論をしている時ではなく、世界が具体的に行動する時期ではないのだろうか。世界のリーダーがこの問題に真剣に向き合うべき時のようだ。
 国連の「気象変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第2作業部会は、横浜で地球温暖化の影響を検討し、2014年3月31日、報告書を取りまとめた。その中で「全ての大陸と海洋で、温暖化の重要な影響が観測されている」との認識の下で、“北極海の海氷や世界各地域における珊瑚礁は後戻り困難な影響を既に受けている”などとして生態系や人間社会への影響を指摘している。そして温暖化が進むリスクとして、世界的な気温の上昇、干ばつなどによる食糧生産の減少、大都市部での洪水、異常気象によるインフラ機能の停止などを盛り込んでいる。当コラムも、北極海の海氷の融解と縮小ブログでもこのような状況を2008年頃から指摘して来ているが、それが国際的に理解され始めたと言えよう。
日本の地球温暖化への取り組みについては、環境省は、日本の温室効果ガスの削減目標を2020年度までに2005年度比で3.8%減とする方針である。温室効果ガスの削減目標については、民主党政権が2020年度までに“1990年度比で25%削減”との目標を提示し、国連総会でも表明している。環境省の上記の目標は、基準年を2005年としているが、1990年度比で換算すると逆に約3%増となるとされており、後退感が否めない。政府当局は、‘原子力発電が再稼働されれば高い目標に修正する’としている趣であるが、果たして原子力発電頼みで良いのであろうか。
1、意見が分かれる地球温暖化の原因       <その1で掲載>
2、荒れる世界の気候 <その1で掲載>
3、国際的な保護を必要とする北極圏と南極大陸 <その1で掲載>
4、必要とされる政府レベルの対応と生活スタイルの転換
それ以上に、地球温暖化の進行や気候変動の激化を食い止め、地球環境を保護、改善する必要性に今一度目を向けることが緊要ではないだろうか。それはこの地球自体を人類共通の遺産として保全することを意味する。
地球環境は、政府に委ねておけば良いというものではなく、家庭や産業自体が工夫、努力しなくては改善できない。比喩的に言うと、家庭で使用する電球を10個から7個にすれば日常生活にそれほど不自由することなく節電できる。企業やオフィスビルなどについても同様で、節電を図ればコスト削減にもなり、企業利益にもプラスとなる。レジ袋や必要以上の過剰な食物などを少なくして行けば生産に要するエネルギーの節約となる。また日本が環境技術先進国と言うのであれば、自然エネルギーの組織的な開発、活用や節エネ技術の更なる開発などで温室効果ガスの削減にそれぞれの立場から努力、貢献することが出来るのではないだろうか。またそのような努力から、地球環境にもプラスとなる生活スタイルやビジネスチャンスが生まれることが期待される。
しかし、政府や産業レベルでの対応は不可欠であろう。経済成長についても、温室効果ガスの減少を目標とし、再生可能エネルギーに重点を当てた成長モデルを構築する事が望まれる。原子力発電については、段階的に廃止することを明確にすると共に、再稼働に関しては、施設の安全性を確保する一方、各種の膨大な原子力廃棄物の最終的な処理方法を確立することがまず必要であろう。
 その上でリーダーシップが期待されるのは、環境問題に関心が強い欧州諸国であるが、温暖化ガス排出量が世界の1位、2位を占める中国と米国の積極的な姿勢と取り組みが不可欠である。特に2期目を目指すトランプ米大統領が、地球環境問題について具体的な取り組み姿勢を示すべきと言えよう。


5、途上国開発援助の在り方の抜本的見直しの必要性
また途上国援助においても、従来型の重厚長大なインフラ開発・整備ではなく、再生可能エネルギーを使用するなど、温室効果ガスの排出が少ない経済社会の構築を目標とする開発モデルや政府開発援助(ODA)モデルとして行くことが望まれる。
国連自体も、経済社会理事会を中心として、アフリカ諸国の安定を含め必ずしも成功とは言えない「開発の10年」の見直しなど、途上国援助の在り方を抜本的に見直すと共の、世界食糧計画や難民高等弁務官など各種の専門機関を通じて相対的に潤沢に行われて来た人道援助や食糧援助についても、人口抑制の側面を含め抜本的、総合的に再検討する必要がありそうだ。そもそも援助する側もこれまでの高成長の維持は困難であり、経済的体力が低下しているので、これまでのような援助を継続して行くことは困難であろう。それに加え、温暖化問題への対応が必要となるので、国際的な調整が必要になっている。
各国ごとの援助姿勢についても、現在中国が、アジアインフラ投資銀行(AIIB)が設立され、中国主導の「一帯一路」政策が推進される体制が整った。それが途上国における従来型の長大重工型、大量のエネルギー消費型のインフラ建設に投資されていくとすると地球環境の悪化に繋がることになるので、温室効果ガスの減少につながる環境改善インフラへの投資促進となることが望ましい。「一帯一路」政策もその在り方が再検討される必要があろう。中国自体も、これまでのような高成長、高エネルギー消費の経済成長を継続すれば、いずれ住めない大陸となる恐れもある。(2014.3.31./15.4.3.改定/19. 6.12.再改定)(All Rights Reserved.)

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地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか <その1 再掲>

