ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

明日は節分

2014-02-02 17:30:28 | つれづれ

 

 

トップは「大津絵」の「鬼の寒念仏」。

墨染めの衣を着ようが、鉦を叩いて念仏を唱えようが、中身が鬼ならただの偽善者…の意味。

 

いろんなことが、どんどん過ぎて、あららもう節分…。

あさっては立春、文字に「春」とはいるだけで、なんとなく顔がほころびます。

もっとも、ほんとに寒くなるのはこれからで、桜咲く時期まではもうひとやま越えねばなりませんが…。

 

さて、昨日よそ様の記事で「豆まき用の落花生を食べて、奥様に叱られた」なんていう

ほほえましいお話を読みました。

この「豆まきに落花生」というのは、私ごく最近のことだとおもっていたのですが、

けっこう古くから「それでやっている」という地域もあるのですね。北のほうに多いようです。 

子供のころからそれで来てしまえば、当たり前のことで、

単純に「ウチは落花生」「ウチは大豆」と、それだけのことになるのでしょう。

確かに落花生を皮ごとまけば、回収も楽だし、割って食べれば衛生上の問題もないし…。

「食べ物を無駄にしない」ということでは、いいことだと思います。

ただ、私なんかは「ムダ」をいうなら、ほかのことがたくさんあるでしょ…

時間がきたら捨てちゃうおべんととか…なんて思っちゃいます。

 

それでも世間様にちと気兼ねして、このところは写真の「袋ごと」。

回収もラクで…だけど、鬼に「なんじゃこりゃ」と言われそうですが。ま、気はココロってことで。

炒り豆四兄弟!テトラパックなので、全部この4面です。

 

    

 

元々大豆を撒くのは「丸いもの」が、鬼に効き目があるとされるから。

まめは「魔滅」に通じる、また「魔の目をつぶす」…に通じるから、

それと「炒った豆」であること、これは生の豆だと、落ちたところからいずれまた

「目(芽)」を出してしまうかもしれないから。

 

節分は、本来季節の分かれ目、つまり「立春・立夏・立秋・立冬」の4分割の前日を

それぞれ「季節の節を分ける」で節分と言いましたが、

やがて「春」つまり再生の一番大事な節目を重要視することで、

年に一回、祝うことになってきたわけです。

立春はいわば「初春」でお正月、節分の日は「大晦日」ということになり、

平安の昔は、この日に「追儺の儀」として、内裏中を、鬼祓いの声張り上げて、回ったのだそうです。

「鬼やらい」とも言われます。

元々は目に見えないものを祓っていたのですが、やがて「鬼の役」をする者を、

みんなで追い払う…という形に変わった…今もそういうところ、たくさんありますね。

門先に柊とイワシのアタマ…これは、母もめんどうがってやってませんでしたが、

生臭い、焼くと出る煙、そしてトゲトゲも、みんな「鬼の嫌がるもの」です。

 

こんな季節行事は、だんだん忘れられたり、形がかわったりするのは、

それはそれで仕方ないこと、でも残したい風習といいますか、

いつの時代も、誰しもが「悪いことはないように、シアワセであるように」と祈るのは、

ちっともかわらないわけですから。

「節分の恵方巻き」は、新しい商業戦略であったとわかっていても、まぁ家族で楽しんで

おいしく食べられたら、それもまたよし…と思っていたら…

最近はケーキまで恵方ロールだの、崎陽軒では縦に長い「恵方シューマイ」だかを出したと。

何でも巻きゃいいってもんじゃないと思う…と、つい「商魂」のたくましさにため息つきました。 


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2 コメント

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Unknown (古布遊び)
2014-02-02 23:01:31
明日は節分ー早いですねえ。

「鬼の寒念仏」大津絵の中でも好きな絵です。
あれは何だったんだろうー古布の切れ端で手に入れた事がありました。
柄としてとても面白いですねー今にして思えば取っておけばよかったと思うのですが、これはいいと使ってしまいました!
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Unknown (陽花)
2014-02-02 19:31:14
季節の行事だんだんおざなりにしています。
太巻き寿司を食べるくらいで・・・
昔は数え年の分だけ豆を食べたものですが、
相当な数食べなきゃいけないし、固いのでつい
敬遠しています。
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