写真は父のおみやげ、実家の庭の「ホトトギス」です。
行っても玄関先の花しか見ないのですが、
実は庭に出れば、いろいろ植わっております。今は小菊もさいているとか。
行くとつい話ばかりで、庭に出損ねています。
ホトトギス、竹篭の花入れがぴったりかなと…。
さて「絶滅」、いやいくらなんでもオーバーなのですが、
実は、こどもニュースのリポートで「子供の遊び」をやっていたのです。
よく聞く話ではありますが、イマドキの子供は外で遊ばない…。
塾通いや「場所」のことももちろんあるかと思うのですが、
いわゆる「能力テスト」のようなもので、昔の子供と比べて、
ボールを投げる距離とか、さまざまな能力がかなり劣っているのだそうです。
いや、驚きましたがな…。
その番組に出演している子供たちは「別にいいんじゃないの?」
なんていったのですが、このままだと基礎体力とか、
そういったことで大人になってからの体力的なことがかなり違ってくるとか、
生活習慣病などになりやすいとか…。
まぁこのあたりの話までは、耳にするのですが、
驚いたのはそのあとのことで「公園で何をするか」という話から、
最近の公園は「規則」がたくさんあると…。
前々から「ボール投げ禁止」というのを見るたびに、
へんだなとは思っていたのですが、今はそれどころじゃない…。
「大きな声を出さない」「私語禁止」「地面に何か描かない」…。
公園って何するところ???
確かに、昔のように「空き地」というものがなくなって、
公園しかない、しかも住宅地の真ん中の小さなところだと、
子供が騒げば、そのすぐそばの家の人は毎日それをきくことになる…。
「静かに・公園を大切に」…わかるけど…なんかヘンだ…。
「風鈴の音がうるさい」といいだしたのは、いつごろからでしょうか。
こどもの声もバイクの音も同じ「騒音」にくくられるようになってしまって。
リポートの続きですが、昔の子供は「石蹴り」「ゴムとび」「缶けり」などで、
体の筋肉を使うだけでなく、飛ぶとかしゃがむとか這いずるとか、
そういういろんな要素の「運動」ができていた、というのです。なるほどね。
今の子は公園でも思いっきり走り回って騒げないし、
公園でなにしてるの?という質問の答えが「ゲーム」と聞いたときには、
世も末じゃ…と、なんだか悲しくなりました。
写真は昭和29年、4歳の夏、男の子と間違われていた時期です。
ゲタはいて走りまわってます。我が家はもう少し下だったと思います。
住んでいた市営住宅ですが、家と空き地のほかはなにもなし、
右の家の更に右側には、小川、そして原っぱ、更に先には「牧場」がありました。
ヤギのお乳をもらいにいってましたっけ。
このころって「アスファルト」なんて、商店街の中だけでしたねぇ。
お話しを戻しまして…。
ある小学校で、これではいけないと、休み時間をやりくりして10分間の
体を使う遊び時間を設け、先生がいろいろ提案して遊ぶ…というのを
実践しているところのリポートがありました。
グループで、リーダーの動作に合わせて縄跳びをするとか、
手つなぎ競争とか…参加した男の子は、実に楽しそうに一緒に遊んでいました。
先生が一緒にやるんです。その先生は「いずれは生徒だけで、
それも学年を超えてやれるようになったら」といってました。
こんなことまで学校でやらなきゃならなくなったんですね、都会という砂漠は。
第一、一日たった10分ですよ。司会者は「それでも五日間やれば50分」…。
土曜の休みなんかやめて、校庭で思いっきり遊ぶ日にしたら?
