「ちまちま」のゲーム日記。

現在は、シャープX1と、レトロPC&ゲームの記事が中心です。

ラストSOUHEI外伝~そして伝説へ(上)

2012年02月05日 23時59分10秒 | ラストSOUHEI



山吹サーバー(旧天翔サーバー)では、自分の知る限りでは
上杉家と北条家はサービス開始後、暫くしてから長期間に渡って敵対していました。

自分は、歴史などには微塵も興味が無い為、上杉謙信に思い入れがある訳でも無く
単に勢力ボーナスで選んだ今川家を出奔し、
ただ「知人が居た国」と言う理由だけで上杉家に仕官しました。


そして、まだ若干30と少しのレベルしか無かった自分も
その知人が合戦場に居ると言う事だけで、合戦場へ赴いて行く。

知人を探しつつ、訳も分からず戦場をフラフラしていると
いきなり襲われ戦闘に突入...と同時に「救援だして!」の対話が。
敵はLV50の侍で、こちらはLV30台前半の僧。大丈夫なのだろうか?
混乱しながら取りあえず救援を出す。
こちらの攻撃はなかなか当らず、また当たっても致命傷とは成らず
7人掛かりでやっと倒せたと言う印象。

それは、自分の合戦場で戦った初めての戦闘となった。
初の対人戦で何をすれば良いのか分からないまま終わったので
「やったぞ~!」と言う達成感は無かったが
「ボス級の敵と戦って無事に生存できた」と言う安堵と
「助けてくれる仲間がココには居る」と言う一体感はあった。


そんな感じで合戦にのめり込んで行った、何処にでもいる1人の僧のお話....


※勢力ボーナス : 当時、初期振りは10ポイントと仕官勢力で固定の+2ポイントだった。
            トータルで+2なので、+2+1-1などの組み合わせもある。

 

● 徒党との決別

特に当ても無く、何をすれば良いのかさえ分からないまま1人で戦場をフラフラしていると、
無敵状態のままで棒立ちになった7人組の敵徒党に、味方が大勢群がっています。

当時は軍馬など無く、無敵時間中は敵プレイヤーにも攻撃される事が無かった為
守る側は無敵解除と同時に対人などで撃退する必要がありました。


必ずしも先頭のキャラが無敵解除するとも限らず後ろからジワジワ迫ってくる。
対人徒党があれば、7人が7人バラバラで叩けば良いだけの話だが、
隊列が徒党を組むメンバーで決まってしまう時代だったので
なかなか「最強の隊列」を手にした徒党に太刀打ち出来るだけの徒党は居ない。

となると即席で対人徒党を作ったり、明らかに相手の方が強い状況で戦う必要があり
長時間撃退出来ないまま、ジワジワと武将に近づかれるのが初期の頃の合戦。
何とか地形を利用して徒党を分断出来ないかと叩くも、大抵はダメだ。
「敵を割る徒党」もあったが、神職や僧自体が少なく
また成功率はあまり高く無かったようだ。


自分には何も出来ず、ただただ周りを取り囲んで敵徒党を見ていた時、
敵徒党の行動に、ある一定のパターンがある様に見えた。

どうやら、敵徒党の神職が「行進曲」か「神隠しの唄」をかけて
囲まれた状態から脱出しようとしているのか、一瞬”モヤ”の様な物が出るのだ。

「実装変えた時に出る奴だし、今叩いたら敵神職の実装って使えるの少なくない?」

と思い、取りあえず突っ込んでみる。
自分は即倒されてしまう訳だが、戦闘が終わっても神職は実装が武将用では無い訳で
「誰か一人が動いて取付けば良い」状態から「神職が実装を戻して取付く必要がある」
と言う、相手の操作や連係の難易度が上がるのでは無かろうか?と予測してみた。

