先日でかけた京都の「風俗博物館」で買った絵葉書の一枚、部分拡大です。
ちょっとボケててすみません。
先日「打出(うちいで)」という、宮中のしきたりのお話しをちょっとしました。
「打出」というのは、おめでたい行事の日などに、
十二単の衣装を几帳などの道具に人が着ているように着せかけ、
御簾の下から「襲」の美しい袖部分を見せて華やかさを添える…
という優雅なものです。
上のハガキはそれの男性版、とでもいいましょうか、
こちらは「一日晴れ」といいます。
お目出たい行事や儀式、特に帝の行幸などのときに行われるもの。
男性の装束を束帯、といいますが、その袍(ほう・一番上に着ているものです)の
更に下に着る裾の長い部分、これは廊下などでは引きずり外では畳んで縛ります。
この裾、すそではなく「きょ」といいますが、この下襲ね、通常は表側と同じで、
しかも袍はその色や織り模様まで、身分や年齢などで
細かく決められていたのですが、この「特別な日」だけは
別仕立てのもので、裾にも美しい布をつけることが許されました。
そして、回廊(当時はすのこ)に居並ぶとき、
その高欄(てすり)に、その裾をかけて
裏側の美しい柄を見せて競う…ということがなされたわけです。
写真の公達三人の後の欄干にかかっているのがそれです。
私はこの「打出」も「一日晴れ」も、文章で読んだことしかなかったのですが、
ここで実物(といっても縮小サイズですが)を見ることができて、
改めて「なんと優雅な…」とため息のでる思いをました。
もちろん、こういう風俗だった…と言っても、
当時こんなかっこうをできるのは、日本全国民のうちのほんのほんの一握りです。
ほとんどの人たちは、まだろくな織り染めの技術もないし(あっても使えない!)
絹などは手の届くものではなく、麻や葛などの地味な着物に身を包んで、
泥まみれ、ほこりまみれで働いて暮らしていたわけです。
当時の「身分格差」というものは、江戸時代のそれより、
なお差がおおきかったことでしょう。
まさに「宮中」は「天上の国」だったと思います。
それを思うと、美しい、日本のすばらしい文化だぁ…
とばかりは言っていられない気もするのですが…それでも美しいものは美しい、
それに、これだけすばらしいものであったからこそ、
正確に伝承され、今に至るも、1000年昔のことがわかるわけですから、
やはりすごい文化だと思うのです。
そして「モノ」としての美しさだけでなく、御簾の下から衣装を覗かせる、
高欄にすそをかける…、こういったことが「しきたり」として行われる優雅さ。
美的感覚や、芸術的才覚も養われたであろうし、
またそういう感性が、やがては「民族の感性」というものにまで
広がっていったのではないかと思っています。
平安雅の世界で暮らしたいとは思いませんが、
こんなふうに「美しいもの・美しいこと」を工夫して、
暮らしの中でのアクセントにするセンス、
そういうものは今もほしいなぁと思います。
秋の風 一日晴れの衣かけ 防虫剤のにおい飛ばすや (どこが優雅やねん…)
ちょっとボケててすみません。
先日「打出(うちいで)」という、宮中のしきたりのお話しをちょっとしました。
「打出」というのは、おめでたい行事の日などに、
十二単の衣装を几帳などの道具に人が着ているように着せかけ、
御簾の下から「襲」の美しい袖部分を見せて華やかさを添える…
という優雅なものです。
上のハガキはそれの男性版、とでもいいましょうか、
こちらは「一日晴れ」といいます。
お目出たい行事や儀式、特に帝の行幸などのときに行われるもの。
男性の装束を束帯、といいますが、その袍(ほう・一番上に着ているものです)の
更に下に着る裾の長い部分、これは廊下などでは引きずり外では畳んで縛ります。
この裾、すそではなく「きょ」といいますが、この下襲ね、通常は表側と同じで、
しかも袍はその色や織り模様まで、身分や年齢などで
細かく決められていたのですが、この「特別な日」だけは
別仕立てのもので、裾にも美しい布をつけることが許されました。
そして、回廊(当時はすのこ)に居並ぶとき、
その高欄(てすり)に、その裾をかけて
裏側の美しい柄を見せて競う…ということがなされたわけです。
写真の公達三人の後の欄干にかかっているのがそれです。
私はこの「打出」も「一日晴れ」も、文章で読んだことしかなかったのですが、
ここで実物(といっても縮小サイズですが)を見ることができて、
改めて「なんと優雅な…」とため息のでる思いをました。
もちろん、こういう風俗だった…と言っても、
当時こんなかっこうをできるのは、日本全国民のうちのほんのほんの一握りです。
ほとんどの人たちは、まだろくな織り染めの技術もないし(あっても使えない!)