「ゆとり教育ってナニ?」
子供のころを思い出せば、輪ゴムをつなげたゴムでゴムとびをし、
さびた空き缶で缶けりをし、地面に枝やロー石で輪を描いて石蹴りをし、
道具がなければ鬼ごっこ、花いちもんめ、馬とび、初めの一歩…。
日が暮れるまで遊んだものです。しっかりくたびれて、
晩御飯のあとは、もう眠くて眠くて…。
今の子供たちは、ほんとにかわいそうですね。
我が家は息子が車イスでしたから、公園はそれこそ「ひなたぼっこ」の場所、
よその子供の遊び方など、きにしていませんでしたけれど、
言われてみれば「遊具」にだまって乗ったり降りたり、
砂場でおとなしく砂をいじっていたり…。
走り回って鬼ごっこをする子供たちって、そういえば見なかったなぁと。
キャッチボールやサッカーをすると、人にあたって危ない…。
昔はサッカーではなくドッジボールでしたが、
そういうボールを使う遊びは、別の空き地や住宅地の道路などでやり、
子供心にも「誰かに怪我をさせないように」というのは
わかっていたように思います。
また、大きい子と小さい子がいっしょになって遊び、
体の大きさや能力の違いを自然と覚えて「ハンデ」をつけたり、
時には「オマエは小さいからダメ」なんてやってましたね。
紳介さんでしたか「学校は知識をくれる、友達は知恵をくれる、
社会に出て必要なのは『知恵』のほうだ」といってました。
そういう、学校では教わらない「知恵」は、そういう子供の遊びの中でも、
学べることではないかと思います。
「規則ばかりの公園」、そういう公園にしないと、住宅地として
つつがなく周囲となかよくやっていかれないという現実。
今の都会の子供はほんとに不幸です。
「あたりまえに子供が走り回って遊ぶ姿」…絶滅危惧種にはいってしまう…。
行っても玄関先の花しか見ないのですが、
実は庭に出れば、いろいろ植わっております。今は小菊もさいているとか。
行くとつい話ばかりで、庭に出損ねています。
ホトトギス、竹篭の花入れがぴったりかなと…。
さて「絶滅」、いやいくらなんでもオーバーなのですが、
実は、こどもニュースのリポートで「子供の遊び」をやっていたのです。
よく聞く話ではありますが、イマドキの子供は外で遊ばない…。
塾通いや「場所」のことももちろんあるかと思うのですが、
いわゆる「能力テスト」のようなもので、昔の子供と比べて、
ボールを投げる距離とか、さまざまな能力がかなり劣っているのだそうです。
いや、驚きましたがな…。
その番組に出演している子供たちは「別にいいんじゃないの?」
なんていったのですが、このままだと基礎体力とか、
そういったことで大人になってからの体力的なことがかなり違ってくるとか、
生活習慣病などになりやすいとか…。
まぁこのあたりの話までは、耳にするのですが、
驚いたのはそのあとのことで「公園で何をするか」という話から、
最近の公園は「規則」がたくさんあると…。
前々から「ボール投げ禁止」というのを見るたびに、
へんだなとは思っていたのですが、今はそれどころじゃない…。
「大きな声を出さない」「私語禁止」「地面に何か描かない」…。
公園って何するところ???
確かに、昔のように「空き地」というものがなくなって、
公園しかない、しかも住宅地の真ん中の小さなところだと、
子供が騒げば、そのすぐそばの家の人は毎日それをきくことになる…。
「静かに・公園を大切に」…わかるけど…なんかヘンだ…。
「風鈴の音がうるさい」といいだしたのは、いつごろからでしょうか。
こどもの声もバイクの音も同じ「騒音」にくくられるようになってしまって。
リポートの続きですが、昔の子供は「石蹴り」「ゴムとび」「缶けり」などで、
体の筋肉を使うだけでなく、飛ぶとかしゃがむとか這いずるとか、
そういういろんな要素の「運動」ができていた、というのです。なるほどね。
今の子は公園でも思いっきり走り回って騒げないし、
公園でなにしてるの?という質問の答えが「ゲーム」と聞いたときには、
世も末じゃ…と、なんだか悲しくなりました。
写真は昭和29年、4歳の夏、男の子と間違われていた時期です。
ゲタはいて走りまわってます。我が家はもう少し下だったと思います。
住んでいた市営住宅ですが、家と空き地のほかはなにもなし、
右の家の更に右側には、小川、そして原っぱ、更に先には「牧場」がありました。
ヤギのお乳をもらいにいってましたっけ。
このころって「アスファルト」なんて、商店街の中だけでしたねぇ。
お話しを戻しまして…。
ある小学校で、これではいけないと、休み時間をやりくりして10分間の
体を使う遊び時間を設け、先生がいろいろ提案して遊ぶ…というのを
実践しているところのリポートがありました。
グループで、リーダーの動作に合わせて縄跳びをするとか、
手つなぎ競争とか…参加した男の子は、実に楽しそうに一緒に遊んでいました。
先生が一緒にやるんです。その先生は「いずれは生徒だけで、
それも学年を超えてやれるようになったら」といってました。
こんなことまで学校でやらなきゃならなくなったんですね、都会という砂漠は。
第一、一日たった10分ですよ。司会者は「それでも五日間やれば50分」…。
土曜の休みなんかやめて、校庭で思いっきり遊ぶ日にしたら?
