きょうはつれづれでーす。
写真は、今シリーズの「2」が上映されている「三丁目の夕日」、
それの「キーホルダー三点セット」です。
真ん中のミゼットだけでよかったんだけど、まーセットですから。
このところ何かと昭和30年代のことが話題になっているような気がします。
今の「団塊の世代の人たち」が子供だったころ、日本が元気よかったころ、
そんな頃のお話ですね。私は映画を見に行かなかったので、
この前テレビで、「1」のほうを見ました。
ストーリーもまぁなんといいますか、悪くはありませんでしたが、
なにより出てくるものや、暮らしぶりなどが懐かしくて懐かしくて…。
このミゼットもそうです。商店街で、これを使っているお店がありましたから、
しょっちゅう見ていましたし、映画の中の車と同じで傷だらけ、汚れてました。
見づらいので、出してみました。
これがミゼット、ちゃんと「鈴木オート」と書いてあります。
汚れ具合、傷の具合なんかもリアルでしょ。
このほかで懐かしかったのが「木製の冷蔵庫」、映画では氷やさんが
大きな自転車で氷を運んできて、上の扉をあけて入れる…、
「すみませんねぇ」とお母さんがお礼をいって…、ウチもそうでした。
そのあと「電気冷蔵庫」がやってくると、氷やさんがそれを見て、
ガックリと帰ってゆく…そう、こっちは便利になっても、
それでシゴトが減ったりなくなったりする人もいたわけですよね。
映画の中の鈴木オートには「ろくちゃん」という「集団就職」でやってきた
北国出身の女の子が住み込みで働いていました。
私の伯父の家が、当時時計屋をやっていまして、
やはり「集団就職」で、男の子が二人きていました。
遊びに行くと北国の訛りで話しかけられ、「えっ?今なんてったの?」なんて、
聞き返しながらしゃべっていたことを懐かしく思い出しました。
私は小学校の2~3年生の頃で、実は私にスケートを教えてくれたのも、
そのおにいちゃんたちでした。おかげで都会育ちですが今でも滑れまっせぇ。
お休みの日に、給料も安かったでしょうに電車で連れて行ってくれたのです。
今どうしているかなぁ…。もう60歳をすぎていますよねぇ。
「三丁目の夕日」を見て、家の作りだとか道具類だとか、商店のようす、
また子供たちの遊びのようすとか…そんなものを見ていたら、
私はとても「いい時代」に子供時代をすごすことができたんだな、と、
今更ながらに思いました。テレビのなかったころ、何をして遊んでいたか、
そのテレビだって、今みたいに24時間放送なんかしていませんでしたしね。
駄菓子やさんでクジを引いたり、近所の女の子と路地でゴム飛びだとか
石蹴りだとか、当たり前のようにやっていたけれど、
イマドキ子供の姿を見るのは通学の行き帰りと、塾へ行くらしい待ち合わせ…。
いかにも「遊びつかれた、おうちへ帰ろ」という子供連れはあまり見ません。
なんだかさびしいですね。
ジサマに同じものを、ちっと早めのクリスマスだよと、渡したところ、
「おぉ懐かしいなぁ、○○屋のXXちゃんが乗ってたよ、
あれっミゼットって、ワイパー一本だったんだなぁ」と。
ジサマはこの後くらいに「キャロル」という車に乗ってました。
小さくて、はしっこい…「スピード違反でつかまってなぁ」…コラコラ。
若かりし頃のジサマは、ラリーに出たり
「ベストドライバーコンテスト」なんてので全国8位にもなったり、
車に関しちゃもーベテランですが、免許を取るときは「木炭車」で、
試験受けるのに「薪」を持参したそうです。すごいですー。
さて、懐かしいお話しの後は、つい最近の京都で…
「ヒザがメキッ」といったときに撮った写真です。
やっぱりよれたんだ、タワーが斜めになってる…いえいえ、そーじゃなくて、
これはデジカメじゃなくて、あなろぐぅな「カメラ」、イオスです。
これで撮りました。広角レンズなもんでこーなっちゃったんです。
こちらは「風俗博物館内」、こういうときは「広角」は便利なんです。
今度はPCで、明るく調整しすぎました。難しい~~。