2023-07-05 | Weblog

地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか <その1 再掲>
 2015年3月14日から18日まで、第3回国連防災世界会議が仙台で開催された。東北大地震・大津波から5年目を迎えるこの時期に、大震災の経験と教訓をこの地から世界へ伝え、対応を考えることは大変意義があったと言えよう。他方、折しも南太平洋のバヌアツを大型サイクロン「パム」が襲い大きな被害を出していたが、根本的な原因の一つである荒れる気候変動、温暖化への対応については、途上国側は先進工業国の責任を強調し、国際的な対応を主張する先進工業国と対立し、抜本的な対応については平行線のままで終わった。しかしその間にも海水温は上がり、海流は変化し、地球の気候は悪化している。地殻変動は止められず、被害を防ぐしかないが、気候の劣化については世界が協力すれば止められる。気候の劣化に大きく影響する海や海流の温度や流れは、温度差に敏感な漁業資源にも影響する。何時までも平行線の議論をしている時ではなく、世界が具体的に行動する時期ではないのだろうか。世界のリーダーがこの問題に真剣に向き合うべき時のようだ。
 国連の「気象変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第2作業部会は、横浜で地球温暖化の影響を検討し、2014年3月31日、報告書を取りまとめた。その中で「全ての大陸と海洋で、温暖化の重要な影響が観測されている」との認識の下で、“北極海の海氷や世界各地域における珊瑚礁は後戻り困難な影響を既に受けている”などとして生態系や人間社会への影響を指摘している。そして温暖化が進むリスクとして、世界的な気温の上昇、干ばつなどによる食糧生産の減少、大都市部での洪水、異常気象によるインフラ機能の停止などを盛り込んでいる。当コラムも、北極海の海氷の融解と縮小ブログでもこのような状況を2008年頃から指摘して来ているが、それが国際的に理解され始めたと言えよう。
日本の地球温暖化への取り組みについては、環境省は、日本の温室効果ガスの削減目標を2020年度までに2005年度比で3.8%減とする方針である。温室効果ガスの削減目標については、民主党政権が2020年度までに“1990年度比で25%削減”との目標を提示し、国連総会でも表明している。環境省の上記の目標は、基準年を2005年としているが、1990年度比で換算すると逆に約3%増となるとされており、後退感が否めない。政府当局は、‘原子力発電が再稼働されれば高い目標に修正する’としている趣であるが、果たして原子力発電頼みで良いのであろうか。
1、意見が分かれる地球温暖化の原因
温暖化の速度、原因などについては議論が分かれている。スイスを本拠とする民間団体「世界自然保護基金」(WWF)は、2013年から40年までに、北極圏の氷は夏期には全て消えるとの報告を出している。国連の「気候変動に関する政府間パネル」が出した07年の第4次評価報告書でも、“ヒマラヤの氷河は2035年までに解けてなくなる可能性が強い”と指摘している。同グループはゴア米元副大統領と共にノーベル賞を受賞したが、氷河学者からは300mもの厚さの氷河がそんなに早くは融けないとの疑問が呈され、同グループがそれを認めるなど、信憑性が疑われている。地球がミニ氷河期に入っているとの説もある。
 
 2、荒れる世界の気候
どの説を取るかは別として、着実に進んでいる事実がある。北極海の氷原が夏期に融けて縮小していることだ。衛星写真でも、08年においては6月末頃までは陸地まで氷海で覆われていたが、8月20日頃前後から氷海は陸地を離れ、海路が開け、砕氷船を使用すれば年間5ヶ月内外は航行可能となる。その期間は毎年伸びている。8月中旬には2-3週間程度砕氷船無しでも航行可能のようだ。6、7年前には、氷海が最も小さくなる8月下旬でも氷海は陸まで張り出ていた。また南極大陸などでは氷原がとけ、南極海に流れ出し海洋の水位を上げている。
これは今起きている現実である。短期的には夏の一定期間航行が可能になり、商業航路や観光、北極圏開発のビジネスチャンスが広がる。
 他方それは温暖化への警告でもある。北極の氷海縮小は、気流や海流による冷却効果を失わせ、地球温暖化を早め、海流や気流が激変し気候変動を激化させる恐れがある。氷海が融ければ白熊や微生物などの希少生物も死滅して行く。取り戻すことは出来ない。北極圏の環境悪化は、米、露など沿岸5か国のみの問題では無く、この地球の運命にも影響を与えている。
 現在、日本はもとより世界各地で気流や海流の動きや温度がこれまでのパターンでは予測できない荒々しい動きを示しており、局地的な豪雨や突風・竜巻、日照りや干ばつ、豪雪や吹雪などにより従来の想定を越えた被害を出している。それが世界各地で今起こっている。地球環境は、近年経験したことがない局面に入っていると言えよう。
 
3、国際的な保護を必要とする北極圏と南極大陸
同時に忘れてはならないのは、反対側の南極大陸でも氷河、氷原が急速に融けているという事実だ。またヒマラヤやアルプス、キリマンジェロ等の氷河も融け、後退しているので、これらの相乗効果を考慮しなくてはならない。
 北極圏も南極同様、人類の共通の資産と位置付け、大陸棚の領有権や「線引き」の凍結や北極圏の一定の範囲を世界遺産に指定するなど、国際的な保護が必要だ。
 
4、必要とされる政府レベルの対応と生活スタイルの転換  <その2 に掲載>
 
5、途上国開発援助の在り方の抜本的見直しの必要性    <その2 に掲載>

(2014.3.31./15.4.3.改定/19. 6.12.再改定)(All Rights Reserved.)

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首都東京、生かされていない東日本大震災の教訓! (再掲)

2023-07-05 | Weblog

首都東京、生かされていない東日本大震災の教訓! (再掲)

 2021年3月11日、東日本大地震・津波災害から10年を迎えた。東京電力福島原発事故への対応を含め、政府関連予算は2020年度までの10年間で約38兆円にのぼり、また日本各地からの応援や寄付等を受け、地元の人々により懸命に復興活動がなされた結果、地区差があるものの、復興はかなりの進展を見せている。地元の方々や支援活動をされた各方面の方々のご苦労に心から感謝し、称えたい。またこの災害により、命を失った方15,899人、行方不明者2,528人となっており、心からのご冥福と行方不明者が1日も早く家族の元に返ることをお祈りしたい。

 復興は進んでいるものの、10年経っても42,685人が避難者にのぼり、当時の巨大地震と津波、そして福島原発の炉心メルトダウンなどの状況を振り返ると、改めてその被害の甚大さを痛感する。

 政府の関連行事やメデイアの報道は、どうしても追悼と被災地の復興活動の継続に焦点が当てられる。しかし大震災は、東日本だけでなく、関東でも首都直下地震や東海、近畿、四国地方では南海トラフ地震による被害が今後30年前後に発生する可能性が高いと伝えられている。日本列島を巻き込む大災害は、その他火山の噴火や異常気象による大洪水などの恐れがあるので、東日本の復興継続と共に、その他の地域、特に諸機能が集中し、人口密度の高い首都東京の震災への備えがこれで良いのかに注目しなくてはならない。

 1、教訓が未だ活かされていない首都東京

 東京を中心とする首都圏については、東日本大地震の教訓を受けて、道路・歩道の渋滞、帰宅難民などへの対策として、一時避難所や備蓄、耐震補強のほか、緊急対応のための道路規制、ハザード・マップの作成など、一定の対応が行われている。しかしこれらの措置は、多くの努力を要しているものの、東日本大地震規模の巨大災害にはほとんど無力とも予想される。

