昔、「隣組」という歌がありました。
原曲?をご存知のかたは、私と同時代、替え歌をご存知のかたは「若いなぁ」…?
あの「ドリフターズ」の「♪ド・ド・ドリフの大爆笑」という曲の元の歌です。
歌詞はちょっとだけご披露しますと
「とんとんとんからりと隣組 格子をあければ顔なじみ まわしてちょうだい回覧板…」
というもの、二番には「あれこれ面倒みそしょうゆ ご飯の炊き方垣根越し 教えられたり教えたり」
実は、この曲が作られたのは昭和15年、つまり戦前で、作詞はなんと、あの北原白秋です。
今で言うところの町内会みたいなものが既にあり、その「隣組」という組織を強化しようというのが目的の曲。
が、実のところは、軍部が国民の意識を誘導する目的があったといわれています。
例えば防空演習などに、みんなで一致協力して参加するとか、
遠まわしですが、物資不足や華美贅沢を禁止する…そういうことに対して文句をいわさない、
戦局を乗り切るために「みんな一緒」「みんな団結」というキモチを強くする…
いわば「軍部の思うとおりの末端組織」といいますか、互いに強く関わることで、ある種の監視の役目も持たせたんですね。
そういう方向へもっていこうと、考えられたことだったといわれています。
そう考えるとなんだか悲しかったり悔しかったりしますね。
事実その「団結」によって、例えば焼夷弾で火事が出たときに備えて、町内総出でバケツリレー訓練とか、
学校でさえ、竹やりで相手を攻撃する訓練とか…今から考えたら、それでまにあうわけないやろ、
なんてことがまじめに行われたり、また、戦争批判などすれば拘束され、
出征する息子に「何が何でも生きて帰れ」なんてことをおおっぴらにいえなかったし、
もしそんなことをすればみんなに「非国民」といわれ、村八分状態になりました。
悲しい裏を秘めた歌…と言うことになりますね。
でも、それをこっちへおいといて…で聞くと、私などはほんのり懐かしい…です。
調子のいい曲でもありましたから、戦後は今度は「復興」に向けて、みんな一緒にがんばろう…と、
そんな明るい歌として、歌い継がれてきたんですね。私は実際の暮らしも歌どおりでしたから、心に残っています。
歌はこちらで聴けます。ちょっと歌詞が聞き取りにくいですが、バックの画像はまさしく「三丁目の夕日」の時代です。
さて…その回覧板ですが…「隣組」が町内会になり、自治会と呼ぶのがふつうになり、様変わりしてしまいました。
私などはまだ、隣のおばちゃんが「回覧版だよー」と訪ねてきては、
ついでに母とお茶のみしていったりしたのを覚えていますが、
いつのころからか、回覧板はだまって置いていくもの…になってしまいました。
マンションに住んでいるころは、ドアの横に立てかけてあったし、今ここの町内会でも、郵便受けに入れていきます。
共稼ぎ夫婦が増えて、昼間留守の家が多いのも現実です。
たまに「募金」の回覧があると、それだけは現金が入った箱や缶がいっしょなので、
必ず顔を見て手渡し…と決められています。
そのときは、たずねて留守だったりすると、出直すか、一軒先に回す…というようなことをしますが、
そうでない回覧は、隣に持っていったらそれまで…そんな感じなわけです。
引っ越してきた数年後、やたら回覧が遅れることがありました。期日の決まっているお知らせがまにあわなかったり…。
そのとき班長になった友人が、回覧の「サイン欄」に「ハンコ」ではなく「日付」を書き込むようにしました。
誰のところで何日止まったかわかるわけです。これであっというまに「速やかに」ながれるようになりました。
また、どこかの玄関先におかれている間に雨が降ったらしく、次の回覧の時に、
元々ボロくなっていたバインダーのカバーの切れ目から水がはいってブヨブヨになっていました。
そういうことがあると、誰かが天気がわるくなりそうだとなると、ポリ袋に入れてまわしたりします。
渡すときに声をかける、いなかったら先に回す…それですむことなんですが、
今はそういう時代ではないんですね。
ちょっと思いついて「回覧板」で検索してみたら「回覧板をポスト・インするのはおかしくないか」と、
書いている人がいました。短い文章を読んだだけでは、詳細はわかりませんが、
その人はもののたとえとして「声をかけて手渡ししてくれたら『野菜が届いたの、持っていって』なんてことから、
近所づきあいも深まるのではないか」というようなことを書いていました。
きっかけ…として考えるのはマチガイではないと思いますがが、逆にほかの面での日ごろのツキアイが、
回覧板手渡し…になっていくんじゃないかという気もするのですが…。
回答者の中には「そういう野菜をあげる、などというのがほんとに困る。野菜なんてどこでも売ってるし、
恩を着せられた気がする」と言う人もいましたし(ちと寂しいな)、「回覧持っていっての立ち話で時間をとられるのも困る」
「忙しいときや昼寝の時などに呼び出されるのは迷惑」と言う回答もありました。
おおむね、今の時代は気を使わないポスト・インがいいんじゃないでしょうか…というものでした。
私もそれは否定しません。
「隣組」の歌の3番には「♪地震やかみなり 火事どろぼう 互いに役立つ用心棒 助けられたり助けたり 」
とあります。あの昨年の震災の時、さすがにみんなが表にでてきましたが、
誰もお互いに「大丈夫だった?」とか、そういった声の掛け合いはありませんでした。
我が家に障害者がいることは周知の事実なのですが、そのことで声をかけてくださった方はいませんでした。
関わりを持たない、ということは、楽なことです。それは私も感じています。
母はイナカ育ちで「狭い村だったから、どこのネコがいつ何匹子供産んだか、三日で知れ渡った」といい、
