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時の関守

この世のはじまり (6)

とても長い話しになってしまいました。
この話しを書いている途中、私は二つの苦しい決断に接しました。
私にできることは、さしてありません。
その話しを聞いてあげること。
そして、これからも見守り続けること…。

この世のはじまりについて、思いをはせることに、
何か意味はあるのだろうか?

「とても、大事なな意味があります。
なぜ人は、そんな大事なことに興味さえ示さず、無視し続けるのですか?
人は、人生のさまざまな場面のなかで、出会いと別れを繰り返し、泣き笑いをくりかえします。
もしかすると、
人間にとっての、最大の苦しみは別れといってもよいかもしれませんね。
でも、
その最大の苦しみをへて、人間は大人(おとな)となっていきます。」

大人になることが、そんなに大事なのですか?
大人となるために、人間には死という運命(さだめ)があるのですか?

「この世はじまりに、人はまだ、たましいでしかなかったとき、神のこの世の創造に遭遇(そうぐう)しました。
それは、神の大事業といっていいものです。
それに、多くのたましいも大事な役割をになって、参画(さんかく)しました。
(参画しなかった)残りのたましいも、それから、
この世に生まれ、
さまざまな思いを胸に、
人間にまで成人することを目標に、輪廻転生(りんねてんせい)を繰り返したのです。
人間にまで成長するのには並大抵のことではありませんでした。

もちろん、神も苦心惨憺(くしんさんたん)しながら、(陰ながら)手を貸し、見守ったのはもちろんのことです。
そんな中、親との別れ、
それぞれのたましいとの別れは、ほんとうに悲しく、苦しいものでした。
その悲しみの中から、
人間は情とか、感情とかを学び、心といったものを成長させていったのです。
そして、人間となっていったのです。
別れは必要なことでした。」

「その記憶を人は、等しく持っているのです。」

長い話しをいったん、閉じようと思います。
次に、人間のはじまりを別の機会に書きたいと思っております。
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