 東京には、1,300万の人々が生活し、近隣から数百万の人々が東京に往来している。また日本経済の中枢部門をはじめ、学校、文化・スポーツなど多くの民間機能が集中している。更に、国会、裁判所の中枢機能に加え、緊急時には東京都などと共にその対応に当たるべき全ての中央官庁が集中している。また国民統合の象徴として皇居があり、その安全を確保しなくてはならない。

 大災害が発生した際には、行政はこれら全ての安全を確保するために膨大な救援、救出活動を集中的、同時並行的にしなくてはならない。シュミレーションなどするまでもなく、とても手が回らないと予想される。何かを守り、何かを座視するしかない。相手は、「経験したことがない大災害」であるので、旧来の常識や既成概念では対応し切れないことを、福島原発事故を含む東日本大災害から学ぶべきであろう。

 政府による『東京一極集中解消』2020年目標は断念された。ある意味で東日本大地震の教訓の風化の象徴とも言えないだろうか。

 2、政府委員会が大規模災害に警鐘

 2014年、政府の地震調査委員会は首都直下地震が「今後30年で70%」との予測を公表している。その後この予測は繰り返し述べられる毎に発生確率は高くなっており、首都直下地震はもはや過去のものや遠い将来のものではなく、今生活している国民の生涯において起こりうる現実となっていることを示している。

 首都圏を中心としたマグニチュード7相当以上の過去の地震は、1703年の「元禄関東地震」(M8.28)と1923年の「関東大震災(大正関東地震)」(M7.9)を挟んで次のように発生している。

1703年12月   「元禄関東地震」(M8.28)

1855年11月 安政江戸地震         (M6.9)

1894年 6月 明治東京地震         (M7.0)

同年10月   東京湾付近の地震   (M6.7)

1895年 1 月茨城県南部の地震  (M7.2)

1921年12月茨城県南部の地震  (M7.0)

1922年4月浦賀水道付近の地震(M6.8)

1923年9月  「関東大震災」   (M7.9)

  関東地方は、東西に太平洋プレートとユーラシア・プレート、これを挟んで南北に北米大陸プレートとフィリピン海プレートがあり、元禄関東地震と関東大震災はフィリピン海プレートの境目の相模トラフで発生した大地震とされている。首都圏に関係する地震、津波の誘因としては、この他に東日本大震災に関係する日本海溝や東海地方から四国沖に伸びる南海トラフなどがある。

 関東、東海地方については火山爆発も注意を要する。

 3、政府組織・制度においてシンボリックな抜本的措置が必要

 民間組織・団体や東京都及び市区町村において、それぞれ対策を検討し備えることは不可欠であろう。それは誰のためでも無い、自分達や家族、関係者の安全、安寧のためだ。

 しかし東日本大震災レベルの直下地震等が首都圏で発生し、大型津波が発生すると、1995年1月の阪神・淡路地震を上回る被害、混乱が起こるものと予想されている。2011年3月の東日本大地震の際にも首都圏で震度6を超える揺れを経験したが、道路は車道、歩道共に渋滞し、公共交通は止まり、電話・携帯による通信は繋がらず、多数の帰宅難民が発生し、その状況は翌朝まで続いた。電気、ガス、水道などのライフラインが被害を受けていれば被害は更に拡大し、回復には更に時間を要することになる。

 最大の問題はライフラインの確保であるが、大災害に対応し、司令塔となるべき中央官庁の機能をどの程度確保出来るかである。物理的被害は予想もつかないが、災害が深夜や早朝、祝祭日に発生した場合、必要な人的資源の確保は困難で時間を要することになっても仕方が無いであろう。‘経験したことがない大災害’に遭遇し、‘経験したことがない混乱等’が起こったとしても、自然のなせること、誰も責めることは出来ない。それぞれの立場で被害に備え、耐え、命を守る努力が求められるであろう。それも相当期間に及ぶ可能性がある。

 (1)そうなると危険の分散を図ることが最も効果的となる。政府はこれまで幾度となく、東京一極集中を避けるため、中央省庁や大学の地方移転を試みてきたが、部分的な専門部局の分散に留まり、一極集中解消にはほど遠い。

 米国の他、ブラジルや豪州などのように、政治・行政機能を密集地域から切り離し、新たに政治・行政都市を造ることも考えられるが、日本にはそれにふさわしい安全な地域を確保することは難しそうだ。しかし1つの有効な選択肢ではある。

 もう1つの選択肢としては、日本独特の国民統合の象徴機能である皇居を宮内庁と共に京都など近畿地方に戻すことであろうか。天皇の象徴機能については憲法に明記され定着しており、皇居を移転しても機能自体に何ら影響しない一方、ご公務については憲法上国会の召集など10項目に限定されているので、移転は相対的に容易と見られる。更に、京都等に戻ることは歴史的に理解されやすく、また地方に新たな息吹をもたらし、地方活性化にも繋がる可能性がある。

 憲法上公務とされる10の業務については、現在では交通・運輸、通信が飛躍的に便利になっており、国会召集時など限られた折りに東京に行幸されることは可能であろう。宿泊が必要な場合には、年数回しか使用されていない迎賓館(赤坂離宮)に所要の宿泊施設をご用意するなど、対応は可能のようだ。また外国使節(各国大使等)の接受等については、京都の御所にて行うこととすれば、京都や近畿地方の歴史や文化等を外国使節に紹介する機会ともなろう。

 また考えたくはないが、もし将来首都圏がミサイル等で攻撃されると、政治・行政機能と象徴機能が同時に被害を受ける恐れがあるので、これを分離しておくことが安全保障上も意味があろう。

 無論どの選択肢にしても、現状を変更することには困難があろう。しかし、政府地震調査委員会が東京直下地震など経験したことがない大災害が現実に起こりうると考えているのであれば、これまでのような対応では不十分と見られるので、これまで実施されたこともないような措置を本気で検討、実施する必要があるのではないだろうか。

 (2)江戸城趾の活用方法については、城趾内の「江戸の自然」の保護を図りつつ、可能な範囲で復元を行い、歴史観光施設として整備し、また一部を国民の憩いの場として開放すると共に、大災害時や緊急時の避難場所となるよう整備するなどが考えられよう。特に江戸城趾には四方に門があるので、災害時、緊急時には門を開放し、四方から城趾内に避難が出来る。また緊急車両が災害時、緊急時に通行できるよう、城趾内の通路等を整備しておけば、渋滞が予想される一般道を通らずに迅速に移動できるなど、災害時、緊急時への活用も期待できる。(2021.3.31. All Rights Reserved.)

