ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

型紙

2010-05-18 21:57:03 | つれづれ
これは母から箱ごと譲り受けたもの。2~3年前でしたかねぇ。
「大関うまからセット」・・・実家は全員「下戸血統」だとゆーに、なぜにこんな箱がある・・・。
ま、それはともかく、型紙が入っているのは知っていたのですが、
使うこともないと思っていたし、ざっと見ただけで棚の上でホコリかぶってました。
箱の角なんかがだいぶ傷んでいるし、この際中身もちょっとチェック・・・と思って
本棚の上からおろしました。
私の使ったものも、いくつか上から放り込んだ記憶はあるのですが、
中身全部きちんと調べてはいません。さーて、お宝はあるかなぁ~ん?

型紙は大きく分けて「着るもの系(エプロンも)」「バッグやポーチ系」
「アップリケや刺繍の柄系」の三種類。
エプロンやワンピース、ベストスーツなどは、
母が気に入って作っては、よく着ていました。
エプロンやバツグ、ポーチは「おこぼれ」がきましたねぇ。


     


母はとにかく何でもやる人でしたが、息子が生まれてからは、
かわいいアップリケとか刺繍とかの図案をほしがりました。
本もありますが「なんか描いて」というので、せっせと「クマさん」やら「ウサギさん」やら、
描いて送ったものを、みんなちゃんとトレシング・ペーパーに書き写してから
厚紙で型紙が作ってありました。
入れる袋は、チラシ広告を切ってセロテープで横を貼ったもの。
さすが戦争経験者・・・です。


     

     


私は刺繍がとぉっても苦手なのですが、母は娘のころから好きだったそうで、
そちらは1メートル四方くらいの方眼紙に、びっしりとクロスステッチの図面が・・・。
また後年は、一色の糸でスケッチのように刺繍するのにこっていまして、
ちょっとした風景とか、座っている女の子とか・・・原画がたくさん入ってました。

全部出したら、箱の底にこんなきれいな図柄の紙が・・・。
これは、京都「三條若狭屋」さんという「祇園・稚児餅」で有名なお菓子屋さんのもの。
白いところにシミがでていますから、相当古いと思われます。
母はきれいな絵柄のものだと、包装紙でもパンフレットでもなんでも
きちんと畳んでとっておくヒトでしたから、これもその1枚でしょう。


     


型紙も、デパートの包装紙などをつないだもの、ほんとにマメなひとですね。
ま、私もおんなじよーなことしてましたが。
いいかげんこれだけあっても、作る予定も時間もないし・・・、
中身を見てこれから使えそうなデザインていどだけ残そうかなーと思いつつ
ひとつずつ出して眺めていたら、母のメモが出てきました。
私信ですのでボカしてます。


     


日付が書いてあったのでそれの順に読んだら・・・
最初は平成5年5月。母はこのとき70歳。
内容はざっとまとめると
「しばらくみていなかっのであけてみたら、こんなにいろいろ入っていてビックリした。
 やりたいことばっかりあるのに、何もしていない自分にあきれる。
 明日のこともわからないのに、困ったものだ。
 さっさと捨てようと思ったけれど、少し整理して残しておく。
 今度またあけることがあるかもしれないから、自己反省でこれを書いておく。
 この中のひとつでもできたら立派!」

というような内容。

次は翌年平成6年、
「早いもので1年経った。何もできなかったけれど、あまりガッカリしないことにした。
 病気持ちになったのだから。予定は未定だから、ひとつくらいできるかもしれないから」

母はこの年、外出先で突然倒れました。父がすぐそばにいたので駆け寄ると、
ぱっと目をあけて「何があったんや」・・・。一応救急車で運ばれたところ、
「一過性脳梗塞」、つまり一瞬詰まったんですね。
そちらの方は心配なかったのですが、ついでだからと全身調べてもらったところ、
心臓と肝臓に疾患があることがわかったのです。症状は何もなかったのですが、
悪化しないようにと、このときから「薬」と縁が切れなくなったのでした。
ずっと「丈夫だけが取り柄、悪いのは顔と根性だけ」と、豪語していた母にしてみれば、
家族中で誰もかかったことのない病名を二つも告げられて、落ち込んだのだと思います。
母の認知症の兆しは、このころからほんのすこぉしですがチラリと見えていました。

