今日は午後1時30分、地下鉄「二条條駅」でOB関西支部の皆さんと待ち合わせして「二條陣屋」を訪れましたわ~
二條陣屋のHPによれば:
創建は江戸時代寛文年間(1661~1673年)といわれ、約340年前。寛政3年(1791年)以後、商人「萬屋平右衛門(よろずやへいもん)」の屋敷であって、当地において米・両替商を営むとあります。
萬屋平右衛門の萬屋は屋号であって、商人が苗字を名乗ることは特別の場合を除き、許されていません。
米・両替商とは、武士の俸禄(ほうろく、給料のこと)である現物の米を貨幣に交換したり、旅人のために金、銀貨を銅銭に交換したりする店を言います。 米・両替商は、それらの交換レートを支配することにより、手数料収入を得ることができたのです。
・両替商は、一定の財産があって初めてできる商売です。萬屋平右衛門は当初、公事師としてその財を蓄えたと伝わります。 公事とは、今日でいう民事裁判を意味し、公事師とは今の弁護士か司法書士にあたります。
屋敷は二条城の下にあって、京都所司代屋敷、東西の京都町奉行、有力藩の藩邸が軒を連ねる官庁街の中にありました。 京都所司代や京都町奉行は、一定様式の訴状を要求します。公事師はそれを代書することにより、手数料収入を得ることができました。
また、上洛してすぐに裁判が始まるとは限らず、判決が出るまでにも時間がかかります。裁判待ちの大名は公事師の屋敷に逗留するようになり、公事宿と呼ばれるようになりました。
萬屋平右衛門の公事宿は、その地の利をさらに活かし、藩邸を持たない西国大名に対し、上洛宿としても屋敷を提供するようになりました。
現存する屋敷は、過去の火災、改築等により、創建当時の店構えは見ることができませんが、各室の趣向を凝らした意匠と客の安全を図るための巧妙な防衛建築は、創建当時の屋敷造作を引き継ぐものと思われます。
当屋敷は個人所有の住宅です。昭和19年(1944年)国宝保存法により、現住民家では日本で2番目に国宝に指定され、昭和25年(1950年)の法改正(文化財保護法)により重要文化財となり、今日に至っています。
なお、二條陣屋の名称は一般公開にあたり、当家が命名しました。
二條陣屋のガイドは我OB会関西支部の男性がボランティアガイドしてくださったのです。屋内は撮影禁止。HPでは防衛建築といっておりますがまるで忍者屋敷って思うほどです。撮影禁止が残念でした。
私たちが門外で記念撮影していたら、その時法螺の鳴る音が聞こえました 一人の僧侶が法螺を鳴らしながらやってきました。その後方には数人のが歩いてやってきました。私たちに正座して合掌するように指示がありました。どうやら僧侶の千日修行のご一行様。 私たちは正座して合掌していると竹で一鞭・・・。めったにみることができない場面に遭遇しました。
その後、二条城見学して午後5時前に地下鉄で「京都市役所前駅」近くにある「おばんざい酒房 じろく亭」で懇親会。楽しいひと時を過ごしました。