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憲法9条の改正に賛成する (その2) (再掲)

2023-07-03 | Weblog

憲法9条の改正に賛成する (その2) (再掲)

 日本国憲法は、第9条において、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とし、その目的を達成するため、陸海空軍他の戦力を保持しないとするなど、崇高な理想を掲げている。

 1、憲法9条と現実の乖離 (その1 で掲載)

 2、憲法改正発議(国会の3分の2の多数)は緩和すべきか   

 現在憲法改正は、国会の各院総員の3分の2の多数で発議し、有権者の過半数の賛成が必要としている(第96条)。改正発議に国会の3分の2の多数が必要であり、これが憲法改正を困難にしているとして、与党や維新の会がこれを国会の過半数による発議とすため、96条改正案が検討されている。

 9条を含め憲法改正は、国家のあり方や国民の基本的な権利義務に直結する重要な事項である。本来であれば消極的賛成を含め、国民の8、9割以上の支持があることが望ましい。その改正について国会の過半数による発議とし、有権者の過半数の承認をもって改正できることに要件を緩和すると、場合により51対49という僅差で憲法が改正されることになるが、結果として国論を真っ二つに分断し、逆に国家運営を極めて不安定にする恐れがある。

 憲法は、国家、国民全体への影響を考慮し、その改正には国会の3分の2の多数による発議を要件とし、国論が真っ二つに分裂しないように主要政党間の協議、調整を通じての歩み寄りを促しているのであろう。少なくても改正の支持者が明確な多数を占めるよう、国会乃至有権者の65%以上の賛成があることが望ましい。51対49で憲法を改正し、例えば国民の義務として徴兵制に応じよと言っても国民の間で動揺や反発が広がる可能性があり、これが国民間の対立や分裂に発展する恐れもある。とすると3分の2の多数ということは過度なものではない。

 従って、もし国会の発議を過半数にするのであれば、国民の投票では65%以上(又は3分の2)の賛成とすべきであろう。96条改正については、国民の熟慮が求められる。

 3、より低い軍事レベルでの安全保障に向けての国際的取り組みの必要性  (その3に掲載)

(2013.4.26.) (All Rights Reserved.) 

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憲法9条の改正に賛成する (その1)(再掲)

2023-07-03 | Weblog

法9条の改正に賛成する (その1)(再掲)

 日本国憲法は、第9条において、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とし、その目的を達成するため、陸海空軍他の戦力を保持しないとするなど、崇高な理想を掲げている。

 1、憲法9条と現実の乖離

 しかしこの憲法の理想に反し、現実は2つの面で大きく乖離している。

(1) 一つは、国際情勢、特に北東アジア情勢の緊迫化である。

 昨年北朝鮮の金正日政権を世襲した金正恩第一書記が、軍事を最優先する先軍主義を継承し、2012年12月には長距離ミサイルの発射実験を実施し、2013年2月に第3回目の地下核実験を実施した。更に国連安保理は、3月にこれら一連の北朝鮮の行動を安保理決議違反として制裁を強化した。このような中で北朝鮮は、米韓合同軍事演習が従来通り実施されたことにも反発し、南北朝鮮相互不可侵などを定めた基本合意書(1992年発効)を破棄し、次いで南北休戦協定を破棄すると共に、韓国や米国等を攻撃する意図を表明するなど挑発の度を強めている。

 また中国との関係においては、2012年9月に石原都知事(当時)が購入を模索していた尖閣諸島を国有化したことに反発し、中国が同諸島の領有権への主張を強め、同海域での活動を強化し、1月30日には中国艦船による海上自衛隊艦船へのレーダー照射(ロックオン)、4月23日には8隻にも及ぶ中国の海洋調査船などが同諸島領海に侵入するなど、緊張が高まっている。

北東アジア情勢は、憲法が希求するとしている「正義と秩序を基調とする国際平和」から程遠い状況である。

(2) もう一つは、自衛隊の現状は明らかに戦力であるが、それは自衛目的と法律の範囲内における国際協力に限定される。また交戦権が制限されているため、自衛活動の程度や範囲が必ずしも明らかでない上、集団的安全保障や地域的な軍事同盟への参加についても制約があることである。

 従って、憲法第9条は改正されるべき時期に来ている。その他の条項については、手を付ければ論点が拡大し収斂に時間を要すると思われるので、

9条改正を優先すべきであろう。

 しかし9条だけを取っても、国家のあり方や国家、国民の安全保障の基盤に係わるものであるので、広く国民の同意が不可欠であろう。

 2、憲法改正発議(国会の3分の2の多数)は緩和すべきか   (その2に掲載)

 3、より低い軍事レベルでの安全保障に向けての国際的取り組みの必要性 (その3に掲載)

(2013.4.26.) (All Rights Reserved.) 

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国民1人1人の命を大切にし、安全な国造りを目指そう (再掲)

2023-07-03 | Weblog

国民1人1人の命を大切にし、安全な国造りを目指そう (再掲)

  2022年7月8日の安倍晋三議員(元首相)への銃撃事件は、日本だけでなく国外にも銃規制が厳格で安全と見られていた日本で起こった惨事として大きな衝撃を与えた。

  人の尊厳を傷つけ、命を奪うような行為は決して許されない。

  1、警備強化、規制・制限強化で終わらせてはならない

このような暴力行為は決して許されるべきではない。 現在要人警護の強化の強化が検討されているが、党派を超えて公正、安全な活動の確保を念願する。 他方、昨今身勝手な理由で生徒や幼児を含む一般国民が殺傷事件に巻き込まれ、多くの尊い命が失われているのも事実である。 人を殺める行為はそれが誰であれ許されるものでなく、国民1人1人の安全への取り組みが不可欠である。

  その対応として規制・罰則の強化や警備の強化などで終わらせることなく、時間は掛るが、家庭、義務教育課程、専門学校・大学、各組織・団体レベルにおいて、心の問題として人の尊厳を傷つけ、ましてや命を奪うような行為は決して許されないとの意識の向上を図ることが必要と見られる。