そしてその次のメモは1年とんで平成8年。
「何が入っているのかと思ってあけてびっくりした。
 ほんまにもう捨てないとと思ったが、またこのまましまうことにした。
 使うことがあるかもしれない。『とんぼ』が帰ってくるしやっぱり元気でいなきゃ」

この年の秋、私が横浜に戻ったのでした。

母は手先は器用ですが生き方は不器用なヒトで、私に対してもいつも皮肉と文句しか
言いませんが、ものすごい「子離れできてないヒト」でして、
本当は私のことと、今は息子のことしかアタマにありません。
私が横浜に戻るのを心待ちにしていたのでしょう。
私がこちらに戻ってきてから、家具の配置までうるさいほどあれこれ言いまして、
ほんとに閉口しましたが、何かを作ってくれたことはなかったと思います。

「これを使って何か作ってやることもあるかも」と、気持ちだけはあったのでしょけれど
もう体も根気もついていかなかったんですね。
母は40歳前に後家さんになっていますから、私が結婚するときのハナムケの言葉が
「幸せなんてわからへんもんや、明日未亡人になるかもしれへん。
 親はいつまでも生きてへんしな、なんぞあっても一人で生きていけるように、
 育ててあるはずや。ヒトばっかし頼ったらあかんで」・・・でした。
おかげさまで私、母になにかしてもらうのがイヤでイヤで・・・。
でも、甘えることも親孝行のうち・・・とヒトに言われてそうかもなぁと、
横浜に戻ってから、息子の着物を縫ってくれ、と頼んだのです。
息子が赤ちゃんのころは、頼まなくても一つ身の着物など何枚も縫ってくれたのに、
いざ頼んだら「もう目ぇがきかへんしな、堪忍して」と断られました。
思えばこのとき、少しずつ母の病気は進行していたんですね。
今にして思えば、いざ親孝行のつもりで頼んだことは、
かえって母を落ち込ませたのではないかと・・・結局親不孝するようにできてる・・・。

母は若いころ「製図技師」をしていました。自動織機の部品の図面を起こす仕事で、
当時の女性の職業としては、珍しかったと思います。
「烏口(からすぐち)」という、文字通り鳥のくちばしのようなペンに、
黒インクを入れて、ミゴトに直線や一点鎖線など書いていましたし、
手持ちのバッグから図面を起こすなんてお手の物でした。
その手で書き溜めた、幾何学模様やアップリケの図案です。
とてものことに捨てられません。全部あけてみて、ばらばらになっていたものをまとめ、
「動物は動物」「花は花」とわけ、チャックつきビニール袋に小分けして入れました。
それからこれを書きました。

「平成21年5月18日
 かーちゃんからもらった図案や型紙を整理した。
 70くらいからいつも『年とったら、根気も元気ものぅなる。いつかヒマになったら、
 いつか時間ができたら、なんぞとゆぅとったら、いざとなったら目がきかん。
 やる気がすぐうせる。一年でも若いうちやで。』と言っていた。
 これはそのかーちゃんの気持ちの名残だと思うから、全部とっておく。
 かーちゃんのマネをして書いておく。この中のひとつでもモノにできたらいいな」

母のようにチラシの裏ではないけれど、一緒に入れておくことにしました。
次にあけるのはいつのことかわかりませんが、母の言葉は覚えておこうと思います。
母は、この箱がここにきていることを、もう覚えていないでしょう。
「受け継いだ」、そう思って、大切にしていこうと思います。








 

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10 コメント

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Unknown (陽花)
2010-05-18 23:03:28
とんぼさんちの親子関係すんごく
よく分かります。
お母さまらしい素敵な言葉、自分が居なくなってからの事まで考えていてくれるって有難い事
ですよね。
それにしても、こまめで物持ちのいいお母さま
。だんだん親と同じ事をしている自分に気が付く歳になってきましたね。
返信する
私も・・・ (とうこ)
2010-05-19 11:11:22
いいですね。
とんぼさんとお母さんの関係。
私も和裁道具は、母の形見です。
これは、母が生前にくれたものです。
私は息子ばかりで、
とんぼさんのようにはいかないでしょう。
私のものは、粗大ごみになるのだろうな。
返信する
懐かしい名詞が・・・・ (kuutanaka)
2010-05-19 11:26:57
とんぼさん

