写真は庭の「千両」と赤いのはさざんかの花びらです。
皆様年末でさぞかしお忙しいことと思います。
ちょっと一休みしてお茶でも飲みながら…母の話しを致しますので聞いてください。
いえ、この「とんぼ」の話ですから胸が詰まる「ちょっといい話」何ぞではございません。
今年の笑い収めってかんじかと思いますが…。
昨日、父が「お位牌」のカタログを持ってきまして、どれがいいかな…
実家の仏壇には、私の実父のお位牌があります。昔から家族ぐるみの付き合いだったヒトですから、
今の父は「あのお父さんが仕事を残してくれたから、今日までやってこられた」と言います。
私は、父が残してくれた仕事を今の父がちゃんと受け継いでくれたから、
今日までこられた、と思っているんですけどね。
だから今の父は実父のことを大切に思っているわけです。
「ばーちゃんの位牌の方がりっぱになったらまずいから、似たようなのでいいんじゃない?」
そういうと、そうだな、じゃこれかなぁ…ふんふんと聞いていたら、じゃ明日行ってくるわ。
だからなんでそう急ぐんじゃ、納骨は来月末で、位牌は10日もあればできるって言ってんのに…。
何も年末の、このいっそがしいときに頼まんでもええやんか…と思いつつ、
好きなようにさせてあげたいので「そうだね、じゃよろしくね」…。
まぁ夫婦ってなぁ似るもんですねぇ…母も「いらち」でした。
母はものすごい短気なヒトで、元々きついタイプのヒトでしたから、私はいつも何かしら叱られていました。
子供というものは、例えば靴紐結びにしてもボタンどめにしても、大人のようにはちゃっちゃとできません。
それに母はいらだつんですね。一生懸命やっていても「いつまでかかってんねん」とか「はよしいな、もぉぉ」とか。
自然と「叱られないように」と、先読みをするようになります。
つまり、一緒に買い物にいくことになりそうだと、言われる前に服を着ておく、靴を履く…。
ほめられることはありません、母にとっては「それがアタリマエ」だから。
これが高じてきますと、この子はいわなくてもわかる…という図式が出来上がりますから、
母は私が母の思っていることを全部まで言わなくてもわかる…とおもうわけですね。
大きくなるほどに…です。
昔々のある日の会話、テレビに俳優さんが写っています。仮に「緒方拳さん」だったとしましょう。
「あっ、ほらこのヒト、あのヒトやな」…すんごい省略ですが、「あぁ緒方拳ね」「そうそう」
ここまではよくある話です。モンダイはこのあとです。
「このヒトが、昔出てはったドラマで競演したはったヒト、あのヒトもええなぁ」…さぁ誰でしょう。
ここで「誰よそれ」なんて聞こうものなら「わからへんのかいなもぉぉ!」と怒りますから、
私の頭の中は、スーパーコンピュータなみに、情報が走ります。
「(ばーちゃんが<昔>ってことは、ここ○年くらいのことで、見るものといったら時代劇、
あのころ緒方拳が出ていて、バーちゃんが好きだった時代劇というと<あれ>で、
一緒に出ていた俳優の中で、ばーちゃんの好みというと)…あぁ高橋幸治ね」ここまでの所要時間約2秒!
「そうそう、あのヒトは芝居がうまいわ」。
さらに話は続きます。こっちも構えます!
