昨日のブログをご覧の方、さぞ首をひねられたことと思います。
なぜか、全文出ておりませんでした。
こんなことは初めてです。
たまにドジって全部消してしまうことはありますが、今回はそうではないのです。
ちゃんと確認して投稿したのに…。
おかしいです。まぁ今更言ってもしかたないことなので…。
とりあえず、今更書き直しというのもなんなので、昨日あの後書いたことを書きます。
それは被災地に残る様々な建物などを遺構として、残すかどうかというお話です。
ずっと気になっていました。
津波で激しく破壊されたりしたものを残すかどうかという話が出ると、
必ず意見は二つに分かれます。
「見たくない、思い出したくないから、壊してほしい」「そこで家族が亡くなったのだから残してほしい」…。
どちらの意見も、否定などできない、重い言葉だと思います。
昨日一日中やっていた、様々な震災関係の番組でも、いくつか見ました。
「あんなもの遺して、なんのとくがある」もあれば「ここだけが家族を感じられる場所なのに」もあれば…。
私も、全部遺したほうがいいとは思いません。選ぶことは必要だと思います。
陸地奥深くまで運ばれた、大きな船がありました。すでに解体されてしまいましたが、
私はあれは残してほしいと思いました。
顰蹙を買うのを承知で言うならば「思い出すから悲しい、見たくない」というのも、
「ここだけが家族を感じられる場所」というのも、その人一代のことです。
あなたは被災していないから、あなたはそこで家族を亡くしたわけじゃないから、
だからこのつらさや悲しさはわからない…と言われたら、返す言葉はありません。
昨日のある番組で、被災者の若い女性が、やはり津波のことは話したくなくて、
誰にも話さなかったそうですが、スマトラ地震後、ボランティアで彼の地に行ったそうです。
スマトラには、たくさんの建物が遺構として残されているのだそうです。
彼女は「見るのはつらいだろうに、なぜ残すのか」と、現地の人に聞いたところ
「確かにつらい。でも、あなただって、そのつらさを後の世の人に、味あわせたくはないでしょう」と
そういわれたのだそうです。以来、彼女は「伝えることの大切さ」を感じ、
話すようになった…ということでした。
東北の海岸沿いのあちこちに、先人が残した「これ以上先は、家を建てるな」という石碑があります。
それを立てた人たちは、もうこの世にはいない代の人です。
その人たちも、津波に家土地を流され、家族を失い、今より救援や支援のない中で、
どれだけ苦しい思いをしたのかと思います。
それでも、この地で暮らすであろう自分たちの先の人のために、顔もみられないはずの子孫のために、
それを残してくれたわけです。
隕石のおちるところを見た人は、少ないと思いますが、
この穴は○百年前に隕石の落ちた跡です、と
直径何百メートルもの穴を見たら、おおきいわぁとわかります。
人間はそういうものです。写真よりも映像、映像よりも実物…。
それとわかる形のあるものは、声を発しなくても強く語りかけます。
越えられないはずの防潮堤をいともたやすく超えてきた自然の力、
障子紙を剥がすようにコンクリートの壁ははがれ、ここまで水が来た…とわかる傷跡。
見上げるほどの大きな船を、陸地奥深くまで運ぶ波の強さ…。
そこで人がなくなったという事実は、とても重くて悲しいことだけれど、
だから侮ってはいけない、こんなことも起こるのだから…と、
そう語りかけるものを遺すことは、必要ではないかと思うわけです。
被災者支援には、毛の先ほども役に立っていない私が、こんなことを書くのは、
対岸の火事とおもっているから…と言われるのかもしれません。
それでも私は、やっぱり「そんなもの遺すことないよ」とは言えないのです。
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