ほんとはアナログなカメラで撮るのが好きだったりします。
しかし、大きさがカードくらいしかなくて、しかも撮ってすぐ見られる、
帰ってきたらすぐパソコンに取り込める…便利なデジカメを使い始めたら、
ついついそちらばっかり…。でもねぇファインダー覗いて、
自分であちゃこちゃ調整して…ってのも楽しいんですよ。
このカメラ、ずいぶん長いこと使わなかったので、まずは電池が切れてました。
次に、あれっ?このマークなんだっけ…とか、ここ押すとどうなるんだっけ…。
もぉすっかり忘れこけてまして、なんともはや文明に毒されてしまってました。
この写真も、両方ともピンがきてませんねぇ。
それにしても、写真やさんからもどってきたフィルムだろうが写真だろうが
自分で取り込んでイジれるんですから、便利な世の中になりました。
そういえば、デジカメのまだ少し前に、DPEが進んできて取次店が増え、
昔ながらの写真屋さん、お店の奥に大きな機械があって…というところが、
そのころ2軒廃業しました。私の実父は、押入れ暗室にして、
現像も自分でやった人でしたが、ジサマも私もそれはできませんから、
できた写真をトリミングしてもらったり、調整してもらったり、
いろいろお世話になったんですよ。
いまや出したら一時間でできる時代…これも「氷やさん」と同じですねぇ。
おじさーん、ごめんねぇ…でも、このおじさんは病気もあっての廃業でした。
世の中どんどん便利になりますが、忘れちゃいけなしものやなくしたくないものも
ほんとはあるんだよねぇ…なんて、ちっと考えさせられた「ミゼット」でした。
写真は、今シリーズの「2」が上映されている「三丁目の夕日」、
それの「キーホルダー三点セット」です。
真ん中のミゼットだけでよかったんだけど、まーセットですから。
このところ何かと昭和30年代のことが話題になっているような気がします。
今の「団塊の世代の人たち」が子供だったころ、日本が元気よかったころ、
そんな頃のお話ですね。私は映画を見に行かなかったので、
この前テレビで、「1」のほうを見ました。
ストーリーもまぁなんといいますか、悪くはありませんでしたが、
なにより出てくるものや、暮らしぶりなどが懐かしくて懐かしくて…。
このミゼットもそうです。商店街で、これを使っているお店がありましたから、
しょっちゅう見ていましたし、映画の中の車と同じで傷だらけ、汚れてました。
見づらいので、出してみました。
これがミゼット、ちゃんと「鈴木オート」と書いてあります。
汚れ具合、傷の具合なんかもリアルでしょ。
このほかで懐かしかったのが「木製の冷蔵庫」、映画では氷やさんが
大きな自転車で氷を運んできて、上の扉をあけて入れる…、
「すみませんねぇ」とお母さんがお礼をいって…、ウチもそうでした。
そのあと「電気冷蔵庫」がやってくると、氷やさんがそれを見て、
ガックリと帰ってゆく…そう、こっちは便利になっても、
それでシゴトが減ったりなくなったりする人もいたわけですよね。
映画の中の鈴木オートには「ろくちゃん」という「集団就職」でやってきた
北国出身の女の子が住み込みで働いていました。
私の伯父の家が、当時時計屋をやっていまして、
やはり「集団就職」で、男の子が二人きていました。
遊びに行くと北国の訛りで話しかけられ、「えっ?今なんてったの?」なんて、
聞き返しながらしゃべっていたことを懐かしく思い出しました。
私は小学校の2~3年生の頃で、実は私にスケートを教えてくれたのも、
そのおにいちゃんたちでした。おかげで都会育ちですが今でも滑れまっせぇ。
お休みの日に、給料も安かったでしょうに電車で連れて行ってくれたのです。
今どうしているかなぁ…。もう60歳をすぎていますよねぇ。
「三丁目の夕日」を見て、家の作りだとか道具類だとか、商店のようす、
また子供たちの遊びのようすとか…そんなものを見ていたら、
私はとても「いい時代」に子供時代をすごすことができたんだな、と、
