今会おうと思えばなんとか会える…と思う幼なじみは3人…かなぁ。
毎日幼稚園に一緒に通ったヒーちゃん、お兄ちゃんみたいだったお隣のヨッちゃん、
信州の町に嫁いだリエちゃん…初恋のヒト「ハルマサくん」は、今どこにすんでるのかなぁ。
京都のイトコ、Y子からメールがきました。彼女は今「視覚障害者」のガイドヘルパーをしています。
昨日仕事に行ったのは、春は桜、秋は紅葉が有名な「光明寺」のすぐそばにすんでいる女性S枝さん。
目が不自由なので、必然的に会話が多くなります。S枝さんが、思い出話で小学校のことを話しはじめ、
きけば私の母と同じ小学校…待てよ年齢も同じだ、と思い「ひょっとして」と、母の名前をだしたら
なんと母の同級生でありましたそーな。「よう知ってます。頭のえぇ人で(…そうか?)よう覚えてます」と。
母方の祖母の実家である、もっと山の上の本家のことも知っていて、嬉しそうに昔話をはじめたそうです。
イトコが「実は私は姪で、叔母は昨年12月になくなって…」と話したら、
イトコとの偶然の出会いと、母がすでに他界した事実を知って、たいへん驚き、
イトコはイトコで「叔母ちゃんが会わしてくれはったんかもなぁ」と。
実はS枝さんのガイドを最初に受けたのは、去年の9月だったのですが、その日あいにく台風が上陸。
とても外出はできないからと、当日にキャンセルになったのだとか。
S枝さんは「あのとき、でかけられへんでも貴女にきてもろて、お話だけでもしてたら、
そのときはまだMちゃん(母のこと)生きたはったんやし、電話で懐かしい昔話くらいできたかもしれへん。
返すがえすも残念や」と、ぽろぽろ涙をこぼされたそうです。
残念ではありますが、母のことをそんなに思ってもらえるのは嬉しいことです。
母の小学校の同窓会は、いつのころからか律儀に毎年、ついこの前まで開かれていました。
実に70年以上です。集合場所は必ずお寺、戦死した同級生の法要から始まる…そんな同窓会でした。
母は、ほとんどの人がもともとの地域か、遠くても関西圏内にすんでいたのに、
たった一人、遠く離れた横浜に来てしまっていました。
40代半ばまでは、精神的にも経済的にも余裕がなく、一度もいかれなかったのですが、
ようやく行かれるようになってからは、できるだけ出席していました。
年をとってからは毎度行く度に、「ほんまにみんなジーサンバーサンになりおってからに。
まるで『今、老人会の集まりから帰ってきましてん』みたいなばばっくさいカッコやらジジムサイのんばっかしやねん、
もうちょっとすっきりしたカッコしたらええのに」と怒る…。
無理だって、70過ぎてピンヒールのアンタのセンスにゃ誰もついていけん。
その同窓会も、病が表に出てからは「行かへん」「行かれへん」になりました。
あちらはあちらで「一番遠いMちゃんがきてくれるさかい、みんなも楽しみに集まってたんや。
Mちゃんがこられへんなら開いてもしゃーない」と、やらなくなったそうです。ありがたいやら寂しいやらですねぇ。
S枝さんは、白内障で全盲になられ、それでも一人暮らしだそうです。
父は母がなくなったとき、一番近くていつも会いに行っていた「たけのこやのKくん」には、知らせませんでした。
本人も入院中だったそうで…。たぶん、残っている母の同級生は今4人くらいでしょうか。
「昔の話を共有できる」というのは、ただ懐かしいだけでなく、自分の足跡をしっかり確かめるような、
そんな思いもあります。そのときから今まで、ずっとつながっているんだというような。
もう少したったら、母たちはみんな雲の上で、また同窓会を開くのでしょう。
そのときになったら、みんなジジムサイ、ババクサイて、言わんときゃ、おかーちゃん。
父は昨日熱海の梅林と桜を見に行ってきました。帰りにアジの開きと揚げ物のおみやげを入れてくるからと、
