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時の関守

天に続く(三つの)階段

天につながっていく三つの方法があると思います。
一つは、あたりまえのことですが、苦しいとき、困難な出来事が起こって、どうしていいかわからなくなったとき、神に祈ります。

祈りというと、なにか特別なことをするように思いますが、
そうではなく、
隣のおばさん、お兄ちゃんに相談してみようかな、何か良い解決法を教えてくれるかもしれないな。そのような感じでいいと思います。
いついかなるときでも、どんな場所にいようと、(いつも近くにいて、)一番最初に相談できる存在。時空を越えた頼もしい相棒(あいぼう)。気がついたら、いつもそんな存在に、(さまざまなことを)打ち明けていましたなんて…
でも、そんな存在があったら、とてもうれしいですよね。

今の状況が、変わるかどうかわからないけど、一応聞いてみようかな、そんな感じだってOK。
もちろん、簡単に答えが返ってくるわけではありませんので、そこは少し、霊感のある人に頼んでみるのも一つの方法かもしれません。
霊感、直感力のすぐれた人で、占(うらな)いとか併用すれば、ほとんど適格なことを言ってくれると思います。

テレビなど見ていると、今はすごいですね。
オーラが見える人、動物と会話できる人、江原さんのように守護霊と話しできる人。
どれがいいとかではなく、それぞれのはたす役目が違うのでしょうね。
まれにというか、実はとてもまれにですが、直接神様(一口に神様といっても、さまざまな神様がいるようですが)と話ができるなんていう人もいます。

ちょっとあやしげな、拝み屋さん(今は、そんな人はあまりいないかも)から、有名な占い師といわれる人まで、人間が困ったとき、アドバイスが必要なとき、良いタイミングでヒントをもらうということは、とても適格な対処方法だと思います。

まちがいは、それに依存したりすることで、大事なことは、そこでいただいたヒントで、心の枠組みを立て直し、自らの心を司令塔にして、人生の軌道修正をするということです。
その意味で、宝くじを当てたいなんていうのは、ちょっとちがうのです。
それが無理ということではなく、心の司令塔が正しい人生の戦略をたてれば、お金は後から付いてきます。
それからすると、宝くじで2億、3億当たったなんていうのは、かえって人生が狂いそうですよね。(私だって、そうなったら、間違いそうです。)🤕

依存(いぞん)していなくても、その場しのぎで終わってしまったりすると、あまり意味がなくなってしまいますね。
あたりまえですが、依存することと、天につながることはまったく違います。
そして、天につながっても、それが一時だけであると、結局は何の役にたたなかったね、なんてことにもなりかねません。

コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
@hiromi1011 私もメッセージを受け取る能力はありません。身近で受け取れる人はいます。でも、受けとるには受けとるだけの、心の力、心の広さというものが必要だと思います。それを、生かすだけの責任も生じるかもしれませんね。
受け取れる人なりに、悩みがあるようです。そうでない人は、それがちょうどよい、そして、本当に必要なとき、天は、どんな手段を使っても、伝えてくれるはず、私はそう思ってますよ。
小春日和さんのこれまで苦労したことが、今の幸せにつながって、喜びにかわることを祈っています。
hiromi1011
山登りするようになり、1000mの頂上に立った時、空を近くに感じ、何かに通じる、繋がるような気がして
これが信仰•祈りに繋がっていったんだろうなと思いました
私も、辛い時期、よく空を見上げてました
私だけじゃない、どこかで、同じように泣いてる人もいる、私だけじゃないと踏ん張ってました
今は、のんびり空を見上げていられることに「幸せやなぁ」と感謝して見上げてます
何か聞こえたらいいけど、私にはそういう能力はありません(^^;
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