今更ながらに思いました。テレビのなかったころ、何をして遊んでいたか、
そのテレビだって、今みたいに24時間放送なんかしていませんでしたしね。
駄菓子やさんでクジを引いたり、近所の女の子と路地でゴム飛びだとか
石蹴りだとか、当たり前のようにやっていたけれど、
イマドキ子供の姿を見るのは通学の行き帰りと、塾へ行くらしい待ち合わせ…。
いかにも「遊びつかれた、おうちへ帰ろ」という子供連れはあまり見ません。
なんだかさびしいですね。
ジサマに同じものを、ちっと早めのクリスマスだよと、渡したところ、
「おぉ懐かしいなぁ、○○屋のXXちゃんが乗ってたよ、
あれっミゼットって、ワイパー一本だったんだなぁ」と。
ジサマはこの後くらいに「キャロル」という車に乗ってました。
小さくて、はしっこい…「スピード違反でつかまってなぁ」…コラコラ。
若かりし頃のジサマは、ラリーに出たり
「ベストドライバーコンテスト」なんてので全国8位にもなったり、
車に関しちゃもーベテランですが、免許を取るときは「木炭車」で、
試験受けるのに「薪」を持参したそうです。すごいですー。
さて、懐かしいお話しの後は、つい最近の京都で…
「ヒザがメキッ」といったときに撮った写真です。
やっぱりよれたんだ、タワーが斜めになってる…いえいえ、そーじゃなくて、
これはデジカメじゃなくて、あなろぐぅな「カメラ」、イオスです。
これで撮りました。広角レンズなもんでこーなっちゃったんです。
こちらは「風俗博物館内」、こういうときは「広角」は便利なんです。
今度はPCで、明るく調整しすぎました。難しい~~。
ほんとはアナログなカメラで撮るのが好きだったりします。
しかし、大きさがカードくらいしかなくて、しかも撮ってすぐ見られる、
帰ってきたらすぐパソコンに取り込める…便利なデジカメを使い始めたら、
ついついそちらばっかり…。でもねぇファインダー覗いて、
自分であちゃこちゃ調整して…ってのも楽しいんですよ。
このカメラ、ずいぶん長いこと使わなかったので、まずは電池が切れてました。
次に、あれっ?このマークなんだっけ…とか、ここ押すとどうなるんだっけ…。
もぉすっかり忘れこけてまして、なんともはや文明に毒されてしまってました。
この写真も、両方ともピンがきてませんねぇ。
それにしても、写真やさんからもどってきたフィルムだろうが写真だろうが
自分で取り込んでイジれるんですから、便利な世の中になりました。
そういえば、デジカメのまだ少し前に、DPEが進んできて取次店が増え、
昔ながらの写真屋さん、お店の奥に大きな機械があって…というところが、
そのころ2軒廃業しました。私の実父は、押入れ暗室にして、
現像も自分でやった人でしたが、ジサマも私もそれはできませんから、
できた写真をトリミングしてもらったり、調整してもらったり、
いろいろお世話になったんですよ。
いまや出したら一時間でできる時代…これも「氷やさん」と同じですねぇ。
おじさーん、ごめんねぇ…でも、このおじさんは病気もあっての廃業でした。
世の中どんどん便利になりますが、忘れちゃいけなしものやなくしたくないものも
ほんとはあるんだよねぇ…なんて、ちっと考えさせられた「ミゼット」でした。
バタバタと音を出しながら走っていたので
子供の頃はバタバタと言っていました。
懐かしいですねぇ、子供の頃の遊びはほとんど
外で、石蹴り、ケンパ、ろうま、草履隠しなど
暗くなる頃まで遊んでいました。今思うと
本当に幸せな子供時代だったんですね。
マツダキャロルにも乗った事があります。
あの頃軽四では珍しい四気筒エンジンでした。
軽四の高級車。
我家は長い事駄菓子屋もやっていました。
夏はかき氷。
木製の冷蔵庫に氷屋さんから、手回しのかき氷機に使う氷四個分をいつも注文していたのを想い出しました。
長い事その機械がありましたが、残っていれば骨董品として値打ちものだったかも。
映画は大した事ありませんが、あの漫画は愛読書です。
ありませんでしたっけ?
