久しぶりにこんな納豆を食べました。
これは生協のものなのですが、まぁお懐かしい…です。
ただねぇ、この外の紙に見えるものはプラです。
これの一つ前が三角形のもの、さらに前が「わらつと」です。
この紙風プラも中身はちゃんと「経木」です。三角のものは、全部経木でしたね。
母は関西ですから「納豆は人間の食べるものではない」と言い切ってた!
私は無類の納豆好きですから、母はいやいやでも私には食べさせてくれました。
食べたあとの食器を洗うのもイヤ、という母でしたが、
顔を背けてにおいをかがないようにしながら、経木はちゃんと洗ってましたね。
お肉屋さんの竹の皮も、経木も、よく台所に張ったひもに、
洗濯バサミでつるして干してありました。
経木というのは、元は紙のかわりに「お経」を書いていたというところから、
経木と呼ばれるようになったといわれています。
今、なんたらかたらと「抗菌・殺菌」といいますが、
昔の人は長い暮らしの経験の中で、菌なんてものの存在すら知らなくても、
これに包んでおくといたまないとか、あたらないとか、
ちゃんと気づいていたんですね。
今でもお弁当の仕切りなどに使われています。
母も何か夕飯の残り物などを同じ器に一緒にいれるときなど、
経木を境目に敷いたりしていました。
あと、庭に何か花の種などを巻いたときなども、細く切った経木に
花の名前と種まきした日を書き込んで立ててましたっけ。
そのうち風雨にさらされて、だめになってしまうのですが、
母は「いずれ土に還るしええねん」と言ってましたっけ。
この納豆あけて気がついたのは、タレがついてなかったこと。
そう、昔は「タレ」なんてついてませんでしたよね。からしだけ。
いつごろからですかねぇ、納豆にタレがつくようになったのは…。
最近、あのタレまでプルンとしたゼリーみたいなのになって、
「手が汚れない」なんてCMやってますね。
確かに「タレ」をゼリーみたいにして、一緒にいれれば、
プラの小さい袋をひとつ使わないですみます。
エコだといいたいのかもしれませんが、タレ、なくてもいいじゃんと思います。
わらつと納豆、三角経木納豆…
それには削り節器で、キコキコ削った削りたての「かつぶし」をかけて、
しょうゆとからし、それがおいしかった…タレなんていらなかった…。
紙も経木もわらつとも、あとは燃せるものでしたねぇ。
稲作が減って「わら」がない…のもあるでしょうね。
なんか悪いことの悪循環、みたいですねぇ。
分別ごみで、プラ製品を別にするようになってから、
ほんっとに「なんでこんなにプラばっかりなんだろう」と、
毎度ため息つきながら捨てています。
私はなかなか買い物に出られないので、
出たときには、日用品などもまとめ買いしてきますが、
家に帰って食品を冷蔵庫に入れたり、あれこれ使う場所まで持っていったり、
下着やタオルなどは洗濯回したり…。全部終わって、
それぞれの包装材や梱包材をまとめるとゴミは一袋にもなります。
ほとんどがプラ…。こんなのでいいんだろうかと…。
便利になれた身には、不便になることはつらいことですし、
実際パソコンなんか使っている身には「プラ」でなければ困るものもあるわけで。
だからこそ「プラ」でなくてもなんとかなるものは、
何とかしたほうがいいんじゃないかと…。
先日ニュージーランドのエコについてやっていたのですが、
小さい子供を集めてゲームをしてエコ意識を高める…というのをやってました。
長いひもを地面に伸ばし、手前から日数や年数を書いたプレートを、
間をあけて置いておく、子供たちに身近にあるものをいろいろ持たせて、
それがなくなるまでの時間と思われるプレートに置かせるのです。
たとえば布製の人形とか、ペットボトルとか…。
「500年」なんていうプレートもありました。
ただ「リサイクルしましょう」とか「ゴミを減らしましょう」と
お題目のように教えるよりも、インパクトありましたねぇ。
納豆も昔のような経木ってわけにいかないんですかねぇ。
そうそう「エコバッグ」が少しずつ広まってきたら、
万引きが増えたそうです。
人間の心まで、プラスチックみたいに無機質で、
芯に毒を隠すようになってしまったんですかね。
これは生協のものなのですが、まぁお懐かしい…です。
ただねぇ、この外の紙に見えるものはプラです。
これの一つ前が三角形のもの、さらに前が「わらつと」です。
この紙風プラも中身はちゃんと「経木」です。三角のものは、全部経木でしたね。
母は関西ですから「納豆は人間の食べるものではない」と言い切ってた!
