えぇ、まぁなんとお詫びを申し上げてよいものやら。
「恋しや京都」で、いきなりの写真と説明マチガイ。
あれはちゃーんと「阪急」と書いてありますがなもぉ。
はい、訂正いたします「あの写真は『阪急嵐山』駅」でございました。
コメントをくださったかた、お名前がありませんでしたのですが、
ご指摘、感謝申し上げます。ありがとうございました。
思い込んだら「見ていない」でした。
お詫びといってはなんですが…トップの写真は京都大河内山荘の紅葉です。
で…一生懸命思い出しました。
写真の駅は、母の実家の方へ行く路線、つまり阪急電鉄です。
あの旅は二泊三日だったのですが、この嵐山での民宿の記憶があるのに、
もう一泊の記憶がない…どこへ泊まったんだっけと考えて思い出しました。
「伯母の家」です。旅館代を浮かせるのに頼み込んだのでした。
いなかのことで、トイレにクモの巣があるから入れない、と
後輩になきつかれたのを思い出しました。
つまり二日目は阪急の伯母の家のある「向日町」から「嵐山」に行ったのです。
ここから出発しまして渡月橋をわたり、嵐電の嵐山の前を通って、
嵯峨野めぐりをした、が正解です。
ちなみに、今の阪急の嵐山の駅の写真をちとお借りしてきました。
基本変わらないようでちょっときれいになったかな、ですね。
思い出してみると、こっちの駅ははもうこのあとは車で行くようになりましたので、
一度も行ってません。というか阪急そのものに乗ってませんわ。
こちらの写真、借り物ですのですぐに削除します。であしからず。
ただし、嵐電の嵐山も…当時はこんな感じの小さな駅だったことは確かです。
いや、指摘していただいて、一生懸命思い出したのですが…
今はもうない「嵐山レディースホテル」、これはどうだったっけと
調べてみましたら、やはりこの年の10月開業でした。
つまりこの旅8月ですからこのとき、最後の突貫工事…くらいですね。
記憶がゼンゼンないんですけど、たぶん外観はできていたはずですよねぇ。
その前に嵐山にいったのはこの旅の3年くらい前、
そのときはやはり阪急で行きましたが、渡月橋をわたっていないので、
古い嵐電の嵐山駅の記憶となるともっと前。
オットとの旅のときは確かにホテルはありましたが、
駅の構内や改札は昔っぽいままで、今の足湯なんてのはもちろんありませんでした。
後輩との旅当時、あの「アンノン」がハヤリで、後輩もそのあたりの情報で
京都にいきたがったのですが、京都の旅館は高いし、民宿に泊まりました。
急に決めた旅でしたので宿がとれなくて、
片っ端から電話したことを思い出しましたわ。
結局、嵐電の嵐山近くには宿がとれなくて、阪急の駅そばに宿泊したのでした。
レンタサイクルは駅前で、地図だとこれは今もありますね。
とんだ大間違いをしたことで、これはたいへん…と、
写真や当時のパンフなど引っ張り出して一生懸命考えましたら、
おかげさまでいろいろ思い出しました。やってみるもんです。
阪急の駅前はものすごく広くて、ロータリーみたいになっていまして、
キレイな公園のような植え込みなどがありました。
いつもいとこと行ってましたが、阪急降り、すぐ渡月橋をわたってしまうので
この旅のとき初めて阪急駅の周りを歩いたのです。
お土産やさんとかがあまりなくて、寂しい感じだったのを覚えています。
それと、確か常寂光寺の近くだったと思うのですが、
筍ご飯のおいしいお店があって、いとこと行くとそこで御昼にしていたので、
後輩もそこに連れて行ったのですが、地図で調べても今はありませんでした。
かわりにいろいろシャレたお店ができたようですねぇ。
その向こうの二尊院の前に「信楽焼き」のお店と竹細工のお店があり、
どっちもいつ行ってもすごい人だったんですが、今でもありますね。
最近は大河内山荘まで行っても、山陰線の先まで行ってません。
なんだか書いていたら行きたくなりました。
次回、嵐山に行ったら、久しぶりに山陰線を越えてみましょう。
というわけで…とんだ大間違いで、ご迷惑をおかけしました。
今朝父に聞いたら「昔の嵐電嵐山の駅」の写真、
どっかにあるだろうなぁ…だったのですが、探してくれる気は…ないようでした。
