ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

ドタキャンのお話

2021-04-27 18:09:16 | つれづれ

本日も写真ナシですみません。

 

あいかわらず、チラ見していてのことなので、最初は見ていませんが、

モーニング・ショーでのコーナーで「ドタキャン」についてやっていました。

この場合のドタキャンは仕事ではなくプライベートなこと、のお話でしたが、

ドタキャンについて許せるかどうか、20代と60代以上とではずいぶん違うとの結果。

60以上になると8割は「許せない」…ははは、私もその中か…。

 

まあ理由としては、若い人は「自分もするかもしれないから」と「別のことに振り替えられる」。

こりゃねぇ、ほんとにジェネレーション・ギャップということでしょう。

まぁ「許せない」という言葉も少々キツい言い方かと思いますが、

早い話が「イラついて怒る」かどうか…と、実のところ私などは「信用にかかわる」とも思います。

たとえ友人同士の間柄であっても、もし回数が重なればおつきあいを考えちゃいます。

 

細かく言えば、というより当たり前のことですが、ドタキャンの「何を」「何で断ってきたか」

それでも違いますよね。軽いランチの約束程度なら「ま、しょうがないか」ですけれど、

それでもこちらもいろいろ準備が必要だったとか、その日のためにあれこれやりくりしたとかだったら、

「なによ、もぉ」ってなると思います。

そして、NGのひとつの理由として、高齢のかたは「社会人として長く暮らしていれば

責任感を持たねばならない」というようなことがありました。

たとえ仕事でなくとも、これもまた当然です。

 

そもそも約束というものは、守ることを前提とします。

できない可能性が高ければ約束はちょっと無理…と最初から断るべきですから。

何をそんなにこだわってるのよ、と言われそうですが、こだわっているのではなく

「生活の違い」が意識の違いになるいい例だと思っているのです。

昔、といったってほんの30年ほど前はケータイもスマホもありませんでした。

電話と言えば、家には固定電話、外からは公衆電話です。

それで連絡がつかなければどうにもなりません。

どうしても当日ぎりぎりでドタキャンしなければならないときは、

すでに家を出てしまっている相手なら、ひたすら相手からの連絡をまつよりありません。

また自分が家は出たけれどとんでもなく遅刻しそうだとわかっても、連絡のしようがありません。

そのために「駅の掲示板」が使われました。待ちくたびれた人が「先に行きます」とか

時には「いつまで待たせるんだ、バカ」とか。書き込んでその場を離れるわけです。

つまりは「約束」というものの重さというんですかね、それが違っていたのだと思います。

もちろん「内容」にもよりますが。

スマホやケータイで気軽に「行けなくなった」「30分くらい遅れそう」とすぐに連絡ができる今、

約束そのものが少し軽いものになっているような気がします。あ、緩いものというべきでしょうか。

 

ドタキャンは「土壇場キャンセル」の短縮形ですが、それも知らずに使っている年代もあるかもです。

では知っている年代で「土壇場」の意味を知っている人はどのくらいの年代でしょう。

土壇場は正確には「どだんば」、言いづらいので「どたんば」になりましたが、

元は斬首刑のとき、穴を掘ってそのわきの土を盛り上げ、そこに座らせて首を穴の方に出して…

という壇のことです。恐ろしい場所、なんですね。

転じて「ギリギリ」とか「ここから先がない」とか「もうこれで最期」、そういう意味に使われるようになりました。

そもそもが、約束を守らない、あるいは守れないということは、この大切なぎりぎりの場所で

「やーめた」ということなのだよ…です。

 

自分もするかもしれないから相手のドタキャンも許す…優しそうに見えて、実は甘えてるみたいに聞こえます。

やっちゃったらごめんねー…という感じでしょうか。つまりは約束が軽いものになっているのですね。

連絡がつきやすいから、でしょう。連絡できれば、また連絡したんだから、ごめんなさーいですむ、

そんな間柄のおつきあいが普通になっているのでしょうか。

かつて母は私に「明日という約束は絶対するな」といつも言ってました。

あさってなら、なんとか翌日に、たとえ電報打ってでも知らせられるが、

当日ではどうにもならない、だから明日という約束はするな、です。

たとえそれが子供同士の遊びの約束であっても、約束は守るべきもの、という意識なんですよね。

 

言葉はどんどん変化します。生まれては消え、あるいは残っていつの間にか常用される…

意味も使い方も変化していく…そんな繰り返しで、時代が進んでいきます。

ドタキャンがさほどたいしたことではない…という感覚が普通になっていく、

そういう世の中の変化についていくこととか、

あまりにものことには苦言を呈してみるとか、それもまた世の常で、

私たちはできるだけアタマを柔軟に保って、ただ単にしかめっ面するだけでなく、

自分の中の芯は大切に、受け入れられないものは受け入れない、言うべき時は言う、

ケンカするのではなくジェネレーション・ギャップを受け止めながら、

何かを伝えられる立場になりたいものです。

 

それにしても主人は遅刻常習者でした。それでもドタキャンはありませんでしたし、

結婚もドタキャンしませんでしたから、長く連れ添いましたが…あれっ、なんかヘンか?

年取ったら旅行しようね、と言ったのだけはドタキャンされたぁ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誕生日、過ぎました。 | トップ | 今年は新しいアマリリスです。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つれづれ」カテゴリの最新記事