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時の関守

結婚という形 (3)

結婚について、一般論を書こうとしているわけではありません。
ただ、霊的な視点で、少し考えてみようと思っています。

結婚ということを、常識的に見てみます。
人が成人して、ある程度の独立した生活が営めるようになったとき、男女が夫婦となり、子供をつくるとかして、家庭をつくること。
ただし、そこには普通、愛情というものが入ってきますので、簡単ではありませんね。

愛情ということに関して、私が思うのは…
若いときは、どちらかというと、愛情を閉じ込めようとする傾向がある気がします。
子供のころ、充分に愛情がみたされなかったりすると、愛が欲しい、欲しいとなったりしますよね。
若い人の恋愛が失敗するのは、このパターンです。
私に愛をください、もっと、もっとたくさんください。
私を(僕を)もっと、もっと楽しませてください。(愛を独占して、閉じ込めれば、そんな愛がずっと続くかのように…)
最初のうちはそれでもよいのでしょうが、だんだんと相手も、お互いも、それではいつか疲れてしまい、愛が枯れてしまいます。

本当は、愛が枯れるなどということはないのだと思います。
なぜなら、愛は自分の中から泉のようにあふれてくるもので、それを相手に求めてしまうから、いつかそれは枯れてしまうのでしょう。
愛を求められ続けると、疲れてしまうのでしょうね。

わたしのつたない経験から、一つわかったことがあります。
私は自分の結婚にあたって、彼女になにをしてあげれるのだろうかだけを考えていました。
彼女が病弱だったのもあります。
また、彼女を経済的に満足させることが無理でしたので、そんな私に嫁(とつ)いでくれた妻への感謝もありました。
そして、とし(年齢)も離れていました。

ですから、(とても傲慢でしたが)彼女から教わることは何一つない、自分は与えるだけでいい。
そう思い込んでいました。
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