実家は昔 自動車修理工場をしていたので 地方から来ていたお兄さん達も数人いました。
良く可愛がってもらっていましたので
今でもその中の数人と年賀状のやり取りをしています。
実家の跡地は今はビール会社の本社が建っています。
父は修理工場を畳んでからは人生の後半はプリンス自動車(スカイライン)に勤めていました。
車から離れられない生活だったようですね。
発展途上に於いての、とり立てて悲惨さの無い貧しさの中での「喜び」「楽しさ」も充分経験してきたし、子供の頃、夢想だにもしなかった豊かな現代もこうして実感している身です、ホント申し分のない
時代を生きさせて貰いましたよ。
道路は子供らの遊び場でした。道路いっぱいにチョークや、ロウ石で絵を描いて・・車が危ないなんて・・大通りだけだった・・・時間がゆっくり流れていました。
あまりに変化の激しい近頃の社会に・・・子供のころの世界に逃げ込みたくなる・・のです。
映画の設定はS.34年、私は3歳の頃ですが、時間の流れがゆったりしていた時代なので、その5~6年後の思い出の風景もさして変わらないものだったと思います。
あの映画はストーリーを追うよりも、時代の空気を追体験するように作ってあります。その中の何処かに自分がいた・・という記憶が、実体験と映画両方に持てたことに、何か意味でもあるのか?・・と思ったりもします。
あちらこちらで散々書いてきましたのでこちらで詳しいことは省きますが、ある掲示板に撮影当日の舞台裏のことを書き残してきました。私のHPのリンクから「ごろねこ」というHPへ行き、トップページから掲示板を開くと最近の書き込みなのですぐ見られると思います。
映画、是非劇場で観てください。女房は少なくとも4回は鼻をすすりながら観ておりました。私は・・・、「よく泣かないで観られたね・・」と言われて「まぁね・・」と答えましたが実は・・・。
私はこの時代より少ぉし遅れて子供時代を過ごしたので、馴染みは薄いのかもしれないなぁ。。。
今の子供たち、それでもやっぱり、暗くなるまで遊んでますよ。
遊び方は昔と少し変わったかもしれないけれど、それでも「秘密基地作り」とか「蝋石でケンパ」とか、まだまだ健在です。
ただね、
塾通いの子供が多いのも事実ですし、最近は子供がらみの事件が多いので、暗くなるまで外で遊んでいる事に対して、親も神経質にはなってると思います。
これは決して子供たちのせいではなく、大人たちがこういう社会を作ってきてしまった結果なので、大人たちが改善しなければならない問題だと、私は思うのです。。。
内容が豊富すぎてこちらも疲れました(笑)
京都・・・いいなぁ~
もうだいぶ前から清水寺が私を呼んでいるのに行けてないんですよ~(涙)
マック連れでないと旅行に行けなくなった私、どうしようもない犬バカになっています。
『三丁目の夕日』、一作目は見ましたよ、母を連れてね。
実は父が商売を始めて、一台目の車がミゼットだったの、懐かしくって・・・
父が生きてたら絶対喜んだでしょうね、残念です。
ミニミゼットはどこで手に入れたの?私も欲しいです~。
おっと~、忘れるところ・・・とんぼちゃんの着物姿、どうしてもイメージ涌かないんですけど、顔出しして~~~!
車そのものは良く見ていましたが・・・私が車に親しんだのは、学校にあったフォード車でした。
分解したり組み立てたり・・・。
最近の車は故障したら修理しないで部品箇所ごと総入れ替えするんですってね。カメラ同様変わってきました。