今回のような事件が起こると、ともすると警備の強化の他、街頭演説の規制や道路規制などで終わってしまう可能性がある。 例えば駐停車禁止や駐輪禁止についても、駐停車禁止等の区域が急速に拡大することに加え、規制対象に「放置」という新たな概念を加わり、数分でも車や自転車を離れると「放置違反」となる。 車にしても自転車にしても、目的地で止めておかなければ用をたすことが出来ず、駐停車や短時間車や自転車を離れなければならない需要があるにも拘わらず、至便で料金の安い駐車場や駐輪場、例えば短時間であれば無料で置ける場所は提供されておらず、規制・規制が増え続け、自由な生活空間が年々狭められ、市民生活はどんどん窮屈で閉塞感を増し、 行政になっているように見える。 以前公衆トイレや町中の公園等に多数の禁止事項が貼り出されていたが、最近は少し改善したものの、未だに10項目以上の禁止事項を貼り出している施設、公園なども少なくない。 都内の幹線道路等には禁止事項をはじめとする看板、パネルが増え続けている。 一向に減る様子もなく、「事件発生=規制強化」という行政姿勢が定着しているように映る。 学校も同様で、校則が40、50にも及ぶのは普通になっているようだ。 覚えようもなく、自主性も削がれる。

多分今回も選挙活動中の街頭利用に規制・制限が加えられ窮屈で閉塞感を増すのではないかと危惧される。 規制・制限により一定の目的は達成できるものの、必要な活動が自由に出来なくなり、至便性や自由な行動を犠牲にすることになる。 それで終わるのではなく、必要とされる目的、活動が達成できる代替の場所や施設を提供しなくては適正な行政を行っていることにはならない。 規制・禁止等を行う場合、同時に必要な救済、対応策を提供するという意識が警察を含む行政に不可欠になっているようだ。 「事件発生=規制強化+代替措置の提供」という新しい社会方程式にして行くことが不可欠だ。 それにより社会経済的効率は改善し、市民の閉塞感やストレスが癒えることが期待される。 それが出来ないと、規制が増えれば増えるだけ、違反者も増え続けるけることになる。

歩道を含む道路の管理については、県道、国道などにより所管する官庁(警察、国土交通省)や自治体(都道府県、市町村区等)が異なり煩雑のようだ。 しかし高速道路等を除き、自治体に出来るだけ多くの管理、改善の役割を持たせることが望ましい。 都市を走る幹線道路沿いは、至便性から住宅やコンビニ、スーパー、病院等の施設、商店が増え、「通過のための道路」が「生活道路」に性格を変えているところが多い。 警察行政がその変化に気付いておらず、従来通りの対応に終始しているように映る。 今回のコロナウイルス対策では、地方自治体が大活躍し、市民に近い行政活動として評価される。 都市の市街を走る道路はもはや「通過のための道路」ではないので、信号の敷設を含め、市民生活に近い地方自治体に業務、管理を移管することが望ましい。

規制・禁止等の強化は一定期間必要とすることはあろう。 他方、そのような規則、法律が増えれば増えるほど、違反者も増え、取り締まり強化がされる一方、そのような規制・制限等は何時か破られ事件となり、更なる規則強化という悪循環が繰り返されるので、規制を強化をすれば良いということでもない。 国民のニーズに応える措置も不可欠のようだ。 「事件発生=規制強化+代替措置の提供」という新たな社会経済方程式の実践が望まれる。

 


  2、教育課程を通じたマナーや倫理教育、人間関係と社会教育の充実が必要

  (1)ブッダの不殺生・非暴力の教えは今や刑法となっている

紀元前5世紀頃、ヒマラヤ南麓(現在のネパール ルンビニ郡)で生まれたブッダ(漢字の仏陀は、サンスクリット語を音写したもの)はシャキア部族王国のシッダールタ王子としてカピラ城で育ったが、病・老・死で苦しむ城外の人々を目の前にして、悟りを求めて29才で城を出て、南方のブッダガヤ(現在のインド ビハール州)で悟りを開いた。 シッダールタ王子は悟りを開いてブッダ(サンスクリット語の悟りを開いた者・賢者の意)となり、人類平等の思想に立脚し、生きていなければ悟もないことをまず悟り、生きることを前提として人類共通の課題である病・老・死への向き合い方を説き、不殺生・非暴力等を唱えた。

ブッダは、自らそれを実践した。 ブッダは、コーサラ国のヴイルダカ王が王子の頃シャキアの村人に侮辱されたことを恨み、シャキア王国を攻撃するとの知らせを受け、進軍する路沿いに座り、ヴイルダカ王の進軍を何度も止めようとした。 王は一旦引き返すが、再三に亘り進軍を繰り返し、遂にシャキア部族王国を殲滅した。 ブッダは一人身を挺して進軍を阻み、その間多くの人々に避難する時間を与えと見られる。 他方ヴイルダカ王は凱旋後、火災に巻き込まれ苦痛の中で命を失い、地獄に落ち、そこであらゆる形の苦痛を受け続けているとされている。 その200年以上後に、アショカ王はインド地域の統一を果たしたが、その過程で隣国との「カリンガの戦い」で大量殺戮したことから、ビルダカ王のような末路、殺戮の報いを恐れ、平和と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依すると共に、ブッダの教えの普及に努めた。 東の中国方面だけでなく、西はギリシャ、エジプト等まで伝わっている。

紀元前10世紀頃よりイラン高原周辺からインド亜大陸へアーリアンの諸部族が長期にわたり大量 に流入し、土着のドラビダ族等との支配を巡る激しい抗争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生した。 しかし16大国が割拠しており、支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族の域内では人口融合が進展したと見られる。

そのような激動の時代を経て16大国が割拠する時代に不殺生・非暴力を唱えたことは、先駆的ではあるが非現実的と捉えられても仕方ないが、不殺生、非暴力の教えは、弟子が受け継ぎ、その後部族の掟となり、人類の基本的な倫理規範となり、また国家組織が発展するにつれ、秩序維持のための刑法等へと制度化して来た。 しかしこれがひとたび法制化すると、法律、制度で禁じられ刑罰を受けるから人は殺めてはならないとの他律的、受け身的な姿勢となり勝ちで、自らの心の問題、倫理観は薄れる。 そうなると刑罰を受けても良いと考える人や刑務所に入りたいと望む者には、自らの心や倫理観による抑止が薄れ、犯罪に走り易くなるのではないだろうか。

