今日は「洗う」お話を書こうと思っていたのですが、あまりに腹が立つやら悲しいやらで…。
母親が息子を殺す、息子が母親を殺す…もう珍しくもないというのが恐ろしい…。
そして、もうどうにもこうにも理解できなかったのが「育児放棄」のあの父親です。
たった5歳で、このモノがあふれる日本で、どうして食べさせてもらえなかったのか。
以前にも若い母親が幼い姉弟を置き去りにした事件がありましたね。
今回は、父親が新しい彼女とのことに頭がいった…アホか、ですむことじゃありません。
ロクに食べさせてももせえず、話し相手もなく、外にも出られず、
5歳のこの男の子は、死ぬまでの間、何を考え、何を待ち、何を望んでいたのでしょう。
いらない子なら、どこかへ預けなさいよ、それよりなにより、
ほったらかすなら子供なんか作るな!です。
更にひどかったのは、男の子、存命なら今年13歳、中学生ですよ。
なんでここまでわからなかったの?神奈川県知事、さかんに「こんなことが二度と起きないように」…。
そりゃこういうことが起きたときの常套句。
7年も葬儀もしてもらえず、ただ屍をさらして、あまりにもひどいです。
友人に、父親の残した小さなアパートを管理している人がいます。
入居者の数も少ないですが、みな高齢者の独り暮らしだそうです。
家賃の滞納もだけれど、それよりみんなとにかく倒れたりしていないか、
ちゃんと暮らしているか、しょっちゅう気にしている…と言ってました。
誰か、気が付かなかったのでしょうか。
確かに、昨今は近所づきあいも希薄ではありますが、なんかへん…と思ったら、
アクション起こしてほしいと思います。
学校、児童相談所、警察、連携プレーして、きめ細かく気遣わないと、
こんな子は、自分からは何も言えないのですから。
先日、父が「今朝7時半に、二軒先の奥さんが、でかい声張り上げて『○○さーん』と呼ぶんだよ」と。
実はそのかた、毎朝外に出て、実家の道路側の雨戸が開いているかどうか、確かめてくれるのです。
父は退院してきてすぐその方に「元気だったら朝、雨戸あけてね。しまってたら見に行くから」と、
そういわれていました。
その日、なぜだか父いつもの時間に雨戸をあけ忘れ、台所でプラゴミを出すべく袋の口を縛っていたと。
父はこのごろちょっと物忘れが進行しています。
認知症系ではなく、私などがよくやる「あ、さいふどこおいたっけ」のクチです。
「起きたら頭のとこの雨戸だから、忘れたことないんだけどなぁ」としょんぼりしていたので、
「それこそ、しっかり毎日意識して開けなさいね」といいました。
気にしてくれる人がいるということは、ありがたいことです。
新聞がたまっている、雨戸が開かない、明かりがつかない、物音がしない…
いろんなサインはあると思います。
関わりたくない、そういう思いもわかりますが、ことが起きてからでは、です。
なんだかいろんなことがやりきれなくて、腹が立ったり悔しかったり悲しかったり…。
もし今、目の前にこの子の両親がいたら、横っ面のひとつも張り倒さないと気がすみません。
この父親、これから留置場に入るのでしょうけれど、食事は一週間に一回で十分、
自分の子供が、どんなひもじい思いをしていたか、身をもって知ればよろしい!
このごろ<子どもをつくる>という言葉が使われる
ことから心がなくなってきているように思えます。
昔から<子どもは授かる>で、その奥には
感謝の気持ちが親にありましたが、
表現がかわったときから、心まで荒んできた
ように思えます。
とんぼさんのやりきれない怒りに
私も同じ意見をもつものとして
コメントをしています。
自分の事しか考えられない人が増えている
ようで恐ろしいです。
我が子を探さなかったのでしょうか・・・
置いて行くくらいなのだから
気にならなかったのでしょうか・・・
本当に暗くなる出来事ですね
もし私が「現代」の子供だったなら、私が育った環境は間違いなく「養護施設で保護」されるレベルでした。
私が子供のころは、今ほど虐待等が話題になる時代ではありませんでした。
公務員でありながら無類の酒好きで手のつけられない酒乱であった父親。
そのために家計は年中火の車だったのでしょう、母はとてもヒステリックで、何かあれば私にとばっちりが来ました。
父の給料日には母に手をひかれてネオン街へ連れて行かれ、飲み屋の扉を一軒一軒開けて、父が居ないか確かめて来いと・・・「いやだと言えば殴られる」そんな思いでネオン街を一軒一軒「お父さんいませんか?」と覗いて歩く幼い子供…それが私でした。
平成の時代、これほど豊かな時代になっても、まだ不幸な子供がいなくならない悲しさと悔しさに、ただただテレビの前で号泣するしかない私です。
行方の分からない子供が、国内に相当数いることが分かっているそうです。
どこでどうしているのか、生死すらもわからないなんて考えられません。
一時期話題になった「赤ちゃんポスト」は賛否あろうかと思いますが、私は肯定派です。
無責任な親に育てられるよりも、大事にしてくれる人に守られるほうが幸せだと思うのです。
母の子供として生まれ、育てられ、悪いことばかりではなかったことは承知しておりますが、それでも私は母が嫌いです。
そして「何があっても、やっぱり親子なんだから…」と言われるのが、何よりもイヤです。
世の中には,居てほしい親、居ないと困る親、居なくても良い親、そして居ない方が良い親が居るのです。
本当に、今の時代「感謝」という言葉さえも、
白々しい、なんて思われたりします。
子供を作る、私も文中に書きましたが、
生々しいことをいえば「子供を作る作業」だけは
一生懸命なくせに、そのあとは「できちゃった」なんて言う…。
自分たちのことしか考えていないようで、
ほんとにため息しかでません。
幼子の冥福を祈るばかりです。
全く理解できないことです。
子の父親は、自分はきっとおいしいものを
たくさん食べていたことでしょう。
それを口にするとき、子供のカオが浮かばなかったのかと。
それでもやらなかったのなら、ほんとに鬼です。
少しずつの情報ですが、元々DVがひどくて出て行ったとか。
子供を連れて行くとか、相談するとかしなかった時点で、
この母親は親ではないし、元々この二人は、
親になってはいけない人たちだったのですね。
おつらい経験を聞かせていただきました。
子供は親を選べません。
でも、子供は親を頼るしかない…。
そんな弱いものを、どうして…と思います。
親子関係もさまざまですが、私は幸せなことに、
親に大事にされて育ちました。
それでも「何があっても、やっぱり親子なんだから…」
という言葉は、本人のみが言えばいいことだと、
そう思っています。
他人がいうことではありません。
その親子関係は他人にはわからないことですから。
学校に入ってこない…日本は義務教育が、
法律で決まっている国です。
はいってこなけりゃ、追跡してでも調べるべき、と
思います。通知だけ出して「こないね」じゃ…。
それと、子供のことに関しては、アメリカのように、
もっと他人や警察の介入や権利を強くするべきです。
だって後ろめたいことしてない人は、
いつ誰がきたって平気ですもの。
助ける手立てはあったはずだと思うと、
ランドセルさえ背負えなかったこの子に、
涙するばかりです。