8月13日(土曜)晴れ
8月13日(土曜)今日からお盆です。
お盆は例年朝からお墓詣りに行く
父と母と家内が眠るお墓へ
日本男性の平均寿命が
81.64歳にと先日発表された
丁度その年齢になりながら身体の欠陥はあるけど
仕事休むことなく働ける喜びを両親に感謝
若い時から身体が弱くて悪かった私に
「お父さん働けなくなったら私が働くから大丈夫よ」と
励ましてくれてた家内は59歳で逝ってしまった。
自分だけ長生きしてて申し訳なく思う
両親も家内も最後のお別れの時に
「ありがとう」と云ってくれた言葉が救われる。
「未だ元気に頑張ってるでぇ」と声をかけ乍ら手を合わせる。
今日は撮影に行かなかったので
8月11日(木曜)「山の日」祝日に
「山の日」にあやかって山に登った写真です
天気も良かったので三重県にある御在所岳に行った。
我が家から泉南ICから阪和道に入って門真JCTから第二京阪
久御山JCTから京滋バイバス経由で名神~新名神の菰野IC迄行き
湯の山温泉のロープウエイ駅迄約190kmの走行
7時に出発したので9時半頃に到着予定であったが?
第二京阪と京滋バイバスが渋滞してたので
ロープウエイ駅に到着したのは11時になってしまった。
遅くなっての到着で駐車場が心配であったが?
何とか空きがあって直ぐに駐車できたが?
ロープウエイの乗車がコロナ感染予防で人数制限されて
少し行列に並んでの乗車となった。
この様なゴンドラの右側前方に独りでかけて
左側の後方に親子連れの三人で合計4人の乗車となった。
山頂は霧のようで霞んでる。
日本一高いロープウエイの白い鉄塔(高さ61m)
山上公園駅に到着(1180m)
山上公園は霧が流れてる。
前方に観える高い山が御在所岳で一番高い山
あそこ迄リフトに乗って行こうと思ったら霧が拡がってきた。
暫く待ってここからリフトに乗る
少し先は見えないような霧だったが?
リフトに乗ってる間に霧は消えて頂上が観えて来た。
こちらは霧が消えていた
山頂駅に着き振り返る前方の高台からリフトでやって来た。
山頂は青空も観えてきた。
御在所岳頂上 一等三角点とあるが?
標高 1211.95米と記されている。
少し先に観える所が一番高い所だそうです。あそこ迄登ろう!
この岩を這い上って行く!二年前に来た時
首に提げてたカメラが岩にぶつかって壊れてしまった。
こちらが1212mで少しだけ高いそうです。
何とか登り着きました。周りは見事な眺望です。
ここからは琵琶湖が観える望湖台
そろそろ降りようか?
降りていくリフトと登りのリフト
トンボを採る子供たち
ロープウエイの山上駅に来たら下の方が霧で霞む
下に降りるほどに霧は晴れ視界良好です。
四日市市内から遠くに伊勢湾が観えて来ました。
7月の「海の日」には海に行き
8月「山の日」には山へ出掛けて楽しんで来ました。
来年は行けるかどうか分かりませんけど
四季折々自然を楽しめる喜びに感謝
元気に過ごせて有難いことです。
長々とご覧戴きありがとうございました。
いろいろ当時のことを想い出して書いてしまいました。
昨日は息子夫婦と孫娘を誘って一緒に居酒屋で外食でした。
コロナ以前は一月に二回の外で食事するのが楽しみでしたが?
コロナになって外食するのも一緒に食事するのはばかられて減っていましたが?
昨夜は二月ぶりの外での食事会でした。
食べることよりも孫娘に会えて話しできるのが楽しみです。
孫娘は高3で来年は大学受験です。志望大学の見学会に行ったとか話してくれました。
実はこの孫娘が生れた時に家内は入院中で「女の子が無事に生まれたよ!」と報告したら
涙を浮かべて悦んでいましたが?
生後まもない子を病院へは連れて行けなくて!
病院へ行く度に孫娘のことの話になって
「体重はなんぼだった?名前は何と付けた」と聞いては
「一目でも早く見たいなぁ~」と云うので
「早く病気を治したら会えるので頑張ろうなぁ~」と激励してましたが?
生れた孫娘に会うこともなく天国へ旅立ちました。
その孫娘も来年は大学受験です。天国から見守ってくれてるだろうなぁ~?
