トップは玄関の「お供え」…プラパックで、プラみかん…毎年これですが、
いつまでたっても、なんかねぇ…と慣れません。
変わっていくことは、当たり前のことで、実は変わってくれてありがたいこともいろいろあります。
お正月、振り返ってみて「変わってないこと」を挙げてみたら…。
まずちと「年末」に戻って…
輪飾り(各部屋と台所、トイレ、お風呂場、玄関内など)、玄関外のお飾り、
神棚、仏壇、玄関のお供え等、門のところの松飾、正月用のお花(室内)、これは早めに頼んで、
28日もしくは30日の午前中に飾り付けを済ませる。
おせちを作る。お年賀の品の用意。年越しそば。
こんなところです。昔と比べたら、ほんと、何にもしてないわ…です。
ではタイムスリップして…私が結婚前の実家では…
上記のことはもちろん全部同じですが、おせちは親子三人がかりであれこれ手作りしました。
ただ、みんなが「これ好きじゃないからいいよね」は、抜いてました。
伊達巻は、後年は面倒で買うようになりましたが、それも「父しか食べないから」…で、
半分サイズのものを買っていました。
ごまめを作るときは、始まりそうになると「逃げる」…そしてつかまる。
フライパンに厚手のいい和紙をしいて、とろ火でずーーーーっと炒るんだもの。
手は疲れるし、手抜きしようとすると「焦げるっ」と叱咤激励されるし…。
それでも、今となってはきんとんの裏ごしだの、蒲鉾の飾り切りだの、楽しかったですね。
我が家は、母が「女帝」?でしたので、暮らしの中に「関西風」が多々取り入れられていました。
母の田舎では、三が日は女は動きません。台所仕事はすべて家長を中心とする男性の受け持ち。
もちろん三度三度です。また、刃物と針は三が日使わないので、お雑煮に入れる具は、
大晦日までにすべてカットして、保存。昔は冷蔵庫がありませんでしたから、
材料ごとにお皿に入れて、濡れ布巾をかけ、台所の涼しところ(と言っても冬ですから寒いですけど)に
並べて置いて、お雑煮を作るときは、そこから必要分とって使っていたと。
我が家では、もっぱら「プラ容器に入れて冷蔵庫、でした。
実家では、さすがにすべて父にさせるわけにいかず、お雑煮だけはつくってもらいましたが、
他の準備は母と私もやりました。
ちなみに母は関西ですから「西京味噌」、父は関東なので「澄まし汁」、
なので我が家では元日は「お澄まし」、二日目は「味噌」、三日目はリクエストの多い方…。
私、長年母の味噌雑煮を食べてきましたが、いまだにどうしても好きになれません。
みそ汁は好きですが。あの甘味噌はイケマセン。
お餅を甘く食べるなら、あんころもちか安倍川のほうがずーーっといいです。
京都では、だいこんと人参で紅白にするのに、普通のオレンジ色の人参ではなく、
金時人参という、赤いものを使います。また、丸いということにこだわり、
大根も人参も輪切り、ちゃんとそれ用の細いもの…ですが、関東で何もかも揃うわけもなし。
いまならあれこれ入手の方法はありますけどねぇ。
なので母は人参は京都から送ってもらっていました。
こちらの大根は輪切りではお椀のフタになりそうなので、しかたなくいちょう切り、でしたね。
三が日は、針もハサミも使わないので縫い物もしませんが、たまにボタンが取れただの、
半衿がちゃんとつけてなかったのなんて言おうものなら、手ぇ合わせからてしいや!と叱られました。
そして私がチクチクやっているそばへきて「神さん、すんまへん、どんくさい子ぉで…」と、
聞こえよがしに言いながら、手を合わせて拝む…でした。
ちゃんとみんながそれなりに晴れ着を着ていたのは、まぁ小学生くらいまででしたが、
下着だけは、大晦日に「明日着るもの」として、新しいものが「支給」されてました。
母は、長らくお正月は必ず着物、たとえウールであっても、着ていましたし、
私も高校くらいまでは、なんやかやと着てました。
これまた今じゃ大晦日も元日もかわらず「膝の出た普段着に割烹着」ですわ。
主人にいたっちゃ「パジャマ」…これを「寝間着起き間着」と申します。
昔は小正月とか女正月といって15日には女性が家事を休んで楽しむ…ということがありましたが、
我が家では、三が日、女はひたすらゴロタラを決め込んでいたわけで…。
掃除もしません。お正月は、家の中じゅうに神様がいるから、ほうきなどで掃いたら、
神様にホコリをかけたり、時には外に掃きだしてしまうから。
どうしてもの時は、母はいつも「神さん、すんまへん。ちと粉こぼしましてん。
掃除しますよって、害のないとこへ、どいとくりゃっしゃ(どいててくださいね)」と、
ブツブツ言いながら、ささっと掃いてました。父が「掃除機でがーっと…」なんて言おうものなら、
「神さん吸い取ってどないしはりますねん!」…。
思い出して見ると、結婚してすぐのころは、割と実家での習慣を続けていましたが、
なにしろ主人は台所に立たない人(当時は)。何かやってもらおうと思うとかえって手がかかりますから、
結局自分だけで支度して、自分でやる…子供が生まれてからは面倒になったし、
そんなことも言ってられないので、元日から包丁も使うし掃除もするし、になってしまいました。
それでも…掃除する前に「すんません。掃除させてもらいます。のいといてください」と言うのはやってます。
子供のころから身しみこんだものって、いくら暮らし方も世間の様子がかわっても、
メンタルな部分ではすべて消すことができないんですね。
今年も3日目にはもうお雑煮が飽きてきて、どうせ食べるなら餅入りラーメンが食べたいだの、
お昼はチャーハンがいいだの…栗きんとんと黒豆のチャーハンにしたろかい…と思いつつ、