当然、自分は武将徒党に入った事も無ければ、相手にその効果を聞いた訳でも無いので
この行動に効果があったのかどうなのか、未だに全く分からないままだが
その時を機に、自分が徒党を止める時の目印が「神職が発するモヤ」となり
”モヤ”を発する敵徒党を見つけたら、後先考えずに取りあえず戦闘状態に持ち込み
後は他の人に任せると言う事を繰り返す様になった。

 

当時の僧の役割が何だったのか記憶がありませんが
まだ合戦場に来て間もない頃、何度か誘われるがまま徒党に入った事がありました。

党首と徒党員が何やら話し合っている。

徒党員 「あっち行って足軽狩りした方が良くない?」
党首 「いやいや、今はここの防衛の方が大事だ」

とか言っていたかどうかは定かではありませんが、何やら険悪な雰囲気。
そして、言い争っていた徒党員が抜けて訳も分からず解散になった。

その他の徒党にも何度か入れてもらったが、
どうも待ってる時間の方が長い気がする...

「なんだか徒党に入ってたら自由がまったく無いなぁ...」

ぼけぇ~と立ってるだけで楽しい訳でもないし、何かの役にやってる様にも思えない。

その後も何度か色々な方から徒党に誘われましたが、丁重にお断りして
戦場では自分1人で自由気ままに生きる事を選んだ。


※最強の隊列 : 当時は徒党ボーナスと言って、組む人によって隊列が固定だった。
          「七人の侍」ALL50%UP「百花繚乱」生命40%UP&他20%UPなど強烈過ぎる
          効果の為に、徒党員が固定化されてしまう要因となり廃止になった。

※敵を割る徒党 : 帰依や恐怖の唄で敵を脱兎させ敵徒党を割る、捨て身の対人方法

 

● 変わり者の「もののふ」

相変わらず1人でふらふらと戦場を徘徊。しかも全身生産用の装備です。
と言うより恐らく装備はそれしか持っていなかった気がします。
今のように職人装備など無く、見た目のみで選んでいた「銅の額当て」
「大鎧」と言ういで立ちで、恐らく器用30程度の一点付与でした。
普段の狩りの装備はどうしていたのでしょうか.....
蛇を槍でチクチクした記憶しかありません。


合戦場で敵徒党に殴られ続け、装備の耐久は常に0%だったが、
死亡率が異様に高くて1戦交えたら墓場行きだったのと
当時は0%でも修理可能だったので特に問題は無かった。

その頃、徒党への突撃にも飽きたのか
タイマン勝負で勝利を勝ち取る為に、ひたすら僧の技能の研究に没頭する。
ほぼ全ての僧技能を1度は試してみた。

「暴れん坊」だけは未だに何故こんな技能があったのか分からない。
鉄砲を装備して弾無しで撃てるバグがあったぐらいだ。

タイマン勝負とは関係無いが野外技能も色々試していた。
その中でも、特に個性的な技能を2つ紹介。

・「念仏」
生気の回復量と生気MAXまでの残りを考慮して使うと、
アイテムを消費せずに生気全快までの時間短縮が可能な「"逆"生気変換」
稀に気合も回復するので、普通の回復を使うよりも変換効率がとても高い。
現在では消費気合と生命回復量が少なすぎて微妙。おにぎり美味しいれす。

・「説教」
敵に襲われログが出てから戦闘に入るまでの間に、
襲ってきた敵をタゲって使う必要がある為、99%間に合わないと言う
信on中もっとも使用難易度の高い技能だと個人的に思う。
また、タゲって使用しても100%成功では無く「聞く耳を持たない」事も多い。
目千時代、絡まれたくない敵N相手に2、3度成功したが、
ログが出ているのにも関わらず、赤Nが近くに止まって襲われない為に
逆に味方徒党員の混乱を招いたと言うマイナー技能。
「改心したようだ!」これを見た人は、きっと悟りが開けます。うそです。


