あの「山ほどのネクタイの芯地」を前にして、さて何かになるかねぇぇぇ…と首をひねりまくりました。
一本二本なら、まぁしょうがない捨てる…になりますが、これだけあると、手が止まってしまいます。
母の言葉を思い出しました。「自然からできたもんは自然に還す」…。
でもねぇ、この芯、多分に化繊も入ってるし…。
では次の「お言葉」…「縫って使う道がなかったら、燃やすか刻むか…かんがえよし」。
まぁ化繊では家で燃やすのはねぇ…。
とりあえず、なんとか考えがつきそうな「大剣」と、紐にもならないねぇ、の「小剣」を
真ん中で切り離しました。厄介な方、つまり小剣の方から…「ネクタイの芯って、厚みがあるよね」。
そう、あのペタンコにならないための工夫、芯は厚いのと薄いのの二枚ずつの重ねです。
ひろげて見ると、とにかく30本分全部違う…芯ってこんなにあるんだぁと、ヘンなところで感心してました。
そしてまず思いついたのが、水道などの蛇口の掃除。
水道のメタリックな部分のうしろに芯を渡し、ちょっとだけ洗剤をたらして背中を洗うように、ゴシゴシ。
これが大当たり…調子にのって、洗面所の水道、洗濯場の水道、風呂場の三つある栓も…。
そして使い捨てる…。水道はピッカピカになりました。
ネクタイの芯は、ふくらみをだし、しっかりさせるためか、いつもちりめん細工で使う芯のような、
滑らかさがありません。表面もざらついているし、膨らむようにネルのような毛羽のあるものもあります。
汚れ落としと磨きには最適です。こりゃいいわ、で、今後は「小剣」は使い捨ての「お掃除用ひも」とします。
これでひとつ解決。
大きいほうは…掃除に使うには小さいし、何か小物に使うにも小さいし変形だし。
せいぜい、一番大きい剣先部分をコースターなどの芯にするくらい…かな。
あとは「刻む」…これは、母がよくやっていたことで、ストッキングや、下着のシャツ(いわゆるメリヤス)、
手芸のカットで出た3センチ5センチという、小さなハギレ、お菓子の箱やらポリ袋やらに、
分けて入れていました。母は外出はしましたが、勤めていたわけではありませんでしたので、
ストッキングはそんなにたくさん穴開けたり伝線させたりするわけではなかったので、私のも「もらうし」と…。
まず足首から先と、パンストならパンツ部分をカット。
長い足の部分は、帯枕に使うとか、何かを荷物を縛るときの紐替わり、伸縮があってよく締まります。
また、シャツなどは昔はメリヤスが多かったですから、まず首のゴム編み部分を切り落とし、
袖を切り落とす。そして縫い目のような厚くなっているところを切り、本当にメリヤスの平らな部分だけにする。
シミや穴のあるものは、10センチ角くらいに切って空き缶に入れて、台所の隅に置き、
台所のレンジが汚れると、これでちゃっと拭いて捨てる…。
大きく使えそうなものは、ガラス拭いたり、家具磨いたりの掃除用、
そしてそれ以外の首部分や縫い目のゴロゴロする部分は、まとめておく。
パンストに戻って、パンストのパンツ部分を縦にカットして、股の部分を綴じ合わせ、
裏返して足の出る側を縫い絞り、ひっくり返すと「袋」になります。
昔のパンストって、上にゴムがついてましたから、それを入れ口にして、
はいここで古いシャツの首部分だの、縫い物でで小さいハギレだの、もうボロボロになった羽二重だのを
詰め込みます。ゴムの口の少し下を、私のは赤い紐、母のは別の色…というように、色分けで縛って
二つずつ作り、これを靴の中に入れる…。湿気取りと型崩れ防止ですね。
中に入れるのが綿や絹なのは、湿気をよく吸うから、と言ってました。
テレビでみたとかで、なにやら買ってきた活性炭をくるんで入れて見たり、いろいろしてましたね。
そんなものは、今こぎれいなものを売ってますし、自分で作るときも「シューズキーパー」なんて、
ハイカラな名前で、かわいいリボンなどつけて新しい布で作ったりします。
それでも母は、捨てずに済むならとことん使う…と、ずいぶんやってました。
ストッキングも、たくさん集まると今度はそれを細かく刻む…この時ばかりは、
「マスクせな、くしゃみが出よる」と、アタマも姉さかぶりで…。
ストッキングのカットした「粉」って、結構出ます。吸いこんだら体に悪いでしょうね。
なので母は、大きなポリ袋の中にストッキングを入れ、ポリ袋の口を少し絞って紐でゆるゆるに縛り、
自分の腕だけが入るくらいにして、袋の中で作業する…みたいにしていました。
この刻んだものは「クッションや小座布団、隙間ふさぎマット」などの中身になりました。
目の詰んだ胴裏などの生地でヌードクッションを作ってその中に詰め、
上のカバーを縫って入れる…ヘタってきたら、中だけ出して捨てたらえぇ…と。
昔の人は「もったいない」が当たり前でしたから、なんでも「使い切る」ことを考える…。
なにか形の変わった箱のお菓子をもらったりすると「これ、なんかにならへんかなぁ」と、
じーーっとみつめてましたっけ。今、私が同じことをしています。
最近は化学のものが多いですから、土に還るまで…ができないものが多くなりました。
まだ何かに使えないか…と考えたり作ったりすることは、ゴミを減らすことではなく、
単に「ゴミになるまでの時間を延ばすだけ」…なのかもしれません。
それでも、母の作ったスーパーのパックにきれいな貼り絵をした小物入れや、お菓子の箱を細長く切って、
結んであった金色の紐を付けた「しおり」などを見ると、
何かをゴミ箱に捨てるとき、「ちょっと待て」…と、手が止まるのです。
母のマネは到底できませんが、この「大剣」の芯、どうにかしたい、と思うのです。
母がいたら何を考えるだろう、母に負けないぞ、いやしょせん勝てないわ、と、
そんなことをつい思います。
来月はその母の、命日がきます。丸4年たちましたが、今もまだ、母の「厳しい視線」を感じています。
捨てらんないよぉぉぉぉっ。がんばるしっ。
いつの間にか自分が同じ事をしている事に気がつき
あぁー教えられているんだなぁと感じています。
そうなんですよね。
そういえば…と思い当たって、自分も同じことしてると、
よく思います。親子だなぁって。
結局、ちゃんと伝えてくれてたんですね。