「ゆとり教育ってナニ?」
子供のころを思い出せば、輪ゴムをつなげたゴムでゴムとびをし、
さびた空き缶で缶けりをし、地面に枝やロー石で輪を描いて石蹴りをし、
道具がなければ鬼ごっこ、花いちもんめ、馬とび、初めの一歩…。
日が暮れるまで遊んだものです。しっかりくたびれて、
晩御飯のあとは、もう眠くて眠くて…。
今の子供たちは、ほんとにかわいそうですね。
我が家は息子が車イスでしたから、公園はそれこそ「ひなたぼっこ」の場所、
よその子供の遊び方など、きにしていませんでしたけれど、
言われてみれば「遊具」にだまって乗ったり降りたり、
砂場でおとなしく砂をいじっていたり…。
走り回って鬼ごっこをする子供たちって、そういえば見なかったなぁと。
キャッチボールやサッカーをすると、人にあたって危ない…。
昔はサッカーではなくドッジボールでしたが、
そういうボールを使う遊びは、別の空き地や住宅地の道路などでやり、
子供心にも「誰かに怪我をさせないように」というのは
わかっていたように思います。
また、大きい子と小さい子がいっしょになって遊び、
体の大きさや能力の違いを自然と覚えて「ハンデ」をつけたり、
時には「オマエは小さいからダメ」なんてやってましたね。
紳介さんでしたか「学校は知識をくれる、友達は知恵をくれる、
社会に出て必要なのは『知恵』のほうだ」といってました。
そういう、学校では教わらない「知恵」は、そういう子供の遊びの中でも、
学べることではないかと思います。
「規則ばかりの公園」、そういう公園にしないと、住宅地として
つつがなく周囲となかよくやっていかれないという現実。
今の都会の子供はほんとに不幸です。
「あたりまえに子供が走り回って遊ぶ姿」…絶滅危惧種にはいってしまう…。
行っても塾通いで留守、公園で遊んでいる子は
ほとんど見かけない、これではもやしっこの
ようになってしまいますね。
孫にはせめて勉強はともかく子供らしく、
大人になっても青空の下で楽しく遊んだ
思い出を作ってほしいと思います。
山科に居た頃、数年前ですが、表で子供が遊んでいる光景は当たり前でした。
やはり、田舎だったのかも。
山科という田舎には田んぼや畑、それにコンクリートで作られていても川があります。
やはり、子供は田舎で育てるのが一番かも。
日当たりの悪さもあるのでしょうか。
いつ頃からでしょう、ロウ石の跡を見なくなったのは。
子供の頃は空き地や原っぱもまだ多く、駆け回って遊んでいました。
自分達で遊び方も考えてましたよね。
今じゃ公園は綺麗に整備され、レンガ敷きの遊歩道になり
キャッチボールをしても良い場所は、金網で囲まれています。
ゲームばかりしてたら、運動能力が劣るのも無理ないですね。
オリンピックで勝てないのも、その辺に原因があるような気がします。
土日以外はガラ~ンとしている子供野球3面が
とれる空き地があります。
それこそ休日ともなると、野球練習の大きな声が
通りながら聞こえています。
公園の方は、ごく小さなお子さん連れがいますが、
お母さん同士のオシャベリははずんでも、
子供とは無関係状態です。
考えるに、電車内でも、街でも、楽しそうに語らっている
親子の姿があまりなく、ウオッチングしていても、
ほほえましい姿は見かけなくなりました。
何かが欠落してきているように思えてなりません。
大人が大人でないのでしょう。
昔の絵本に出てくる女の子みたいです。
今日の日記を拝見して、逆に思えば私などは最後の良い時代に育ったんだなぁ、と思えました。
田舎のせいもありますけど、塾通いをしている子なんてどちらかと言えば「家と学校のお勉強では足りない子」でしたし、学校から帰るとランドセルほっぽりだして外に遊びに出かけていましたもの。
走り回った野山でどれほどの事を知り身につけたか・・・・
人間の進歩というのは何なんだろう?と考え込んでしまいました。
ほんとに「もやしっこ」ですねぇ。
子供って、元気に走り回ってるイメージですが
最近の子って、なんかいつ見ても
「疲れてる」みたいにみえるんですよ。
子供のころの思い出って、大切ですしねぇ。
おばぁちゃんとこでのお芋ほりなんて、
最高ですよ!
都会はほんとにコンクリートジャングルです。
遊び場がないということは、
こどもにとって不幸ですね。
私なんかはいい時代に育ちました。
ロウ石なんて、まだうっているんでしょうか。
石蹴りの丸いの、駄菓子やさんや
おもちゃやさんで、硝子のを売っていて、
でもすぐ割れて…。
そんな小さいことも思い出になるんですよね。
ほんとに、体力と言うか身体能力、
劣ってもしかたないですね。
公園デビューとかいう儀式?もあるそうですが
子育て自体が変わってきているみたいな…。
なんとなく親がまず自分、みたいなところ
あるような気がしてなりません。
家の前を通る親子の会話も、
なんか「大人の会話」みたいな感じで、
ほほえましい、という場面にあうと
ホッとします。どこかおかしいですね。
この前年、長かった髪をきったそうで、
とたんに男の子になっちまった私です。
商店街の売り出しで「ぼくちゃんハイ」と、
青い風船を渡されて、母はやっぱり伸ばそうと
きめたんですと。
そうなんですよね、私たちのころは、
塾なんていうのは、学校の不足を補う子とか、
子供のころから「大学めざす」子とか…。
我が家の近くは、山はありませんでしたが、
雑木林とか野っぱらがありましたから、
泥だらけになって遊んでました。
言葉ではいえないものを、たくさん学びましたね。
ほんとに、進歩って何なのかと思います。
便利になりすぎて、人間が体を動かさなくなって、
病気になったり?ヘンですね。
私たちくらいまでなんでしょうねぇ。
「素朴」で「頑強」なのは?