「このヒトが出てたアレの「親分」やってたヒトなぁ(ドラマは「仕事人」緒方拳は梅安、親分は元締めのことで山村聡)、
年とるとああいう渋いヒトがいいねぇ、よう似たのがいたなぁ、あのヒトは悪役したはったっけか」たぶん「佐分利信」、
「あのヒトの息子があのヒトやっけ?」。「それは佐野修二でしょ、息子は関口宏」。
雰囲気似てるからごっちゃになってるんですわ。
全部代名詞で済ませる母に、全部答えるのは私。これがつっかかってはいけないのです。
流れるごとく「ああ○○さんね」「そうそう」…でないと「なんや、わからへんのかいな、鈍いなぁ」といわれるし。
話はほとんどこの感じです。「この前あのヒトからもろたお菓子なぁ、あれおいしかったわぁ」
さて、いつ誰から届いた何の菓子だ…。
ほとんど間違いなく答えていた私は「自分で自分をホメてやりたいっ」です。
あるとき、かわいがっている京都の甥っ子が、会社の健康診断でひっかかり、
私が実家に立ち寄った日が精密検査の結果が出る日でした。
いらついているので家に電話してお嫁さんに結果を聞くように言いました。
ジーコジーコとダイヤルまわしてつながると、お嫁さんの甲高い声がそばにいる私にも聞こえました。
「はい○○でございますぅ」…母はいきなり言いました「どぅやってん(どうだった)」…。
お嫁さんは相手が誰かも分からず、ナンのことかも分からない。
「…はぁ?…あのぉ…」「どぅやってんやて聞いてんねん」…「あぁ横浜のおばさん!」
「そうやがな、で、どないやってんな!」「何がです?」「検査結果や!」「…あぁおかげさんで、なんともないて」…。
電話を切ってから私が「ばーちゃん、いきなり『どぅやってん』はないよ、ちゃんと『横浜やけど』とか、
『○○の検査結果は?』とか言わなわからへんよ。向こうは電話がくることだって予想してないんやから」というと、
母はこともなげに申しました「最初の一言でわからへんほうが、アホやねん」。
そんなわけで、私は先読みを鍛えられましたが、母もまたそういうヒトでした。
私がすわってバッグの中をごそっとしただけで、目の前に灰皿とライターがでてきました。
指先見ながらおしゃべりしていると、すかさず爪きりが出てくるし、
顔色ひとつで何かあったとか、父のことでも細かく気にしていました。
つまり、そのくらいのことわからんでどうする…のヒトだったわけです。
さぞかしとんぼは、よく気がつくこまめなヒト…とお思いでしょうが、とーんでもありません。
こんなに気の張ることはありませんよ。だから自分の所帯になってからは「しーらない」です。
洗濯物をたたんでいるそばで、オットが私の方を見ている・・・(コーヒーだな)と思う…けどイワナイ!
向こうが私の作業を終わるのを待って「コーヒーくれる?」といったならいれてあげましょー。
しかし、訓練のかいあって…?!オットは自分で入れてます。
だから言うのです「あら、言ってくれれば、入れたのに~。きがつかなくてごめんねぇ(うっそぴょーん!)」
今、父が「トシのせい」で、代名詞が増えています。「ほら、あれだ、えぇぇーと」…。
ほとんど分かるんですが、私「じーちゃんしっかり」と、わかっていても答えません。
いじわるじゃなくてボケ防止。母がボケましたからねぇ。責任感じてる部分もあったりして…。
ばーちゃん、今「そっちはどないや」って聞いたら「まぁまぁやな」って言うだろね。
「そうやなぁ会いたかった両親や兄さんたちはいるけど、ついでに口の悪かったねぇさんも、
大っキライな兄嫁さんもいっしょやもんなぁ」…「そやね~ん」という母の声が聞こえる気がします。
お茶、全部飲まはりましたか?途中で吹いた?すんまへん。
大笑いです。
私は母じゃなくて主人に鍛えられている?
かもしれません。
アレ、ソレ、コレがある時はまだましで、
自分の思っている事は分かって当然だと
思っていますよ。
・・・で、なんのこっちゃか??と考えていると感の鈍い奴やとのたまいます。
疲れますよね。
最近、芸能人の顔は浮かべど名前が出てこない
事多いですわ。
やんごとない方々はもごっと一部だけ言うだけで、まわりが全部察しないといけないという話を思い出しました。
空気読めの極地みたいなw
ぼけ防止には時間がかかっても自分で物の名前や人の名前を思い出す事、というのがありました。
わざと言わないであげるのも結構エネルギーがいるので、やっぱり愛情ですよね笑
必要なことだけです。
それでも、先回りしてしまう癖は残りました(笑)
あまりに先読みしすぎるから、父親の入院中の介護のことで
「おまえは甘すぎる」「そっちこそ、きびしすぎる」(・・;)
こんな言い合いもいつまでかなぁ、なんて思いつつ
90歳で寝たきりになった祖母と同じになった背中を見ています。
で、明日はお餅をつくからとりにいく予定です。これもいつまでかなぁ。
今年から杵うすがつらいからと、機械になりました。
とんぼさんもおだいじに。
オットもそれに近くなってきました。
冗談じゃありませんよね。
いくら長く連れ添っているからといったって
言わなきゃわからないこともありますよ。
私も最近、えーとえーとが多いです。
いやですねぇ…。
まぁお育ちはお公家さんとは程遠いですが、
京都弁でやわらか~に、中身はきつい!?
最近ヒトの名前や、場所の名前が、
すっとでてきません。
記憶の引き出しがきしんで開かない感じ。
がんばらなくちゃ。
親の老いかさびしいものですね。
お持ちも我が家はいなかからもち米を
送ってもらって、機械ですけどついてました。
手で丸めたお供えの方が、なんか味がありますよね。
年末寒波がくるそうです。
どうぞえみこ様も、くれぐれもお大事に。