実戦では、自分に高速参をかけて回復参を準備するとホボ待ち時間無しで回復可能で
相手が焦って攻撃しても準備中に命中する事は少なかった。

当時のタイマン実装を思い返してみる。
ちなみに初期振りは器用に+8、知力に+2
勢力ボーナスが水+2、耐久-1、知力+1
LV38の僧では実装枠は6個しか無い。

高速参、回復参、不動明王法、防御術極意、存命術極意、飛脚応用
ほぼこの実装で間違い無いだろう。
タイマン勝負と敵の足止めを同時にこなす「究極の実装」
だと思っていたかどうかは定かではない。

とにかく高速参が要。不動明王法の準備もこれでウェイトが1になる。
まだ丹など、そうそう庶民の手に入る代物ではなかった。
後に実装枠が増え、物理アタッカー全盛時代になると
罰当り参や、帰依、解呪弐、極楽浄土などを実装するようになる。

ダメージソースは不動明王法発動時の術ダメージと継続スリップダメージ。
凍気や紅蓮も試してみたが、消費気合とダメージの効率が不動明王法の方が断然良い。
無属性と言うのが、何気に相手のLVに左右されないのも良かったのかもしれない。
発散薬は高価で普及していなかったが、越中実装以降は
兼生尼の写経」所持者が増え、スリップダメージ部分の効果は半減した。
殴る事はまず無かった。だって器用装備だもの....

前線では大抵救援を呼ばれて混戦になってしまうので
自分はさらに奥のNも味方も居ない所で、
正座してタイマン勝負をしてくれそうな人を待った。
前線から掛け離れ、相手にとっても前線への移動時に通過するぐらいで
戦闘になっても救援者は疎らな為に、1対1の戦況になりやすかったのだ。

また、タイマン大好きをアピールするため、
自分を特定しやすい様に身分を当時の「目付」に固定する事を決めた。
「家老」はまだ珍しく、「奉行」が一般的で「中老」も徐々に増え始めた頃でした。
まだ見た目の変化が少なかった当時、身分とLVは割と目につきやすかった。

最初は物珍しいのか、叩いてくる敵プレイヤーも多かったが
その内、叩いてくる人はほとんど居なくなった。
報酬も少ないのに、ジワジワと呪いで削られる戦闘が嫌がられたのか
はたまた、属性術と物理に強い防御術を持っている為、
こちらを倒すのにも時間がかかるのが嫌だったのか
自分から叩いても逃げる人の方が多くなり始めた。
攻撃手段が不動明王法のみで、あっさり逃げ切れると言う理由もあったのかも。

戦況は自軍が不利な時が多く「こんなの相手にしてるだけ時間の無駄」
と思ってスルーしていただけかもしれない。
叩かれて救援を呼ばれる事も多かったが、攻撃手段が不動明王法だけなので
やるだけ時間の無駄だと思い、こちらからアッサリ降参した。
ゾンビアタック」の対策として実装された降参機能だったが
ソロでも無駄な時間を使わなくて済むのが良かった。

正座をして待っていると、時には敵プレイヤー数人が同じ様に座って
さながら座談会の様な光景になった事もあったり、和めるひと時も...

タイマン勝負をしてくれた後の一礼は欠かさない。
相手の技量の方が上だと思った時は平伏して、良い戦いだった事を伝えた。


※兼生尼の写経 : 越中のクエストで、15回の自己合掌の妖力がある特殊装備
            入魂が出来ない当時は、知力+7 魅力+7と後衛職に人気があった装備。

※ゾンビアタック : 当時は降参も無く、怪我で敵PCを叩けないと言う事も無く
            転生してもらって敵徒党と戦闘。と繰りす事で、
            敵徒党員はログアウトすら出来なくなる悪魔の戦術。

 

● 一騎当千の原理

時は過ぎ、タイマン勝負では「痺れ切り」や「みね打ち」からの
連続技が広く使われる様になり負ける事の方が多くなりました。
開幕から防御で凌ぐ事は出来ましたが、僧には「切返し」が無い分
どうしても後手になってしまうので勝ち目はありません。