時間が掛るが今行うべきことは、上記でも触れた通り、子供の頃から大学等までの教育課程において、それぞれの年代に応じて基本的な倫理・思想、人間関係や社会性の開発、マナー教育を充実させることではなかろうか。 大学等への進学制度の一環として大学入学共通テスト制度が導入されたことは、機会の公平を確保する上で効果がある一方、義務教育課程や高等学校がいわば共通テストで良い成績を取るために予備校化し、人間として、社会人として必要な基本的なマナーや相互の尊重と心の豊かさ、そして他人の尊厳を傷つけ、 命を奪うような行為は決して許されないというような精神面や基本的倫理の学習の余裕を失わせているのではないだろうか。

この点は、家庭が核家族化し、或いは共働き等で親などとの接触が少なくなって来ているので、これを教育の場や課外活動等で補う必要がより強くなっているようにも思われる。 もう一つの問題は、長期の経済停滞、コロナ禍の下で、成人の仕事の機会、活動の場所が狭まっており、その確保の必要性である。 好ましい仕事も活動の場もなく、長期に実家や一人暮らしで社会から引きこもっている層が多くなっているように見える。 最近、登校拒否生へのきめ細かい対応が出来てきたが、それらの学生に円滑な進学や就職が出来るようにすると共に、成人の引きこもり者への就職、活動の場の照会、斡旋・提供に加え、何でも相談できるソシアル・サービスの充実も必要であろう。 それぞれ個人の問題と言えばそうなのであるが、社会が多様で豊かになる一方、生きがいを見つけられず悩んでいる人たちが何でも躊躇無く相談できる場がもっと身近にあって良いのではないか。 その場で答えを出せなくても良い。 市民生活に近い区や市町村レベルで、本庁だけでなく支所や関係施設にも窓口を設け、夜間もメール等でアクセス出来るシステムが望ましい。

  事件が起きれば取り締まりを強化することになるが、社会から様々な理由で引きこもっている人々を社会に復帰させることによる犯罪の防止と家族・社会に与えている社会的コスト削減となるなど、効果は遙かに大きいので、そのようなソシアル・サービスを拡大することを優先すべきであろう。

 


 3、戦後の新興宗教団体の監査と誰でも何処でも相談できる場が必要

また今回の事件の背景にあった新興宗教団体による問題については、信条、信仰の自由に立脚しつつ、信者への寄付金要請や帰宅・外出などの事実上の拘束などについては、少なくても一定の基準や報告義務を設ける必要がありそうだ。 また「合同結婚式」については、当日まで相手知らない場合も多々あり、韓国人に日本国籍を取得するだめの事実上の偽装結婚や暗示、群集心理を利用した半強制的な結婚など、いわば「心の拉致」、「精神的拉致」とも言えるケースが多数存在し、人権侵害と見られる場合もあるので、これを防ぐための措置を検討する必要がありそうだ。 また第2世代以降への対応については、表面上は家庭内の問題となるので難しい側面があるが、何らかの救済措置が必要と思われる。

特に宗教は、人々の心の安らぎや拠り所等を与えるものであるので、その目的に反し、信仰の力を装って、個人に経済的その他の過度の負担を課し、或いは人権を侵害するような非社会的活動をすることは、決して許されてはならない。 このような行為や活動を霊感商法の禁止に加え、精神的強要罪或いは宗教詐欺罪などの罪として刑法に規定することが望ましい。

また統一家庭連合(旧統一教会)と政治家との関係については、特定議員による関連団体票の割り当てや、同団体票を得て今回当選した参議院議員との関係などが指摘されている。 宗教団体を支持母体とする政党には公明党があり、それが与党の一角を形成しているので、他の宗教団体も政党との関係を強めたい、基盤を拡大する傾向にある一方、旧オウム真理教のように殺傷事件を起こす場合には取り締まれるが、そうでもないと規制することはなかなか難しいところがある。 しかし宗教団体やその関連団体の票を特定候補に割り当てるなどの行為は、個人の自由な選択を阻害するものであるので、公職選挙法などで禁止が検討されても良いのではなかろうか。

 宗教法人は認可を受け、税金優遇措置などを受けているので、戦後、現行憲法の下で認可、承認を受けた一定規模以上の宗教団体については、その活動が届けられている目的や活動に適合しているかなど、信者からの聞き取りを含めて、定期的に監査することが必要のように思える。

 

更に、旧統一教会が戦後日本で行ってきた日本国民の精神的支配と政界との関係拡大の構図は、日本国民の安寧な生活を精神的、経済的に破壊し国家安全保障を損なうものであることが明らかになって来たので、外国の宗教団体及びその関連団体の日本支部組織については、認可、承認において厳格に審査すると共に、 政治活動を禁止する方向で検討する必要がありそうだ。

(2022.7.25. 同7.29.一部補足)

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社会保障と税の一体改革に欠ける視点 (改定版、総合編)<再掲>

2023-07-03 | Weblog

社会保障と税の一体改革に欠ける視点 (改定版、総合編)<再掲>

  <はじめに>

 2013年1月、野田民主党政権が打ち出した社会保障と税の一体改革を政権交代を受けて引き継いだ形の安倍自・公政権は、消費税10%への引き上げを実施したものの、社会保障改革につ社会保障の財源を目的税的に消費税に特化しつつ、その余剰を社会保障以外の歳出財源に振り替える一方、年金の支給年齢の引き上げや介護委保険料の引き上げを図りつつ国民年金から天引きし、また支給基準自体の引き下げを図るなど、社会保障費の圧縮を行う結果となっている。これは、社会保障費の圧縮を図りつつ社会保障以外の歳出財源を捻出するとの観点からは評価されるのであろうが、消費増税は行われても社会保障自体は改善するどころか、国民年金は圧縮され介護保険料など国民の実質負担は高くなるという結果を招いている。消費増税により期待された社会保障を通じる所得の再配分が適正に行われていないことを意味する。

 子育て支援の拡充や出産費の保険適用なども社会保障の対象分野であるが、10%への消費増税により社会保障がどのように改善されたかを点検すると共に、社会保障と税の一体改革においていわば冷や食を食べさせられて来た社会保障の改善を図ることが必要になって来ているようだ。このような観点から本稿を再掲する。(2023/04/26追記)