絹などは手の届くものではなく、麻や葛などの地味な着物に身を包んで、
泥まみれ、ほこりまみれで働いて暮らしていたわけです。
当時の「身分格差」というものは、江戸時代のそれより、
なお差がおおきかったことでしょう。
まさに「宮中」は「天上の国」だったと思います。
それを思うと、美しい、日本のすばらしい文化だぁ…
とばかりは言っていられない気もするのですが…それでも美しいものは美しい、
それに、これだけすばらしいものであったからこそ、
正確に伝承され、今に至るも、1000年昔のことがわかるわけですから、
やはりすごい文化だと思うのです。
そして「モノ」としての美しさだけでなく、御簾の下から衣装を覗かせる、
高欄にすそをかける…、こういったことが「しきたり」として行われる優雅さ。
美的感覚や、芸術的才覚も養われたであろうし、
またそういう感性が、やがては「民族の感性」というものにまで
広がっていったのではないかと思っています。
平安雅の世界で暮らしたいとは思いませんが、
こんなふうに「美しいもの・美しいこと」を工夫して、
暮らしの中でのアクセントにするセンス、
そういうものは今もほしいなぁと思います。
秋の風 一日晴れの衣かけ 防虫剤のにおい飛ばすや (どこが優雅やねん…)
そして 御簾の中からのチラ見せでは無く これ見よがしの大胆見せ。
といってこの先何を書くか・・・
日本の色という本を読んでいたら 身分によって色を細かく使い分けていたと
書かれていたのですが この「一日晴れ」の時は身分を越えて
自分の好きな色を身に付けられたと考えて良いのでしょうか。
私はこの時代も埃まみれ泥まみれで働いていたのだろうな。
どう考えても派手な色物より地味な色が好きなのですもの。
冬近し 袷の色に 誰思う こんなところに虫食い穴(爆)
つくろわねば^^ゞ
男性の束帯をメインにした写真は
珍しいですね。
御簾の下から十二単の袖が見えていて
本当に雅な世界ですね。
この時代にすでにこういう織物の技術が
あったことがすごいと思います。
その通りだろうと思います。
宮中,貴族社会の雅な生活と一般庶民の日常生活には大きい格差があったでしょうが、漏れだした雅ごころが暮らしの端々に根付いていったのでしょう。
それにしても、今の世の中、大和の雅ごころは少なくなっているようですね。
何もかもバリアフリーで世界中どこに行っても同じ、地球上の文化の画一化が進んでいるような気がします。
男の人もオシャレだったんですねぇ。
この「一日晴れ」のときは、特別だったようです。
まぁ上にも書きましたが、下襲の裾の
それも裏側だけですから、思いっきりハデに
したんでしょうねぇ。普通に歩いたら、
けっょく下向きで見えないわけだし…。
見せられるときはここぞとばかり
「さぁ見てみんさい、ボクのがいっちゃん、
きれいっしょ!」なんてね。
えみこ様
どう考えたって「ミヤビ」には程遠い暮らしですねぇ
シコシコにおい飛ばしたり、つくろったり、
庶民は気楽ぅですー。
陽花様
貴族や宗教関係だけのためにであっても、
すごい技術ですよね。この前の機械より、
更にもっと大変だったと思います。
人間ってすごいですねぇ。
六十路独り言様
江戸時代などは、当たり前のように、
庶民にひろがって定着していきましたしね。
今の時代は、なにによらずボーダレス、
まぁそれがいいこともありますが、
文化という点では、なくしたくないものも
たくさんありますね。