トップ写真は「昔々の新製品」、ゴムいり襷。
長くブログを書いてきましたが、襷の写真はこれしかなくて…。すみません。
毎年なぜか「見なければ…」という気持ちで見ている「箱根駅伝」です。
まぁずーっとテレビの前に座り込んでみているわけではありませんが、テレビはつけっぱなし…。
どこかの大学を特定に応援するわけでもなし、個人的に応援する選手がいるわけでもなし、
それどころか「今年のホープ」だの「○○で注目されて」だのという前もっての知識もナシ。
見ているのが申し訳ないような状況ですが、やっぱり見ます。
今年はけっこう荒れましたねぇ。結果的に、青学が4連覇達成となりました。
ところで、最近はあまり映らないのですが、以前箱根の山登りが始まると、
途中「恵明学園」という児童養護施設があったのをご記憶の方も多いと思います。
あの施設ができたのは1949年、世田谷にあった乳児院が後年施設として開設したのだそうです。
1949年と言えば70年近く前のこと、当初は戦災孤児の施設であったと聞きます。
戦争で親を亡くしたり離れ離れになった子供、米軍の男性との間にできた子供などが中心だったとか。
箱根駅伝の放送は、最初はラジオ、のちにテレビになりましたが、私の記憶では今のように全行程放送ではなく、
「いいとこどり」みたいな感じだったと思います。
恵明学園のある場所は、箱根小涌園のすこし手前、今でも周囲に旅館やホテルがかたまっていることもなく、
ポツンと孤立した建物です。周囲は林、なので、駅伝の応援席としては特等席ですね。
周りに何もないため、場所として「今恵明学園前を通過しました」など、距離的な目安にしたり、
タイムの参考にしたりということもあったそうです。
園では応援するだけでなく、取材の人たちにトイレを貸したり食事をふるまったり、駐車場を開放したりと、
ずっと協力してきたそうですが、始めのころそうやって放送で園のことを話してもらったり、
テレビが始まってからは、そとで応援したりする映像が流れることで、親や親族に気が付いてもらえるなど、
そういうメリットも考えてのことだったとか…。これも時代ですよね。
その恵明学園が、3年後くらいに移転することが決まったらしいです。もう特等席は、なくなるのですね。
時代の変遷で、最近預けられる子供たちは親の虐待とか、育児放棄とか…そんな子供がほとんどだそうで、
放送することが必ずしもメリットではなくなっているのかもしれません。
園ができてから、すでに70年がたとうとしているのですから、何十年か前に旗を振って応援した子供たちも、
すでに老境に入っているはず。どんな人生を送ったのでしょうか。
駅伝そのものも、デメリットも言われています。確かに箱根駅伝にこだわるばかりに、
いわゆるトラック競技の選手は育たないし、かといって、箱根で山の神と言われたり、
区間新記録を何度も打ち立てたりした選手でも、オリンピックに出るようなマラソン選手も出ない…。
箱根を走るだけのための選手しか育たないことは、以前から言われています。
見ている方は気楽に「がんばれー」とやっていても、あの箱根路のなかで家族を知らずに育つ子供たち、
4年間しかチャンスのない学生たち、それぞれの人生はどうなのだろうと、せんないことも思います。
山を駆け上がる大学生たちは毎年変わりますが、芦ノ湖を目指して襷を運ぶ、その目的は変わりません。
ひたすら1本の襷をつなぐためにひた走る姿に、感動もするし、これがないとお正月がきたきがしない…
などとのんきなことを思っていますが、生まれたときから家族にも恵まれ、
彼らほど打ち込むものもないけれど、そこそこ一生懸命になれることがあり、
彼らから活力もらって、さぁ今日でお正月も終わり!あしたからがんばるぞっと思う私。
どうかみんながそれぞれに、まっすぐ穏やかに時を過ごして行かれますようにと、思います。
はじめまして、コメントありがとうございます。
小涌園も移動でしたね。箱根もいろいろと
かわっていきますねぇ。
今年の往路はどうなることかと思いましたが、
やはり総合力でしたね。
最近は自分の環境がいろいろ変化して、
着物に関する記事を書けなくなっていますが、
過去記事の中でもお役にたてることがあると、
本当に嬉しいです。
ぜひトライしてみてください。
着物はいいですねぇ!
小涌園も移転するそうですよ。
時代が変わっていくのですね、、、
それにしても やはり 選手層が厚い青学強し‼︎
記事が面白く 遡って拝見していましたら
帯挟みの道具の記事を発見‼︎
昨年春から母の着物で着付けを始めた私なので
あの道具の使い方がわからず困っていました。
詳しくてわかった様な気が致しますので、挑戦してみます‼︎
ありがとうございました。
あの速さは、私の全力疾走より早い…です。(アタリマエ)
「箱根」だけを目指す、それが夢である人が集まるのですから、
私もそれはそれでいい、と思うのですが、「陸上競技」というくくりでは、
結局「もったいない」になるのでしょうね。
騒がれれば騒がれるほど、4年で終わったらもったいない、
なんとか別の道へ…と期待するのでしょう。
もう15~16年、それ以上?前に、法政の「徳本」という選手が、
それはそれはハデな茶髪、妙なサングラスて出てきました。
すごい成績を残したのに、最後のレースで肉離れを起こし、
監督が止めるのから逃げ回って、それでも掴り「棄権」という
初めての屈辱を与えてしまった人。
それまでは「なんだあのカッコは」とかいろいろ言われていても、
結局実力で黙らせていましたが、ラストがそれだったために、全部バァになった感がありました。
今は社会人のほうで「監督」しているそうですが、名前を聞きません。
本人の人生ですから、本人がそれでよければ、私は陸上にかかわり続けている人、として
幸せなのだろうと思います。
他人がとやかく言うことではありません。
ただ、「世に知られた」ということで、そのあとのことまでいろいろ言われる、
ということは覚悟しなければならないのでしょうね。
いずれにしても、夢も若さもさらけ出して走る姿に、
元気をもらう毎年の行事です。
父が毎年そそくさと読売新聞社前に出かけていたことを思い出します。
しかし、100mを20秒ペースで20kmも走り続ける。。
100m。。いえいえ恐らく50mさえも付いていけない私です(笑)
児童施設については、知りませんでしたが。。
>箱根を走るだけのための選手しか育たないことは、以前から言われています。
これはきっと、選手自身が他の競技ではなく箱根を望んでいるからでしょう?と思うのですけれどね^^だから、別にデメリットとして捉える必要はないのではないか?って思ったりw
しかし、お見事でしたね。青学^^
負け知らずの4年間を走り抜けた選手は今後どんな人生を送られるのでしょうかね?
走り抜けた選手たちにエールを送ります^^