2/11 5時半銅相場5620 1%以上下げ 原油価格が また下落するかも知れないとの見方で銅も下げた朝だが
為替は円安に振れ これが1%円安効果で 日本での銅価格前日比変わらず、
11時大阪港トーナイ此花営業所で「荷受中 東内誠 建国記念日も休まず仕事
さっき大きなモーターが来た これは重いのでうれしいトーナイ
また 早朝のブログに戻って・・・
中国の消費者物価指数の伸び率が1月は1%を切った2009年11月来の悪さ である このCPIの伸び率が下がったのは世界的な原油価格の下落が主因だと思うが
生産者物価指数(PPI)のほうは もっと下がっている
これは 鉄や銅が下がったことも関係すると思う
中華経済は デフレ気味に なってきている
鉱業の生産者物価指数(17.5%下げ)
原材料(8.6%下げ)
CPIの低下は 中国経済減速懸念が高まることにもなるので どうだろう 中国政府は政策金利を下げてくるのではないか?
そうなると中小商工業者の資金繰りも 改善しないか?
銅相場 ここ2年半ほど 良くないです大阪港に中小としては比較的大規模なスクラップ輸出基地というか 総合リサイクルセンターを運営する㈱トーナイ 東内誠 日々更新銅相場を追ってという題名のブログです
最近は 日本の古代史や東アジア古代史の勉強も兼ねて此れを日々、3千日連続で書いている
経済と古代史は全く関係ない とお思いの人も多いが
それは 違っていて 中国共産党の幹部などは 全員が歴史にとても詳しいんだ
そんなこともあるので 古代史は馬鹿に出来ない
また日中関係を語るには 日本の古代からの歴史も知ってあたり前だと思うんです
そして 金銀銅鉄の歴史は 日中韓の歴史を大きく変えたと思うのです
http://www.tohnai.com/top_main.html
リンクは 僕の会社のホームページのTOPメインページ
是非 スクラップのことなら お問い合わせ下さい
100トン単位の話しならば 職員ではなく 僕も動きます
また 各担当職員に申しつけ下されば 僕がバックアップします
以下は古代史勉強東内誠藤内誠のメモ書き
古事記 下巻大雀命坐
難波之高津宮治天下也此 天皇娶葛城之曾都毘古之女石之日賣命大后生御子大江之伊耶本和氣命次墨江之中津王次蝮之水齒別命次男淺津間若子宿禰命四柱又娶上云日向之諸縣君牛諸之女髮長比賣生御子波多毘能大郎子亦名大日下王次波多毘能若郎女亦名長日比賣命亦名若日下部命二柱又娶庶妹八田若郎女又娶庶妹宇遲能若郎女此之二柱無御子也凡此大雀天皇之御子等并六王男王五柱女王一柱故伊耶本和氣命者治天下也次蝮之水齒別命亦治天下次男淺津間若子宿禰命亦治天下也
古事記下巻
応神おうじん天皇15代だね の子どものうちの、
オオサザキが16代目の天皇陛下仁徳天皇(にんとく)
難波(なんば)の高津に 宮殿を造り、ご即位された
仁徳天皇は
まず葛城(かつらぎ)の娘のイワノ姫(石之日賣)を正妻とし4人のお子をもうけられた
ご側室は 日向の(ひゅうが)の諸県の民 ウシモロ牛諸の娘 日向 牛 だ・・・カミナガ を妻として生まれた子どもが2名で ハタ(秦?)波多びのおおいらつこ
次に生まれたお子が ハタびめのいらつめ
仁徳天皇は6人のお子に恵まれたみたいだ
応神天皇のお子が 仁徳天皇であらされて・・・
難波の今の大阪で 仁徳さんは 宮殿を建て
ご側室の お子様に ハタの娘が子どもを生まれた
『秦人(はだひと、應天皇記参照)を使って茨田堤(まむたのつつみ)と茨田三宅(まむたのみやけ、屯倉)を作り、丸邇池(わにのいけ)・依網池(よさみのいけ)を作り、難波之堀江(なにはのほりえ)を掘って海とつなぎ(現在の大川)、小椅江(をばしのえ)を掘り、また墨江之津(すみのえのつ)を定めた。』
現在の淀川の ㈱トーナイ弊社の前の川 の堤を仁徳(にんとく)天皇が 秦(ハタ)の民を使って 土手を造ったか そうなんか やっぱり そうか
大阪を造ったのも な~んだ 秦氏か
仁徳天皇の巻では
この前も書いたけど 国会でも こんな例が 古事記にもあるとされた
【天皇が高い山に登られて、国の四方をご覧になり「國中に竃からのからの煙が昇っていないのは、民が貧しいからに違いない。そこで、これから向う三年間は、民の課(みつぎ、税金)と伇(えだち、労役)をすべて免除せよ」と仰せられた。その為、大殿は傷み、雨漏りがした。しかし、修理をなさらずに、箱を置いて漏れ落ちる雨を受け、雨漏りしていない場所に移られる有様であった。