なんたってものすごい数の写真がありますしねぇ…。
今回のことで、あっいや今回は失敗談ですが、
古い町並みの写真、特に私はヨコハマなので、古い伊勢佐木町とか
マリンタワーとか、大桟橋とか、あるんです。
こういう写真って、結構だいじなんだなぁと思いました。
別に写っているからといって、歴史的に価値があるようなことではないのですが、
結局一度壊されたものは二度とは見られないわけですから。
今度どこかに行ったら、建物とか景色とかの写真も撮っておこうと思いました。
まぁほんとに「大恥の昔話」になってしまいました。
あの記事の写真は、訂正つきで、そのまま載せておきます。
ただいま、遅ればせながら隠れたいと「穴」掘っております、せっせせっせ…。
「恋しや京都」で、いきなりの写真と説明マチガイ。
あれはちゃーんと「阪急」と書いてありますがなもぉ。
はい、訂正いたします「あの写真は『阪急嵐山』駅」でございました。
コメントをくださったかた、お名前がありませんでしたのですが、
ご指摘、感謝申し上げます。ありがとうございました。
思い込んだら「見ていない」でした。
お詫びといってはなんですが…トップの写真は京都大河内山荘の紅葉です。
で…一生懸命思い出しました。
写真の駅は、母の実家の方へ行く路線、つまり阪急電鉄です。
あの旅は二泊三日だったのですが、この嵐山での民宿の記憶があるのに、
もう一泊の記憶がない…どこへ泊まったんだっけと考えて思い出しました。
「伯母の家」です。旅館代を浮かせるのに頼み込んだのでした。
いなかのことで、トイレにクモの巣があるから入れない、と
後輩になきつかれたのを思い出しました。
つまり二日目は阪急の伯母の家のある「向日町」から「嵐山」に行ったのです。
ここから出発しまして渡月橋をわたり、嵐電の嵐山の前を通って、
嵯峨野めぐりをした、が正解です。
ちなみに、今の阪急の嵐山の駅の写真をちとお借りしてきました。
基本変わらないようでちょっときれいになったかな、ですね。
思い出してみると、こっちの駅ははもうこのあとは車で行くようになりましたので、
一度も行ってません。というか阪急そのものに乗ってませんわ。
こちらの写真、借り物ですのですぐに削除します。であしからず。
ただし、嵐電の嵐山も…当時はこんな感じの小さな駅だったことは確かです。
いや、指摘していただいて、一生懸命思い出したのですが…
今はもうない「嵐山レディースホテル」、これはどうだったっけと
調べてみましたら、やはりこの年の10月開業でした。
つまりこの旅8月ですからこのとき、最後の突貫工事…くらいですね。
記憶がゼンゼンないんですけど、たぶん外観はできていたはずですよねぇ。
その前に嵐山にいったのはこの旅の3年くらい前、
そのときはやはり阪急で行きましたが、渡月橋をわたっていないので、
古い嵐電の嵐山駅の記憶となるともっと前。
オットとの旅のときは確かにホテルはありましたが、
駅の構内や改札は昔っぽいままで、今の足湯なんてのはもちろんありませんでした。
後輩との旅当時、あの「アンノン」がハヤリで、後輩もそのあたりの情報で
京都にいきたがったのですが、京都の旅館は高いし、民宿に泊まりました。
急に決めた旅でしたので宿がとれなくて、
片っ端から電話したことを思い出しましたわ。
結局、嵐電の嵐山近くには宿がとれなくて、阪急の駅そばに宿泊したのでした。
レンタサイクルは駅前で、地図だとこれは今もありますね。
とんだ大間違いをしたことで、これはたいへん…と、
写真や当時のパンフなど引っ張り出して一生懸命考えましたら、
おかげさまでいろいろ思い出しました。やってみるもんです。
阪急の駅前はものすごく広くて、ロータリーみたいになっていまして、
キレイな公園のような植え込みなどがありました。
いつもいとこと行ってましたが、阪急降り、すぐ渡月橋をわたってしまうので
この旅のとき初めて阪急駅の周りを歩いたのです。
お土産やさんとかがあまりなくて、寂しい感じだったのを覚えています。
それと、確か常寂光寺の近くだったと思うのですが、
筍ご飯のおいしいお店があって、いとこと行くとそこで御昼にしていたので、
