無関係画像ですみません。高校時代からの友人が贈ってきてくれたもの。
イブ゛までまてずに、すでに半分ありません。でへへ。
さて、またまた葬儀のお話しで申し訳ないんですけれど…。
葬式でのしきたり…というものも、様変わりしていくものですよね。
いつも言ってる「通夜は真っ黒じゃないのがホント」というのも、
今は黒ずくめの方が、圧倒的に多いです。ついでに真っ赤な口紅さんもいましたね、やはり…。
逆に身内なんですが、本葬もいわゆる「フォーマル」でない人がいて、ちょっとなぁ…と思ったり。
まぁコレについて今回はこっちへ置いといて…ほかにもへぇぇということがいくつかありました。
私は17年前に、身内の葬儀を出しておりますが、この17年の間にかわったこと…。
まず、故人のお棺に着物などを入れるとき、昔は裾が首のところにくるように逆さまにかけたものでした。
50年前実父がなくなったとき、愛用していた丹前を入れてやりたいと母が言ったら、
やはりさかさまに掛けられて「もうこんな着せ方しか、してもらえへんねんな」と母が泣き崩れたのを、
強烈に覚えています。つい最近までそうだったのですけれど、かわってきているのですね。
母の場合は、着物はちゃんと着る向きで、袖なども上手にたたまれてきれいに掛けられていました。
この方がいいなぁと思いました。
次に驚いたのは「火葬場」の待ち時間用のお菓子類。
あれは残ったものを持って帰らない…というのがこちらのしきたりでしたが、
時間になって片付けていたら、係りの人が「お持ち帰りになりますか?」と聞いてきました。
びっくりして「いえいえ」というと「ではこちらで処分させていただきますので」…。
持ってかえる人がふえたということでしょうか。まぁもったいないことではありますから、いいんですけどね。
なんだかなぁ…。
そういえば、京都の身内が「通夜ぶるまい」の食事の習慣を(ちょっとつまむ程度ですが)、
おどろいていました。向こうはないそうです。地域のものなんでしょうね。
昔は身内じゃないのに長居する通夜客がいて困った…なんて話もありましたっけ。
そして今回一番驚いたのが、お香典にピン札がけっこうあったこと。
不祝儀袋に入れるお札は、新しいお札は使わない…これもまぁいつから誰がといわれると困りますし
実際には新札でも問題ないんじゃないかと思ってましたが、あまりピン札が出てくると「???」でした。
お花の祭壇や、着物の掛け方など「これはいいな」と思うこともいろいろありましたが、
ここは昔ながらの方がいいなと思うこともアリでした。
まぁ時代と共に様変わりはあって当然ですが…どこもかしこも「禁煙」なのはねぇ…コラコラ。
でした。
この辺りはお通夜に助六寿司の折が、今迄は
多かったですが、最近は分かりません。
お香典に新札は使わないのが当たり前だと
思っていましたけど・・・
お葬式、こればっかりは地域によっても宗派に
よっても随分変わりますね。
お家から送り出す事も随分減りましたし、
どんどん簡素化になるのかもしれませんね。
新札を使う場合は、二つに折って折り目をつけてから使うというふうに教わりました。
お通夜の服装はここ10年ほどで一気に黒が増えた気がします。
ちょうど過渡期なのでしょうか。
私は斎場でのお通夜は喪服で、ご自宅でのお通夜はダークな平服でという感じにしてます。
ほんとは着せてあげたかったんですが、見栄重視の伯父が掛けた方がいいと主張しまして苦笑
お棺は火葬まで見えるので、最後まで親孝行しましたアピールしたかったのでしょう。
まあ祖父もそういうとこ見栄重視の人だったからそれで良かったのかもですがw
逆さに入れるという風習自体、こちらは無いように思います。
お通夜は斎場に頼んで精進料理(野菜の天ぷらが多いです)を出します。
明治生まれの母方の祖父が亡くなったのは、平成に入ってですが、埋葬の時、お棺を乗せた大八車を、死者の血の繫がった女性陣が白いさらしで曳きました。
嫁にいった娘も孫娘も。
田んぼの中の農道を。
びっくりでした!
横溝正史の世界かと思いました!
