アンティーク青葉2021

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骨董と茶道具

2022-03-18 16:36:38 | 日記

コロナで茶道が危機に瀕している。感染症全般に対して危機に瀕している。

骨董とは昔、茶道具とほぼ一緒であったような気がする。

それが骨董屋に乗り移ると難しい専門知識のかたまりのような業界のようになり、やかましいじいさんとなる。

さらに茶道具ばかり扱うと高級店とかいう感じがあった。

しかし、思うにおそらくきった骨董に高級も低級もないのではないか。

現在の社会状況は、そんな茶道の点前とかをすっとびこして進んでいる。

毎日毎日が情報の山だ。

眺めるだけで一日が終ってしまう。

これだけ情報過多の日本で、独創性とかうまれるのであろうか。

ところで今ややかましいじいさんの時代は終った。

骨董屋といえば、年配者が多いが、やはりサラリーマン生活を続けて、終えてから開いてみるのがよい、と思う。

厚生年金がもらえないと、骨董の売れ行きに生活がかかってくる。

あとやはり仕入れなどやめないと、これも生活費を削ることになるので、定年終ってから骨董屋をはじめようとか考え骨董市とかに行くのは、やめとかないとお金がどんどん減り続けるだろう。

ということで、独立店舗で営業、しかし国民年金ということでは、商売する元気もなくなりそうだ。

やはり厚生年金をもらいつつ、少しずつお小遣いをかせぐというのがいいのではないか。

そもそも定年後に骨董屋をとかいきなり考えても無駄です。

仕入れもすごい値段になります。

おまけに、いっぺんにあつめると、よくないものをいっぱいあつめて、しかも売れないとなります。

以上予測です。

 

実はわたしは、昔、茶碗に憧れた時があって、しかし、当時の日本では茶碗は超高価なもので、買えなかった。

いまは、茶碗ならびに茶道具は売れない。

酒器も売れなくなっている。

いったい何が売れるのか、まあ、自分は自分のものを売り切ったらそれでやめるのでいいか。

目玉商品は、1ヶ月に一個としよう。

あとは雑貨とかを売ったりしよう。

 

 

 

 


国策と庶民

2022-03-18 15:44:14 | 日記

今やなにかしらないが、ロシアは世界中(中国を除く)と戦っているかのような報道である。

どのサイトでも、ロシアのことを考えているコメントはゼロである。

これは、1945年5月にドイツが降伏した後の日本の姿のようだ。

しかし、当時はこれはほんとうに日本は全世界中と戦っていた。アメリカの火炎放射器など残虐な兵器でアメリカから住民のこれはほんとうに多くを巻き込む、大惨禍を受けた。

アメリカは、こんにちまでいつも正義である。

その根拠は民主主義であるが、民主主義を勝ち取ったフランス革命はギロチンにつぐギロチン、殺戮しまくって達成された。

アメリカ大統領が宣誓のときに手をおく聖書には、このような光景はまるででてこない。

アメリカは資本主義の国として戦後、ソ連の社会主義と対立した。

社会主義がなくなったら(一応中国はそうらしいか)こんどは民主主義の国であり、今回はおそらくロシアを包囲して、この機会にロシアを殲滅させる気では無いか。

とすれば、これはもう先に核戦争のシーンが見える。

しかし、実際の兵器水準では極超音速ミサイルの実験に中国が成功し、ロシアも開発を促進しているらしいが、アメリカは実験に失敗し、第二のスプートニクショックとよばれている。

NATOとロシアが接近するのは極めて危険である。

なぜなら、NATOはアメリカの兵器であるからだ。

なにせトルコまではいっている。

それにしても、日本という国はほんとに最後まで戦った。

しかし、日本は、ベトナムのような代理戦争をせずに済んだ。

今度のウクライナ戦争が核戦争になるのか、ベトナム戦争になるのか、庶民はとくにロシアの情報について知らない。

いろいろと間違ったコメントも多い。

いちいち典拠を指摘する暇はないが、日本がアメリカを支持しなければならない理由は正確のところわからない。

どの国とも戦争をしないことです。と日頃は教えているのだろうが、政治家には両面からみることが必要だ。

戦前はドイツと運命を自らすすんでともにしたのだが、この国は、どこと運命をともにするのだろうか。

おそらく庶民以外のものと運命をともにする気なのだろう。

庶民は、ただ、値上がりにたえ、日頃の生活が明日も来ることを願い、しかし、実際は何の確証もなく庶民をふりまわす政治・ジャーナリズムのいうことを聞き、ほそぼそと続く生活のなかで、どんどん未来もなくなっていくなかで暮らしていっているような気がする。

すさまじい階級社会の到来、それが眼前に見えるような気がする。


骨董曜日

2022-03-18 11:49:49 | 日記

春になった。少し暑い日もある。

人事も最後で、あまりなにも気にしない。

まわりも年寄りには関心がない。

こんな時は、骨董のある通りでもぶらつければと思いつつ、骨董の本を見て過ごすのがいい。

以前、垂涎の的であった漆器の香合とかもい、今は高そうだなと距離感をおいて見ることができる。

ひとつには、ネットで画像で見れる時代なので、あまりむやみにほしがらなくなってきたのではないか、私もみなさんも。

もうひとつは、昔の日本情緒が今の日本からは完全に消えて、そのなかで骨董が時代を切り開くことがまったく無くなったことがあろう。

しかし、人間にはひとりでやれる趣味が必要だ。

他人と一緒だと時間をあわせるのに大変で、なおかつ趣味の領域というのはひとりひとり感覚が違うことがそもそも趣味の存在する由来でもあるので。

時事問題や経済ニュースにばかり反応していると、人間的ゆとりのない人間になってしまいそうだ。

あと、うわさばなし、然り。

読書はというと、年をとると活字を読むのがつらくなってくる。

読書は、日経新聞のプラス1で十分だと思う。

かつて、書を捨てよ、街に出ようという寺沢修司のことばがあったが、今はスマホをもって外出すると車にひかれる。

コロナで街の喫茶店は大変で、食堂にこの前はいったら客はひとりだった。

政府は5000円を年金受給者に配るとかいっているが、これはコロナ対策のマスクの費用レベルだ。

いけない、また時事の話をしてしまった。

しかし、適当な骨董は今は安くなった。

最近買っていて骨董安くなったな、と思ったが、今は場所によるがもっと安い。

骨董にとっては、誰でも買えるいい時代になった。

しかし、問題は経済的にみんな苦しくて骨董買わないというところだ。

私も急速に買わなくなってきて、ぶらぶらしている。