その時すんでいた市営住宅のことは「ここは、その子猫の父親がどこのネコかまで三日でわかる」と笑っていました。
確かに摩擦は大きかったです。近所中で子供を育てていた気がします。
あれの全てが良いとは言いませんが、今はあまりにも関わらないから、気遣いまで変わってしまう…。
日ごろ声をかけなくても、話をしなくても、気に掛けるということは大事だと思うのです。
ここへきて15年になりますが、互いに家でお茶したりのお付き合いは、一軒だけです。
彼女は震災の時も、自分は外出していたため、夜帰宅してから「何もなかった?」と、たずねてきてくれました。
あの震災のあと、東北では同じ地域だからとはなれたがらなかったり、
無事だった家で近所の何家族かが、共同生活をしているのをテレビで見ました。
阪神のときもそうでしたが、仮設に入って離れ離れになって、老人の孤独死が問題視されました。
今、東北でもそれを避けようと、いろいろ活動している人たちがいます。
この大雪で、過疎地帯の独居老人や老夫婦が、80先で必死で雪かきしているのを、毎日のように放送しています。
してほしくても頼む人がいない現実、かといって「この地で果てたい」と願うキモチはゆるがない…。
いくら子供が「心配だから町で一緒に暮らそう」と言っても動かない。
それをただのガンコと片付ける気にはなれません。あの人たちが若かったころは、年寄りはみんなでいたわり、
雪おろしは近所の若いもので助け合い、問題なくやってきたわけです。
それがわずかの間に「過疎」の波が押し寄せ、その「繰り返し」が断ち切られました。
自分が年をとったときに、自分がしたようにはしてもらえない…。一番気の毒な世代でしょう。
暮らしが豊かで便利になった分、味噌しょうゆまで貸し借りしなくてもすむ時代にはなりましたが、
気軽に隣に「貸して~」といえなくなった現実は、今のままで良いとは思えません。
何かあったときにどうなんだろ、都会で大災害がおきたとき、どんなふうになるのだろうか…と、
まわってきた回覧板を見ながら考えていました。
そんな今朝、テレビで「利他的」と言う言葉を聴きました。「利己的」は、言ってみれば「自分中心」、
いやな言い方をすれば「自分さえよければいい」…「利他的は「人のことを考える」。
たとえとしてインタビューもありましたが、震災について「何もできていないけれど、役に立つことがあったらしたい」
「自分に何かできることはないかと考えている」…と言うような答えが並びました。
この「できるできない、やっているやっていないに関わらず『何か人のためになることをしたい、役に立ちたい』
と言う気持ちが「利他的」ということであり、こういう気持ちは大きな災害などが起きると、
人の心に喚起される」のだそうです。これを見ていてちょっとほっとしました。
人は一人では生きられない…というのは、人間はちゃんとDNAの中にもっているはずです。
回覧板はボスト・インになってしまったけれど、もし何かあったときには、きっと「隣組」になれる…
そう思いましたし、そうであってほしい…と思いながら、回覧板に日付をかきこんで、お隣のポスト・インしてきました。
覚えていないけれど知っています。
そういう意図があった歌だとは
知りませんでした。
今、回覧板はポストにが多いですね。
手渡しは至急回覧ぐらいでしょうか。
わずらわしい事は出来るだけ避けて・・と
いうことかもしれませんね。
昔からの付き合いの仕方が色濃く残って
忌明けにご近所さんも一緒にお墓参りと
いう驚きの所もありますし、隣近所のお付き合いは難しいものですね。
そう言えば実家(大阪南部)では今でも直接手渡ししています。
アパートなんかが無いからでしょうか。
私が今住んでいるところでは年末には杵と臼で餅つきをし、お雑煮、きな粉とあんこのお餅、子供たちには綿菓子やポップコーンが振る舞われます。
ここ数年、他の自治会からも見学に来られることが多くなりました。
消防署の方も来られて、防災訓練も定期的に行われます。
炊き出しの練習もしますし、ご高齢の方に声をかけて一緒に指定場所に行ったりもします。
阪神間の住宅街でもこんなところもあるだぁと、最初はびっくりしました。
おなじく回覧板はさすがに急がないかぎりポストインですが…
告知の時は文書を全部ポストインです。
去年の計画停電で、電気ポンプで水をくみ上げているため
汲み置き水の呼びかけをしていただいた家主さんとは
そのとき初顔合わせです。
それでも、ありがたいと思いました。
年配の方ほど、ご近所でお茶のみ話は必要だと思います。
あたしなんか、お茶とお茶菓子持参よ~!なんて(笑)方は
生き生きとしてらして、うらやましかったです。
土地柄によるのでしょうけれど、
あんまりかかわりがなさ過ぎるのも
なんだか寂しいものですね。
「何かくれるのは迷惑だ」という回答を見て、
あぁ好意も気をつけなきゃ…なんて、
それを考えることもさみしいなぁとおもいました。
ご近所に越してきた奥さんが、大阪にずっといたそうで、
ここへきてのあまりの「あっさり」さを嘆いていました。
土地柄…もありますが、関わりは大切だと思います。
自治会と言うのも、カラーがあるんですよね。
ここもいろいろ企画はやっていますが、盛り上がりません。
こういうことって「積み重ねないと」なんですよね。
うらやましいご町内です。
マンションのときでも、たまにですが回覧がありました。
昔のようなお付き合い、は、難しくなってしまうと、
元に戻すのがタイヘンです。
私もですが、まぁしょうがない…と、その中にいます。
なんか違うよなーと思いつつ。
なさけないことですねぇ。