一つは、あたりまえのことですが、苦しいとき、困難な出来事が起こって、どうしていいかわからなくなったとき、神に祈ります。
祈りというと、なにか特別なことをするように思いますが、
そうではなく、
隣のおばさん、お兄ちゃんに相談してみようかな、何か良い解決法を教えてくれるかもしれないな。そのような感じでいいと思います。
いついかなるときでも、どんな場所にいようと、(いつも近くにいて、)一番最初に相談できる存在。時空を越えた頼もしい相棒(あいぼう)。気がついたら、いつもそんな存在に、(さまざまなことを)打ち明けていましたなんて…
でも、そんな存在があったら、とてもうれしいですよね。
今の状況が、変わるかどうかわからないけど、一応聞いてみようかな、そんな感じだってOK。
もちろん、簡単に答えが返ってくるわけではありませんので、そこは少し、霊感のある人に頼んでみるのも一つの方法かもしれません。
霊感、直感力のすぐれた人で、占(うらな)いとか併用すれば、ほとんど適格なことを言ってくれると思います。
テレビなど見ていると、今はすごいですね。
オーラが見える人、動物と会話できる人、江原さんのように守護霊と話しできる人。
どれがいいとかではなく、それぞれのはたす役目が違うのでしょうね。
まれにというか、実はとてもまれにですが、直接神様(一口に神様といっても、さまざまな神様がいるようですが)と話ができるなんていう人もいます。
ちょっとあやしげな、拝み屋さん(今は、そんな人はあまりいないかも)から、有名な占い師といわれる人まで、人間が困ったとき、アドバイスが必要なとき、良いタイミングでヒントをもらうということは、とても適格な対処方法だと思います。
まちがいは、それに依存したりすることで、大事なことは、そこでいただいたヒントで、心の枠組みを立て直し、自らの心を司令塔にして、人生の軌道修正をするということです。
その意味で、宝くじを当てたいなんていうのは、ちょっとちがうのです。
それが無理ということではなく、心の司令塔が正しい人生の戦略をたてれば、お金は後から付いてきます。
それからすると、宝くじで2億、3億当たったなんていうのは、かえって人生が狂いそうですよね。(私だって、そうなったら、間違いそうです。)🤕
依存(いぞん)していなくても、その場しのぎで終わってしまったりすると、あまり意味がなくなってしまいますね。
あたりまえですが、依存することと、天につながることはまったく違います。
そして、天につながっても、それが一時だけであると、結局は何の役にたたなかったね、なんてことにもなりかねません。