いつもより一回り大きいリュックをしょって…もちろん母の写真はポケットに入ってました。
実は、熱海は母が私をつれて再婚したとき「大げさなことはしたくないけれど、親戚にはご挨拶を」と、
両方の親戚を集めて、一泊した地でもありました。挨拶のとき、母は確か色無地でした。
父にとっての熱海梅林は、ただのお花見ではなく、自分たちの出発の地めぐり、でもあったわけです。
写真の梅も熱海桜もとてもきれいでした。父の思い出をたどる旅は、まだまだ続きそうです。
トップ写真は、父がくれたヒヤシンス、実家の紫のほうはもうりっぱに咲いてるのに…
枯れてしまったかと心配していたんですが、日当たりの関係らしかったです。
全部開くのが楽しみです。
こちらはまだ元気なオキザリス、今日はくもりなので、くるくる閉じてます。お菓子みたい。
父は初婚だったんですよ。
だから実子を持ったことがないんです。
それでもずーっと「父親」として、
一生懸命、私のことも大事にしてくれています。
ありがたいことですね。
「ジジムサイ」って、母がよくいってたんですが、
ちょっと昔の言葉ですね。
今はじじくさいって言うんじゃないでしょうか。
「はげちらかして」は、たぶん、おもしろく言ったものか、
もしくは地域的な言葉かな?
「はげらかして」なら言いますね。もっとひどく
「はげらかしゃぁがって」…母があるとき、
理不尽なじーさんドライバーに
ケチつけられたときに放った「啖呵」です。
私より少し上だと「疎開」と言う悲しい思い出がおありですよね。
父も、疎開はいやだったと言ってました。
クラス会同窓会は、熱心にやるタイプの人が一人でも
いてくれると進みますね。
高校のクラス会は今でも3年に一度、持ち回りでやっています。
イトコの話を聞いて、ほんとに驚きました。
私ももしかしたら、ずっと昔の母の同窓会で
お会いしているかもしれません。
縁とは不思議なものですね。
女性はお嫁に行きますから、
遠いところに言ってしまう場合もあるんですよね。
ふと思い出すのは、子供のころのままの顔だったりして、
なつかしいものですね。
父は、もともとじっとしていることのない人なんですが、
今は遊びに行くというより、母のことを思い出しながら、と
そんな感じです。
いい夫婦だったんですね。
とんぼさんのお話では、いつもやさしくて誰かを思っているおとうさま。
とってもステキで大好きです。
確かとんぼさんはごきょうだいがいなかったと思いますが
とんぼさんのおかあさまと再婚される前にお子さんいなかったのでしょうか。
未来に残ってほしいDNAだと思います。
私、ギリギリ産める…あ、ダメだ、ダンナいた。残念!
「ジジムサイ」っておもしろい♪ ツボにストライクです!
メジャーな言葉なのかしら??
確か京都か奈良あたり出身のタレントさんが
「あたまハゲちらかして」って使ってて
もしかしてアレも正しい方言だったのかしら?
ご存知ですか?
私には幼い頃のお友達の思い出はあまりありません。
疎開や転校、引越しとあった時代背景もありますが、
ようやく同窓会に出席できるのは中学校からですが、
それもここ数年のことでした。
一級上は幹事さんが熱心とかで盛んらしいのですが、
私の代はどうもそういう方もいらっしゃらなかった
ようです。
個人的はお付き合いの友人はいるのですが、
案外、地方の方のほうが縁が深いのかもしれません。
お母様の同級生のお世話を姪御さんが...、
すてきな出会いでしたね。 いいお話を読ませて
いただきました。
幼い頃の数年の記憶って鮮明に覚えて
いるものなんですね。
他府県で暮らしているとめったに出会う
事はないけれど、ふとどうしているかなぁと
思う事はありますね。
父母は晩年同級生の訃報を聞く度、ものすごく寂しがっていました。
お父様は、前向きで立派ですね。