美しかった。
土地ごとの葬礼が残るといいと思いますが…
やはり今は過渡期なのでしょうね。。。
こちらも打ち合わせは逆です。
父の時に丹前の裾から父の顔が出て、
袖は足の脇に詰め込まれるようにして…
という不自然な姿でしたので、
母の場合はちゃんと乗せてあげられてよかったです。
大好きな着物と帯を入れました。
ちょっとした折を持って帰っていただくのが、
一番手っ取り早いと思うのですが、
こちらでは立食のような形式でバイキングが
増えました。
着るものは「殺生はいけない」とかいって
皮のバッグはダメだのなんだのと
しきたり本に書いてありますが、
通夜振る舞いの食事が握りずしメインですからねぇ。
料理じゃなくてオードブル…なんていわれて。
ほんとに地域と時代で変わりますね。
私もどうしても診察しかないときは、
四つに折って跡をつけなさいと
教えられました。気持ちだと思うんですが、
実はそういう「見えないもの」が大事だと
思うんですけどねぇ。
以前、同じマンションの人のお通夜に
グレーのスカートに黒の上着で行ったら
みんな真っ黒で、悪目立ちしてしまいました。
こういう感覚のズレはこまりますねぇ。
仏様はなんでもさかさまで、
着父母のときは、旅立ちの支度の「わらじ」まで、
前後を反対にしました。
今回はすっかり足元が包まれてしまって見えなかったのですが、
前後逆だったら歩きにくいだろうに、
なんて、マジメに考えちゃいました。
精進落とし、ですから、生臭モノは
あってもいいのかどうなのか…なんだか
よくわかりません。
最近は斎場の人に任せキリですね。
まだ土葬のところもあると聞いています。
昔ですが、祖母が土葬で、埋葬から帰るとき、
縛っていった縄を持ち帰り、
それを帰宅後に屋根の上に放り上げるのだそうです。
藁縄ですから、やがて雨風にさらされて
朽ちていくわけですが、すつかり朽ちて
カタチがなくなると、亡くなった人が
どこかに生まれ変わった…というのだそうです。
少しずつ家族が、悲しみから立ち直っていく時間…
という気がしますね。
そしてお母様をお見送りなされたこと、ご愁傷様でした。(この言葉しか思いつきません)
不祝儀での新札ですが、もちろんそれしかない時は角に折り目をつける様に教えられました。
それと、お祝い時には表向き、お悔やみの時には裏向きに、と厳しく言われました。でもこれに関してはどこでも へぇ~ て珍しがられました。
また通夜振る舞い、と言うかお葬式の振る舞いそのものが私の田舎は「鯛や伊勢海老」などの明らかにお祝い事用の食材以外はお刺身・から揚げ・お煮付け・天ぷらなんでもアリです。
さすがに仏様には精進膳ですが。
亡くなられた、の知らせが届いたら直ぐに弔問とお手伝いの始まりです。
都会から身内が駆けつける時には通夜振る舞いのお料理はすっかり出来上がってます。
と言うよりその後の告別式、火葬場での待ち時間での振る舞いの食事も夜を徹して作り続けます。
島ですので自宅に来られない方は火葬場での弔問です、その方達には焼き場用(表現がおかしいですが)のお料理をお弁当パックに詰め合わせて持ち帰っていただきます。
これは斎場からの持ち帰り云々より、振る舞いのご馳走を差し上げたい、というお礼の気持ちだと思います。
前後しますが、告別式が済み自宅を出て火葬場に行かなければなりません。島ですから船です。船に向かう時、半紙で作ったこよりに5円玉を通したのを数百個さらしに結び血縁者がお棺を引いて行きます。道中そのこよりのついた5円玉をちぎって撒いていくのです。撒かれたお金は拾ってお財布に入れお守りです。
船着場では御詠歌の方達が勢ぞろいしてのお見送り。
昭和の時代の映画かドラマのような話ですが、今、現在の話です。
玄界灘の小さな島、冠婚葬祭ひっくるめて大変なお付き合いに思えますが、その真ん中に入ったら実はとっても居心地のいいところです。
何が言いたかったのか・・・
ダラダラとごめんなさいm(_ _)m
今年もブログ楽しませてください(^ ^)
お悔やみ、ありがとうございます。
私の実父の葬儀は家でやりました。
近所の人総出で、いろいろ支度をしてくれたものです。
当時はみんなそうでしたね。
たいへんだけど、地域のつながりって、そういうものだと思っていましたし、
めんどうではあっても、自分がお世話になることも
みんな順繰りなわけで。今はもう都会では不可能なおつきあいです。
こよりがけの小銭、はじめてききました。
北海道では、お棺に硬貨を入れるそうです。
いろんな風習があるもんですね。
かわってほしくないこともいろいろありますが、
時代の流れでしかたないんでしょうね。