会社からメールです。
腰痛・めまいとの事でびっくりしました。
私が楽しみに待っているから急いで下さったんですね。ありがとうございます。

実は私の仕事は設計なので学生の頃は「カラスグチ」でよく図面を書きました。その頃の思い出がいろいろ浮かびます。私も父から設計の小道具を受け継いでます。その中にカラスグチも入っています。ちょっとは整理しなくては。今はCADで毎日コツコツと頑張ってます。羽織のデザインもPCで休憩中に・・・・編み図が届いたら読み取れる範囲で図面にします。
また、とんぼさんに編み図の要望があったら差し上げて下さったら嬉しいです。

帰宅したら「カラスグチ」の話を主人にもします。
あ~~到着が楽しみです。
返信する
いろいろな思い出が...。 (akkomam)
2010-05-19 16:35:21
 母は3人姉妹の長女で下の2人の叔母たちは
 <よく母に使われた>と言っていましたが、
 頭は一番良かったそうで、家庭におさめては
 いけない人だったと聞かされましたが、
 私にとっては父を静かに支える普通の人に
 見えていましたが、聞いたことはすぐきちんと
 答えてくれるのが子ども心に自慢でした。

 昔の人は皆んなそうだったのかもしれませんね。
 とんぼさんのお母様のお話をうかがいながら、
 そう思えています。

 若い頃は考えもしませんでしたが、
 今になりますと、やはりすごい人だったのだと
 改めて思っています。

 思いのつまった型紙箱、大切にとっておいて
 繋いで言葉を書いていれていらっしゃったとの 
 こと、とっても暖かみがあってよいと
 思いました。 素敵なお話でした。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-05-19 18:34:05
陽花様

昔の親って、なんかこう密接なのに、
つきはなすところもある、といいますか
「嫁に行って苦労しないように」みたいなこと、
よく言いましたね。
しつけるといいますか仕込むといいますか。

なんでも溜め込むのを、あきれてみたり
こまかいことを言うのをあきれてましたが
やっぱり私も似てきています。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-05-19 18:36:56
とうこ様

昔は「いらないわ」と思っていたものでも
なんだかありがたい、このごろです。
私、裁縫箱(箱だけ)は、祖母の形見を
もらっています。同居していなかったので
あまり思いいれがないのですが、
道具って、それを使っていたヒトの思いが
こもっているんだよなと思い始め、
出してこよう…なんて気になってます。
男の子でも、ひょっとしてこの時代なら
「お裁縫」するかもですよー。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-05-19 18:38:18
kuutanaka様

ご心配いただいてありがとうございます。
長年つきあっている持病ですので、
仲良く?うまくやってます。
もう大丈夫ですので。

烏口、お使いでしたか。今はもう図面といえば
CADですが、私はCAD知らなくて、
いまでもちょっと直線・・・のときは、
ミニドラフターを引っ張り出します。
(そんなに用もないのになぜか持ってる?!)
図面書きは母のを見てちょこっとだけ覚えました。
私の実父はエンジニアだったのですが、
あのころはドラフターなんてありませんで、
戸板みたいな製図版に、木製のT定規に、
大きな△定規とがっしりしたコンパス・・・。
それもとってあります。
kuutanaka様もお父様のものを大切になさっているですね。
道具って、いいものですね。

編み図、明日にはとどくかなー。
図面に起こせば間違いないですね。
お役に立ちますように!
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-05-19 18:41:03
akkomam様

私たちの母親は、今のように何でも電化製品、
何でも売ってる、何でも揃う…
という時代ではありませんから、
毎日何倍もの「やらなければならないこと」が
あったはずなんですが、
ほんとによく働き、きびきびとしてましたね。

母は思い出したように「これ、もういらんから」と、
父に何かしらいろいろ届けさせます。
ヤマのような「編み針」だの「ハギレ」だの、
場所ふさがれながらも、ありがたく受け取っています。
返信する
この親にしてこの子あり (otyukun)
2010-05-19 22:22:56
やっぱり、良い親娘なんですね。
憎まれ口を言い合っても心が通じ合ってるなんて小説の話しだと思っていました。
しかし、あるもんですね。

昔人間の母親と知らず知らずにその母親に似てきた娘。
脚本になるかも知れませんね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-05-20 13:44:33
otyukun様

母が元気なころは「避けたい」ヒトでしたが、
こうなってみると、いろいろわかるものです。
生きているうちにきがついてよかったかなと。
母とおなじことをしている自分がおかしいです。
返信する

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