普通のチャーハンにして、スープのかわりに「お雑煮」…。
おかげさまで、残るようには材料あれこれ揃えなかったので、
あとは黒豆の残りを、私がぼちぼちたべればいいだけです。
我が家の毎年のおせちの「鶏手羽煮込み」は、15個作ったけど3日目の昼にはなくなりました。
松の内、と言われるのもあと二日。お飾りを外しても、燃やすところがありません。
ありがとうございましたと、捨てねばならない…最近はこれがちと心にチクリとすることです。
お供えも、昔は町内でお餅つきして分けてましたが、いつのまにかお米屋さんに頼むようになり、
実家では、田舎からお米を送ってきますので、自宅で餅つきするようになりました。ただしキカイで。
あっというまにつき上がりますから、母と構えて、父が「ほらよっ」と渡してくれると、
あちちあちちと言いながら、餅とり粉で真っ白になりつつ手早く丸める…。
お供えの大きいのがいくつ、中くらいがいくつ…と数を数えながら作って、
残りはお雑煮用…特別大きいのを作って「これアタシ」。
母は「水餅」が嫌いでした。
元々は保存法のひとつですが、残ったお餅を水につけて保存する…
水は毎日取り替えなきゃいけないし、日が経つと風味が悪くなるし…。
それで母は、お正月のお餅の残りは、天日にさらしてさっさと乾燥させ、
やがてある日カナヅチを持ち出し、まな板の上に餅をのせ、布巾をかけて豪快に叩く…。
細かく割れたものは、揚げ餅になっておやつにでてきました。うまかったっけ。
なので私は「水餅」の味を知りません。
今じゃお餅もパックですから、残った時の心配もないかわりに「揚げ餅」も作らなくなりました。
そうそう、今までパックのお餅は関東風の四角ばかりでしたが、
今年丸餅のパックを生協でみつけましたので、それにして、
実家にいたころのお雑煮を思い出しつつ作りました。
さてさて、いろいろ思い出して見ましたが、続けるのが大変だから今の方がいいわ、ということ、
これは面倒でも続けたい、伝えたいよね、ということ、様々です。
最近はおせちは「節目の保存食」ではなく、お正月のごちそう…になっています。
洋風、中華、なとど最初からそういうふうに作られていますが、
日本古来のおせちは、一つ一つに意味がある…なんてことは、ちょっとだけでも
伝えていきたいことだと思っています。
さて、そろそろ通常モードに切り替えていんないと…ですわ。
それも 近年は ただ ご馳走を食べるだけ…とか 年越し蕎麦なのに 出前は 夜8時前で終わりとか 出前は31日はしませんとか… 蕎麦屋自体が 早い時間に閉店 かと 思えば 元旦から開いている店 主人の勤めていた会社は 大型店のテナントにもなっていたりで 結婚以来 元旦から仕事に出ていたので…完全に我が家は 何もしない!そんな感じになりましたね…。
雑煮は 今では 主人の実家 私の実家の合わせ技?な 物になってしまいました(笑)
まぁ 我が家の味 と言うところですね。
私は4日から仕事が始まって(職場自体は無休) 今日はシフトが入っていないので…縫い物始めようと思っています。
大晦日からおせち…というのは、あながち間違いではないのです。
古来、おせちは「節」の日に、神様へ捧げたものを、おろしてきて
皆でわけていただく、ということをしていました。
だから日持ちしないと食べられなかったわけです。
それが起源ですから、「節」は節分。
本来節分は、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの
次の日のこと。今は立春の次の節分しか、残っていませんが…。
それに、江戸時代まで、日の切り替えはお日様が出るとき、だったので、
実は、1日の夜明けまでは大晦日だったというわけです。
そんなこんなが混ぜ混ぜになって、のこっているのでしょうね。
風習というものは、元々の何かがあって、それがかわっていくわけで、
いろいろおもしろいものなのですね。
お蕎麦屋さん…ほんとにそうです。
我が家では、新婚当時はほんとに年越しそばで、
夜中をまたいで食べてました。
今はそんなことも言っていられないので、夕食にしてしまっていますが、
年越しって何よ…と思います。
あっという間に
あっというまに明日で松の内もおわりですね。
アタマをきりかえないと、です。
1年ほど前から、いろいろ読ませていただいています。
引き抜き というのから 飛んできたわけです。
約1年がかりで 遡って はじめから 読ませていただきました。(斜めに読んだり 飛んだりいろいろでしたが、、)
なんか 母親との関係が 私とよく似たところが あるんです。一人っ子ではないので そこは違いますが、、、。
私は一番 下なので 甘やかされました、、。
着物のこと いろいろ勉強させていただいています。
今後ともよろしくお願いします。
はじめまして。コメントありがとうございます。
ただもう続けているだけのブログです。
お役にたつことが一つでもあればうれしいです。
以前、友人のお母様がなくなり、それまで
親の話なんてせいぜい「うるさいのよぉ」くらいしか
きいていなかったのに、亡くなったら急に
いろんな思い出話をするようになりました。
あんなにクサしてたのになぁなんて、
内心クスクス…だったのですが、
なぁに、自分もしっかり同じことしています。
亡くなってからの方が、余分な感情なく、
すんなり母と向き合えてる気がします。
このところ着物話題が少ないので申し訳ないのですが、
ちょっとずつ書いていきます。
こちらこそ今後ともよろしくお願いします。