13日発表された8月の中国鉱工業生産と小売売上高は、堅調な住宅市場や政府支出 全て思ったよりも良く
中国の銅消費は強く この4600$台は あまりにも安過ぎるとみられ、
銅相場は上がった4771$、アルミ1588$ ニッケル9867$ 鉛1950$ 鉄鉱石57$ 9.15 3時 東内
奈良県天理市と 岡山県の 備前の国 赤磐に 石上神宮があり その超古代に布都(フツ)御霊(みたま)の剣が来た時代より
金属に深い繋がりがあるのが 大阪港で金属くずを 集めるモノ トーナイ(出自は岡山県)
どうも 西暦で言うと300年代後半か 何時の時代に
この国に強力な武器が来たか
石上神宮の 宮の辺りの丘から 出土した剣は西暦184-190年 中国で製造されている
(中国 後漢末の霊帝の年号に 多数の学者が確定)
その剣が 副葬されるまで その地で その一族は 住んでいて 代を重ね
西暦350年頃に この剣が副葬された かなり大きな古墳なので
西暦350年には 石上は巨大な力を持っていた・・・
石上のご先祖は 中国に渡って その剣を持ち帰ったか
中国で暮らしていたモノが渡来した か
どちらか
今から 2016年-184年=1834年ほども前に 当地に やって来た か
蘇我氏とも 親族関係のような 気もするが???
石上は 武器 そして 祈り 神道
超古代から の 金属と 日本人は 何処から来たのかを 追っているが けっこうに難しい
石上や 蘇我氏などが 来る前から 日本人は暮らしていて 稲作もやっていたのですが
金属の武器や農具を持ち込んだ 人は 神になった というか大王になった
先日 石上の宮で 聞いたのだが 岡山県の
布都御霊石上神宮 は 出雲系 では??
とも 言われていた
岡山の石上の宮司の 物部宮司が
何ども 天理の石上を幾度も訪問されておられることは 数年前にも聞いていたが・・・
とにかく 天理の石上は 多分 大王か その関係者には間違いない
武器庫の管理者 と いうだけでは ないと思う
ワシも 吉備の国 美作で 矛を祀る 小さな祠を
最低でも1300年以上管理しています と いうたら
お宮の 方々も エエ感じに 会話はして下さる
とにかく奈良県天理市の 天理教の周辺の丘陵地は 凄い場所であることは 間違いない
ここに 吉備の国の 円筒埴輪が来ている 楯築遺跡に 並んだ 円筒埴輪と同じ物
楯築遺跡は 前方後円墳の 走りの時代に造られた と思う 吉備の国 中山
チュウザン中山太トーナイ
天理教の宗祖は 中山家 その中山家に嫁に来た 女性に150年ほども前に神がかりがあった のが最初 か
中山家に 前川家から 嫁いできた嫁が神がかりした
これも 確定 間違いない
石上神宮の周辺は たぶん その一族の関係者が 住み着いた と思う
今でも その血は 流れとるやろ
武器を管理し 武器庫を管理といったほうが正しいか そして祭祀も 執り行う 一族
ヤマト朝廷の成立の時代 おそらく 岡山の吉備の者が協力した
昨日は岡山県の みまさか に 帰り 祠の中に入り ご先祖に語りかけてみたが 教えてくれんな
中山太の 神さん ワシに神がかりしてくれんか・・・
大吉備津日子命を 奉っておるが
その大吉備津日子様 自体が 解らんな
ヤマト トトトソ モモソ姫 の ご兄弟である とは 歴史書に書いてあるが・・・
この姫が 卑弥呼(ひみこ) とも 箸墓古墳(はしはか)の埋葬者 とも 言われているのじゃ・・・
迷路に入り込んでしまってる バタ屋 東内 誠 金属を追う モノ トーナイ 中山太
天理大学で聞いたのだが
その昔 中国にチュウザン国 中山国 という 銅の製造に長けた 国があったのを
知っていますか って聞いたら やっぱり博物館に出入りされてる人は知っとったな~
この中山は 西暦以前で2300年程も前の時代や
とにかく 布都御霊の剣には 御霊が入り込んでいて 凄いのだ
大王が持つ 剣なのじゃ
昨日は135トン ワシが不在でも集めとけ って伝えて出かけたが
100トンしか 集まっていないな あかんやない
不在だと 若干 金属の集荷量が減る
自己中トーナイ その昔 ワシのご先祖は 大陸から漂着した物かも知れん
そんでな 最近は こないに 考えてる
ご縁とは・・・ワシの周りには けっこうたくさんの仲間達が集ってくるのですが
ワシは思うのだが
ワシに ご縁がある人は
ワシらが 生まれる前から
実は 何かのご縁で
実は結ばれていたような気が するんや
それは血縁かも 知れないし
同じ仲間で 命掛けで 敵と戦った戦友かも知れんし
命をかけて 荒波を渡ってきた 同志 の縁かも 知れん
何かの ご縁が 引き寄せ合うということは なんでかしら あると思うのだ