その後、国見をされると、国中に竃の煙が立ち昇っていた。そこで、民は豊かになったのだろうと思われて、課伇を課せられた。このような訳で、民は豊かになり、税に苦しむことは無かった。この為、この御世を讃えて聖帝世(ひじりのみかどのよ)と云う。】
----という話しもあるし
また
吉備(岡山県)にお帰りになった、黒姫を追って 吉備に仁徳天皇が来られた話などもある
このお越しくださった場所は ワシらの田舎の 吉井川周辺だと 僕は確信しているし
応神天皇も 実は 生まれた場所は 備前の山中じゃないかと勝手に空想しているのが藤内誠
今の苗字は東内
備前一宮 大吉備津彦神社 古代の宮司の名は大藤内
難波王藤内は吉備神道の元祖中の元祖である
まあ でたらめな事を書いていると思われるだろうが
神社本庁の登録文章にそう出ているから・・・
6時か
歴史の勉強は 難波 なんば というたら 大阪の難波
そこに宮殿をお立てあそばされたのんが、
応じん天皇 と そのお子の 仁徳てんのう
仁徳天皇は 側室の吉備の黒姫を とても愛された
吉備の女と過ごす時間は とても 楽しい って感じ
まあ それは 吉井川周辺の出自の女じゃな
吉備に この姫は 事情があって帰国されたのを
仁徳天皇は 後をおわれあそばして 吉備の山深くまでお越しあそばされた
備前の辺りの 港から 船を カヌーのような ボートで10人くらいで漕げば どうじゃ150kmなので 自速20kmで漕げば すぐに 難波の津に到着するんじゃないのかな~ その時代の高速船やな
陸路を行けば 豊臣秀吉の 高松城から 畿内へのオオ返し これが7日ほどじゃから 船が早い
秀吉の場合は 大軍を急遽 移動させたので これは陸路の地上大部隊の移動だから
まあ これは400年前で
仁徳天皇は1600年も前か そやな
それと古事記の 【おうじん天皇】と【にんとく天皇】のところでは 秦から 嫁が入ったりしているのは 間違いないみたいだ
僕が何時も気にしている 秦氏 物部氏 藤原氏 の中の 秦だ
古事記にも 出てくる
秦氏=渡来人ということで、間違いない
この秦氏が 日本人の心の形成に大きく影響した
日本人の思想作りにも 影響が大だと思う
今の 朝鮮半島の人 中国の人 モンゴルの人 顔はそう変わらないが
性格というか 長年 培われてきたモノが 違っていて
顔は似てるが 性格が違うんだ とも思うな~
今日は何んの日 かというと
神武天皇即位紀元2675年の記念日であるが
この2675年というのは 疑問符もついていることはあるが 初代天皇がご即位された日であるということですが
㈱トーナイは この日も休まず 商売する
その昔 吉備国が巨大な国だったと仮定したら
邪馬台国は 備前市や和気 美馬 御馬 周辺にあって
卑弥呼は 吉備から 奈良に移動をなされた と空想中の藤内 東内誠
現在の岡山平野の辺りには 多分 2675年前も 米つくりも始められていて 平和な瀬戸内の海と 山も深い その昔から 素晴らしい土地だった と思う
たぶん 2675年前の時代も 吉備は
平和で 土地が豊かで
のん気に人々が
の~~~~ん気に 暮らしていたと思うな~
山では猪や鹿 兎を捕えて食った 皮を剥いで 衣服にもした 海や川に入って 魚やら貝もたくさん獲れた
そうなんや 吉備に住んだ人は 心が吉備の川の水のように清らかなんじゃ
そうないに思うな~
為替は円安に振れ これが1%円安効果で 日本での銅価格前日比変わらず、
11時大阪港トーナイ此花営業所で「荷受中 東内誠 建国記念日も休まず仕事
さっき大きなモーターが来た これは重いのでうれしいトーナイ
また 早朝のブログに戻って・・・
中国の消費者物価指数の伸び率が1月は1%を切った2009年11月来の悪さ である このCPIの伸び率が下がったのは世界的な原油価格の下落が主因だと思うが
生産者物価指数(PPI)のほうは もっと下がっている
これは 鉄や銅が下がったことも関係すると思う
中華経済は デフレ気味に なってきている
鉱業の生産者物価指数(17.5%下げ)
原材料(8.6%下げ)
CPIの低下は 中国経済減速懸念が高まることにもなるので どうだろう 中国政府は政策金利を下げてくるのではないか?