私は無類の納豆好きですから、母はいやいやでも私には食べさせてくれました。
食べたあとの食器を洗うのもイヤ、という母でしたが、
顔を背けてにおいをかがないようにしながら、経木はちゃんと洗ってましたね。
お肉屋さんの竹の皮も、経木も、よく台所に張ったひもに、
洗濯バサミでつるして干してありました。
経木というのは、元は紙のかわりに「お経」を書いていたというところから、
経木と呼ばれるようになったといわれています。
今、なんたらかたらと「抗菌・殺菌」といいますが、
昔の人は長い暮らしの経験の中で、菌なんてものの存在すら知らなくても、
これに包んでおくといたまないとか、あたらないとか、
ちゃんと気づいていたんですね。
今でもお弁当の仕切りなどに使われています。
母も何か夕飯の残り物などを同じ器に一緒にいれるときなど、
経木を境目に敷いたりしていました。
あと、庭に何か花の種などを巻いたときなども、細く切った経木に
花の名前と種まきした日を書き込んで立ててましたっけ。
そのうち風雨にさらされて、だめになってしまうのですが、
母は「いずれ土に還るしええねん」と言ってましたっけ。
この納豆あけて気がついたのは、タレがついてなかったこと。
そう、昔は「タレ」なんてついてませんでしたよね。からしだけ。
いつごろからですかねぇ、納豆にタレがつくようになったのは…。
最近、あのタレまでプルンとしたゼリーみたいなのになって、
「手が汚れない」なんてCMやってますね。
確かに「タレ」をゼリーみたいにして、一緒にいれれば、
プラの小さい袋をひとつ使わないですみます。
エコだといいたいのかもしれませんが、タレ、なくてもいいじゃんと思います。
わらつと納豆、三角経木納豆…
それには削り節器で、キコキコ削った削りたての「かつぶし」をかけて、
しょうゆとからし、それがおいしかった…タレなんていらなかった…。
紙も経木もわらつとも、あとは燃せるものでしたねぇ。
稲作が減って「わら」がない…のもあるでしょうね。
なんか悪いことの悪循環、みたいですねぇ。
分別ごみで、プラ製品を別にするようになってから、
ほんっとに「なんでこんなにプラばっかりなんだろう」と、
毎度ため息つきながら捨てています。
私はなかなか買い物に出られないので、
出たときには、日用品などもまとめ買いしてきますが、
家に帰って食品を冷蔵庫に入れたり、あれこれ使う場所まで持っていったり、
下着やタオルなどは洗濯回したり…。全部終わって、
それぞれの包装材や梱包材をまとめるとゴミは一袋にもなります。
ほとんどがプラ…。こんなのでいいんだろうかと…。
便利になれた身には、不便になることはつらいことですし、
実際パソコンなんか使っている身には「プラ」でなければ困るものもあるわけで。
だからこそ「プラ」でなくてもなんとかなるものは、
何とかしたほうがいいんじゃないかと…。
先日ニュージーランドのエコについてやっていたのですが、
小さい子供を集めてゲームをしてエコ意識を高める…というのをやってました。
長いひもを地面に伸ばし、手前から日数や年数を書いたプレートを、
間をあけて置いておく、子供たちに身近にあるものをいろいろ持たせて、
それがなくなるまでの時間と思われるプレートに置かせるのです。
たとえば布製の人形とか、ペットボトルとか…。
「500年」なんていうプレートもありました。
ただ「リサイクルしましょう」とか「ゴミを減らしましょう」と
お題目のように教えるよりも、インパクトありましたねぇ。
納豆も昔のような経木ってわけにいかないんですかねぇ。
そうそう「エコバッグ」が少しずつ広まってきたら、
万引きが増えたそうです。
人間の心まで、プラスチックみたいに無機質で、
芯に毒を隠すようになってしまったんですかね。
ありません。やはり子供の頃に食べ慣れて
いないせいなのか・・・