 野田政権は、社会保障と税の一体改革大綱の素案を取りまとめるため、2011年12月12日、関係5閣僚会議で社会保障分野の検討を開始した。これに先立ち厚生労働省は社会保障改革案の中間報告を公表した。
  中間報告は、年金、医療・介護、及び子育て分野まで網羅しており、受給資格期限の10年への短縮、低所得層に対し年金加算、国民健康保険料や介護保険料の軽減(給付増要因となる)など、低所得層、パート、主婦などに一定の配慮をしているが、高所得者の年金減額、70-74歳の窓口負担引き上げ、外来患者への1回100円の負担上乗せ(料金収入増要因となる)など、収入を図る一方給付水準を下げ、利用者に負担を掛ける内容となっている。他方、年金支給開始年齢の引き上げ、デフレ下での年金給付額調整(給付水準引き下げ)、厚生年金保険料上限の引き上げなどについては法案提出を先送るとしている。
 一方消費税増税を中心とする税制改革については、年末の12月29日、民主党税調と一体改革調査会の合同会議を野田首相出席の下で開催し、消費税を「2014年4月に8%、15年10月に10%」に引き上げることなどを決定した。
 そしてこれら一連の検討を経て野田内閣は、2月17日、消費税増税を軸とした社会保障と税の一体改革大綱を決定した。
  同一体改革大綱は、1月に政府・与党が決定した素案とほぼ同様の内容で、消費税増税を含むものであり、社会保障制度自体の改革については現行制度を前提とした若干の手直し程度となっている。基本的な制度として、破綻状態の国民年金の改革には一切言及がない。一方厚生年金と共済年金の統合を検討するとしているものの、厚労相はそれは時間の掛かることであり、且つ“消費税増税には関係しない”と説明しており、そうであるなら何故わざわざ異なる給与体系・労働条件の厚生と共済を統合しなくてはならないのか疑問が残る。
 増税方針の決定は一つの政治的リーダーシップの発揮として評価されるところであり、その責任はいずれ国会で審議され、最終的には選挙において問われ、国民の審判に委ねられることになろう。だが増税案が示されても、年金制度などの社会保障制度改革について実質的な方針が示されなければ「一体改革」にはならない。しかしそのベースとなる大綱において低所得層、パート、主婦などに一定の配慮をしており評価されるものの、基本的に次の諸点が欠けている。
 1、欠けるコスト削減の側面
 昨年末の民主党合同会議においての上記の増税方針を決定した際、09年8月の総選挙で約束したマニフェストを重視するグループよりの意見を踏まえて、議員定数の削減と公務員給与の引き下げの実施や景気が好転していない場合の増税凍結などを了承し、公務員給与の引き下げについては4月より平均7.8%の削減(2年間)ているが、年金や医療等の社会保障制度を実施・管理するためのコストなどには触れられていない。今回採択された国家公務員給与の引き下げについても2年間の削減であるので、いわば福島原発事故に伴う賠償や被災地の復旧・復興のための当面の財源を確保するための財源と見られるところであり、年金や医療など、中・長期に必要なコスト削減にはならない。
 拠出を前提とする国民年金、厚生年金、共済年金は、拠出者が6割内外に激減している国民年金を中心として破綻状態にあり、少子(拠出負担者)の漸減と高齢化・長寿化(受給者)の漸増という今後の傾向を考慮すると、現行体制では年金勘定の赤字は更に悪化することが予想される。
 制度が破綻状態にあり赤字がより深刻化すると予想される場合に、まず行われるべきことは抜本的なコスト削減であり、制度のスリム化であろう。企業であれ、どのような組織、制度であれコストの観念が無くては事業は成り立たず、将来は無いと言って良い。
 景気停滞期に雇用を維持するというワーク・シェアリングの観点からすると、年金事務分野等での給与ベース自体を実質的に引き下げ、抑制しつつ、職務に励んでいる職員には気の毒ではあるが、自主的な希望退職を促しつつ可能な範囲で優先度の低い部局等の人員を削減して行くことであろう。それが困難であれば実質的な人員整理を3年程度の期間掛けて実施するのも止むを得ない。東北地方出身の職員については、被災地の行政事務、復興事業支援などを希望する者を募り、人材の活用、斡旋を図ることなども可能であろう。多くの企業は数年前よりワーク・シェアリングを実施している。それも一つの社会貢献であり、社会的な責任を果たしていると言える。 その他一般管理費、事務費、交通・通信費等の諸費用を抜本的に節減するとの姿勢が望まれる。一度に実施困難であれば、3年間程度で段階的、継続的に行えば良い。それは制度を存続させるための組織の長の責任であり、また政権与党及び野党を含む国会の責任であろう。
 また年金事務の制度的な簡素化が不可欠である。年金事務については、日本年金機構を頂点として、全国の都道府県及び市町村に9ブロックの本部と地区毎に年金事務所が多数設置されている。これらの事務所、施設を全て廃止、売却し、都道府県、市町村に事務を集約するなどの改善が望まれる。国民健康保険事務や国民年金、旅券の交付なども地方公共団体に移管されているので可能であろう。年金は健康保険と同様に地域住民に密着した業務であるので、地方公共団体の業務サービスに適している。公的年金の積立金を管理・運用している年金積立金管理運用独立行政法人についても、民間の投資・金融・保険会社にコンソーシアムを形成させるなどして何らかの形で管理運用を民間専門機関に委託できないかなどを検討することが望まれる。
  因みに、中央官庁は設置法があり縦割りとなっていることから、ハローワークや労働基準局の他、財務局や法務局、河川・道路地方整備局事務所など、多くの省庁が全国に独自の事務所、施設を持っているが、公的債務が1,000兆円を超える状況であり、大幅な財政赤字が継続している今日、各省庁が全国に事務所、施設を抱えている余裕はない。地方自治促進の意味からもこれらの業務、事務を原則地方公共団体に移管し、中央官庁は調整業務のみを行うなど制度の抜本的な簡素化、集約を図ることが時の流れと言えよう。国や地方公共団体が数多くの国・公有地や施設を抱えていることは、多額の人件費、管理費が掛かり財政を圧迫している上、民間移管すれば得られる固定資産税等の機会を放棄していることになるので2重にコストを掛けている。国家レベルでの財政赤字である今日、国・公有地や施設を抜本的に廃止・売却し、民間での活用を図ることが望ましい。それにより地方経済も活性化されることが期待される。ほとんどの地方公共団体の公有地や施設についても同じようなことが言える。
