バスに乗ること2時間弱、昨日カウナスに着きました。
着いてから宿まで行くために、久しぶりにトロリーバスに乗った。
荷物を抱えてバスに乗車し、様子を見ながら乗車券を購入。
毎度、降りるタイミングが難しい。
ホステルが91番地なので、窓から見える番地の番号を見て「おっ!80超えた!次で降りるぞ!」みたいにして、なんとか着いた。
14時に着いて眠いので昼寝したら17時になってしまった。
もう真っ暗・・・移動しかできなかった・・・
川沿いを散歩して、スーパーに寄ってパンとチーズと安いサラミを買った。
宿に帰って、安いサラミをスライスする。
なんか凄く嫌な臭いがする・・・
でも、味は美味しいはずだ!
食べてみると・・・・無理!
むなしく、パンにチーズをのせるだけになってしまった。
そして、今日。
ホステルには朝食がついている!
ヨーグルトまでついていてとても満足!
これで、1泊800円はすごいと思う。
10時に出発!
中心の方に行く。
教会を見たあと、カウナス城に行った。
その後、僕がとっても行きたかった「悪魔博物館」に行った。
悪魔の絵や木の彫刻が多かった。
悪魔なんだけど、怖いんだけど、なぜか少し愛嬌があった。
そして、まれにいい悪魔もいたようだ。
一番上の3階の展示は「世界の悪魔」。
日本のもあるかなーと思ってたら、天狗のお面があった。
今も世界中から悪魔グッズが送られてくるらしい。
撮影が禁止だったので、写真を撮れなかったのが残念。
街のはずれのほうに「杉原記念館」があるらしい。
ヴェリニスのユダヤ博物館の前で杉原モニュメントを見てしまったので、何かの縁かと思い行ってみた。
ただの民家っぽいところに着く。
旧日本領事館らしい。
呼び鈴を鳴らすと、英語がペラペラのお姉さんが出てきた。
「最初に15分ほど杉原さんに関するビデオがあるけど、見ます?」と言うので、
「見たいです!」と言った。
「そのビデオは英語なの?」と聞くと、
「日本語だよ。」と言う。
「それは良かった!」
少し古そうなビデオが始まる。
ああ、日本語だ。
杉原千畝さんは1939年にできたカウナスの日本領事館の領事代理だった。
1940年7月に領事館の前にユダヤ人の人垣ができた。
ナチスに追われ、なんとかカウナスまで逃げてきた人たちだ。
すでにヨーロッパには生き残る術はなく、唯一の生きる道がシベリア鉄道に乗り日本へ向かい、日本を経由してアメリカ大陸などに逃れること。
だから、彼らには日本のトランジットビザが必要だった。
杉原さんは本国にビザ発給の許可を頼むが、答えはNO。
ドイツと同盟関係にあったから、ユダヤ人を救うことはしたくなかったとか。
結局、彼は独断で約1600枚のビザを発給。
それで日本を経由し助かったユダヤ人は6000人にも上る。
と、こんな内容だった。
そういえば、昔これをテレビで見たことあるな。
彼が独断でビザを発給した時は、相当な覚悟をしたんだと思う。
しかし日本への船が出るウラジオストクで「あのビザは無効だ。船には乗せない。」と言われたらどうするんだろう。
と思っていたら、ウラジオストクの領事館には杉原さんの学生時代の後輩がいて、彼もまた独断で乗船を許したとか。
あと、この日本通過ルートの大前提として通過先の「キュラソー・ビザ」が必要で、それを発行した人もすごい。
いろいろな人がユダヤの人々の生き残る道を開拓してくれた。
でも、生き残る可能性が繋がった瞬間というのは日本のトランジットビザを取得した時なんじゃないかなと思う。
僕もまだ歴史的背景と全容が見えてないから、日本に帰ったら本でも読んでみよう。
最近ブルーになるものばっかり見てたから、こういうものが見れて良かった。
最近の行動は10時に出て15時に帰ってくるので、あとの時間はダラダラしてる。
日照時間のせいもあるんだけど、いい生活だ!
明日はシャウレイに行きます!
一泊して十字架の丘を見たら、リトアニアを出ます!
これ以上寒くならないことを祈りながら体調に気をつけて進んでいきます!
では、また!
この国でのできごとだったのか…!国とかのルールよりも人の命を守ろうとした、すごい方だと思ったよ
あと、そちらもそしてそりゃそうだけど寒いのね…。
しもやけ等にお気をつけて(><)
自分は寒い分には大丈夫と思っていたけど、限度がある!
アンタルヤで海水浴をしていた一ヶ月前が夢のようだよ・・・
とりあえず、そろそろ手袋買おうかなと思ってるよ。
瞳孔ひらきっぱなしで、すごいおもしろいよ~凹むけど…
ありがとうございます!
面白そうですね!
帰ったら凹むの覚悟して読んでみたいです。