その頃から、タイマン勝負を挑むよりも、
再び敵徒党に突撃する回数が多くなってきたように思える。
昔は目の前の敵徒党に襲いかかる戦術だったが
今度は、こちらから執拗なまでに敵徒党を探し出して突撃する。

敵徒党を奇襲する理由はいくつかあった

・「虚を突く」事でパニック状態を引き起こす
戦闘に突入するとは思っていない場所で戦闘になったら単純にビビらないだろうか?
大抵は敵陣の裏手に待機している敵徒党に突撃する事が多かった。

・「見つかった!」と言う焦りを誘う
大抵の場合、見つかった焦りから武将取り付きの出発時間を早める事になり
何らかのミスを誘える確率が通常時より格段に上がるのではないか?と考えた。
さらに敵徒党が出発するタイミングが分かれば、武将を守り易くなる。

・「ここも危険かも?」と集合場所を後ろの陣に下げさせる
敵Pの前後の移動振れ幅が広がり移動に時間が取られ、
また取り付きの為に走る距離も長くならないだろうか?
そうすれば見えない前線を押し上げる事が出来る。


要するに「所詮、中に居るのは人」と言う事。
平常心で100%の力を発揮出来る人でも、焦りや不安
緊張と言った状況では、その力を存分に発揮出来る人は少ない。
それらの心理戦の意味合いの方が強かったのかもしれませんね。
しかし、当時の自分がそこまで考えて行動していたかどうかは不明。

勿論、この行動にも効果があったのかどうかすら、未だに全く分からない。
タイマン時の癖なのか、奇襲に成功した時は敵徒党に一礼して去っていた。

 

敵陣深くに切り込んで、徒党を叩いて朽ち果てる。
何度繰り返したでしょうか、死亡回数がカウントされているならば
とんでもない数字になっていたと思われます。
当時は常に「名声値=身分で保証される最低名声値」でした。
しかし、飛ばされる墓=僧の寄合長の居る「お寺」で
当時、寄合長から戦場への入場許可を貰う必要がありましたので
偶然にも墓場マラソンに最も適した職業だったのかもしれません。


ただ突っ込んで飛んでしまうのは勿体無いと言う事で
幽霊のまま、ふらふらと歩きながら周りを見渡し
「ちまちまの幽霊情報:○○陣の敵防衛P4」
「ちまちまの幽霊情報:○○陣裏に敵7徒党」
などと、大声を張り上げていた。

当時は私設会話と言うものは無く、バラバラに散った部隊会話と大声だけが
大勢の味方との意思疎通を図れる手段だった...
目付の部隊会話など、大して人数も居ない。
ただ、潜在も無い当時に大声の範囲が何処まで届くか知らず、
多くの人が聞こえてなかった可能性もあり、何らかの効果があったかは定かではない。

しかし今思うとちょっと恥ずかしい。普通に情報だけ流せと...


例えば敵徒党に特攻し、武将徒党を防御術極意で2分足止め出来たとして
死んで墓場から走って戻るのに3分とすると
全体で自分が5分稼動中、敵は2分間動けない。
つまり敵徒党にとって自分の稼動時間の2/5は無駄な時間となり
自分が1時間消費する事で、敵武将徒党は24分間の足止めを喰らう事になります。

一見、自分は36分もマラソンに費やして「それって損じゃない?」と思えるかもしれませんが
自分1人×60分=60分。敵は7人×24分=168分に相当しないだろうか?
複アカ操作も珍しく、特化の無い時代、
たかだかLV38の僧が役に立つのかどうか分からないのに対し
敵は戦果を稼ぎ、陣を次々と塗り替えて行くLV50のエース7人と言う事を考えれば
一騎当千とまでは行かなくとも、この効果は絶大と言わざるをえない。(単なる自己満足です)

 

「LV50目付:1体」

あまりに敵徒党に突っ込み過ぎた為か、
見える範囲に敵徒党が来なくなってしまいました(汗
こちらから遠くの陣まで向かうには、
LVの低かった自分は敵Nに絡まれやすく無駄死にしてしまいます。
こうなってくると、走ってくる敵徒党を迎え撃つしかありません。
足は遅いものの、幸い僧には霊視があります。