 日本の戦後の行・財政モデルは、各種の制度、社会インフラ等が未整備で、地方公共団体も整っていない状況で高成長期に築かれて来たものであるが、今後少子、高齢化・長寿化により、税の負担者が減り、社会保障関係支出が増加することは避けられないので、未来を見据えた簡素で効率的な行・財政モデルを構築して行く必要もあろう。
 事業的には、年金給付額を引下げたり、給付年齢を引き上げることにより支出を減らすことも可能である。しかしそれは年金事業の本来的な目的である年金給付サービスを低下させることになり、年金への信頼性を著しく失わせる結果となるので、行うとしても最後の手段とも言える。最初に抜本的なコスト削減を行うことが不可欠であろう。
 2、最大の欠陥である国民年金など、見えない抜本改革
 国民、厚生、共済各年金とも拠出形であり、厚生、共済両年金の一本化が検討されているが、最大の欠陥は国民年金にある。国民年金にのみ加入している者の2011年4―7月の納付率は55.0%だが、失業等で納付免除者を加えると納付率は更に低くなる。納付していない者が半数近くいるので、受給者層が増加の一途であることを考慮すると、国民年金(基礎年金)制度は持続不可能な状況になっている。他方生活保護者は208万人以上に達しているが、国民年金の給付額は平均5.3万円であるのに対し、東京都の生活保護支給額は30代単身で13万円以上、60代後半単身でも8万円強で、家族構成などで加算されることになっているため、国民年金の方が掛け金を支払っていながら受給額は少ないので、納付意欲を失わせる形となっている。
 現在、厚生年金と共済年金の一本化や国民年金(基礎年金)との統合などが検討されているが、まず最大の欠陥を抱えている国民年金の在り方を検討することが先決であろう。国民年金の納付率を上げると共に、不加入者をどう解消して行くかが検討されなくてはならない。国民年金も拠出制であり、本来的には拠出していない者には給付も無いことになる。基本的には受益者負担と自己責任の原則に則らざるを得ない。また生活保護支給額に対し、国民年金給付額が逆差別されている状況も是正する必要があろう。
 社会保障改革案では、基本的には中間報告に沿って低所得者への加算や高所得者の年金減額など、現行制度に基づいた微調整、手直にしか過ぎず、国民年金の抜本改革には触れていない。拠出型の国民年金は拠出者に対して継続するとしても、いずれの年金にも拠出していない者をどの程度、どのように救済するかについては、納税や拠出努力をしている者との公平性や生活保護との関係を含め、基礎年金をどのように制度設計するかが問われていると言えよう。
 また国民、厚生、共済の3つの年金制度があり、分り難いとの評もあり、その面は否定できないが、3つとも雇用形態や所得水準、賃金体系などが異なるので一本化には複雑な調整が必要になるばかりか、一本化すれば年金問題が解決するというものでもない。統合することによりそれぞれの問題点が見え難くなり、或いは共倒れする恐れがある。国民、厚生、共済の3年金制度とも料率納付を前提としているので、原則として拠出者には入会時の条件になるべく近い水準で給付することが期待される。それなくしては年金の信頼性は維持出来ない。問題は、拠出型3年金の適正な給付を確保すると共に、いずれの年金についても受給資格が無い者をどう救済し、財源をどう確保して行くかである。しかし努力しなくても救済される、努力しても報われないというような意識が生まれ、国民の間にモラルハザードを引き起こすようなことは健全で活力ある社会発展を図る上で避けなくてはならないのであろう。
 3、社会保障に関する新たな制度設計と消費税増税
 上記のような観点からすると、抜本的なコスト削減を行わず、また国民年金を中心とする年金制度の本質的な改革を行わないままで消費税などの増税を実施すれば、制度上の不備、赤字体質を残したままコスト高で非効率な年金制度を引きずることになり、問題を残す可能性が高い。拠出制を残すのであれば、受益者負担と自己責任という基本的な基準に沿って、抜本的なコスト削減を図った後、高額所得者への給付の留保や定年制の引き上げに連動した給付年齢の引き上げなどを実施する方が分り易い。その上で全国民を対象とした税による最低限の基礎年金の導入を検討すべきであろう。その際拠出型の年金については、基礎年金に相当する部分について給付額を削減すると共に、料率も引下げるなどの調整が望ましい。また生活保護制度については、適用を基礎年金受給年齢までとするなどの調整が必要であろう。
 医療費や介護費についても、赤字であり制度存続が困難であれば、受益者負担の原則に沿って窓口料金を引き上げるなど、個人負担を若干引き上げることも止むを得ないのであろう。介護保険については、年金受給者も支払う義務があり年金給付額から差し引かれ、実質的な年金給付額の減額に当たるので、年金以外の他の所得がない者に対しては免除するなどの配慮をすると共に、健康保険料や窓口負担を全体として引き上げることも止むを得ない。しかしその前提は、抜本的なコスト削減の実施であろう。
 福祉は、高所得者が負担し生活困窮者や低所得者などを救済するとの考え方があるが、社会保障は所得に応じてではあるが国民全体として負担し、貧富の差なく適用されるべきものであり、低所得者が一切負担や努力をする義務がないというものでもない。受益者負担と自己責任の基準に沿って低所得者も応分の負担はすべきものであろう。それなくしては負担しなくても救済される、努力する者が損をするというモラルハザードを起す可能性がある。消費増税に際し、逆進性を緩和するため低所得者には税の還付をするとの案があるが、制度が複雑になり事務を肥大化させると共に、低所得者は所得税等も小額か支払ってないかであるので、更に消費税の一部も還付を受けると一市民、一社会人としての租税負担義務を免除されることになり、過剰な保護になる恐れがある。そうであれば低所得層に対し、所得税・住民税の課税所得水準の引き上げや税率の引き下げを行うと共に、最低賃金を引き上げるなど、所得面での救済を行う方が望ましい。
 制度設計の基本的な基準、軸が何であるかも問われている。(2012.3.2.)(All Rights Reserved.)

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