アフガニスタンから、中村哲医師が、無言の帰国をされました。
私、以前ドキュメンタリーを見ていたので、ほんとにショックでした。
最初は、なんでお医者さんが土木工事?と思っていたのですが、
「食料と職業があれば、豊かになり、豊かになれば戦争の必要がなくなる」という、
ほんとに当たり前のお話しに、あぁそうなのか、と感心しきりで見たことを思い出しました。
昨夜、再放送がありました。
医師という技術があり、アフガニスタンに医療のために赴き、そこで病気を治すだけでは
この国を根本的に救うことは出来ないと考え、砂漠を緑地にかえるという、
壮大な事業に着手した…「100人の医師より1本の用水路を」…あまりに大きすぎて、もう何もいえません。
でも、結果は30キロ近い用水路を作り、砂漠は田畑にかわり、道行く人たちは満たされた笑顔です。
農作物がちゃんと収穫できて、収入が安定したから、戦争に行く必要がない…と、
現地の人が言ってました。日本の場合は、徴兵と言う形で、戦争に男手がとられましたが、
かの地では、稼ぐ手立てがないから兵隊として戦争に行くのだと…。
日本とはちがってはいても、戦争というものは行えば田畑が荒れたり、都市が壊滅し、
何のとがもない人が、山のように死んでいくという「結果」は、どこだって同じです。
最後に、まだ救われていない地域の人々の姿が映りましたが、粗末な家、汚れたボロ着、
痩せた体、そして笑顔のない大人たちと、何もすることのない子供たち…。
大きな屋敷を立てるだの、大金持ちになるのではなく、ごく普通に農作業にいそしみ、
こどもたちは学校に行き、収穫を楽しみ、足りるだけの食事をいつも摂れることが、
シンプルですばらしいシアワセなのだと、つくづく思います。
そんなことを黙々と実行し、今も仕事を続けていたのに、なんでなんで殺さなければならないのか。
氏が、映像の中で、自分はいつまでも生きていられるわけではないから、
灌漑に関する技術や知識を教えるための学校を作っている…とお話ししている場面がありました。
すでに「教科書」を作っていて、それを見せながら、自分がいなくなっても、
これを教え伝えていってくれれば…と。
本当に大きな視野も考えも実行力も、お持ちの方でした。まだ73歳。今の時代あと10年はがんばれる!
お元気であったなら、あと10年で、学校が機能して、よい技術者が育ち、彼らが活躍するところも
ご自分の目で見られたでしょう。さらに伸びつつある用水路も、それでさらに広がった緑地も、
もっともっと見られたでしょう。ご本人も、どんなにか無念だったかと思います。
開戦日の今日、真珠湾では追悼セレモニーが行われ、長崎では「不戦の集い」が開かれました。
そんな日に、棺に入って成田に戻られた中村氏は、どんな思いで日本の地を踏んだでしょう。
豊かになる、ということの意味を考えた日でした。
なぜ、どうして???と。。
ある意味人の愚かさが如実に表れた出来事だと思います。
いつになったら平和という時代が地球に訪れるのでしょうかねえ~
これは夢物語なのでしょうか。。。
あいもかわらず武装することと、戦うことにしか
意義をもてない、感じられない集団が存在していると思うと、
腹立たしい限りです。
犯人が捕まったようなニュースを見ましたが、ほんと、横っ面のひとつも張り飛ばしてやりたい…と思いつつ、
それをしたら中村氏に
「そんなことをしている間があったらスコップ持って水路を掘りなさい、
憎しみを募らせている間があったら、クワを持って畑を
耕しなさい」といわれるでしょうね。
継続はチカラなり、をこの目でみせていただいた「緑地」でした。
まだまだ夢物語を現実にするには、時間がかるのでしょうねぇ。
この世で一番おろかな動物は人間ですね。