それに主人がまったく食べないのでよけい
買わないのかもしれません。
昔は経木や竹の皮が家にあるのが当たり前
でしたが、最近はありませんね。
私と次男は好きじゃない。
でも、毎朝食べてます。
だって、納豆食べてるところの人たちは
骨折が少なくて、
骨折する人としない人は(納豆に含まれる)
ビタミンKの量が違う。
という統計を信じてるからです。
年取ってからの大骨折はいやですもんね。
小分けされているものもあり、風情がないな~なんて
思いながらも、求めてきます。
手も汚さず、チョッと水をいれておけば、洗うのも
カンタンですので、利用することがあります。
そうそう、まだ東北を旅しますと<つと納豆>
お土産に販売されていますね。
藁を押し開けて納豆を取り出すのにはチョッとした
コツがあって、よく祖母の手元を見ていましたし、
早朝、お豆腐と一緒に売られていたのは三角の
経木で、カラシはちょっと隙間をあけてスプーンで
入れてくれたような...。
思い出してもよい風景でしたね。
便利は決してわるいことではないけど、どうして
他の部分までそぎ落としてしまうのでしょうか、
そんな私もきっと染まって、享受していることにさえ
気づいていなくなっているのでしょう。
こわいことです。
東京に来て、納豆に砂糖を入れない! と知ってびっくりしました。
あと、初めて大阪に行った時、関西の納豆のまずさにびっくり!
(臭いだけで豆の味がない・・・)
納豆は納豆菌で発酵させて作るので「抗菌」じゃダメなのです。
藁には納豆菌のほかに納豆をおいしくする菌が沢山付いてるので、藁で作った納豆はおいしいのだとか・・・
だから無農薬栽培した稲の藁でないと意味がないのだおすです。
水戸に旅行に行ったとき、藁でくるまれた納豆を開けたら、さらにラップみたいなのにくるまれて、藁が付かないよう加工してありました。(×_×)
関西生まれの関西育ちの家族全員、納豆の匂いを嗅ぐのも初めてで^^
開けた瞬間、口を揃えて「腐っている」
ゴミ箱直行で申し訳ないことをしました・・・。
今もダメですね、食べた事はありません。
食べられる姪っ子に「納豆は人間の食べるものではない」と
言い切ってます^^
関西のかたは大体が嫌いですよね。
でも、関西の納豆って、実はあんまり
おいしくないです。
元々不人気だからでしょうね。
竹の皮なんて魚煮るときなどに、
よく敷いて使ってましたね。
いまや竹の皮も買う時代ですわ。
体にいいって、よく言いますね。
私もほとんど毎日のように食べます。
ただねぇ、昔の味がないですねぇ。
豆の味がしっかりする納豆に会いたいです。
健康のために、食べ続けるぞっ!
小さくてかわいいの、売ってますね。
私はあれ「おやつ」です。
水戸に親戚があるので、誰か行くと
「わらつと」がおみやげにくるのですが、
それでも昔の味はしませんね。
あの藁も捨てがたいのですが、
さすがに細かく切って、植木の根っこに
まくくらいです。
昔近所のおじさんに「わらぞうり」の
作り方もおそわったんですけどねぇ。
納豆くさいわらぞうりってのもなんだし…。
関東以北は、割りと「砂糖」ですよね。
私は卵より鰹節、もしくは「海苔」です。
いろんな食べ方がありますね。
残念ながら、今のわらつと納豆は、
「よけいな細菌」による病気を防ぐため、
消毒殺菌された藁です。味気ないですよね。
関西の納豆は、好きな人が少ないから、
工場していかないんでしょうかねぇ。
私が行くと、私のために
買ってきてくれるんですけど、
食べた気がしません。食べ物って不思議ですね。
納豆くらい、はっきり好き嫌いが分かれるのも少ないんじゃないかと思ってます。
母なんか「アレは豆の腐ったもの、
よくおなかを壊さないもんだ」って。
今は昔の味の納豆になかなかあたりません。
私は味噌汁の具が足りないと「納豆汁」です。
いとこが「気絶する」と言いましたが…。