妻と出会ってから、三年の月日が立ち、様々な事情や私の未熟さもありました。
2~3カ月の間、悩みに悩んだ末に、結婚できないことを彼女に告げたのです。
あとは彼女を家まで送り届ければ、もう会うこともなかったでしょう。
でも、ぎりぎりのところで妻はうんと言いませんでした。
その(数十分の)沈黙の圧に私は負けて、次の瞬間、彼女にプロポーズしていました。
自分で自分の言葉が信じられませんでした。
あんなに悩みに悩んで、よくよく考えたうえでの決断だったはずなのに…。
その時のことを後で、よく振り返るのですが、その時、もう一人の自分がいて、「そうじゃない、お前の判断は間違っている。俺が正しい判断をしてやる。」
そういって、プロポーズをさせたような気さえします。
今、そのときの判断か間違っていなかったこと、彼女と会うためにずいぶん(九つ離れています)待ったんだということが、よくわかります。
なぜなら、そもそも私がこの世に来る目的の一つが、彼女に会うためだったと、最近気がついたからです。
これは、世間ではよくある、ありふれた話しかもしれません。でも、自分の中のたましいを考えるうえで、とてもいい材料となりました。
私たちはまだまだ、自分の心というもの充分に理解しているとはいえません。
心理学でいう無意識という領域もあります。
人生を長く生きていれば、私のように、理性とはまったく逆の判断をしてしまった、ということもあります。
私たちの中に、たましいという偉大な存在があっても、なんら不思議なことではないと思います。
妻は私に、「お父さんがもし、私と結婚してなかったら、どうだったのかな?」と聞きましたので、「あぁ、結婚できなかったかもね。」と答えました。
(「もちろん、運命の出会いです。」
「私たちのすべての出会いは、運命の出会いなのですから。」)