当時は、自分の所属する部隊長が倒されてしまうと合戦場に再入場出来ない為、
転生を貰って戦場に留まる必要があった。
そうなって来ると、あまりの死亡頻度の多さに
転生ばかりお願いする事になり味方に迷惑がかかるので、あまりよろしくない。

それならばと、前線に出てNなどで死んでしまうより
戦場を右へ左へ走り回り各方面を偵察した方が良いと思った。
効果の程は分からないが、その機動力を活かして伝令を大声で伝え歩いた。

幸い、走り回っている途中で遠目ながら敵一団が
武将に向かっている場面に遭遇する事も多く、
大声で敵襲を告げ、時には自らも突撃した。

それと同時に、敵陣の防衛具合を遠目で見て回ったり
敵陣を落とした味方徒党が、敵の対人徒党に捕まらないように
敵徒党を叩いて味方武将を救援したり
徒党の援護に回り始めたのが、この頃だったかもしれない。

陣の状態と地形を考慮して、次に攻めてきそうな陣を予想し出したのも
自分は、この時代ぐらいからだったのではないだろうか。

 

ようやくLV50になり、実装などには余裕が出始めます。
しかし、徒党において僧の役割と言えば
英明による鎧の極の保護大往生ぐらいしか良い所が無かった気がします。


ある時、戦場をうろついていると見慣れない敵徒党を発見した。
全体的にLVの低めの人が多い敵徒党だった。
どうやら、高LVの人が引率して徒党を組んでいる様だ。
低レベルの人に合戦の雰囲気を味わってもらおうとしているのか
合戦人口を増やそうと低レベル帯の育成をしているのかは分からない。
そう言えば新参者を育成している「北条若武者隊」なるものがあると
風の噂で聞いた事がある。

こちらは1人で、相手は低LV
立場は違うが何処かで見た事のある様な光景だ。

「これは、突っ込むしかないな」

勿論ソロである自分に、複数の敵を相手に倒せる技能も能力も無い。
その徒党が味方Nとの戦闘が終わるや否やダッシュ一番戦闘開始。
出来る事と言えば低レベルへ帰依をかけまくる事ぐらい。

1人2人は脱兎したが、以後は高LVの引率者に阻まれ決まらなかった記憶。
特に壊滅させる気もないので味方の応援は呼ばず、
逃げた低レベルも再び戦闘へ帰ってくる。
しかし敵の大半は若武者なので、なかなかこちらへの攻撃が当らない。
相変わらず銅の額当てに大鎧の器用生産装備で
存命ゾーンに入ってからの回避率はかなり高い。

が、引率者の行動不能技能や、必中である妖術連係等により、
徐々に体力を消耗し、やがて力尽きた。
しかしLV50のパワーと言うものを知らしめるには十分だったであろう。

「将来、強敵になって帰ってくるかもしれないなぁ~」と思いつつ、
その後もこの様な徒党を何度か見かけたが、
特に報告する訳でも無くスルーする事にした。
自軍の会話内容によると、他の味方徒党がボコボコにした様だ。
まぁ、これもまた合戦か....


実装枠も増え、1対1から敵に救援が入った時
帰依で追い出して無理やり1対1にすると言う方法を取っていた。
確実性は無いが、1対多では防御術で耐えるだけしか出来なかったからだ。

のちの話だが、こちらを叩いて来た敵の旗鍛冶が、防御して救援を呼んだ時の事
2人の救援が入ってきたが、内1人を帰依で追い出し、もう1人を倒し
その後入ってきた追加の1人も倒して、旗鍛冶の戦意を喪失させた事もあり
強制的に脱兎させる技は1撃必殺に近い為、実は隠れた良技能である。


ラストSOUHEI外伝~そして伝説へ(下)に続く



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