そうなると中小商工業者の資金繰りも 改善しないか?
銅相場 ここ2年半ほど 良くないです大阪港に中小としては比較的大規模なスクラップ輸出基地というか 総合リサイクルセンターを運営する㈱トーナイ 東内誠 日々更新銅相場を追ってという題名のブログです
最近は 日本の古代史や東アジア古代史の勉強も兼ねて此れを日々、3千日連続で書いている
経済と古代史は全く関係ない とお思いの人も多いが
それは 違っていて 中国共産党の幹部などは 全員が歴史にとても詳しいんだ
そんなこともあるので 古代史は馬鹿に出来ない
また日中関係を語るには 日本の古代からの歴史も知ってあたり前だと思うんです
そして 金銀銅鉄の歴史は 日中韓の歴史を大きく変えたと思うのです
http://www.tohnai.com/top_main.html
リンクは 僕の会社のホームページのTOPメインページ
是非 スクラップのことなら お問い合わせ下さい
100トン単位の話しならば 職員ではなく 僕も動きます
また 各担当職員に申しつけ下されば 僕がバックアップします
以下は古代史勉強東内誠藤内誠のメモ書き
古事記 下巻大雀命坐
難波之高津宮治天下也此 天皇娶葛城之曾都毘古之女石之日賣命大后生御子大江之伊耶本和氣命次墨江之中津王次蝮之水齒別命次男淺津間若子宿禰命四柱又娶上云日向之諸縣君牛諸之女髮長比賣生御子波多毘能大郎子亦名大日下王次波多毘能若郎女亦名長日比賣命亦名若日下部命二柱又娶庶妹八田若郎女又娶庶妹宇遲能若郎女此之二柱無御子也凡此大雀天皇之御子等并六王男王五柱女王一柱故伊耶本和氣命者治天下也次蝮之水齒別命亦治天下次男淺津間若子宿禰命亦治天下也
古事記下巻
応神おうじん天皇15代だね の子どものうちの、
オオサザキが16代目の天皇陛下仁徳天皇(にんとく)
難波(なんば)の高津に 宮殿を造り、ご即位された
仁徳天皇は
まず葛城(かつらぎ)の娘のイワノ姫(石之日賣)を正妻とし4人のお子をもうけられた
ご側室は 日向の(ひゅうが)の諸県の民 ウシモロ牛諸の娘 日向 牛 だ・・・カミナガ を妻として生まれた子どもが2名で ハタ(秦?)波多びのおおいらつこ
次に生まれたお子が ハタびめのいらつめ
仁徳天皇は6人のお子に恵まれたみたいだ
応神天皇のお子が 仁徳天皇であらされて・・・
難波の今の大阪で 仁徳さんは 宮殿を建て
ご側室の お子様に ハタの娘が子どもを生まれた
『秦人(はだひと、應天皇記参照)を使って茨田堤(まむたのつつみ)と茨田三宅(まむたのみやけ、屯倉)を作り、丸邇池(わにのいけ)・依網池(よさみのいけ)を作り、難波之堀江(なにはのほりえ)を掘って海とつなぎ(現在の大川)、小椅江(をばしのえ)を掘り、また墨江之津(すみのえのつ)を定めた。』
現在の淀川の ㈱トーナイ弊社の前の川 の堤を仁徳(にんとく)天皇が 秦(ハタ)の民を使って 土手を造ったか そうなんか やっぱり そうか
大阪を造ったのも な~んだ 秦氏か
仁徳天皇の巻では
この前も書いたけど 国会でも こんな例が 古事記にもあるとされた
【天皇が高い山に登られて、国の四方をご覧になり「國中に竃からのからの煙が昇っていないのは、民が貧しいからに違いない。そこで、これから向う三年間は、民の課(みつぎ、税金)と伇(えだち、労役)をすべて免除せよ」と仰せられた。その為、大殿は傷み、雨漏りがした。しかし、修理をなさらずに、箱を置いて漏れ落ちる雨を受け、雨漏りしていない場所に移られる有様であった。
