おせちの準備なんて、まだクリスマスも片付けてないのに、このアタシがやるわけない…。
「そんなこと、百も承知よ(皆様の声)」…あ、ソデスカ、すみません。
はい、これは実はこんな大きさです。手前のライターが大きさ比較用。
しっかり「土でできてて重たい」です。表に出したら、実際に中で火が焚けると思います。
横が30cm弱、おなべやお釜はだいたい直系10cm内外、小さなお茶碗くらいですね。
写真を撮っていて気がつきました。七輪の通気孔の素焼き部分になにやら「印」が…。
写真では読みにくいんですが「上が大阪天王寺、下が北河堀町」真ん中はよく見えないのですが
たぶん、会社のマークでしょうね。
地図を調べてみましたら、大阪の「天王寺駅前」すぐのところ。
オモチャの製造は一箇所しかありませんでした。昔はたくさんあったのかもしれませんね。
一応「ひな道具」…としてでていたんですが、これを道具にするお雛様って、
お雛様も炊飯器くらいおっきいんじゃないかと…。
いえいえ、要するに「おままごと道具」ですよね。
それでも、こんな道具でおままごとをしていたのは、どんなお屋敷の「おひぃさま」であられましたやら。
では詳細に…
専用のお釜となべ、普通、こういうお道具の時の釜は金属、フタは木製なんですが、これは全部瀬戸物です。
よくもまぁ割れずに残ってきたものですね。
左の土鍋には、胴部分にもふたにも桜柄がついています。
こちらは四角い七輪、関西では「かんてき」ですね。いわば一口コンロ。
この上の五徳が壊れていて、それだけがダメージ。贅沢言ったらキリがありません。
それにしても、練炭の入るところ、上の金網まで、実に細かいですね。
下の「通気孔」もちゃんとあきます。上が12センチ四方です。
トップ写真のかんてきに乗っているお鍋は、よく囲炉裏にかかっているような感じですが、これもせともの。
これは火消し壷かと思うのですが…これも何か台座のようなものにはめ込むようにして使ったのでしょうか。
私の知っている火消し壷は、下のすぼまったところがない形です。フタをして、高さ12センチくらい。
おくどさんがこんなに立派なんですから、食器なんかも本格的なものだったでしょうね。
昔々、誕生日だったかに買ってもらったセルロイドのおままごと道具を思い出します。
いつのまにかおままごと遊びを卒業しましたが、あのころの鍋一つだけでもとっておけばよかった…と。
今の子供たちは、あのころ私たちがやっていたようなおままごとはしないのでしょうか。
オモチャを見ても、モダンなキッチンとか、すごいですねぇ。
最近は「クッキング・トイ」がはやりだそうで「巻き寿司」とか「本格的なパスタ」とか…。
テレビでもやっていましたが、家族でその道具を使って「作って食べる」…。
まぁ親子で会話が増える…、家族で作ってみんなで食べる…、それはそれで楽しそうでしたけれど…。
付属の器にご飯を入れて具を入れて、機械に入れて海苔を差込み、クルリとハンドルを回すと巻き寿司ができる…
思わず、おかあさん、あなた自身は「簾」を使って海苔巻き作れますか?
キカイ使うより、それを娘さんに伝えてあげほしいです…と、思ってしまいました。
私は母に「簾にのせる飯の分量、具の分量、簾を巻くタイミングと押し付ける加減は、自分で覚えよ」と、
5年生くらいからやらされました。
海苔が破裂しちゃったのとか、きゅうりのまわりにご飯粒がちょびっとしかないカッパ巻きとか、
父も母もケタケタ笑いながら、それでも食べてくれました。
豊かではなかったので、鉄火巻きなんてめったに作りませんでしたけれど、
卵焼きや甘じょっぱく煮たちくわなど、母は母なりに工夫して「海苔巻きの日」をやってくれましたっけ。
服装なども、最近は「大人もどき」のファッションの女の子を見かけます。
それはそれでかわいいと思うのですが、小さいころしか着られないスタイル、というものもあります。
肩揚げした着物は子供のころしか着られません。
こどもである時間を大切にする…というのは、大人もどきにしてあげるより、
きっちり「アンタはまだこどもなんだから」という線引きをしてあげることのほうが、
育っていく課程でも、大切なんじゃないかとおもうんですけどねぇ。
ま、おくどさんのおもちゃ並べて、ニマニマしている私が言っても説得力ありませんけど。
とんぼんちには、このテのおままごとおもちゃがまだいろいろあります。
民芸資料館かいな…。
なっていて、火力の調節していましたね。
黒豆など時間を掛けてコトコト炊くのには
便利だけど外で炊く場所確保が難しいですね。
ピッと押すだけの道具より、こういう道具が
懐かしいし好きです。
昔の台所は土間で、暗くてまっくろけ。
ああ、あそこに水場があって、と
おもいだしています。
博物館ものではないかしら。
ぜひぜひ、とんぼさんの手もとでゆっくりして
ほしいです。
そうそう、四角いのも丸いのも、
こんな小さな扉がついてて、母が半分あけたりしめたり
いろいろやっていましたよ。
時間や手間がかかることが悪いこと、ダメなことのように
言われてしまう昨今ですが、アナログにはアナログのよさが
いーっぱいあるんですよね。
伯母の昔の家は、土間でゲタはいてのシゴトでした。
横の井戸から水をくんで野菜をあらって…。
既におくどさんは使われていませんでしたが、
レンガで囲まれた、立派なのがありましたわ。
大切にしようとおもいます。
娘のことを考えていろいろしますが、それが他の家とは異なり、娘が仲間はずれにされることもしばしば。
私は高齢出産で今45才ですが、私が母にしてもらったことを子供にと思っても世の中が変わってしまいました。
これから子供の進学について悩みます。
まともな親の集まる学校は無いのかしら。
決して私がまともとは思っていませんが。
私も34で産みましたので、同い年の子供さんの親は、10歳以上違うこともしばしば。
話題にも考えたかにも、ついていけないところが、
たくさんありました。
私は「昔の親」と「近所のおじさんおばさん」に育てられましたが、
それで「こんなになっちゃった」なんてことは
一度も思ったことがありません。
最近は自分と違うと感じると、排除か無視か…。それも昔とは違いますね。
親も子供も生きにくいご時世ですね。
たくさん悩みもおありでしょうけれど、信じる道をまっすぐに…ですよ。
ゆるゆると、そして止まらずがんばって!