昨夜は一緒に食事をしながらそんなこと独りで思ってました。
明るく元気なモンモンちゃんにこんな話ばっかりでゴメンねぇ。
ありがとうございました。 - taku -
貴重な奥様との思い出を教えて頂き有難うございました。拓さーん スーパーマンですね
🌻毎日病院に寝泊まり
結局毎日病院へ通ってベッドの横に椅子を並べて休んでいました。
その間仕事も休まず、会社、自宅、病院と忙しい日々が続きました。🌻一部引用
まあ毎日寝泊まりされて奥様幸せですね!
ちゃんと ありがとうって 挨拶もできたんですね!
奥様との思い出は一生ものですし
「お父さん働けなくなったら私が働くから大丈夫よ」と励ましてくれてた奥様の優しいお気持ちも 拓さーんの心に一生残りますね!
貴重なお言葉をありがとうございます😊
モンモンね 拓さーんが拓さーんらしく素敵な人生を送られますように応援しておりますよ!
モンモンちゃんのパンチの効いた元気で明るい
『モンモンパトロール』を拝見して元気を貰っています。
モンモンちゃんは元気なだけでなく心の優しいん女性ですね。
優しいモンモンちゃんに家内との話を書きますが読んでくれるかなぁ?
17年前の2月に入院して手術した家内ですが、
5月に天国に行くまで僕は毎日病院に寝泊まりしていました。
入院当初に僕は会社を中々休めないので「付添婦さんを付けて上げようか?」と云ったんですが?
「付添婦さんは嫌!忙しかったら来れる時だけでいいからお父さん来て欲しい」と云われて、
結局毎日病院へ通ってベッドの横に椅子を並べて休んでいました。
その間仕事も休まず、会社、自宅、病院と忙しい日々が続きました。
朝病院で起床して自宅に帰り犬の散歩して味噌汁作って朝飯を食べて会社に出勤
仕事を終えて帰宅して洗濯し犬の散歩しお風呂と夕食を終えて着替え持って病院へ通う生活を続けていました。
朝病室で静かに起きて音がしないように静かに病室の扉を開けて出掛けようとすると!
その気配を感じて家内も目を覚まして
「行ってらっしゃい!気をつけてねぇ~。今日は何時頃に帰れるの~?」
そんな生活でした。医大病院の担当の看護士(20代の女性)が
「5月12日は「ナイチンゲールデー」で「看護師の日」ですが?担当する患者さんに」
「お手紙を書かなくてはなりませんので私は〇〇さんご夫婦のことを書かせて貰いましたので」
「文章は下手で恥ずかしいので後でお二人で読んで下さい」とお手紙を頂きました。
「〇〇さんご夫婦の姿を毎日拝見させて貰っていますが?私も結婚する時は〇〇さんのご主人のような優しい人と結婚して仲良く思いやりのある幸せな家庭を築きたいと思います。・・・」等と書かれていた。
その手書きを二人で代わる代わる読みあってウルウルして暫く言葉もありませんでした。
その数日後、二回目の手術を受けて担当医師も「手術は成功しました。」との言葉を受けて安心していました。
その日は息子夫婦たちも心配して来ていましたが「もう大丈夫だから帰って」帰らせて、
「手術成功して良かったなぁ~」と云ったり
「手が痒いから掻いてくれる」「ちょっと揉んでくれる」とか言われていたけど、
夜の12時過ぎになって「もう眠くなったので眠るは!お父さんも休んで!」
「いつもありがとう」と云って眠ったままで
翌朝は目を覚ますことはありませんでした。
今日はお盆です。仏前の遺影写真をみながらそんなことを思い浮かべて
長々と書いてしまってゴメンなさい。
ありがとうございました。 - taku -
❤️😊💕おはようモンモン😊😍❤️
うわあ とっても泣かせるお話ですね!
🌸若い時から身体が弱くて悪かった私に
「お父さん働けなくなったら私が働くから大丈夫よ」と励ましてくれてた家内は59歳🌸
ぐっと泣きました。優しい奥様ですね!
きっと今でも拓さーんがお元気で長生きされて 幸せな日々を送られますように雲の上から 見守っておられることでしょう!
うわあ ゴンドラやリフトで絶景ですね!
モンモンも高い所大好きですよ😍❤️
若い頃は冬は大学の講義がお休みになると
ゴンドラやリフトに乗ってスキー三昧でしたわあ!夏山も良いですね!
これからも拓さんが 拓さんらしく平和な日々を送られますように心から祈っておりますね!