その後、国見をされると、国中に竃の煙が立ち昇っていた。そこで、民は豊かになったのだろうと思われて、課伇を課せられた。このような訳で、民は豊かになり、税に苦しむことは無かった。この為、この御世を讃えて聖帝世(ひじりのみかどのよ)と云う。】
----という話しもあるし
また
吉備(岡山県)にお帰りになった、黒姫を追って 吉備に仁徳天皇が来られた話などもある
このお越しくださった場所は ワシらの田舎の 吉井川周辺だと 僕は確信しているし
応神天皇も 実は 生まれた場所は 備前の山中じゃないかと勝手に空想しているのが藤内誠
今の苗字は東内
備前一宮 大吉備津彦神社 古代の宮司の名は大藤内
難波王藤内は吉備神道の元祖中の元祖である
まあ でたらめな事を書いていると思われるだろうが
神社本庁の登録文章にそう出ているから・・・
6時か
歴史の勉強は 難波 なんば というたら 大阪の難波
そこに宮殿をお立てあそばされたのんが、
応じん天皇 と そのお子の 仁徳てんのう
仁徳天皇は 側室の吉備の黒姫を とても愛された
吉備の女と過ごす時間は とても 楽しい って感じ
まあ それは 吉井川周辺の出自の女じゃな
吉備に この姫は 事情があって帰国されたのを
仁徳天皇は 後をおわれあそばして 吉備の山深くまでお越しあそばされた
備前の辺りの 港から 船を カヌーのような ボートで10人くらいで漕げば どうじゃ150kmなので 自速20kmで漕げば すぐに 難波の津に到着するんじゃないのかな~ その時代の高速船やな
陸路を行けば 豊臣秀吉の 高松城から 畿内へのオオ返し これが7日ほどじゃから 船が早い
秀吉の場合は 大軍を急遽 移動させたので これは陸路の地上大部隊の移動だから
まあ これは400年前で
仁徳天皇は1600年も前か そやな
それと古事記の 【おうじん天皇】と【にんとく天皇】のところでは 秦から 嫁が入ったりしているのは 間違いないみたいだ
僕が何時も気にしている 秦氏 物部氏 藤原氏 の中の 秦だ
古事記にも 出てくる
秦氏=渡来人ということで、間違いない
この秦氏が 日本人の心の形成に大きく影響した
日本人の思想作りにも 影響が大だと思う
今の 朝鮮半島の人 中国の人 モンゴルの人 顔はそう変わらないが
性格というか 長年 培われてきたモノが 違っていて
顔は似てるが 性格が違うんだ とも思うな~
今日は何んの日 かというと
神武天皇即位紀元2675年の記念日であるが
この2675年というのは 疑問符もついていることはあるが 初代天皇がご即位された日であるということですが
㈱トーナイは この日も休まず 商売する
その昔 吉備国が巨大な国だったと仮定したら
邪馬台国は 備前市や和気 美馬 御馬 周辺にあって
卑弥呼は 吉備から 奈良に移動をなされた と空想中の藤内 東内誠
現在の岡山平野の辺りには 多分 2675年前も 米つくりも始められていて 平和な瀬戸内の海と 山も深い その昔から 素晴らしい土地だった と思う
たぶん 2675年前の時代も 吉備は
平和で 土地が豊かで
のん気に人々が
の~~~~ん気に 暮らしていたと思うな~
山では猪や鹿 兎を捕えて食った 皮を剥いで 衣服にもした 海や川に入って 魚やら貝もたくさん獲れた
そうなんや 吉備に住んだ人は 心が吉備の川の水のように清らかなんじゃ
そうないに思うな~