後輩もそこに連れて行ったのですが、地図で調べても今はありませんでした。
かわりにいろいろシャレたお店ができたようですねぇ。
その向こうの二尊院の前に「信楽焼き」のお店と竹細工のお店があり、
どっちもいつ行ってもすごい人だったんですが、今でもありますね。
最近は大河内山荘まで行っても、山陰線の先まで行ってません。
なんだか書いていたら行きたくなりました。
次回、嵐山に行ったら、久しぶりに山陰線を越えてみましょう。
というわけで…とんだ大間違いで、ご迷惑をおかけしました。
今朝父に聞いたら「昔の嵐電嵐山の駅」の写真、
どっかにあるだろうなぁ…だったのですが、探してくれる気は…ないようでした。
なんたってものすごい数の写真がありますしねぇ…。
今回のことで、あっいや今回は失敗談ですが、
古い町並みの写真、特に私はヨコハマなので、古い伊勢佐木町とか
マリンタワーとか、大桟橋とか、あるんです。
こういう写真って、結構だいじなんだなぁと思いました。
別に写っているからといって、歴史的に価値があるようなことではないのですが、
結局一度壊されたものは二度とは見られないわけですから。
今度どこかに行ったら、建物とか景色とかの写真も撮っておこうと思いました。
まぁほんとに「大恥の昔話」になってしまいました。
あの記事の写真は、訂正つきで、そのまま載せておきます。
ただいま、遅ればせながら隠れたいと「穴」掘っております、せっせせっせ…。
ずっと親に連れて行ってもらったり、
親戚の車で連れて行ってもらったりしていて、
はじめて一人で行ったときは、
「駅…どこよっ」と、迷いましたよ。
あのあたりは一日かけて歩きたいところですねぇ。
コメントで、嵐電は四条大宮で降りると、
京都駅が遠いというお話しがありましたので
コメントでは「参院嵐山」をお答えしておきました。
ちょっと離れているので、忘れられてますね。
私は山陰線も好きです。
嵐山駅前はタレントショップが乱立したとき
最悪でしたね。少し落ち着きましたが、
それでも昔の面影はなくなりましたね。
大河内山荘のなかを歩くと、ほっとします。
いずれにしてもシーズンオフでないと…。
なにかしらハプニングや恥ずかしい失敗が
必ずあるので、覚えているのかもです。
京都はフシギな街ですね。
何度行っても飽きません。
冬の京都は寒いですけれど、またいいですよ。
ぜひお出かけください。
骨董市は、ほんとにおもしろいですよ。
それじゃ私が行った駅はどの嵐山の駅
だったのでしょう・・・
とんぼ様のように記憶を手繰り寄せようにも
行ったという記憶しか残っていなくてまったく
だめですわ。
話題の阪急嵐山駅と京福電鉄の嵐山駅、それに話題にならなかったJRの嵯峨嵐山駅です。
一番昔と変わらない駅は仰る通り阪急の駅ですね。
利用客が一番少ないのが理由なのかも。
京福電鉄通称嵐電の嵐山駅は激変しました。
あまり嬉しい変り方ではありません。
足湯もやるなら無料やんかと。
JRの嵯峨嵐山駅もトロッコ列車が走り出して変りましたがこの時期ライトアップもあって予約も取り難い事でしょう。
嵯峨には大覚寺の奥にそれほど高くなくていい雰囲気の「鯉茶屋」と言う店があります。
京会席なんですが、店の名前の通り鯉料理も名物。
嵐山の喧噪をはなれて嵯峨野散策も良い物です。
私など行った記憶はあっても、何回かのがごっちゃになって
細かい思い出などは...の世界です。
こうして思い出し、文章の起こし、読む人が情景を
思い起こせるなんて...すばらしい記憶力と文章力です。
私の京都旅行のひとつに息子が大学卒業する前に、
<そういえば、京都って行ってないなあ>って言ったのです。
<北ばかり行っていたし、修学旅行も北だったし...>
この言葉に即反応して2日後には二人で3泊の京都旅行を
してだいたいのところは見学させたのです。
社会人になるのに京都を知らないなんて...でした。
その後もたびたび訪れていますが、あのときのことは
今でも思い出します。
とんぼさんの記憶と文章にまたぞろ旅の虫が動きはじめ
ました。12月にでも行ってこようかしら?